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HARD BLOW !

生野発ベガス行き!大沢宏晋ジムワークレポート&インタビューinロマンサ雅ジム 

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JBCによる不当なライセンス停止から3年半。大沢宏晋選手が、いよいよWBOフェザー級タイトルマッチに挑みます。しかもその舞台は、ラスベガスで行われるマニー・パッキャオ復帰戦、ノニト・ドネア防衛戦との同一興行で、対戦相手は20戦18KO無敗という破格のレコードをもつトップランク一押しのホープ、オスカル・バルデス選手であります。

大手ジムに所属しているわけではない日本のプロボクサーが、この舞台に立つということの凄さは、ボクシングファンならすぐに分かって頂けると思います。

当HARD BLOW!としては、当初大沢選手のことを、JBCのガバナンスの問題としてライセンス停止とからめて取り上げてきました。思い返せば、ライセンスが停止された時点では、彼のキャリア・競技生活がどうなるかは、当方にも全く未知数でありました。

その内容については以下の過去記事をご参照ください。
        ↓
どう考えてもおかしい大沢宏晋選手のサスペンドについて
もう一つのJBC裁判 谷川俊規氏の場合12
前提が崩れた大沢選手のサスペンド

世界戦一歩手前の状態で、JBCの一部職員の画策した、下らない違法行為の巻き添えになって、試合ができなくなるという、余りにも理不尽な目に遭った大沢選手。ボクシング界に嫌気がさして、引退していてもおかしくない、そんな精神状態だったはずです。

それがサスペンドが明けると即復帰し、その後はKOばかりで7連勝と言う快進撃。彼は失った時間を取り戻すように、世界ランクを駆け上がり、一連の不遇を埋め合わせて余りあるような、とてつもないチャンスを今まさに自分の力で掴もうとしています。

人生を総決算するような試合に挑む大沢選手にお願いして、練習を見学させて頂くとともにお話を伺って参りました。

大沢選手が所属するのは、大阪に住んでる人以外にはピンと来ないことが確実な松原市というところにある、ロマンサ雅ジム。入り口でスタッフの方に来意を告げて中に入ると、このジム特有のフランクでリラックスした空気感がすぐに伝わって参りました。私は「オイッス」「チワッス」的な体育会的なノリがちょっと苦手な文科系丸出しのタイプなので、こういうジムは大層居心地が良くて安心。壁面に飾られた海外試合のポスターなどを眺めていると、仕事を終えた大沢選手も現れ、まずはご挨拶。大沢選手はトレーナーとの打ち合わせの後、着替えてすぐにストレッチ。合間に少しお話を伺うと、試合の正式なオファーが来たのは9月15日とのこと。打診があってすぐに正式契約を交わしたということですが

「4月のフィリピンの試合(WBOアジアパシフィックタイトルマッチ)が終わった後は、いつ世界戦があってもいいように調整してきていたので、試合を受けるのは何の問題もなかったです。試合後すぐジムワークも再開してました。」(大沢選手の発言は以下全て赤文字

とのこと。

「オファーが無かったら、三位のポーランド人と挑戦者決定戦しようかという計画もあったんです。ただ向こうが色々ゴネ出してて。『アメリカに来い』て言うてきたから『ええよ、いくよ』って言うたら、音沙汰が無くなったりで。でも結果的にこのオファーが来て良かったです。(サスペンドの原因になった)WBOからこういう話が来たのも何かの縁やと思います。」

バルデスの最近の試合ぶりと、展望について伺うと

「試合のポイントは、自分のジャブがどれだけ当たるか、だと思います。当たると思うんですけどね。バシバシ打ったろうと思ってます」

とのこと。私も大沢選手の、モーションの小さい強いジャブが、はたしてバルデスを捕らえるのか?は試合の分岐点であると思います。あれがどんどん当たるようであれば試合がぐんと有利になると思います。逆に言えば、当たらなければ試合は厳しいものにならざるを得ない。

