HARD BLOW !

美しい体操

ボクシングファンにとっては、村田諒太、清水聡らの大活躍で大いに盛り上がったロンドンオリンピックが本日閉会しました。
時期に当たってこの歴史的快挙について、いやまじで氏、中年チャンピオン氏に記事の投稿をお願いしましたが、期間中は当ブログのコメンテーターの中でボクシングだけでなく他の競技についても数多く話題となり意見交換をしてきました。その中で印象深いものを再現してみました。(B.B)

男子体操・内村航平選手について・・

自分にとって内村航平は現状日本一凄いアスリートなのですが、それは彼がゼネラリストを目指しているからです。個人総合の決勝に団体金の中国の選手が一人もいないのが象徴的ですが、いま体操界の主流はスペシャリストです。それはプロ野球の現状にも言えることで、分業制がスポーツ界に蔓延しています。その世界的な潮流の中で全能性を志向するのは現代においては尊いことであり、同時に古代ギリシャで始まったオリンピックの原点への回帰でもあります。そもそも瞬発系の競技で日本人がトップに立つという困難さを加味する尋常ではない超人性だと思えます。個人総合優勝はかつてロス五輪で具志堅幸司さんが達成されておりそれは勿論偉業ですが、あの時はソ連と東ドイツがいない『片肺五輪』であり、やはり今回の内村は別格であると思います。彼の超人性が正当に評価されることは今の日本の社会で無理なのでしょうか?モハメド・アリやカール・ルイスにも劣らない歴史的なスポーツ選手だと思うのですが・・・(中年チャンピオン)


内村の演技を改めて見直すと空中での感覚が他の日本人選手とは一枚抜けている事が判りますね。特に高得点を叩き出した跳馬での演技では、ロンダート後方宙返りから入ってひねり前方宙返りで降りるという難度の高い技ですが、この着地を一歩も踏み出さずピタリと決めるのは本当に難しい。
後方宙返りから降りる場合は着地が自分の目で確認できるので体のコントロールが比較的にし易いのですが、前方の場合は着地点が寸前まで(特に伸身系の場合)見えませんので回転の縦軸感覚しか無い選手には先ずこれが出来ません。勿論練習である程度養えるものですが。
内村はこの縦軸感覚と共に横軸感覚(一流選手の資質)が鋭い事もあると思いますが、おそらく着地寸前の頭が真下を向いている時にすでに目だけは四方を見て位置を確認し着地の為の微調整を加えているはずです。
空中姿勢の微調整は実は体操の極意(体の緊張と緩和)で、これを感覚だけに頼らず目視を常に加える事の出来る選手は内村の他にはそうはいないでしょう。
これに加えて内村は自身の「超」感覚をこう表現しました。
「僕には演技をしている自分をもう一人の自分が俯瞰しているという感覚があるんです
内村は天才なのかと思ったエピソードがあります。
4、5歳の頃から誰に教えられた訳でもなく、ピンクパンサーの人形を自分の体に見たてて引っ繰り返したりひねりを加えたりして、「これなら出来る」と言い放ったそうです。
その映像が何処かにありましたが、なんとその技は「月面宙返り」でした。

月面宙返りはご存知の通り、鉄棒のスペシャリスト塚原光男さんがミュンヘン五輪で世界に向け披露された超ウルトラCと言われた画期的なものでした。
この鉄棒の大技はその後、世界の体操競技を大きく進化させ変えるものとなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=4v_ZVnEg0YE&feature=related
当時すでに体操小僧だった中学生の僕は塚原に憧れ夢中になりました。

この頃、塚原光男と同じ年代、同じ日本人チームの中にスペシャリストが実は何人もいました。
平行棒、床の加藤沢男、あん馬の監物 永三、つり輪の中山彰規と塚原を凌ぐ選手の中でしのぎを削ってきました。
今でこそ塚原光男は「ムーンサルト」で鉄棒のスペシャリストとして名を残しましたが、当時の真の実力者は加藤沢男、次に中山彰規と見るのが妥当ではなかったかと考えています。
特に加藤沢男の演技はすべての競技で安定感とその美しさにおいて群を抜いており、体操の極意である「緊張と緩和」を体得した選手であったと思います。
旧徳さんの言われるゼネラリストを目指したという意味でも強力なライバル群の中で僕は彼を推すわけです。
それでもムーンサルトの衝撃は日本を世界を巻き込みましたので、加藤らは塚原の影に隠れてしまいましたが。

