HARD BLOW !

アリを感じろ!ドキュメンタリー映画「フェイシング・アリ」

 天性のデタガリも手伝ってやたらと多いモハメド・アリ絡みの映画。現役選手なのに本人主演という「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」「鉄腕投手・稲尾物語」スタイルの「アリ・ザ・グレーテスト」「モハメド・アリ チャンピオンへの道」。ドキュメンタリーとしてはオーソドックスな「モハメド・アリ 世界が見た王者の姿」、キンシャサのアリの試合とその前に行われたソウルミュージックのフェスティバルの模様を収録した貴重なドキュメンタリー「モハメド・アリ かけがえのない日々」。劇映画としては主演のウイル・スミスの自己満足映画「アリ」が一番メジャーですが内容はかなりスットコドッコイです。変わったところでは梶原一騎先生率いる三協映画が作った猪木戦の映像がクライマックスの「四角いジャングル・格闘技世界一」も昭和感丸出しでいいですねえ。そんなアリ映画の系譜に新たに加わる映画が今年も公開されました。と言っても今回はアリ本人は試合映像やインタビュー映像にしか登場しないと言う異色作。アリとリング上で対峙した10人の男へのインタビューをまとめた「フェイシング・アリ」でございます。(「フェイシング・アリ」予告編)インタビューに登場するのはフォアマン、フレイジャーは勿論ホームズ、スピンクスにケン・ノートン、ロン・ライル、アーニー・シェイバーズ、アーニー・テレル、ヘンリー・クーパー、ジョージ・シュバロという面々。現在の生活ぶりは見事にバラバラで金のある人落ちぶれてる人様々ですが皆全員がアリと戦う事で否応なく運命の波に飲み込まれていく。
 やはり今年亡くなったフレイジャーのインタビューはとても貴重。フレイジャーは田舎育ちの実直な青年で、アリが「あいつはアンクル・トム(白人に迎合する黒人の典型例)だ」と挑発するとアンクル・トムとピーピング・トム(覗き見トム=日本語で言う出歯亀みたいなもん?)とを勘違いして「何でオレが覗きなんだ!」と憤慨したりするちょっと可愛い人。でもアリはそんな少しドン臭いフレイジャーを徹底的に悪口でイビリまくる。南部の貧困層出身で激烈な差別を身を持って知っているフレイジャーはアリのような生き方は土台出来ないのだが、アリがベトナム戦争の徴兵拒否でヒーローになったところも地獄の戦場を体験して何とか帰還したフレイジャーにはなんとも面白くない。家族や友人にまで口撃の被害が及ぶに及んでいよいよフレイジャーの闘志はたぎる一方。フレイジャーを怒らせたばかりにアリは初めてキャンバスを舐める事になるのですがほんと口は災いの元です。アリ×フレイジャーの一戦目の映像には観客としてマイルス・デイビスやウディ・アレンもとらえられております。一方中年期に差し掛かったアリに立ちはだかる若き日のフォアマンは鎌倉大仏のようになってしまった復帰後からは想像もつかないダビデ像のような完璧な肉体を誇示する見るからに恐ろしい男。アメリカ代表の黒人陸上選手が差別への抗議で国家吹奏時に拳を突き上げたメキシコオリンピックで金メダルを取った際何の葛藤もなく小さな星条旗を振ってしまうような空気の読めない男だがこの人もまた差別と貧困から立ち上がった不屈の男。アリの口撃は受け流し自信満々リングに立つがこちらはその自信が仇となり一敗地にまみれることとなる。このあと次戦で負けたフォアマンが神がかる様子を身振り手振りで再現する所はなかなかの見ものでした。あと印象的だったのはケン・ノートン。ノンタイトル戦とはいえアリに土をつけた男は現在交通事故の後遺症で杖を突いている。「アリ戦は離婚直後で乳飲み子を抱えてどうしても金が必要だったから死ぬ気で準備した」と切実な事情を話しながら「アリと戦えたことで全てが変わった」とも。もう一人同時代のWBAチャンプアーニー・テレルはアリのラップ悪口に対抗してメロウな歌でアリを挑発する茶目っ気のあるオジサン。当時のボクシングビジネスがギャングに牛耳られていた事などを淡々と語りつつアリ戦の敗因はサミングされて目を潰されたからだという。リングロープ際の死角で確かに異様な動きはあるが…。

