いまや亀田vsJBC問題の広報媒体と化した感すらある、THE PAGEに掲載されている本郷陽一記者による一連の記事ですが、『処分決定』『最終局面』『ジム消滅も』『最後通告』という景気の良い見出しとは裏腹に問題は宙ぶらりんのままはや二ヶ月が経とうとしています。強気一辺倒で明日にでも厳罰が下されるかのように煽りまくり、一部単細胞なアンチ亀田の皆さんを盛り上げまくった挙句の最新記事の内容は、失礼ながらコシクダケとしか言いようのない内容でありました。
1月27日付の現時点での最新記事
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亀田への厳罰処分に慎重論?
この記事の一番のポイントとなる部分を引用します(以下引用)
『関係者の話を総合すると、ルールミーティング内では、王座移動の見解については、議題となっていなかったようで、JBC側も、その場で改めて確認をすることを怠っていた』
ちょっと待て!なんじゃそりゃ!本郷さんそりゃないですよ!あなたは昨年12月9日付の記事中
『実は、今回のルールミーティングの映像は残っていて、そこには「負けた場合は空位」というIBF立会人の発言が記録されている。』て書いてたじゃないですか!
結局タイトルの扱いをルールミーティングできちんと決めていなかったことがトラブルの原因であり、JBCサイドの人間が話し合いの場で「何が話されていたか」を理解していなかったことが露見しただけじゃないの。これは明らかにJBCスタッフの語学力・管理能力の問題なんじゃないですか?
どうせ亀田は嫌われもんだから、事実であろうとなかろうと『処分もやむなし』という空気を作ればいい、という感じで走った結果がこれじゃないのか?と思えてなりません。記者もファンも、こと亀田が絡むとなんでこうまで常識からフライングして暴走してしまうのか?
このような短絡的な行動は禍根を残すばかりでなく、JBCを亀田サイドとの不毛な訴訟に追い立てて貴重な内部留保を無駄遣いさせるだけです。このような公益性なき不毛な闘争に執着しているのは一部JBC職員と、訴訟になっても金銭的にも時間的にも何の貢献もしない野次馬的アンチ亀田のファンだけです。ご自分のやってることの無駄さを省みて、冷静になっていただきたいと今一度言っておきます。
それでも「はやく処分しろ」と言ってる人に驚くばかりの(旧徳山と長谷川が好きです)
WBOサイトより入札の告知