内村は体操競技者としてこれまでの日本人選手の中でも現在最も完璧に近づきつつあると思いますが、「一般的評価」としては旧徳さんが既に気付かれたであろうサイドストーリーとしてのやはりライバル不在が挙げられますかね。
日本での評価については、ある意味塚原のような一般的なブームにまで至らないと起こらない議論かも知れません。マスも含めて見る側の競技と競技者への理解と冷静さ、そして成熟が求められますね。
それに自分の為に戦うという純粋なそして当たり前の本音は美しいとされない日本。問題はここでしょうか?(B.B)


実は僕も器械体操見るのはすごく好きで、モントリオールの笠松茂さんくらいから記憶があります。現在の内村の活躍や台頭は、冨田洋之がつけた流れのもとにあるものだというのが自分の分析です。日本体操界の最低迷期を経て日本の『美しい体操』を復興させた功労者という意味でも彼を高く評価しています。冨田と塚原jrでそれが採点傾向すら変えてしまった。その延長上に内村の個人での金があるのではないでしょうか?正直今の採点傾向では新技が生まれる動機付けが少なく技術的なイノベーションが止まる可能性があるので少し変更が必要ではありますが、さりとて内村は難易度においても第一人者であると思います。

『器械体操の個人総合で金を取る』ということのとてつもない価値を本当に日本の大衆は理解しているのか?偉業に対してリアクションが少なくない?というのが未だに不満です。そして一見すると全く普通の大学生である彼が実は超人性、全能性を志向している「哲学者」であるということが正しく伝わっているのか?あの飄々とした仮面の下にとてつもない志があることを少しでも多くの人に知ってほしいと思います。(中年チャンピオン)



日本男子体操五輪出場の歴史を紐解くと意外と古く昭和5年のロス大会なんですね。
その後第二次大戦があって世界との交流が途絶えましたが、戦後再び国威掲揚の為に力を入れ始めたのがボクシングであり器械体操だったと。
当時の器械体操は文字通り体操の延長線上にあったので演技、模範演技という言葉が今でも使われているようです。
日本の体操の美しさの原点は頭のてっぺんからつま先まで自分の体を繊細に制御するところにありますが、日本人の元々の資質だったのか、戦時訓練の賜物か日本体操陣はこれを持ってめきめきと頭角を現すのですが、そこに出現したのが天才・竹本正男でした。

彼の演技は欧米選手のダイナミックな演技には及ばなかったものの、体の繊細な制御をこれでもかとアピール出来る「表現力」があったといいます。
初出場のヘルシンキオリンピックでは跳馬で日本人初の銀メダルを獲得するのですが、実はそれよりも徒手(現在の床運動)でのピタリと決める演技の美しさに当時の世界体操界は驚いた。
その後ローマの世界選手権で竹本の演技は世界的に認められ念願の金メダルを獲得、続くモスクワでは竹本を模範とする欧米選手が続出しながらそれらを抑え二連覇。
日本の美しい体操の源流はここにあると僕は考えています。
実際に加藤沢男、中山、塚原そして笠松茂ら日本体操界の牽引者も竹本に師事を仰ぎました。この中でも竹本の体操を正しく受け継いだのが加藤であり中山ではなかったかと僕は考えるわけです。

しかし、その後あまりに強くなった日本を抑える為にルールや出場枠などが変更され、演技自体も欧米や特にロシアなどの得意とする離れ業主流が採点の重きになって行き、覇権はロシア、中国へと移りました。
低迷する日本、勝てない日本体操界の中で再びその伝統を復活させたのが冨田ならば、彼は加藤沢男に次ぐいわば中興の祖ともいうべき存在なのでしょうか。
冨田の活躍を僕は実はあまり知らないのですが、「美しい日本の体操」の体現者とするならば日本体操界の最高傑作、内村航平も彼には大きな影響を受けた事でしょう。