 さて他の出演者の話もすべて興味深いのですが一つ印象的だったのは、アリの存在感が全くイメージで言う『黒人的』でないこと。アリは対戦相手の黒人を「白人の手先だ」と言うように罵るのですが、アリのキチンとした服装・髪型に比べてフォアマンやフレイジャーのファッションや佇まいは明らかに今で言うファンキーでいわゆる黒人そのもの。勿論彼の所属するブラックモスレムはそのようなステレオタイプ化をこそ忌避していたからなのでしょうけど現在から見ると不思議な感じがしました。あとアリはテレビ時代の先駆けになるアスリートだったなあと。自己演出という面から見てもここまで極端に突き詰めてる人はスポーツ選手ではちょっと見当たりません。
 
 いまや黒人ファイターはすっかり減ってアメリカのボクシング界もメキシコ系とカリブ系ばかりですが、それはアメリカの黒人を巡る状況が経済的にも政治的にもかなり好転したからでしょう。あとバスケやNFLの方が稼げるというのもあるのかな?「ソウルミュージックがソウルフルでなくなったのは黒人の生活が向上したからだ」なんて暴言吐く音楽評論家もいますが、黒人への差別がなくなること生活が向上することはとてもいいことです。ケン・ノートンのようにKKKに追われて一家で引っ越して生きていくためにグローブを握るなんて余りにもキツイ話です。そういう公民権運動の時代の証言としてもとても貴重な記録だと思います。まだまだアリの映画は作られて行きそうですね

 アリ×フレイジャーの二戦目の映像がなかったことが少し不満(旧徳山と長谷川が好きです)

Comment

B.B says... ""
何故、アリがグレーテストと呼ばれるのか?
アリを描いた作品は数多くありますが、フィルターが掛かったものも少なくないでしょうね。
これは時代背景に多くのテーマがありましたし、それぞれの立場で描かれたからですが、この映画はムハマド・アリのリアリティに迫るものと期待します。
そして特に若い人たちに観て感じて欲しいところですね。
本編を観てないのでなんともですが、「フェイシング」はリメイクと呼べるものでしょうか。
アニー・テレルが「言葉を失ったアリの為に・・」にはグッときますね。
だいぶ昔にフォアマンら対戦者の証言を集めたVHSテープを持っていましたが、友人に貸したっきりになって忘れてました。(誰に貸したかも覚えていない)

で、検索したらその映像の一部が見つかりました。
一世を風靡したアリのパフォーマンスの一部が伝わってきます。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=RvTtbBMbej0 対フレージャー第1戦

http://www.youtube.com/watch?v=0UqugZEa4NI         対フレージャー第3戦

マルコス大統領が「君に賭けていたよ」と声を掛けると・・
「金なんか(もう)必要ないくせに」とアリ

このシーン、比国では当然カットされていたそうです。

74年マディソンスクエアガーデンにて全米タイトルを懸けた試合が対フレージャー第2戦ですがこの映像は見つかりませんでした。
そういえば、これもアリ効果だったのでしょうか?僕らの中学生時代はマディソンバッグが大流行りでした。
http://www.kanshin.com/keyword/7971949
2012.12.18 15:11 | URL | #65fpICiI [edit]
B.B says... "想い出"
小学校の教室には当時すでにテレビが設置されており(両開きの木製棚に普段はカギか掛けられていた)、主に道徳の時間で教育テレビを見させられました。
教師のかたわら空手家でもあった担任は竹刀を片手に「入魂!」を繰り返すハチャメチャな先生でした。僕は何度その「教育」を受けた事か。
皆んなは尻とかだったのに、僕だけはいつも脳天を直撃で「俺だけ特別扱いしやがって!」とその先生を憎んでいました。
たまに尻をびしっとやられると何故かほっとするより嬉しかった。

そんな先生がある日「今日は授業を休んでテレビを見るから」と言って、道徳の時間以外は封印された扉を開けてスイッチを入れるとチャンネルをガチャガチャやりだした。
勉強嫌いの僕は内心喜んでいたものの、普段の恨みから何か言ってやらないと、とばかりに
「校長に言いつけるぞ」