 シャドーを軽くした後、素手で少しバッグ打ったりとスパーリングに備えて体を動かしていきます。

「ここまでロードワークは毎日15キロくらいやってきました。フィジカルの土台は充分作ってきたので、あと一ヶ月は実戦形式、スパーリング中心で仕上げていきます」

と、これがいつもの調整法だそうです。

「ウエイトは4月から増減が無いように、プラス5キロくらいで維持してて、調子がいいときは5キロ切ったり。何も問題ないです。」

とヴェテランらしくコンデイショニングも抜かりなし。過剰に入れ込むような感じも無く、自然態に見えて充実が伝わってきます。

スパーリングは3Rずつパートナーを変えて合計6R。大沢選手やや疲労があるのか、正直動きは少し重くみえて、思ったように手数が出ず、押し込まれる場面もしばしばでした。

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ただそんな中でも、ポイントにあげていたジャブや、アッパーや左ボディはやはり強烈。

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スパー後、二人目のパートナーの方から「こうやって疲れのピークを二度三度と重ねて追い込んでいくのが、(大沢選手の)スタイルなんです。打たれてるように見えたかも分かりませんけど、いつもこのやり方なんですよ」という説明がありました。リングが小さいので常にアクションが求められるキツいスパーでありましたが、中島トレーナー(マルケスのセコンドも務めた達人)の指示は言葉数は少ないものの、「手を出すべき場面」や「局面に併せたパンチの選択」などなど常に具体的かつ、疲れの中で叱咤して体を動かすような絶妙なタイミングで発せられており、大変印象的でした。選手との距離感も師弟関係というのでなく、大人同士・プロ同士という風に感じました。

スパーが終わった後、大沢選手がパートナーとヘッドギアを外してリングに上がって向かい合ったので、何が始まるのかと思いきや、ここから一方がコンビネーションを打って、もう一方はグローブやヒジでブロックすると言う一風変わった練習に。打っている側にとってはミット打ちのようなもので、受けている側は防御の練習になるというこのスタイルを、交代しながらみっちりと。

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その後はシャドーをやって上がりですが、この時点で夜の九時にもかかわらず、練習生が入れ替わり立ち代わり、誰かが帰っては誰かがやって来ると言う感じで、ジムの中は凄い活気であります。その様子をみて、私はこのジムの勢いを肌で感じたのでありました。

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練習後、大沢選手の車に同乗させていただき更に詳しくお話を伺いました。

スパーの後リングでやっていた、攻撃と防御を入れ替えてやる練習が合理的で良くできてるな~と思ったのですが。

「あれはメキシコでやってるスタイルです。あんまりやってるところないでしょ?打ってるほうにとってはミットうちで、受けてる方はブロックの練習になるんですよ」

ミット打ちは受ける人が下手だと、かえってバランスが狂うらしいですね。

「そうなんですよね。合わんやつとミットやってたら「おまえもうええわ」ってなりますよ。だからボクサ
ー同士でやったほうが反応もいいし、実戦的でちょうどいいんですよ。」


ご自身もポイントに上げてたジャブですが、大沢選手のジャブはモーションが小さいのに、当たると頭がパーンと跳ね上がるくらい強いですよね?あれはいつから強くなったんですか?

「パンチ力はもともとある方やったんです。当て勘もいいと言われてました。それが更に強くなったのは前のトレーナーだった野上(真司)さんに教わってからです。『せっかく当て勘がいいんやから、ジャブをもっと磨こう』と言われて、それからナックルの当て方とか工夫して、ノーモーションでと...。そうやってドラムバッグ叩きまくってたら、2010年くらいからパンチ力が目に見えてアップして来たんです」

ライセンスが戻ったあと大星ジムからロマンサ雅ジムに移籍したのはなぜですか?