内村を実は超人性、全能性を志向している「哲学者」と表現される事について、僕もまさにその通り!と思い昨夜は思わず嬉しくなり、ついつい飲み過ぎました(笑
そもそも哲学者は真理への求道者、探究者でありますので「自分」が、もっと言えば「自分だけが」如何にそれに向かえるのかが最大のテーマです。
即ちそこにもはや他人は存在しない訳で、内村もそして冨田もどこか孤高の雰囲気が漂っていますね。
遍く過去の哲学者たちも、おそらくはそのような精神の出発であり、その大いなる探究の結果に沢山の人々がついて来た。
傍観者や凡人はその有様を見て初めて偉業だったのだと知るのでしょうね。(B.B)



今回もいろんな競技が採点で揉めてますが、今の体操界は日本には有利な採点傾向ですね。これはアクロバチックな技のイノベーションがある程度頭を打ってることに起因すると思われます。それと離れ技の難易度を上げることで深刻事故が起きるの防ぐ意味もあるのだと思います。今回は選手の名前を冠した新技もなく各国の離れ技・演技構成は北京からほぼ変わっていない。むしろ床や平行棒は技の難易度より数を重視するような流れになっている。もちろん内村にも「ウチムラ」という名の新技を残して欲しいですが、しかし今の体操も変わらず魅力的で面白いと思います。ギンガーやマルケロフやゲイロードは全く見なくなりましたね。トカチェフだけは伸身で残ってますがコバチすらやる選手が減ってきた。居酒屋の突き出しで『連続コバチ』というギャグをやってる人もいなくなりました(笑)コールマンやカッシーナもリスクの割に加点に反映されない。自分としてはもう少しアクロバット的な要素が入ってる方が好みです(笑)。北京の時は冨田と鹿島が注目選手で内村は期待の若手という位置づけでしたが青年の成長は驚くほど速いですね。しかし内村の登場もまた伝統の継承と競技者であったご両親のスパルタ訓練の賜物。一人の大天才の影には何十人もの天才がいる。やはりスポーツはマンパワーですね。

日本人は身体操法的な統御論が凄く好きですね。武道・秘伝も何年周期で必ずブームが来る。体操の体の末端へのミクロなこだわりは、まさに日本的。ですがこの辺は中国の飛び込みとかにも通じる東洋感覚ですね。京劇とか歌舞伎とか (中年チャンピオン)


先程のスポーツ番組で(ちら見でしたが)江川卓さんが内村に触れて「技の完成度もさることながら、オールラウンドプレイヤーという部分に(彼の)凄さを感じます」と言ってましたね。
旧徳さんの言われたゼネラリストという言葉までは思い付かなかったのか(笑)視聴者に解り易く伝えたかったのか、それでも着眼点は他のスポーツコメンテーターと違って流石だなと思いました。
「体操の体の末端へのミクロなこだわりは、まさに日本的」はもはや「わびさび」の世界でしょうか(笑

70年代中頃に成美堂出版から出された「ジムナスティック男子体操競技」という竹本正男監修のいわば体操の手引書が永らく僕ら体操小僧のバイブルだったわけですが、そこにも美しさへの追求という言葉が使われていました。
改めて現在の採点方式をおさらいすると、これまでの体操の歴史の中で積み上げて来た日本の「美しい体操」が原点になっているようにも感じます。
日本人の美意識、体操哲学というべきか、だとすればそれが現在に至る世界の体操文化に大きく影響している事は間違いない事でしょうね。

また内村について印象深いひとコマがありました。
個人総合で既に金を獲得している内村が、彼の最終種目の床で銀メダルに終わった後のインタビューで「満足の出来る演技が最後の最後に出来て本当に良かったです」と答えたのです。
内村の後に演技した中国人選手が戦略的に難易度を上げ採点では内村を僅かに上回ったわけですが、それに少しの悔しさも見せずに言い放った彼の一言には彼の哲学がありました。
それは負けて潔しという慰めとは全く異質なものでした。
しかし、一般視聴者、あるいは観客の中でそれを理解する人は少ないでしょうね。
かく言う自分も旧徳さんのヒントやその後のやり取りが無ければ「銀でそう言えるのか?」と思ったかもしれない。
いや、いまさら何故こんな事を書くかと言えば、なるほどここに言論というかスポーツ論壇の価値があるのだなと痛感したからであります。
「表層的な部分だけを捉えていては足元をすくわれますよ」とは僕が公開討論を挑もうとしている(笑)勝又さんのアドバイスでしたが、彼もまた歴史や伝統の継承という言葉を使われました。そして原点を学ばない事には議論にすらならない事を教えてくれました。

いやぁしかし、久しぶりに触発を受けました。熱く語れる場を作って頂いてあらためて心から感謝です。ありがとうございました。(B.B)

2012.8.6

Comment

オルフェーヴル says... ""
自分も内村は最高のアスリートだと思います。にしても皆さん詳しいですね。求道者といえば、榎本喜八さんはどうでしょうか?

