
2013年9月17日正午過ぎ、東京メトロ霞が関駅A1出口を出て東京地裁前へ向かう路上、差し出されたテッシュを受け取り通り過ぎようとすると「イシカワ カズオ」というハンドマイクの音が耳に入った。何かがひっかかり立ち止まると、この場所では珍しくない裁判関係の街頭アピールの人の列が見えた。そのうちの一女性が私に署名を呼びかけてき、その列の端に一組の老夫婦が立っていた。それが石川一雄夫妻だった。
石川一雄。その名前からイメージするには驚くほど血色よく健康そうな一人の男、老人と呼ぶのがためらわれる壮健そうな男が、背広姿で背筋を伸ばし立っていた。
石川一雄氏は1963年(昭和38年)の狭山事件で逮捕・起訴され、裁判では無実を訴えるも無期懲役が確定し服役。1994年に仮釈放されて現在に至っている。
狭山事件について私は学生時代(1980年代)に調べたことがある。きっかけは部落差別が話題になった時、東北出身の私がそれについて全く知らなかったことから、それを知る材料として先輩から紹介されたのだ。その先輩からは「東北自体が部落なんだよ」と言われたりしたが、この事件はたしかにこの問題に対する私の蒙を啓いてくれた。
文献も20冊程度読んだと記憶している。最も多かったのは佐木隆三著のものだが、最も説得力があったのは野間宏の「狭山裁判」だった。これは裁判記録に基づいたもので、憶測・推測を極力排し、最も客観的に書かれていた。
当時私が接した文献は、捜査過程に不自然な点が複数認められる、どちらともとれる状況がことごとく被告の不利に解釈されている、失態に焦る警察が証拠を捏造し被告を犯人にでっちあげたのではないか、部落出身である被告が警察に利用されたのではないか、そういった論調が支配的だった。
当時の狭山事件に関する一般的書籍は、冤罪、部落差別裁判のトーン一色だったのだが、そこに部落解放運動や、司法に批判的なライターたちのバイアスが強く働いていたであろうし、特定の目的のために裁判を利用しようとする人たちの思惑もあったのであろう。実際元被告は部落解放運動の良き広告塔となっていていた。
これについて私は、部落出身であるがゆえに被告が捜査や裁判で差別された可能性はあるとしても、確証がない以上、それらは憶測であり、せいぜい推測にとどまる。それゆえ被告が部落出身者であることと法的判断とは切り離して考えなければならない、そう考えていた。
結局当時の私の心証は、石川被告は何らかの形で事件に関わっていたかもしれないが、殺人は犯していないであろう、また、警察は証拠を捏造していた疑いがある、したがって改めて裁判をやり直すべきである、というものであった。
2010年代に入った現在、この事件がいかなる状況にあるのか、参考のためwikipediaを覗いてみて驚いた。
「部落」出身者への「差別」裁判とのかつての論調は遠ざけられ、むしろこの裁判は部落解放運動によって利用され捻じ曲げられたものだとの見方が目立つように思えた。少なくともそのような印象を与えるような諸々の事実の列挙が目立つように思えた。それらの記述は石川氏について、事件に巻き込まれたおかげで裕福な生活を送ることができた(焼け太りだ)とでも言いたげであった。そう私が感じるのは、私の見方が偏向しているからかもしれない。
しかし、なるほどと頷かされることもあった。たとえば国語学者・大野晋による筆跡鑑定である。大野晋といえば国語の大家であるがゆえに、彼の鑑定が被告無罪の有力な証拠として扱われ、私自身もそのような印象を持ったものだ。しかし、大野の鑑定対象は被告の筆跡の非常に限られた一部であり、被告の無罪を決定づけるには根拠薄弱であると指摘されている。それはその通りだと思った。
これは野間宏の「狭山裁判」についてもあてはまることで、司法に関して必ずしも専門家ではない野間の裁判記録の読みの信憑性は、それなりに限定的なものだと考えなければならない。
いずにしても今、かつてとは正反対のバイアスがwikiなどには働いているように思われる。ここには元被告についての印象操作の意図が感じられる。それがあるとして、それは何のためであろう。何のためでもないかもしれない。あるいは単純に元被告と周辺の、偽善性なり虚偽性を批判したいのかもしれない。ネット上にはこの種の無償の正義感はしばしば見られるものだ。