WBOから亀田和毅の次戦が入札になると告知されました。最低入札額は10万ドル。結構ええ値段ですね。今月末にも亀田ジムのプロモーターライセンスがサスペンドされるのでは言われる現状で、果たして亀田一家はどう出るのか?
敵地防衛か返上か、はたまた誰か他のプロモーターを立てての国内開催か?あるいは韓国やフィリピンに持っていくのか?
佐々木基樹さんのブログ
記事タイトル<「死亡事故根絶に向けて今すぐできること」とりあえず完成>
http://ameblo.jp/sasakimotoki/entry-11748782169.html#cbox
最近というか半年くらい前からソーシャルネットワークサービスなるものを利用し始めた。
「仕事上でも役に立つから使った方がいい」と女房に薦められてアカウントだけは2年ほど前に作ったが、対面での営業が主力の自分にはどうも性に合わず休眠状態。
元々自ら友達を作るタイプではないし、ある程度の歳を重ねると自分の型が決まってしまってそれ以上を望む事も無い。
しかし、ことボクシングに関してだけは熱が冷めず、むしろ死ぬまでにどうしても言いたい事がある、伝えたいと言う感情が抑え切れなくなった。
ただ、それはひたすらボクシングが好きだ!ということだけなのだが。
仲間内でボクシングファンのブログをやろう!という話しになった時も個々でSNSからの発信という形もアリではないか?という意見があったが、直情型の自分は理論的でないし要点をまとめて簡潔に発信する事が不可能に思えた。
しかし、考えてみれば匿名個人ブログとはいえ、レスポンスを頂くたびに不特定多数の人たちに読んでいただくのだから感情の垂れ流しだけでは申し訳ないと反省。
自己証明が可能で責任のより重いSNSで意見発信しながら勉強してみようと一念発起。
おそるおそるで始まったが、これがおそろしく機動力が高くまた情報も速いことに気付いた。
とはいえ自分にとってはほとんどがボクシングに関する事なのだが・・。
前置きが長過ぎた。
一昨日、友人がひとつの情報をシェアしていた。
ある元ボクサーからの赤裸々なメッセージだった。
自分にとっては衝撃的な事だった。
そこにはこのブログでも悲報として伝えた昨年12月20日に起こったリング上の事故について書かれていた。
これまでボクサーの宿命ともいえる頭部へのダメージや網膜剥離の問題、健保金の問題、そして選手の意識や取り巻く環境について僅かながらの取材をして来たが、OBや現役選手の答えは一様に「みなそれをすべて覚悟の上でリングに上がっている」というものだった。
ボクシングファンとしてそれは充分に理解出来るし、その心情も容易に想像は出来た。
しかし、幾度も起こる悲劇にその都度心を痛めどうしたら良いのか、ボクシングは「あってはならないもの」なのではないか?と正直思い悩んだ。
しかし、ボクシングは魔性だ。
この世に生を受け、ひたすら己の存在証明のすべてを賭けて戦う崇高な若者に観客は再び日常を忘れ陶酔する。
誤解を恐れずに言えば、選手にとっても観客にとっても、それはあくまでも非日常であり狂気と倒錯の世界でもある。
それは栄光と悲劇は表裏一体である事を一時的にも忘れさせてしまう。
いや、忘れる事は無い。
本能的に忘却しようとしているか、眼を背けているだけなのだ。
ボクシングがひたすら好きだと言うおまえは我が子を差し出せるのか?
これを書いている今も自己嫌悪に陥り辛くてたまらない。
しかし、これまで取材させて頂いたボクシング関係者の中には
「確かにボクシングには人を取り憑かせてしまう魔性がある。だからこそ冷徹な目が必要なんです」
「しかし、それでもボクシングは素晴らしいスポーツだと信じます。少しでも不幸な出来事を無くす為に、これまで蓄積されて来た膨大なデータやノウハウを綿密に整理して共有する事、考え得る限りの(医療的)環境を整える事。すべての選手の為にやる事はまだまだたくさんあるんです」
これを聞いた時、僕らには一縷の希望が湧いて来た。
そして元選手の“彼”はメッセージの冒頭にこう書いていて、思わず目を奪われた。
まず俺にできることは何か。
知識をシェアすること。
そうなんだ、感傷論なんか何の役にも立たない。
貴重な生の経験談が今こそ必要なのだ。
彼はリスクを恐れず勇気を持って告白し発信してくれた。
選手とボクシングを守る為に・・
感謝の意を伝えると“彼”はメッセージの返信にこう書いてくれた。
「誰が悪い、悪くない」ではなく自分に「何が出来るか、何をするべきか」が一番大切な事です、と。
皆さん一緒に考えて下さい。そして伝えて下さい。
佐々木基樹さんのブログ
http://ameblo.jp/sasakimotoki/entry-11748782169.html#cbox
「死亡事故根絶に向けて今すぐできること」とりあえず完成
<文・B.B>
本郷記者による新着記事が出ました。いつも引用させて頂いてスイマセン
亀田問題の議論終了 JBCが今月下旬に最終処分決定
さてさてこの記事も色んな意味で驚きに満ちた内容です
気になる箇所を引用してみます(記事の引用は赤字)
JBC側は、試合直後にIBFのタッカー氏が、一転、「負けても防衛」と語った記者会見についても、当初、亀田大毅の出席予定だった場所で行われたことから、その混乱を招く原因となった会見が開かれることをJBCに報告しなかったことも「ルール違反だ」との認識を持っていて、それについての説明も求めた模様。JBCは、試合の管理者であるJBCの許可がなく行われた記者会見は、オフィシャルなものとしては認められないという立場に立っている。
「タッカーがルールミーティングの合意を反故にした証拠を我々は持っているんだソ!」「IBFも非を認めているゾ。これから公式に謝罪があるゾ!」というあの威勢の良さはどこへやら。ひたすらIBFの関与をぼやかして亀田に問題を集約させる姑息な印象操作であります。。そもそもこの文章なんか良く意味が分からないのですが?「タッカーが喋る予定じゃなかったけど、タッカーが話したからそれはルール違反だ!」と言う事でしょうか?こんなことで処分されてしまうとはオチオチ記者の質問に答えることも出来ませんね。そもそもIBFが試合前と試合後で見解を変えたということが処分の大前提なのに、その発言がメディアの前で出た現場を「無かったこと」にしようとする感覚自体度し難いものがあります。率直に言って意図がわからない。これはまあ多分処分理由が一個だと弱いので「亀田のルール違反の事例」としてひねり出した後だしジャンケン的なインネンなのでありましょう。でないといきなりこのタイミングで出て来た理由が見当たりません。
倫理委員会及び資格審査委員会のメンバー構成は、「メンバーにいらぬ圧力がかかると困る」という理由で発表されていないが、弁護士2人と、外部の見識者が入っていて、それぞれが意見を述べ、相当な処分はどうあるべきかが議論される。
なんとビックリ証拠の開示どころか誰が処分を下したのかも一切開示されないというのです?こんな情報開示の姿勢をなんでジャーナリストである本郷記者は是認されるのでしょうか?メンバーや議事録、客観的な証拠も開示されぬまま処分が決定されるなんてまるでどこぞの独裁国家の粛清ではありませんか。
