HARD BLOW !

確かに義憤はあった・・ それでもボク愛

2007年10月11日を境に亀田家を取り巻く環境も変わりました。
これまでも一部メディアやファンの痛烈な批判はあったものの、業界を挙げて亀田兄弟を次代のスターにしようという空気は確かにあったと思います。事実ビジネスとしても業界大手の支援があったと後に知りました。
しかし以降、専属トレーナーも引き上げられ満足な練習も出来なかった事でしょう。

この外国人トレーナーは前に書いたS.Aの事ですが、それを夕刊紙は取り上げ連載の中で「専属トレーナー来日せず」の記事になりました。これは私の情報によるものです。
しかし、記事では「誰が、何故、何の為に彼の来日を妨げたのか?」という重要な部分までは書かれませんでした。
書いた記者は何れ1冊の本にしたいと言いましたので、事実を挙げ面っただけの記事でもこの時は私の記念すべきスクープ第一報と言う事で了承しました。何故書けなかった、あるいは書かなかったのかとの思いは飲み込みました。

記事は確かな裏取りが生命線ですが、彼が裏取りに失敗したか、あるいはその行動すら起こしていないと思われた事もその理由になります。
私は証言の出処を明らかにし、彼も直接それを確認したと言ってましたが・・
それともう一つある人物を今は敵に回したくないとの思いがあったかもしれません。
私は苦労して当事者2人の接触に成功し証言を得ていたので背景までも確信していましたが、この記者にとっては二次情報に過ぎなかったからです。

後に拳論でも紛糾の種となるR.GやR.Mらスパーリングパートナーの証言による「大毅負ける」の記事も私の情報からでした。
この時は09年10月に大毅選手の2回目の世界挑戦を直前に控えた時期でした。
デンカオセーンとの第1戦目で、このパートナーらは王者デンカオセーンの練習やスパーリングをタイで見ていた事もあり、その感触から「ダイキは勝てない」との本音を引き出したものが情報源となりました。
私としては試合の勝ち負けよりも亀田家にとっては言わば身内からこの様な発言が出たという事が、もはや「亀田家は鉄のカーテンではないのだ」とのメッセージを世間にアピールしたかった。

ところがこれが後に大きな波紋を呼ぶ事になります。
この比国人パートナーらの招聘をサポートしたKプロモーション代表 K・H氏(当時)が拳論のコメント欄にて取材方法についての抗議をしているというのです。

この時の事は鮮明に覚えています。
記事が世間に出た翌日の深夜11時頃に記者から電話がありました。

「K・Hから連絡があり裁判も辞さないとの強硬な抗議がありました」

興奮すると出るいつもの早口が更に速くなり、非常に慌てた様子の彼の声に尋常な抗議ではなかったのだろうと想像し、先ずは落ち着かせる事に専念しました。
彼にとってはまたもや二次情報になる訳ですから記事に確信を持てなかったのかも知れません。

「落ち着いて下さい。大丈夫です。これは本人らが僕も含めて4人の前で話した事ですから」
「それに裁判なら願ったり叶ったりです。戦いましょう!僕だけでなく本人を証言台に立たせますよ!」

最後に「信じています」と言った彼の言葉に彼のすべての迷いがあると感じた私は、いよいよ証明をする時が来たと感じました。

その後拳論のコメント欄を見ると確かにK・H氏の名前で理路整然と記事に対する抗議の主張が繰り広げられていました。
K・H氏の主張の骨子は「彼らも現役ボクサーであり、スパーリングパートナーとはいえ正式に契約を結び正当な業務によって招聘された契約関係者である。したがって一方の契約者の許可も無く、公式な取材機会を設けずに行われたインタビューは無効であり公けに報道するべきではない。今後この様な事があれば法的手段も辞さない」という至って正当な内容でした。

しかし、我に正義ありと信じ疑わなかった私は猛然と反論を繰り返しました。
この時は「砂上の楼閣探検隊」という対亀田爆撃の為に用いたふざけたハンドルネームだったと思います。

相手は正々堂々と実名を名乗って抗議している訳でしかも主張の要旨も概ね正しい。
私は、ただひたすら事実を述べる事が正義と信じ、それは熱病に侵されているかのようでした。

「ここで退いてはならない。敵が目前にいるのだ。これまでは草木に隠れて石を投げて来た。これは卑怯だ。
これからは堂々表に出て戦うのだ」

まったく冷静の欠片さえありません。

続く・・


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