すると「見たくないならいい。おまえは一生後悔する」と小学生に向かって恐ろしい事を。

そして、白黒テレビの映像に映ったものはなんと「モハメド・アリ対ジョー・フレイジャー」
当時はとっくにアリだったはずですが、僕らはずっとカシアス・クレイでした。

「これにはたまに嘘がある」と小学生には理解不能の事を言い、まともに教科書も開かない反戦教師はクレイに心酔していたのか、単なるボクシング狂だったのか、今でも解らない。
しかし、クレイが負けた衝撃は今でも忘れません。
2012.12.18 16:46 | URL | #65fpICiI [edit]
シジミを品種改良して大きくしたい(旧徳山と長谷川が好きです) says... ""
 この映画の面白いところはリストンとの二戦目が八百長だとかアーニー・テレルとの試合でアリがサミングをしたとかキンシャサのキャンプで女遊びばかりしていた(アリの緩みっぷりを諌めたスパーリングパートナーのラリー・ホームズは大目玉)とかの偶像破壊のコメントをストレートに織り交ぜながらもなお「アリはワンアンドオンリーのすごいボクサーだった」という地点に着地していくところ。製作者の目的は偶像破壊による引き摺り下ろしでなくヒーローの真実に迫ろうということだと分かります。ヨイショか引き摺り下ろししかない日本のスポーツ報道には余りない取材姿勢だと思います。

 アリの特筆すべき点は試合を語るとき「あの時は俺はこうだったよ」という自分史と語る人が多いところ。この辺は日本では辰吉と似てると思います。自分の人生と重ねて試合を見るという切り口を持っていたのがアリだと思います。そしてボクシングとは無関係の社会問題になぜ進んで身を投じて議論を巻き起こしたかというとそれは彼がナルシストであったからだと思います。こんなに才能があって美しい自分がなぜ黒人だというだけで不当な扱いを受けるのか?という率直な疑問が暴走とも取れる強烈な自己顕示を生んだ所以ではないでしょうか。

自分も広島にいた小学校のとき教室のテレビで広島×近鉄の日本シリーズ見ました。江夏の21球で終わったあのシリーズ、教員たちもどこか浮き足立ってカープの躍進を見守っていたのが思い出されます。

>「これにはたまに嘘がある」

その時点では解けないなぞを大人の言葉として語りかけることは時に大事なことですね。そうやって対等に扱われることで人間は少しづつ大人になっていくのだと思います
2012.12.19 00:26 | URL | #- [edit]
シジミを品種改良して大きくしたい(旧徳山と長谷川が好きです) says... ""
>マルコス大統領が「君に賭けていたよ」と声を掛けると・・
「金なんか(もう)必要ないくせに」とアリ

アリのすごさはこの咄嗟の言語感覚だと思います。「ベトコンは俺をニガーと呼ばない」という言葉の簡潔に真実を打つ率直さこそ彼が畏怖された理由でしょう。「王様は裸だ」言ってなお社会の中に自分の居場所を作っていくその姿勢こそエンターテイナーであると思います

キンシャサのあったザイールは軍事独裁国家で、フレイジャーが伴ってきたペットの大型犬が民衆の弾圧手段としてけしかけられてきた警察犬を想起させて反感を買ったという逸話がありました。そのような異様な背景の中で主役を張って一世一代の勝負をした二人はまさに神話の人物だと思います。
2012.12.19 00:40 | URL | #- [edit]
B.B says... ""
>アリのすごさはこの咄嗟の言語感覚だと思います。

いや、まさに映像を観ただけで圧倒されますよね(笑
棘もあるけどユーモアも忘れない。

政治に翻弄され続けた当時のリングで、その中でも外でも遺憾なくその才能を発揮した。
天がニ物を与えた稀有な天才ですよね。
いや凡人にはこう表現するしかない(笑

>彼がナルシストであったから~強烈な自己顕示を生んだ所以では

しかし、この分析にはなるほど、と思わされます。
人は何かのきっかけで大きな力を発揮する場面がしばしばありますが、これは外因による触発が多いと思います。
しかし、それが内面からのほとばしりによるものとすれば、時々天才や哲学者を生むようです。
僕はこのほとばしりをパッション(情熱)と呼ぶんですが、これを具現化した時、奇跡のような事が起こりますね。
まぁ、それでも選ばれた人というイメージは僕には中々払しょく出来ませんが(笑
しかし、誰にもその可能性を秘めている事を信じたい。
2012.12.21 09:42 | URL | #65fpICiI [edit]
オルフェーヴル says... ""
同じ時代を生きていないので、アリがスーパースターだと説明されてもわかりません。でも、レジェンドだという認識はずっとありました。アトランタオリンピックの聖火台。大観衆がアリを支え、パーキンソン病にかかっているアリもそれに応えた。灯をつけるアリと、観客の敬意が嬉しかったです。

>現在の生活ぶりは見事にバラバラで金のある人落ちぶれてる人様々ですが皆全員がアリと戦う事で否応なく運命の波に飲み込まれていく。

アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』を思い出しました。アニー・テレルの言葉は、戦友への温かい愛情が伝わってきます。人間性豊かで、魅力的な人達ですね。http://www.youtube.com/watch?v=_iGLtGhXoGI