「それは野上さんがマネージャーだったのでそういう縁で」

今回の試合が実現したのは単なるラッキーじゃなくて、世界戦をするための戦略を持って、ランキングを上げてきた結果だと思うのですが

「それは当然狙ってやってましたね。ただ世界ランクに復帰した時点では何にもしてなかったんですよ。復帰後三試合連続でKOしたらWBOの14位に入って。それからどうやったらランキングが上がるか、世界戦出来るか、常に考えてきました。」


一時は試合もできなかったのに、こんな大舞台がくるなんて何か運命的なもの感じますね。

「こんなドラマチックなことが現実にあるんやなと、まあ縁ですよね。僕は誕生日がボクシングの日(5月19日)なんですよ。そういうことも自分で感じるんですよ。小さい時に、金持ちの友達の家に集まってWOWOWでタイソンとかホリフィールドの試合見てね、『こいつらラスベガスで試合して、金稼いでかっこええな~』とか言うてたら、本当にラスベガスですからね。」という感じで話は、大沢選手の少年時代に遡ります。

生まれてからずっと生野なんですか?

「ずっとです」

なんでボクシング始めたんですか?

「もともと運動能力はあったんです。50メートル5秒台で走ったりとか。小学校とか中学校の時は、兄貴の影響で野球やってたんですけど、頼まれてラグビーの試合に出たら活躍して、強豪校からスカウトが来たりしたこともあったんです。ラグビーもちょっと考えたんですけど『ずっと野球やってきたから野球やるわ』って、高校でも野球部入ったんですけどケツ割ってしまったというか、面白く無さ過ぎて一年でやめてしまって...。」

挫折ですね。

「野球部辞めた頃に、親が離婚したりとかあって、それでちょっと生活が荒れて。野球やめた後は街で喧嘩ばっかりです。ちょっとその道で有名になるくらい。そういう時に友達がね『お前このまま行ったらヤクザか刑務所やで。おなじ人殴っても、ボクシングやったら金貰えるんやからボクシングやったらええやん』って言って来てね。そう言えば小学校の時ベガスのボクシング見てたなって。だから大星ジムに行って『ボクシングやって、お金稼ぎたいんですって言うたら』そこのトレーナーが『リングにお金落ちてるから、おれと一緒に拾おう』って言ってくれて。」

昭和みたいな口説き文句ですね~。

「それでボクシングやってみたら、運動得意やから割とすぐ上達して。最初アマチュアのスパーリング大会出たらすぐ勝てて。『あいつ経験者やろ』って言われて。結局3ヶ月くらいでプロテスト受かって、6ヶ月でデビュー出来たんです。」

それは早いですね

「やっぱり貧乏知ってるからハングリーなんですよね。」

ライセンスの停止事件についても伺いました

あれだけの事件があったら潰れていてもおかしくなかったと思うんですが。嫌気がさすと言うことはなかったんですか?

「あの時は引退するつもりでした。」

え、本当ですか?

「引退届けにサインしてましたから。もう後は出すだけで。」

そうやったんですか...。どうして思いとどまったんですか?

「試合できないときに友達に『東日本大震災の被災地に一緒に行こう』って誘われて、牡鹿半島っていう宮城の一番奥にある場所に行ったんです。それで被災地で色々見て、被災した人と話して。そのときに、津波で家族や友達や家やっていうのがもう一生帰ってこないという人達のこと考えたら、自分のなくしたもん、世界ランクなんかいくらでも取り戻せるものやんって思って。もう一回勝っていったらいいやんって。」

そういうことがあって今につながってるわけですね。

「その時に、牡鹿の人に日の丸の旗に寄せ書きしてもらったのを今も部屋に貼って毎日見てるんです。」

理不尽な目に遭ってボクシングが出来なくなった大沢選手は、牡鹿半島の人達との出会いから気持ちを立て直して、現役続行という決意を固めることが出来ました。

あるいは、ボクシングに対して残っている思いに火をつけてくれる材料を、知らず知らずのうちに求めていたのかも知れません。

どちらにせよ、様々な苦難を経た今が、キャリアの中で一番良い状態であることは確かであると思います。舞台も相手もこれ以上ない試合。世界を驚かせるようなファイトをして欲しいと思います。

試合までの期間、更にレポートを続けたいと思います。お楽しみに。

大沢選手とロマンサ雅ジムの皆様も、ご協力を頂き大変ありがとうございました。

中身が濃すぎて一回にまとめるのが大変だった(旧徳山と長谷川が好きです)