記事後半では栄光の日本ボクシングコミッションの理事長として、赤字組織を力強く牽引する秋山弘志さまのありがたいコメントも読めます。少し引用してみましょう
「JBCは、ボクシング界の相互の発展のため各ジムが、ちゃんとルールを守っているかを見る“裁判所”的な役割も持っている。その業界内のルールが守れないのであれば、出て行ってもらうしかない」という厳しい意見を語っていた。(引用以上)
裁判所だと力みかえる以前に、JBCに試合管理の責任があることは自明の事であります。それが試合会場でトラブルを未然に防ぐ事が出来ず信用を失墜させたあとで、時代劇のお奉行さながらに大向こうウケするスタンドプレーだけされてもこっちは困っちゃうわけでね...。
さてさてボクシングファンはと目を転じてみれば、恩人のツイッターアカウントを乗っ取るという悪戯で茶目っ気を発揮したとかしてないとか言われているゴシップライター氏がやってるサイトに集まってるファンは、「契約は口約束でも成立するから文書なんかいらない」「気に入らない奴は相撲協会のように首にすればいい」とまさに現実逃避全開。
国際間の契約で文書を作成しないなどということは、まともな会社や組織ならありえないし、相撲協会は結局裁判で敗訴し解雇された力士は競技に復帰しています。少し調べれば分かる社会常識や事実を参照すらせず、感情的に吹き上がってお互いを慰めているだけ。
このまま裁判に突入するかと思うとJBC様の行く末が心配でたまりません。協栄ジムのように亀田一家にケツの毛までムシられなきゃいいのですが。亀田一家は金儲けが出来りゃいいんだから、裁判で稼がせたら思う壺だと思うのですが。みんなしっかりしてくれよ...
IBFやTBSに取材をかけずJBCからだけ話を聞く取材姿勢がとても疑問な(旧徳山と長谷川が好きです)
さてさて威勢が良かったJBCが些かトーンダウンしてなんだかおかしな空気になってきた「亀田大毅負けても王者問題」ですが、先日その話題で友人と電話で雑談していた時の事、私が「亀田の代理人弁護士が『一緒に調査して事実を究明しましょう』みたいな感じなのが不可解なんですよね」と言うとその友人「あれはなかなか面白い作戦なんじゃないの」と言ってきたのです。そりゃどういう事ですか?と真意を尋ねると「亀田サイドは『JBCがウソをついている』という敵対姿勢を取ってないでしょ。『事実関係を調べよう』というのは自信がある人の対応ですよ」ということ。「なるほどそんな考え方もあるんだなあ」と私は感心したのでした。
よく考えりゃ『亀田が絶対悪』というのはあくまでボクシング村・ボクシングファン・ネットの野次馬文化内の価値観で、実社会ではあくまで一市民です。「弱い相手を選んでる」とか「判定がおかしい」とか言う話もあくまでスポーツの枠内の話で、ライセンスを止めてジムやプロモーターとして活動できなくすることは生活権の侵害を巡る問題であり次元の違う話です。当然過去の事例との整合性も問われるし、まして今回のケースは「ソリスが計量を失敗した」と言う特殊事情もある。訴訟となれば非常に微妙なケースといえるでしょう。訴訟社会であるアメリカに本拠があるIBFも訴訟において証人となるような立場になれば曖昧な返答はしないはずです。
ボクシングファンや一部タイコモチマスコミは「JBCガンバレよ!絶対引くなよ!俺たちがついてるぞ!」と無責任に煽ってますが、裁判になれば当然費用はかかります。相撲協会の八百長メール事件の裁判を見ても分かりますが、閉じた社会の価値観は得てして法廷では通用しない物でございます。さてJBCが敗訴し逸失利益の回復や訴訟費用で支払いを命じられた時、JBCを煽った彼らはその金銭的負担を肩代わりしてくれるのでしょうか?JBCに確たる勝算もないまま訴訟に突き進ませて、貴重な内部留保を弁護士費用で徒に消尽し、敗訴すれば社会的な評判も低落させるようなリスクを取らせることの責任を彼らは自覚しているのでしょうか?ましてその費用はこのまま行けばボクサーが医療費目的で負担した健保金が当てられる可能性があります。責任も取れないのに展望もなしに対立を煽る事の危険性を自覚しているのかな?と思います。まあ自分の被害感情が一時的にでも回復すればなんでもいいのかな?
それにしてもJBCも歯切れが悪い。結局ルールミーティングにおいて「負けたら空位」という合意があった証拠も、IBFからの「非を認める」というコメントも一切発表されないじゃないですか。
絶賛赤字運営中の一般財団法人JBC様はきっと「ライセンス取り上げるぞ!さっさと謝らんかい!」とカマしたら亀田が「スイマセンでした」とすぐ腹見せると思っていたのでしょう。ところが弁護士が出てきて「まあ一緒に原因を究明しましょうよ」とスカされて、そこで思考停止状態になっているのではないでしょうか?強く出るしか手段がないと言うのはJBC様が抱えるほかの裁判を見ていても分かる傾向ではありますが。
「JBCガンバレ!亀田に鉄槌を!」なんてやってる人は別に裁判になっても、金も持ってくれないし、万一敗訴しても責任も取ってくれないんだから、ぜひ冷静な判断をして欲しいもんです。まあ無理でしょうけど。
TBSはさっさとルールミーティングの映像出せばいいのにと感じる(旧徳山と長谷川が好きです)
昨年末は韓国で取材した亀田興毅×ソン・ジョンオ戦の裏話を書くと予告致しましたが、諸事情によりその記事は後回しにしまして、先に韓国で見たボクシング興行のレポートをお送りします。
前回のソウルレポート、ソン・ジョンオ選手のインタビューはこちらから
HARD BLOW !年末年始スペシャル第一弾 ソン・ジョンオ(孫正五)インタビューinソウル
仁川空港からソン・ジョンオ選手とのインタビュー場所に向かう車中でのこと、キム会長から「明日4回戦ばっかりの興行が郊外であるよ。私は行けないけど、折角だからあなた行って来たらいいじゃないの」という情報を教えて頂きました。確かに折角韓国まで来たんだから、観戦もいいなと思いキム会長に「それってどうやって行くんですか?」と尋ねると「確か電車あるよ!」となんともザックリとしたサジェスチョンが一言だけ。これがケンチャナヨ精神か...。
翌朝安ホテルの部屋で興行についての情報を収集しようとネット上を徘徊し、なんとかかんとか韓国のコミッションKBCのウェブサイトを発見!当然全文ハングルですが、暗号解読の要領で片っ端からGoogle翻訳していくと、体育館らしき施設名を発見。どうやらここらしい。Googleマップにハングルで施設名を入れると偶然にもホテルから地下鉄一本で行けるというロケーションのようで『とにかくそこまで行ってみるか』ということで昼前に地下鉄に乗って出発。電車に揺られる事45分で相当な韓国マニアでも降りた奴はそうそういねえだろというような何の特徴もない郊外の駅に。ここでまたもGoogle様のお力を借りて徒歩で会場を目指すも、こりゃ歩ける距離じゃねえよ!ということで道を間違えようの無い一本道に出たところで路線バスに乗り込み、会場のそばに来たところでバスを降りて無事到着。スマホのおかげで海外のこんな辺鄙な(失礼)場所にも迷わずたどり着けるとはエライ時代になったもんです。

