HARD BLOW !

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編2

 前回はさすが御本人の手記だけあって生々しい描写の連続でした。読者の皆様におかれましても「ここまで書いて大丈夫?」と御心配の向きもあるかと思いますが、書かれていたことは谷川氏が法廷で主張されていることです。では引き続き続編をお読みください(旧徳山と長谷川が好きです)

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谷川俊規氏ご本人による手記

大沢選手の試合(2012年4月30日)では、他にも困ったことが当日、起こっていました。違う話になってしまうので、これも詳しく書きませんが、試合会場に警察が事情を見るために出動してきたのは事実です。JBC職員として事を大きくしないために、私はこれの対処にあたりました。幾人かの関西の私と親しかったジムの会長さんらも、私と一緒に事態の収拾にあたりました。その状況で、大沢選手の試合はゴングが鳴らされたのです。私は少なくとも第1ラウンドの2分間以上を見ることが出来ませんでした。そして、なんとか見られたのも、会場の一番後ろで、でした。
元々、パワーハラスメントの関係もあって、2012年に入ってから私には試合役員費は払われなくなっていました。簡単にいうと、私の試合観戦はJBC的には勤務外に自由意志で行っていることとされたのです。JBC職員ではあるが、試合役員ではない、という私自身、いまも理解出来ていないダブル・スタンダード。しかし、JBCの広報に原稿を書くためには、自費(少なくとも交通費はそうなります)で試合を見なければいけない。なので、試合観戦は「自由にやってもらっていい。控え室にも行ってくれ」(JBC関西岡根事務局次長)。そういう立場だったことは明記しておきます。なんにせよ、大沢選手の試合に関して、私が話せるのはこれだけです。補足をひとつだけすれば、試合後、10日ほどして大沢陣営がJBC関西事務局を訪ね、WBO地域タイトルの扱いに関してJBC関西職員の坂本氏と話をしてました。「(WBO地域タイトルを)返上したほうがいいですか」という大沢陣営(誰かも知っていますが、書きません)に対して、坂本氏は「返上してもらわないと駄目でしょうね。早い時期にやってください」と伝えていた、というのは読者の方にお教えしておこうと思います。
私のことを、おそらく大沢陣営は、存在さえ把握してなかったのではないでしょうか?前職での記者、編集委員としての取材とかもあったので、顔は知っていたかもしれませんが、JBC職員という認識はなかったと思います。同時に、「谷川俊規」という名前で認識など、私がJBCから解雇を言い渡されるまで彼らは全くなかったと思います。BがJBCに告げたと思われるWBO?=大沢と私の関係は実際これだけです。

ここで、なぜ、ベースボール・マガジン社がここまで私、および私の家族を執拗に苦しめるのか、読者の皆さんに、私の推論(かなりの部分は確信ですが)をお伝えしておかないといけません。
ことの起こりは2011年1月30日に遡ります。南アフリカは、ブラックパンでの高山選手とジョイ選手の最初の対戦の日です。カーニバルシティの会場リングサイドに、日本のメディアとして来ていたのは、私とBの2人だけでした。現地の毎日新聞の記者も訪れて観客席から見られていたようですが、この方と私が挨拶を交わすことはありませんでした。
 南アフリカ側が用意してくれた記者席は、ニュートラルコーナーそばの最前列2つ。私はBに「どちらがいい?」と訊ねました。Bの答えは、「どちらでもいい」というものでした。そこで、私は内側の席に座りました。それがBには問題だったのです。前座の試合が始まったどの時点かで、Bが突然「ここでは写真が撮れない」といい始めました。そういわれて、見ると確かにBの位置はコーナーポストが邪魔になって、撮影はしにくい。だからといって、私も代わるわけにはいきません。私も撮影が必要な取材者なのです。しかも、席を選ぶ権利は彼に与えてました。彼の選択が悪かった、というだけのことです。しかし、その後、彼は帰国まで一度として私に口を開くことはありませんでした。私は、すねた子供みたいなやつだな、と彼のことを思った事実を明記しておきます。
 Bとの確執?はここからだったような気がします。次に、Bを意識しなければいけなくなったのは、高山選手とジョイの再戦が決まったかのように記者発表しなければいけなくなった2011年10月の初旬でした。私はJBC職員になっていましたが、同時に、関西運動記者クラブの会友にもなっていました。この会友、実は少々のことではならせていただけません。条件がかなりあります。永久に運動記者クラブのメンバーを約束されるものでもあり、最終的に付けていた取材用バッヂを付与されます。要は、運動記者クラブへの連絡を私が行うことには問題がない、ということです。その前提で、次の話を聞いていただきたいのです。
 高山選手側はジョイとの再戦が、もろもろの問題で正式に決まらず本当に困っているようでした。私に陣営から「何か方策はないか」と相談が最初に来たのは、2011年8月の末だったように思います。「友人として相談に乗って欲しい」という提案でした。私はJBC職員でしたし、勤務時間にその相談に応じることなど、当然出来ません。しかし、ジャーナリスト時代の旧知の人たちが困っているのを放っておけるような人間でもありません。「南アフリカの状況だけは調べてみましょう」と返事したのが最初だったと思います。そして、調べてみて仰天しました。当時のJBCと同じく、南アフリカのコミッションも内紛の最中でした。事務局長が2人いる、とかどこかで聞いたような話ばかり。加えて、ジョイのマネージャーであるブランコ氏が、非黒人であるという理由で興行システムから放り出されている、という事実まで分かりました。
 なので、10月開催の報を高山陣営から聞かされた時も『実現するわけないだろ』と思いました。思いながらも、「記者発表したいので、運動記者クラブへの連絡をしてもらえないか」とお願いされたのに、簡単に応じてしまいました。先に述べたように「関西運動記者クラブ会友」という身分が、私にはJBC職員以外にありますから、そちらの身分で、ということなら問題ない、と考えました。で、記者クラブ幹事に記者会見の予定を各社に伝えてくれるようにお願いしました。もちろん、JBCの勤務時間外に、です。それがBには問題だったのです。Bはフリーのライターであり、記者クラブに所属していません。運動記者クラブからの連絡がなかったBは記者会見に来ることが出来ませんでした。
 運動記者クラブの名誉職である会友の私が、記者クラブに連絡事項を伝えるのに、どう問題があるのか?そして、フリーライターのBに会見の日取りを伝えることには問題がある気が今もしています。だから、故意でないにせよBに連絡しなかったのは、結果的に良かった。しかし、Bは別の連絡で電話をした際に、電話口の向こうで荒れ狂いました。「おまえ、土下座しろ!」、怒鳴られたのは今も鮮明に覚えています。私のほうが年上で、ジャーナリズム界にも私の方がBより長くいた、というのがありましたから「年上に使う言葉ですか」とは電話口で言いました。それに対する彼の答えは「おまえだけは特別だ!」でした。ただ、土下座して済むのならそれでもいいかな、と当時の私は思っていました。つまらないことで争いはしたくない、というのは万人の常だと思います。しかし、それ=私怨が、こんな大きな問題に発展するとは当時の私は思ってもいませんでした。





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