「すると、どんなボールに対しても、自分の思い通りに打てちゃう。それまでは、タイミングは合った、狂ったと一喜一憂してたけど、この時期は相手とのタイミングがなくなったんですよ。最初からタイミングがないから、タイミングも狂わない。だから、打席で迷うこともなくなったんです」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E5%96%9C%E5%85%AB
2012.10.23 23:11 | URL | #zFeJAnE6 [edit]
B.B says... ""
榎本喜八さんのお名前も偉業も知りませんでした。
紹介して頂いたwikipedia読みましたが、ここからは人が時々到達する「神の領域」に興味を持ちました。
しかし、それは永遠では無く刹那なんですね。
そこから僅かなきっかけで転落してしまう。
「以降、2度と“神の域”の境地には踏み込めなくなり、苦悩の連続でしかなくなったという」からは神の悪戯とも取れますね。

同じ言葉を吐いた長谷川穂積選手にダブってしまいましたが、しかし、その後の如何なる苦悩が待ち受けようとも、一度はそこに到達したいと願う人は多い事でしょう。
けれどもアスリートのそれは結果が鮮烈に現れるだけに厳しいものですね。
他の分野だったら静かな着地もあり得たかも知れない。
2012.10.24 19:53 | URL | #65fpICiI [edit]
ななし。 says... ""
榎本喜八さんのケースは、悲劇と捉えた沢木耕太郎さんが
「敗れざる者たち」の一篇で、名前を極力明かさない手法で
30年以上前に書かれてましたよね。結局、誰も相手にしない、
されない変人、とされてしまう過程が怖かった記憶があります。
2000本安打を打っても名球界にも入ってませんしね。

松井浩さんの「打撃の真髄 榎本喜八伝」が本人の肉声のある、
ノンフィクションとして残っているのがせめてもの救いです。
賞罰と関係なく、こういうのがノンフィクションの価値だとも
思います。

ボクシング界で、こういう域の人、といえば、どうでしょうか?
何人か思いつきますが、異論も多そうなので記しません。

話が脱線ですみません。
2012.10.24 22:25 | URL | #/OUezYRM [edit]
シジミを品種改良して大きくしたい(旧徳山と長谷川が好きです) says... ""
イチローが唯一抜けなかったのが榎本さんの最速1000本安打ですね。彼はすぐレギュラーになったので土井監督時代の回り道があったイチローより少し有利だった。王の一本足打法を二人三脚で考案した荒川コーチが大毎の元気時代に榎本にも貴重なサジェスチョンを与えているあたりがとても面白いところですね。荒川コーチの打撃理論は合気道の巨人植芝盛平氏の身体操方が土台にあり重力を意識して立つ事の重要性が「打撃の真髄」にも描写されています。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」にも植芝氏は登場しますね。植芝の薫陶を受け木村を苦しめた柔道家、阿部謹四郎の人生もとてもドラマチックです。
2012.10.25 07:17 | URL | #- [edit]
オルフェーヴル says... ""
ドネアのところで「怪物ではなく人間」と書いたのですが、ここらへんは人間技でなくなってる感じします。負荷は限界に近いんじゃないかと。'神の域'というのは、そう表現するのが妥当なんだろうなと思います。榎本さん、対外的には悲劇と捉えるところあるんでしょうけど、充実していたんじゃないかな。

天才って'解'が即座にわかる(的の中心を深く射抜くことができる)タイプと、'近似解'を考え付く(ど真ん中ではなくても、的の中に数多く当てることができる)タイプがいて、前者に榎本さん、ドネアは後者という風に思っています。パッキャオはその中間かな?

2012.10.27 01:33 | URL | #bxLbOR5. [edit]

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