何の変哲もない体育館 交通不便

凄い色彩のポスター
すでに興行が始まっている会場に入ると受付もモギリもどこにもおらず、みんな好き勝手に出入りしている。もしかしてタダ?と見回すと募金箱のような物を発見。ここにお客が好きな金額を入れるというシステムなのか?私も寸志を入れまして観戦させて頂く事に。

募金箱

会場内は椅子も少なく、観客もまばら。選手の友人や家族がお目当ての選手の試合だけ声援して帰っていくと言う感じで、この辺はまあ日本の4回戦と似たような雰囲気であります。しかしそんな興行でもラウンドガールがいる!というところは日本との違いか?


ケーブルテレビの中継かカメラが入っている。この辺も4回戦にしては豪華なんだが

ロープ際に選手が来るとリングサイドのオフィシャルがエプロンの広告を手でよけたり

ラウンド中にエプロンにカメラを置いてスマホいじってるカメラマンがいたり...なんかこう大雑把といっていいのか?これもケンチャナヨ精神でしょうか。
で肝心の試合内容ですが…。予想はしてたのですがものの見事に

ファイター!

ファイター!

またファイター!とにかく頭をつけての打ち合いばかり!

一試合あった女子もやっぱりファイター同士で4回はヘロヘロ

トレーナーも当然そういう練習指導!カルチャーの違いと言ってはそれまでですが、ここまで徹底しているとは…。
さすがに同じ展開が続きすぎて胸焼けしそうになっていると、後ろから誰かが私の肩をたたく。振り返るとそこにはなんと昨晩インタビューしたソン・ジョンオ選手が!「おーおーまた会えたね」と言う感じで握手はしたものの、お互い言葉が通じない。身振りで「ファイターばっかりだね。ボクサータイプはいないの?」という質問をぶつけると笑顔で頷くソン選手。
ソン選手は試合終了後にリング上に呼ばれて観客の前で挨拶しておりました。どうもこのセレモニーの為に呼ばれていた模様。

マイクを握って挨拶をしたソン選手は、挨拶が終わるとその日の主役を立てて一番末席に並び、セレモニーが終われば率先して選手や役員の為にリングロープを上げて通り道を作っていました。こうした一つ一つの振る舞いから滲み出る彼の人間性を見るにつけ、こういう人間にもう一回でいいからチャンスがあって欲しい、あるべきだと感じました。リング上のソン選手に写真をお願いすると、はにかみながら小さくファイテイングポーズをとってくれました。