言っておくが、石川氏が現在裕福な生活を送っていようがいまいが、それは彼の有罪無罪には基本的に関係のないことである。彼が再審を求めるのは金持ちの道楽なのか。もしそう考える人がいるなら、その人は金銭的に何不自由なく生活できるなら、自分が無実の罪を着せられて何十年も拘束されようが、そのまま死んでしまおうがさして気にならない人なのだろうと言うしかない。
印象操作が悪いというのではない。裁判自体が印象操作の塊のようなものだから。問題は少なくともそれが事実に基づいているかどうかだ。そして事実に基づいたものであるならば、それが事件とどのように関連しているかである。それによって印象操作は正しく意味を持ちうるはずだ。つまり真相に近づきうるはずだ。虚偽の、事実でない事柄を基に印象操作を行うならば、それは裁判以前の問題であろう。
部落差別が事件の捜査と裁判に影響している可能性があるにしても、断定することができない以上、この問題と被告の有罪無罪とは別問題と考えるべきだ。それは石川氏の印象に関してプラスになる意味でもマイナスになる意味でもそうである。少なくとも裁判において争われている以上、証拠の客観性・信憑性を基にそれは決せられるべきだ。
石川氏の有罪無罪が争われることは、人が正しく裁かれるか否かの点で私にとって意味を持つ。彼に対する捜査や裁判に不審な点がある以上、それをはっきりさせるためにも、再審が行われるべきだと私は考える。
まだ暑さ厳しいこの日、石川氏らは再審請求を次月に控えアピールを行っていたのである。
私は署名し、石川夫妻に支援の意を伝え激励の言葉を贈ると、地裁の建物に入っていった。
by いやまじで
昨晩行われた弁護団の記者会見の模様です
動画へのリンク
↓
袴田巌元被告保釈後弁護団会見
この動画の23分ごろから協会の事務局長として新田渉世会長が発言しています。2006年から袴田さんの支援活動を続けて来られた新田会長が『袴田シート』について説明しています。
文責 旧徳山と長谷川が好きです
本日午前10時、静岡地裁で袴田事件の再審決定が発表されました。
【袴田事件の再審認める「証拠ねつ造の疑い」】NHKニュース
報道によると再審決定とともに被告の釈放も認められたとのこと。
◆◆◆◆
裁判長は「極めて長期間、死刑の恐怖のもとで身柄を拘束され続けてきた。これ以上の勾留は正義に反する」と指摘して、袴田元被告の死刑の執行と勾留を停止し、釈放を認める異例の決定も行いました。
◆◆◆◆
遅きに失したとはいえ、袴田氏の即時釈放が認められたことを喜びとともにお伝えしたいと思います。
再審に向けて多大な尽力をされた皆様に心より敬意を表します。
by いやまじで
追記
当ブログの文責者の一人であるB.Bも静岡地裁にて、再審開始決定の瞬間に立ち会いました
彼が撮影した写真を掲載します(文責 旧徳山と長谷川が好きです)
再審開始決定!輪島功一さんの姿も

袴田氏の支援・再審請求に尽力されてきた『フクイのカレー』でおなじみの福井英史さん(左)

追記の追記
先ほど(27日午後6時前)袴田さんが釈放されたとの報も、検察は即時抗告の方針とのこと。しかし証拠がズタボロの状態で公判維持は可能なのでしょうか?地検と県警と司法は一刻も早く謝罪し賠償へと進むべきです。
なんかもう話がこじれまくって何が何だか分からなくなっている『亀田大毅負けても王者問題』
IBFのトップダリル・ピープルズ会長が来日し「あの件は我がIBFのタッカーめのミスでございます」と平謝りしましたが、彼の説明は試合直後のアナウンスとは齟齬をきたします。じゃ試合後のアナウンスはリングアナウンサーが独断でしたことなのか???そもそもIBFのミスが全ての始まりなのに、どっちかというと被害者の亀田がライセンスを取られちゃうというのはなんとも不条理に感じるのですが…
というか皆さん忘れてませんか?計量をギブアップしたあと、「ゼニやったらナンボでも払たるわい!」と関西訛りのスペイン語で吐き捨てて、旨そうにコーラを飲み干していたあの男。全ての原因になったリボリオ・ソリス君のことを!
日本では「立つ鳥後を濁さず」なんていいますが、そんな諺はベネズエラにはないのかして、日本のボクシング界に波風を立てるだけ立てて帰って行ったソリス…。元はと言えばこの男の堪え性の無さが全ての原因でありました。
というか最近のボクシング界はウエイト超過に対して、なんか余りにもルーズ過ぎないですか?
