HARD BLOW !

オリンピック 判定問題と政治プロパガンダ

 やらかしたといいますか韓国サッカー代表の政治パフォーマンス(と呼ぶに値するのか?)で終わった後まで紛糾するオリンピックですが、度々覆った判定とともに後味の悪さを残すことになりました。私個人の感想としては「愚かだ」としか言いようありませんが、国家の経済成長の途上でスポーツを国威発揚に使うことはまあままあること。件の政治宣伝行為を韓国の大衆が「良くやった」と評価してるなら、韓国に行ったことのない私は「彼の地は成熟に程遠い野蛮な段階なのであろう」と推察するほかありません。WBCでのマウンドへの国旗立て、サッカーW杯アメリカ戦での冬季五輪ショートトラックへの意趣返しとも相俟って、国家間の闘争として国際競技へ邁進するその姿勢が仁川空港やサムスンやKIA、ヒュンダイなんかの成功の秘密かしらと想像したりするのですが、そのような精神状態を常態とする社会が果たして幸福なのかと立ち止まって考えてしまいます。本来の韓国社会の精神の基盤となる儒教の精神というのはああいう行為とは対極だと思うのですが…。

 今回のオリンピックでもう一つの困ったトピックとなった誤審ですが、私はある競技が公正性を担保することにどれだけ熱意があるかの指標は何だかんだいって電子機器・ビデオの導入具合にあると思います。人気スポーツであるテニスにチャレンジの制度が出来て広く周知されたことは誤審の多さであり、抗議の制度化でゲーム性もアップするということです。かつてマッケンローが(古いねえ)インアウトの判定で怒って審判を罵倒してはペナルティを受けてましたが、実は結構な割合で彼が正しかったのだろう、と今になれば分かります。当時は単なる『悪童』扱いでしたがね。競泳や陸上は水着問題やドーピング、選手のセックスチェックなどで紛糾はありますが、こと競技においては電子機器による計時で結果がはっきりしてて安心して見れます。一方個々のジャッジに判定が委ねられる柔道とボクシングは今の運営ではファンの理解を得るのは難しいなあと感じます。両競技とも頻繁なルール変更でコロコロ判定基準が変わり、オリンピックくらいでしか試合に触れない大衆は置いてけぼりです。柔道が公正化の為にとっているジュリー制度は、判定が変わるのが余りに唐突だし審判の存在異議も否定している。武道性・精神性を保ちたいという日本の柔連の思惑は分かりますがそれはスポーツ化と矛盾する要求だし、国内の大会と国際試合の運営が違いすぎて日本のファンは混乱するだけです。ボクシングはプロも含めて「地元判定」「選手の格」「レフェリーの好み・気分」で判定が曲げられることが常態化しており、『注目度の高いステージでやらかして慌てる』という負のサイクルが続いている。こんだけプロもアマも運営がグダグダでも試合が面白いということは奇跡的なことです。ボクシングは政治力で判定を曲げてきた歴史が長すぎて関係者の公正性の感覚がマヒしており、「変に感じるかも知れないけど、こういうスポーツなんだよ」と開き直っているようにしか見えない。お互い迷走は深いと感じます。そんな混乱する両競技が参考にするべきはレスリングのチャレンジ制度だと私は思います。セコンドがチャレンジを申し立て公開の場でビデオを見るというあの制度はかなりうまく出来ているし、競技を面白くする要素にもなっている。フェンシングなどは電子機器とチャレンジの併用を行っています(時計壊れたけど)。

 もう一つ大きな事件となった体操の団体の採点ですが、技の完成度の比重が高い現在の採点基準は実はフィギアスケートと同じです。バンクーバー五輪の折にはキム・ヨナと浅田の採点を巡ってスケート界の事情を知らない皆さんによって玄界灘を挟んで壮絶なウンコの投げ合いが行われましたが、採点基準に合わせた演技をすることは勝つためには当然のことです。男子でも四回転を飛ばずに安全な演技をして金をとったライザチェックを4回転跳んで銀だったプルシェンコがボロクソに言って半泣きにしてましたが、ゲームとしてはライザチェックの行動は正しいわけです。ただスポーツとして技のイノベーション止めるようなルールはどうなの?と言うプルシェンコの意見も良く分かります。体操競技にも「難易度をこそ評価しろ」という揺り戻しが必ず来ると思います。その時に「日本人を狙い撃ちしてる」とひがむのでなく対応できるように準備をしておくことこそが重要です。すぐに民族・人種差別に結びつける思考法は実は、あの愚かなプラカードを出した韓国選手や彼を支持する無知な大衆と同じなのです。スポーツというのは政治や国家に従属するものではなく、実はそれこそが人間が生きる目的であり、スポーツこそが国家よりも政治よりも遥かに重要なのです。

         もう日韓戦は面倒くさいからしなくていい(旧徳山と長谷川が好きです)

Comment

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2012.08.18 19:08 | | # [edit]
雷が怖かった(旧徳山と長谷川が好きです) says... ""
>非公開設定にされている方

ご指摘を頂き大変恐縮です
調べたらすぐ分かる事実関係の確認を怠り誠に失礼しました。

採点傾向に柔軟に対応することと、協議団体のなかで発言力を維持する事が大切ですね。柔道はそこで失敗してる
2012.08.19 00:06 | URL | #- [edit]
いやまじで says... "Re: タイトルなし"
 柔道のジュリー制度は1999年から導入されたようですが、ビデオ判定はシドニー五輪のドイエvs篠原の件が契機で導入されたようです。ドイエvs篠原は様々な複雑な問題を孕んでいると私は思いますが、現在の制度を見る限りIJFの結論は「主審と副審にしろ、ジュリー=審判団=陪審にしろ、肉眼で正しい判定を下すには限界がある」というものだと思います。
 旧徳さんの「判定が変わるのが余りに唐突」「競技を面白くする要素に」という指摘はもっともです。日本で格闘系競技でビデオを導入したのは大相撲だと思いますが、あの物言い時の「只今の取り組みについてご説明いたします」という○○山審判部長のアナウンスはマイクパフォーマンス、一種の見ものになっています。こんなところに良いお手本があるのにと思います。まあ流れる空気が違いますし決めるのはIJFですから、あれを真似ることはないと思いますが、少なくとも問題となっている採点や判定の内容について観客がある程度理解できるようにすることが課題でしょうね。
 で、ボクシングですが、これは分かりやすくするのはとても難しい気がします。ただやはり何らかのアナウンスはあってほしいですね。

(西岡vsドネアと同日にモレノvsマレス…)
2012.08.19 08:33 | URL | #- [edit]
桐光の松井君の敗退が残念(旧徳山と長谷川が好きです) says... ""
大相撲のビデオ導入は世界最速ですかね。
まあ試合自体が出来試合じゃしょうがないんですけど。
IJFは投げ技での一本を多くしてテレビ榮えする競技にしようと苦心してるようですが(動機は違えど講道館の志向と同じですが)、逆の組手争いが高度になっただけで判定が増えてますね。リオ五輪以降ブラジル発の柔術が正式競技になったりしたら面白いなあと想像したりして。
2012.08.20 13:06 | URL | #- [edit]

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