色んな意味でカルチャーギャップを知る事が出来、また思いがけずソン・ジョンオ選手にも会え、大変有意義な試合観戦となりました。実際に目にして、現地で取材した韓国ボクシングの現状は競技レベルや市場規模を比較しても日本とは比べ物にならない沈滞状態と言えると思います。ただそんな状態でも興行が存続していることは、韓国のプロボクシングが社会に深く根付いている事の証明なのでしょう。かつてはライバル関係にあった韓国のボクシング界の再興を願わずにはおれません。韓国ボクシングが盛り上がれば東アジアのボクシング市場にも良いフィードバックがあるはずです。
そして現在の韓国のボクシング界の姿は明日の日本のボクシング界の姿かも知れない、そう思えばこそ現在の日本のボクシング界の問題は放置出来ないと再認識しました。現在のJBCが抱える公益認定や健保金の問題、ガバナンスの不在や感情的な運営等々は転落の原因となる事ばかりです。転換期であるからこそ透徹したビジョンが居るのではないかという思いを新たにしました。
ソン・ジョンオのナイスガイぶりをもっと広めたい(旧徳山と長谷川が好きです)
村田は大毅に同情「運営側に問題」(デイリースポーツ)
うーむさすが金メダリスト、プロボクシング村の特殊論理にそまった近視眼的なファンやライター陣と一味違うまっとうな意見でございます。
JBC側が連発するリークのトーンも日々変化しています。『騒動の元凶となったIBF側は、JBCの問い合わせに関して完全に非があることを認めているようで、それらの背景もJBCの強気の姿勢につながっているようである。最終的にはIBFが、今回の大混乱を招いた問題についての声明を出す』『ルールミーテイングでリンゼイ・タッカー氏がタイトルが空位になるという旨発言している映像がある』と言う話はいつの間にやらウヤムヤになってますね。こういう記事で「JBCは確かな証拠をもっている」という印象さえ植え付けられれば、誰も事後の検証などしない。書く方も読む方も亀田を攻撃できればなんでも良いんでしょうね。
のみならず「JBC側にはルールミーテイングで交わされていた外国語での会話を理解している人間がおらず」「通訳もいなかった」ことが明らかになりつつあります。なんでもかんでもプロモーター頼みでやって、一旦トラブルが起これば「俺たちは悪くないよ」と逃げてしまう彼らが一体どのような試合管理をしているのでしょうか?ルールにのっとって厳しく運営していれば今回のようなトラブルは起こりようはないのです。
昨日は亀田ジムサイドの代理人弁護士から、新たなリリースが出されました。
北村晴男弁護士が亀田ジム側見解を説明
これまた前回と同じく奥歯にモノが挟まったような主張で、史郎の放言とは対照的に「JBCがウソをついている」と断定しないという煮え切らない態度。まあなんらかの戦略はあるのでしょうが...。当事者同士どちらも直接証拠と言える「ルールミーティングの映像」と「IBFからの回答」を参照せず、「とにかく謝れ」「いやまあそう言わないでお互いに調査しましょうよ」という変な状態になりつつあります。なんだこれ?
しかし未だに「試合直後に英語のアナウンスがあった」という事実を踏まえていない批判をしてる人が多くて驚きます。やはりあのアナウンスは「JBCガンバレ」「亀田出て行け」の皆さんには不都合極まりないようで、「日本なのに英語でやるなんておかしい」というクレイジークレーマーのようなインネンつける人まで現れる始末。こういう教養や知性にたいする根深いコンプレックスは現在のJBCを覆う没論理・反知性的な傾向の反映でありましょうか?残念であります。
亀田は処分後を睨んだ対応してるだろうなあと考える(旧徳山と長谷川が好きです)
岡田哲慎選手が昨日早朝に亡くなりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
昨日の時事通信より引用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140106-00000099-jij-spo
日本ボクシングコミッション(JBC)は6日、東京・後楽園ホールで昨年12月20日に行われたスーパーフライ級4回戦でTKO負けした後に急性硬膜下血腫と診断されて開頭手術を受けた岡田哲慎選手(21)=ランドジム所属=が、6日午前に死去したと発表した。
岡田選手はデビュー戦だったこの試合後、医務室で意識を失い、救急車で病院に搬送された。JBCによると、国内試合での死亡事故は2010年2月以来で、1952年にJBCが発足してから38件目。
さて年始早々『亀田大毅の負けても王座保持問題』ですがもはやこの問題では独走といってよい情報発信を繰り返す本郷陽一記者の今年最初の記事がドロップされました。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/kameda_koki/?1388972950
我々が複数の関係者より入手している情報と相違なく、亀田の処分はもはや既定路線という主旨の記事内容でございます。今回の記事の注目点は秋山理事長本人の口からその処分理由が聞けるところでありましょうか?以下に引用いたします。
■問題視すべきは報告しなかったこと
秋山理事長は、「知っていた、知らなかったの話を詰めていく気はない」と言う。
「彼らが事前に『負けても防衛』ということを知っていたとしましょう。では、なぜ、その後、タッカー氏が『負けたら空位』と語り、すべての報道機関が『負けたら空位』と伝えているのに、負けても防衛だということをファン並びにJBCに対して報告をしなかったのかということなんです」
それは、プロモーターの責任問題でもあるため、JBCは、昨年の12月25日に、これまで聴聞に出てくることを渋っていた亀田プロモーション代表の亀田興毅からも弁護士同伴で事情を聞いている(ただし、亀田興毅は現役の選手であるため、プロモーターライセンスは持っていない)。(引用以上)
あれあれ秋山様のお話は『実は、今回のルールミーティングの映像は残っていて、そこには「負けた場合は空位」というIBF立会人の発言が記録されている。』というかつての報道内容から随分とトーンダウンした内容になっております。「負けたら空位」問題の事実関係の究明を「知っていた、知らなかったの話を詰めていく気はない」となぜか放棄してしまう秋山様の態度はとても不可解です。これ結局JBCは「負けたら空位」の証拠を提示することはあきらめて、もはや炎上してるファンの手前引っ込みがつかないから処分だけはしますよ?と言ってるのとおなじではないでしょうか?そもそも記事の見出しが『亀田側が主張を変えない場合は”追放”』なんだから思いっきり「知っていた、知らなかった」の話だとおもうのですが...???