以前、榎本喜八さんのこと書いたことあります。スーパースター(主役)にはなれず、世間的には忘れ去られた野球選手だったかもしれません。でも、何かに真摯に向き合ったことがある人というのは、(貴賎なく)とても魅力的に感じます。たとえそれが、名も無い人であっても、リアルでは、テレビの向こう側で作られたスターより、よっぽど勇気を与えてくれる。アリはそういった二つの才能を持ったチャンピオンだったのでしょう。

榎本喜八さんは、沢木耕太郎さんや二宮清純さんがいなかったら、おそらく知ることなかったです。権威ある「冠」のひとつに、ノーベル文学賞がありますが、政治的だと揶揄されることあるものの、時に『どうしてこんな人を知ってるんだ?』と、玄人マニアを超越するような選出するとのこと。ボクシングジャーナリズムも、そうあって欲しいですね。

ただひとつ。周囲の人たちの言葉で紡ぐ物語についてですが、そういうことではない、自分自身が紡いできた物語(リアル)というものがあると思うんですよね(榎本喜八さんに関するコメントでも書きましたが)。

アリの場合は、それがイコール(たくさんの人を巻き込んだ)『運命の波』と呼べるような人生であったわけですが、そうではない場合がある。たとえば論スポの本郷陽一さん。サッカー日本代表である本田について著作あるそうですが、本人に許可をとっておらず賛否両論だとか。ジャーナリストも読者も「わかっていないということを、わかっていない」といけない。ボクシング盛り上げてくれているところは嬉しいし、皆さん頼みますよ~と思ってます。
2013.02.17 02:30 | URL | #v7oMLJuA [edit]
シジミを品種改良して大きくしたい(旧徳山と長谷川が好きです) says... ""
アトランタでのアリが感動的だったのは「金メダルを持ってケンタッキーに帰ってレストランに入ったら黒人だという理由で食事を供されるのを拒否されて怒りで金メダルを川に捨てた」という個人史が世界規模で遍く共有されていたことが大きいと思います。あの開会式は国内的にはアメリカ社会とアリの和解のイベントであり、国際的にはアメリカ社会の成熟・発展のイメージを流布するイベントでもあったと。それくらい同時代・社会と共振する存在であったからこそ商業五輪の雛形を作ったアトランタ(コカコーラの本社がある)の開会式のメインも張れた。彼は反逆児・価値紊乱者でありながら徹底的にポップな存在でもあったのです。そういうダイナミックなふり幅を生きているスポーツマンが今いるでしょうか?自分が知らないだけできっといるのでしょうが。

榎本喜八さんはベンチで座禅組んだりの奇行で有名になりましたが、私生活ではアパートなどを経営されて非常に堅実にセカンドキャリアを歩まれたそうです。狂気の人と思わせて実は常識人という生き方もまた自分は好きです。外面良いけど実はおかしいというヤツは最悪ですね
2013.02.19 00:02 | URL | #- [edit]
オルフェーヴル says... ""
榎本喜八さん、普通は周囲の目もあってしませんね。でも、自分自身と向き合うというところでは、卓抜した能力の持ち主だと思います。一般にいう相対化や客観視(神の視点といってもいい)とは違いますが、真に没我の境地を知っている人ではないでしょうか。今の時代、意味がわからない人も多いと思いますが、我を忘れて没頭するというのは、幸せなひと時だろうと思います。

セカンドキャリアといえば、川嶋のジュエリー職人とかボクサーにもユニークな人いますね。徳山の焼肉店は繁盛しているそうですが、ボクシングファンからすれば、トレーナーになって技術継承して欲しかった。でも、本人からすればやりきったんでしょう。坂田もトレーナーになって欲しかった一人です。今からでも遅くはないよと小一時間(笑)。

パーキンソン病にかかっている人は、調子が良いときがあるそうなんです。アリの聖火台も、誰かがそのこと語っていたような?嬉しそうでしたね。政治的な意味合いは少し聞いていましたが、とにもかくにも大観衆が温かかったのを覚えています。見てる方からしても心地良いシーンでした。ポップな反逆児といえば、パッキャオを思い出しますが、国際的な影響力ということでいえば、まだまだですね。しかし、時代の反逆児ではあるなあと思います。画面の向こう側からでも、勇気をもらえる選手です。
2013.02.24 03:14 | URL | #8BOxjSMw [edit]

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