B・Bの気まぐれ日記
4月30日(水曜日)朝
昨夜からの雨がいまだそぼ降る日比谷公園を散策した。
日比谷地下駐車場に車を止めて地上に出ると、そこはもう日比谷通りに面した公園入り口だ。
ここを訪れるとほっとして落ち着きを取り戻す。
八年前に亡くなった母との想い出が甦る。
父を早くに亡くした為にずっと母一人子一人の生活だったが、母は栄養士、調理師の資格を取り病院などを掛け持ちで働きながら自分を育ててくれた。
とはいえ女性が独立して生計を立てるにはまだ厳しい時代であったから生活は困窮する事も度々で、僕の年代では当時はもうあまり食卓には上がらなかったであろう「すいとん」をよく食べさせられた。
母の給料日の次の休日には銀座や有楽町に映画を観に連れて来られた。
二人が唯一の贅沢を許される日だったので、普段は母に反抗ばかりしていた自分もこの日だけは待ち遠しかった。
初めての記憶に残るのは「チキチキバンバン」や「クリスマスキャロル」などミュージカル映画だったが、その後はきまってこの日比谷公園まで足をのばす。
お目当てはこの公園の中にある松本楼のハヤシライスだ。
デモ隊の火炎瓶でこの建物は焼失し、しばらく母とのデートは中断したが再建されるとまた度々訪れた。
このレストランの由来や兵隊さんに占拠されたと言う戦中の話しを聞かされた。
震災や時代に翻弄されながらもやがて人の情や善意で復興したと言う話しで、当時小学生だった自分には理解出来なかったが、今思えば、この時子に教えるべき母のテーマは再生と希望だったのかもしれない。
そうか、今気付いたが二人で観た映画もそんな事がテーマだった。
最後に一緒に観た映画は松本清張原作の「砂の器」で人間の業を描く重厚なものだったが、
劇中の親子が巡礼するシーンで母は自分の人生を重ねたのか、ポロポロと泣いていた。
男勝りで気性の激しい人だったが、誰に対しても慈愛に溢れる人だった。
そんな事を思い出しながら、野外音楽堂やイベントの設営で忙しい大噴水を右手に見ながら曲がりくねった小道を行くと松本楼、さらにガーデンウエディングで人気の高い日比谷パレス。そしてあっという間にもう公園を抜け霞門の交差点に出る。
今日の目的は想い出の散策ではなく、ある民事裁判の傍聴が目的だ。
霞門交差点を公園から直進し、次が霞が関1丁目の交差点でここを右に折れるとすぐに東京地方裁判所の入口だ。
公園からここまで徒歩1,2分の距離。
地下鉄霞が関駅からだと地上に出たところがもう目の前だ。
数年前ならここを訪れるなんて想像も出来なかったが、この日僕にはどうしても「この目で確かめなければならない」という理由があった。
あくまでも個人的動機によるものだが。
続く