未だにルールミーティングの映像も、IBFからの調査への回答も開示されぬまま『JBCに逆らった悪の亀田は処分する』ということだけが既成事実化されていくのでしょうか?かつては日本には無かったスポーツジャーナリズムを志向して「論スポ」を創刊された本郷陽一記者ともあろうお方が、知ってか知らずか物見高いネットの野次馬にセッセと燃料を投下するような記事を連発されている事に驚きを禁じ得ません。恐るべし亀田バイアスであります。
そんないかにもネットでウケそうな記事とは対照的な見解が、昨年大晦日付けのデイリースポーツ紙に掲載されています。かつて健筆をふるった木村記者のヨイショ記事で御馴染みの『亀田一家の広報紙』デイリーの記事なんてなあ、と思われる貴兄も多いかとは思いますが、この記事なかなか良いところを突いているのです。
『 JBCは統一球問題NPBを反面教師に 』と題されたこの記事は『7年間のプロ野球担当を離れ、12月から関西でボクシング担当となって1カ月。ギャップの大きさに驚くことばかりだった。』という荒木司記者の驚きの声から始まります。そこから統一球問題でのコミッショナーの対応の不味さに言及し以下のように記事を結んでいます(以下引用)
ボクシング界は「言った、言わないの」を巡りJBC、亀田陣営、IBFが責任を押し付け合い。ルールミーティングの場で誰もが確認できる文書をなぜ作っておかないのか疑問しかない。
内輪の“口約束”で済んできた時代もあったのだろう。だが今や、世間の目は甘くない。ルールに則っらなければ、真剣勝負の醍醐味(だいごみ)は失われるだけだ。4団体となり王座の格が問われる時代。世界戦を仕切るJBCには加藤前コミッショナーを反面教師としてもらいたい。(引用以上)
これは亀田擁護と言うような次元で無く『ボクシングがプロ野球のようなメジャースポーツになって欲しい』と言う思いがあればこその勅言ではありますまいか?そして文中の『世間の目は甘くない』という言葉は、私にはボクシングファンの現状を思い起こさせます。亀田憎しに凝り固まり、コミッションの機能不全や試合運営のおかしさに目が行かない現状は実は世間一般とスレているのではないか?と思えてなりません。
まあ業界もファンもメジャースポーツでなく閉じた世界を目指してるなあ、もうなんも言うこと無いんですけどね
ところで亀田サイドやIBFに何で誰も取材しないの?と感じる(旧徳山と長谷川が好きです)
他の執筆者の皆さんが年頭らしく問題提起されてるので私も一席。
私も多くのボクシングファンと同じように、大晦日のテレビ中継をハシゴして試合を堪能したのでありますが、その中でも井岡一翔選手が繰り広げた磐石の試合振りが個人的に特に印象に残りました。井岡選手は荒っぽい強打者アルバラード選手に対して、持ち前のスピードを生かして距離をとって戦うのかと思いきや、あえて接近戦を挑み打ち合いで完勝してしまったのです。接近時の防御技術、正確で力感があり尚且つ回転の良い連打は、ボクシングファンでもある北野武さんが、中継局の番組企画で練習を見学したあと「日本の歴代のチャンピオンでもトップの技術がある」と評していたのに相応しいもので、私もまた大きく同意しました。のみならずひるまないメンタリティ、旺盛なスピードとそれを維持するスタミナも素晴らしく、まさに心技体スキ無し。もともと技術レベルが高く、完成度の高い選手でしたが、いまだ成長が止まっていないのはたゆまぬ鍛錬の賜物でありましょう。今までのキャリアだけとっても充分素晴らしいですが、これからどんな試合を見せてくれるのか期待は膨らむばかりです。
自分は普通であれば彼こそが日本のホープであり業界が未来をかけるべき選手だと思うのですが、なぜか彼の言動・行動にはファンからの風当たりが厳しく、中には『亀田と一緒』というような乱暴な極論で批判する単細胞までいます。これなんでやろと思ったら、要は決定戦での戴冠やローマンゴンザレスとの対戦を井岡側が所謂『待ち料』を支払うことで回避したことが原因なのでしょう。
これしかし帝拳と井岡ジム側のビジネス上の『合意』であり、なんで井岡側にのみ批判が行くのかが一向に理解できません。帝拳側は井岡と対戦したきゃ強引に入札にしちゃえば良かったのです。井岡興行に乗っかって金稼いで、用心棒ローマンを使って若い芽まで摘んでしまおうなんて余りに虫のいい絵を描いても井岡ジムが乗ってこないのは当り前でありましょう。それよりも罪深いのは、『井岡が逃げた』という印象を流布する茶坊主メデイアとまんと乗せられちゃうボクシングファンであります。どうも帝拳というフレームを前にすると日本のファンは思考停止になっちゃうみたいですね。色んなジャンルのスポーツでは何年かのサイクルで勢力図の書き換えが起こるもんですが、ボクシングだけは旧態依然。帝拳が無ければボクシングもないとファンもメデイアも信じて疑わないようです。この構図って大手芸能プロが支配してる芸能界にソックリですね。
まあ脱線はこれくらいにして、本題の井岡くんに戻ります。今ひとつ彼が批判されるのは、そのナルシステイックな言動にも原因があります。試合前や試合後のインタビューで臆面も無く自画自賛するその姿は、まあ確かに好感度が高いとは言いがたいものはあります。これは昨秋某元プロの方と酒席をご一緒した際に伺ったお話なのですが、曰く最近の井岡一翔は「先輩ボクサーと街で出会っても挨拶すらしなくなった」「先輩にもぞんざいな口を聞くようになった」「昔は散々世話になった飲食店などに寄り付きもしなくなった」などなど所謂「テング状態である」と関西の関係者の間で言われている、ということでした。確かに有名になっても、一度でも世話になった人のことは忘れず、先輩ボクサーにはすすんで頭をさげ、収入が増えても馴染みの店に顔を出し、とやっていれば「さすが、チャンピオンと呼ばれる人は人格も一流だ。ヨシ俺も応援するぞ」となるでしょう。自己陶酔している、いい気になっていると捕らえられるのは人気商売ではマイナスでありましょう。
で私がなにが言いたいかといいますと、「ナルちゃんでもテングでも、選手として凄かったら別にいいんじゃないの?」ということです。いやもっと飛躍して「日本のスポーツ選手は『天狗になったらいかん。嫌われたらいかん。秩序を乱したらいかん』と心がけすぎてるから、イザという時デッカイ仕事が出来ないんじゃないのか?」とまで思っているのです。
実際、先述の『井岡天狗エピソード』を教えてくれた元プロの方は「井岡のボクシングは自分の考えるボクシングの理想形だ。パンチの打ち方から防御技術から全てが理にかなっている」と井岡を絶賛していました。本業において誰よりも工夫して努力した者はテングになって当り前だし、思い描いたとおりに試合が出来れば「俺ってスゴイなあ」と自己陶酔して当り前なのじゃないでしょうか?
先ごろACミランへの移籍が決定したサッカーの本田圭佑選手も、北京オリンピックの頃は「真顔で大言壮語を繰り返す変人」という扱いで現在の姿を想像していた人はごく少数でした。彼が腕時計を二つしていたのも、一聴すると奇異に感じるような言動をしていたのも『等身大の自分にとどまっていると、自分で自分の天井を規定してしまう』という危機感を感じていればこそだったのだと私は想像します。