アマ無敵の男ロマチェンコと戦ったサリドに、リナレス×荒川のあった興行でメインを張ったカネロ。統一戦だった亀田×ソリスといい注目度の高い試合でいとも簡単にやらかして「金払や文句ねえだろ」とばかりに開き直る選手が続出しております。つらい減量をしてレコードに負けがつくくらいなら、罰金払って良い体調で戦って勝って次につなげた方が良いというのが実利的というこの現状。ファンやメデイアもマヒ状態のようでウェイトを守れない選手に対する批判は盛り上がりません。
ボクシングと言うスポーツはずっとウエイトを厳密に管理することで公平性を確保してきたスポーツではなかったのでしょうか?地獄の沙汰も金次第ではかつてのストイックなイメージも薄れてしまうと思うのですが。
当ブログに何度もコメントを頂いている元東洋フェザー級チャンピオンの榎洋之さんからも「根本に体重超過があることを見過ごしてはいけない」旨ご指摘を頂いておりますが、同じく現役の業界関係者からも体重制スポーツとしてのあり方を問うメッセージが発せられています。
当ブログに登場を頂いたことがある(過去記事『高山勝成選手インタビュー&スパーリングレポート インターバル40秒で12R!』)IBFミニマム級チャンピオン高山勝成選手のマネージャー兼トレーナー中出博啓氏が、体重制スポーツとしてのあり方に絡める形で今回のJBCによる『亀田処分』に対して発言しています。「あいつは亀田の興行に出てたんだから亀田を擁護しているんだろう」というような見方をされる向きもあるかとは思いますが、まずは意見そのものを読んで判断していただきたいと思います。以下自分が印象に残った箇所を抜粋させて頂きます(以下引用)
ボクシングと云うルールのあるスポーツの最も大事なタイトルの帰趨問題に関し、何故 最終確認事項として合意する文書や覚書の様なエビデンスが存在しないのか?が問題です。自分としては選手の健康とタイトルを守る立場としてオーバーウェートの選手と世界タイトルを賭けて戦うと云うのはあり得ないですし、仮にやるのであれば、両団体のスーパーバイザー ボクサーとマネージャーの合意書にサインを貰わないと戦えないですね。そして、この事に気付き配慮し管轄すべき立場に居るのは誰かと云う事です。
興業に関する倫理の問題とルール遵守やタイトルの帰趨の問題は別の問題です。重大な問題ではありますが、別の問題です。敢えて、言いますが、12月3日のあの試合を何故、JBCは統一戦と認定したのでしょうか?ルール上の正しい解釈は、亀田大毅選手は体重オーバーできたソリスに試合で敗れた。タイトルマッチとしての要件を欠いた為に王座は動かない。これって階級制のスポーツとしては、余りにも当たり前の常識でしょう。
(中略)
海外の色々な国で戦いましたが、他国に比べJBCはしっかりとしたコミッションだと認めた上で敢えて言いますが、権威も大事でしょうが自国のボクサーをまず優先して守るべきです。子供じゃないのだから言ったとか言わないは問題にするべき内容では無く、体重オーバーと云う非常識な事態にルールミーティングで常識として両団体のスーパーバイザー マネージャー ボクサーで合意書を創りその上でプレスに発表するべきだったんじゃ無いですか? 海外でもそこまでしっかりしているコミッション無かったですけど。やるのなら徹底して貰いたいもんです・・終わり!(引用以上)
「他国に比べJBCはしっかりとしたコミッションだ」という見解は、中出氏にお会いした際に直接伺ったことでもあります。だからこそ体重超過には厳格に向き合って欲しいという見解はきわめて真っ当なものだと思います。そして体重制スポーツの根幹に関わる不始末を犯したソリスの存在を度外視し、亀田サイドの事後対応だけを殊更に問題視するJBCへ疑問を呈することは現役の業界人してはとても勇気のいることだと思います。本来は自由に発言出来るような雰囲気でなければ民主的な運営など出来ないわけで、選手や関係者から意見が出てこない状態のほうが異常なのですが…。
奇しくもWBCの新会長選挙(なんと無記名投票じゃない!)が全会一致でスライマン王朝の世襲を決めたというじゃないですか。なんちゅうか私には北朝鮮とかのトップ交代と違いがよく分からないのですが…。『ボクシング界の常識は世間の非常識』とならぬよう、見識やビジョンがある人に業界を引っ張って欲しいのですが…。
沼田ドローかよ!と腰が砕けた(旧徳山と長谷川が好きです)