実際問題、プライベートジェットでニースやカンヌに行って、半裸のモデルと波打ち際でチャプチャプやってるような海外のスポーツ選手の調子ノリっぷりに比べたら、果たして日本のボクサーなどテングのウチにはいるのでしょうか?海外のボクサーがキャンペーンの記者会見やフェイスオフのシーンで話すことも結構ナルだったりテングだったりするもんですが、それは同時に危険に身を晒す者のみに許される特権でもあるはずです。
というわけで今年はテングでナルな井岡君に更なる飛躍を望みたいと思います。ゴチャゴチャ言う奴は無視してわが道を行って欲しいもんです。
内山と三浦の再戦がなんで内山にとってビッグマッチみたいな感じになってしまうんだ?と不思議な(旧徳山と長谷川が好きです)
ウチ猫さんが前日計量について触れられたので、自分も別の視点として意見発信したいと思います。
コメント欄で書いたのですが、長文過ぎてはじかれてしまって記事投稿になりました。ブログ管理者の一人としての特権であります、お許しください(笑
先のIBF、WBA統一戦におけるソリスの大失態、大晦日の宮崎選手減量失敗によるショッキングな報道と続いて、ここのところボクサーの減量や前日計量について巷でも疑問視する声が聞かれますので、自分なりに考えてみました。
先ず、当日から前日計量に変更された背景には欧米でのボクシング廃止論があったと自分は認識してます。
安全管理の名目ではWBCのラウンド数変更が先にありましたね。
世界戦において長きにわたり15回戦制が確立していた訳ですが、そう忘れもしないWBAライト級戦での悲劇です。
マンシーニとの壮絶な打撃戦の末敗れた金得九の悲劇がボクシングの安全管理について大きな問題提起となったのは間違いない。
これは後に映画にもなりましたが、金選手の肉親やこの試合を捌いたレフェリーまで自殺するというショッキングなニュースは英国を中心にした90年代後半のボクシング廃止論(以前からあったがこれを機に一気に再燃)に繋がる訳です。
はじめに問題視したのはWBCで世界戦におけるラウンド数の変更にWBAが追随。
さらにグローブ重量の変更、計量時間の変更と繋がって行くわけですが、ボクシングがスポーツとして生き残る為に競うように両団体でルール見直しがあった。
これを境にボクシングという競技そのものが大きく変わったとも感じています。
安全管理の根拠を元にというより世論に過敏になっていた、世論に対するアピールの時代だったと思います。
この歴史認識に間違いがあったならゴメンナサイですけど。
余談ですが、昔の(ルール変更前の)ボクサーと今のボクサーとどちらが強い?というファンにとっては楽しいテーマがありますが、それぞれのルールにアジャストしたスタイル、戦法戦略があった訳でこれを勘案しないと想像に過ぎないにしても、これだ!という答えは中々出て来ない。
さて今ではラウンド数もグローブ重量の変更にもその根拠について懐疑的な声はありますが当時、前日計量については専門誌か何かで「選手の体力回復がリング禍防止に繋がる」と読んだ記憶がありましたが、「あくまでも実験的にと言う事でそれが立証されるのはこれから」という内容だったと思います。しかし、変更後に事故が増えたことは事実として周知されてますね。
前日計量で選手の体力が大幅に回復するというのは容易に想像出来ましたが・・。
試行錯誤の歴史は無駄ではないと思いますが、良い結果が出無いのであれば原点に戻る勇気も必要と自分も思います。
しかしその反面、大幅に体重を戻してリングに上がる選手が大半で、そもそもの階級制スポーツとして疑念が湧くと言う事についてですが、良く良く考えれば当日計量の時代でも同じ事は言えたと思います。
昔のボクサーは比べるとやはり体が頑健だったのか、20kg近いといわれた減量の代表?ファイティング原田さん、ガッツ石松さんなどは計量後の僅か6時間後には半分くらい体重を戻したとどこかで聞いた記憶があります。
世界チャンピオン故大場政夫さんもフライ級(50.8kg)でありながら試合ではフェザー級(55kg超)くらいあったんじゃないでしょうか?
しかし、増量の中身はほとんどが水分。「乾いたスポンジに水が浸み入るよう」という表現がありましたが、過酷な減量で削ぎ落された筋肉が瞬間で戻る訳じゃないですね。
これも余談ですが考えてみると、今のボクサーと比べると昔のボクサーはリングインの時には既にたっぷりと汗をかいてました。これをもって最近は汗をかかないでリングに上がる選手が多いなと感じてましたが、以前のボクサーのそれはウォームアップだけで急激に摂取した余分な水分が流れ出た結果なのかも知れませんね。
だとすると必要なミネラル分まで失われていた可能性もある。
これは激しいスポーツをある程度やってた人なら経験上でも危険な事だと解っているはずです。
減量の目的は一般的に体格の利とも言われますが、それは本末転倒で本来は通常時の余分な脂肪と水分を抜いて戦える体を作る事。
自分の時は「ボクサーはサラブレッドと同じ」と教えられて来ました。
確かに減量を行う事により集中力も研ぎ澄まされ、体のスピードやキレも増します。
階級制の一番の要点はその階級に適した斤量=筋量であるかだと思います。
前日計量後の24時間で適正階級以上の筋量が増量されるかといえばそれも考えにくい事から、前日計量が階級制の否定には直ちにはつながらないのではないか?
こうして考えてみるとボクシングの階級制の本来の意味やまた前日計量の体力の回復という目的のメリットも見えてくる気がします。
ただ、これまでの過去の過酷な減量信仰は蔓延していて、間違った常識として伝わった可能性は大いにあると思います。
それだけでなく、ジムの戦略やテレビを含むメディアにも絡んで、選手に過酷な減量を強いる現象が起きてしまった。
2009年の日本ミニマム級王座決定戦の悲劇も記憶に新しい所ですが、それを受けてかその年7月に発行されたJBCセコンドマニュアルには啓蒙のその大半が選手の健康管理にあり、減量の危険性や正しい取り組み方について事細かく書かれてありました。
読んで感じた事は選手とボクシングを守るという理念が常に根底に流れていること。
現在はそれが生かされていないと心を痛めます。
ここに至って、当日か前日かよりも減量の本来の目的を浸透させること、その正しい方法を探るところに階級制スポーツとしての正統性と、何より選手を守る為に必要な議論があるのではないか?と思えて来ました。
選手をあんな状態でリングに上げる感覚が信じられない B.B
皆さま、あけましておめでとうございます。
今年は色々な意味で重要な年となりそうで、私たちも更に頑張って参りますので、よろしくお願い致します。
さて、小汚い中年オヤヂにとって「初夢」なんて言葉を口にする機会はもうないのですが、まったく個人的な、ボクシングに関する「夢」というか「妄想」を年頭にご披露しようかと思います。
大した内容じゃないので本当はフェイスブックに書こうかと思ったんですが、あれはあんまり長い文章は適さないようで、こちらで書かせていただこうかと。特に意味のない駄文の垂れ流しなので、私のような「何か読んでないと落ち着かない」という活字中毒者の方にはちょうどいい時間つぶしになるかもしれません。
さて、私は試合は見れなかったんですが、大晦日の大阪で、ミニマム級王座を返上した宮崎亮選手が、KO負けで初黒星を喫したそうですね。
なんでも前日の計量では立っていることすらできず、全裸のままの彼を何人かで持ち上げて秤の上に乗せてやっとパスしたとか。その時点でこういう結果を予想した人も少なくないでしょう。
最後どうしても落ちない分は血を抜いたなんて噂もありますが、こういうのを見るにつけ私は、現在行われている前日計量はいかがなものか、と思ってしまいます。
そのココロは「いや、そういうルールなんだから調整ミスした選手が悪い」とか「前日であそこまでひどい状態なら試合中止も考えるべき」とかいうことを議論したいわけではなく、「減量をして試合に臨む」というボクシングの大前提自体が、私にはどうにも納得できない、ということなんですよね。
こんなこと経験者でもない自分が言うとメチャクチャ怒られそうですが、ボクシングをスポーツ・パフォーマンスとして捉えた時、その質を低下させてる大きな要因が「減量」ではないか、言い換えれば、「減量」という習慣さえなければ、今よりスピード感もありパワフルでもある、もっと素晴らしい攻防が見れるのではないか、と思います。
これは勿論、階級制を否定しようというわけではありません。柔道では「柔よく剛を制す」の精神にのっとり、無差別級の勝者が一番強いという考え方もあるようですが、さすがにボクシングでそれは成立しないでしょう。
ですから体重で分けるのはいいんですが、「試合(計量)に向けて、普段の体重から何キロか落とす」という行為をやめて、普段の体重で皆さん試合に出ましょうよ、と思うんですよ。
試合に向けて10キロ以上の減量をする選手もいれば、普段からリミットとそう変わらない体重を維持する選手もいますが、大なり小なり減量をすることによる悪影響があると思います。筋肉を落とさざるを得なかったり、練習の疲労以外に減量による疲弊を考慮しなければならなかったり。
どんなスポーツでも、選手は試合に向けて鍛えに鍛えるわけですが、ボクシングの場合は、人によっては一時的に半病人みたいになってしまうプロセスが試合直前に組み込まれているというのが、自分はおかしいと思ってます。
ガンガン飯を食ってガンガン鍛えて、もうこれ以上ない!という出来ですべての選手が試合に臨んだ方が、絶対に内容の質も上がるし、事故の確率も減るのではないかと。
その、ガンガン食ってガンガン鍛えてリングに上がる直前の体重がどのくらいか、というのを以って、自らが参加する階級にするべきだというのが自分の考えです。
しかし、現行ルールのままでは、いくら過度の減量を戒めようと思っても限界があります。少しでも体格の利を生かしたいと思うのは人情ですから。
そこで、ルールを変えることによって選手の行動をコントロールしようとしたら、これは必然「当日計量」にするしかない、という結論になるでしょう。
そして私の考える当日計量とは、もうホントに試合直前、3時間前くらいにしたいと思ってます。いつもの後楽園の興行でいえば、14時頃から第一試合の選手の計量を始め、その後は順次、出場順にやっていく感じで。
昔の選手は朝計量を済ませてビフテキ食いに行ったなんてよく言いますが、そのビフテキを食った状態での体重を測るべきだと。
そうすればリバウンドのしようがありませんから、ほぼ同じ体重の選手が戦うことになり、階級制にした本来の目的が達せられると思います。
というか、現行の前日計量を採用してる以上、階級制の意義はかなり棄損されていると言わざるを得ません。だってそうでしょう。軽量級では2キロ未満くらいで細かく階級が区分されているのに、リバウンドの大きい選手と小さい選手が対戦したら、当日のリング上では3キロくらいの差がつくことは珍しくないですから。これで「同じ計量をパスしたんだから同体格の選手同士だ」というのは、役所や政治家のセリフと一緒。形式・建前ばかりで実が伴っていないと思います。
「試合前日の計量時間」という、その一瞬のみ同条件で通過したというだけで、それまでの減量過程もバラバラなら、本番までの増量も(IBF等の例外も若干あるとはいえ)バラバラ。
しかもその減量・増量の過程で少なからずコンディションに影響が出る可能性があるわけで、そのような「足枷的要素」は、無ければ無いに越したことはないと思うのです。
では、当日計量にした場合のデメリット・リスクは何かといえば、ウェイトオーバーした選手が出た時に、帳尻合わせる時間が少ないということでしょうか。しかしこればかりは、いつ計量を行っても起こり得る問題ですので、選手たち個々にしっかり準備してもらうしかありません。
ただ、準備すべきウェイトにある程度幅をもたせておいた方がそうしたリスクは減ると思いますので、この際「スーパー」を取っ払って、クラシック8階級にしちゃえばいいじゃん!というのが、当日計量とセットで私が考えていることです。
前述したように、すでに当日のリング上では、3キロ以上の体重差がついてることも普通にありますし、「ひとつ階級が違うと天地の差とか言いますけど、実際2、3キロの差は大したことないですよ」というようなことを複数の元選手の方から聞いたこともあります。
だったらもう、昔ながらの4~5キロ刻みで階級分けすれば体重管理も楽だろうし(それでも失敗するヤツはほっときましょう)、王座の数も半分で価値も上がるし、選手の密度も必然的に倍になりますから、これは熾烈な戦いが見られますよ。
それぞれの試合を単体で考えた場合にも、「体の都合・自然の摂理に反した」減量が無い分、選手のコンディションは最高でいい試合が期待できるし、そうした選手たちが争う王座への道も険しくなって、より白熱したサバイバルが見られる。良いことずくめだと思うんですがいかがでしょうか?
しかしこれ、「減量なんてバカなことやめちゃえば?」とも受け取れる内容なので、特に選手として過酷な減量を経験した方などには本当に怒られるかもしれません。
それでも「同じくらいの体格(体重)同士の中で誰が強いか?」という、ボクシングにおける根源的な問いに対する答えを出すには、余計な要素が絡む現行制度より、私の案の方がシンプルでわかりやすいと思ってるんですけどね。
繰り返しますが、これはこのブログ全体で取り上げてるテーマでもなければ、何か重要な問題提起というわけでもありません。
漠然と自分が頭の中で「こんなんどうだろな~」と考えたことを、資料などにもあたったりせずに書き散らかしただけなので、反論・ご批判等お寄せいただければ幸いです。
皆さま方にとって、またボクシング界・選手たちにとって良い年になりますように。
猫年がないことが本当に納得できない(ウチ猫)