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HARD BLOW !

高山勝成選手のJBC復帰について思うこと

 トレーナーである中出博啓氏のサイトにおいて、6月22日付けで発表されていたIBFミニマム級チャンピオン高山勝成選手のJBC復帰ですが、時事通信や主要スポーツ紙でも続々と報じられてきています。当のJBCからのアナウンスがまだ無いので、決定とはいえない段階ですが、ほぼ本決まりと思って間違いないのでしょう。

http://boxing.seesaa.net/archives/201306-1.html

http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2013062200177
http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130622-1146028.html
http://www.sanspo.com/sports/news/20130622/box13062211440000-n1.html

 様々な困難を乗り越えて、日本人としては21年ぶりの海外奪取という偉業を果たした高山選手が、日本のファンの前でボクシングが出来る環境に戻れたことはまずは大変喜ばしいことだと私は思います。

 つまらない方の月刊誌がお題目のように唱えてる、いわゆる『業界の秩序』を破ってIBF認可の直前に海外で戴冠した事については、業界内には異論・雑音もあるかと思いますが、ファンとしては「勝って運命を開いた」と言うシンプルな側面にこそまず感応してしまいます。  

 思えば野茂英雄が近鉄バファローズを任意引退扱いで退団し、メジャーリーグに挑戦した際も偏狭な球界OBや報道人から様々な批判が起きたものでした。曰く「我がまま」「秩序破壊」「フォームが変則だから通用しない」(実際は変則ゆえに活躍出来た)「四球と盗塁で自滅する」(実際は二回のノーヒッターを達成)等々。その後野茂が「通用する」どころでない活躍を見せ始めると、批判者がコロッと掌を返したのは御記憶の通りです。

 決して我を曲げない生き方で批判者を沈黙させた生き方は、彼のピッチングにも通じる愚直なものでした。その感性は高山勝成選手にも通じるものであると私は思います。海外の世界戦でなぜ日本人は勝てないのか?高山選手と陣営のチャレンジは、日本のボクシング業界の商慣行からすれば、一見して「無謀な」ものなのでしょう。しかしそういう無謀さに挑む感性と、リング上での強さには相関があるのではないか?というのが従前よりの私の仮説であります。空気を読んで、八方美人でいる人間には決して出来ない仕事があるのではないかと。

 多くのNPBの選手達が、野茂のつけた道を通って、チャッカリと彼とは比較にならないような大型契約を結んでいきました。江夏豊氏が「野茂以外は全員カネや」と喝破したように、野茂が冒したリスクは特別なものでした。一人の人間の挑戦が地殻変動を起こし、業界のルールすら変えてしまった。野茂の活躍によって、ファンも選手も業界人もマスコミも「日本以外にも広大な野球の世界がある」ことを知ってしまった。知ったからこそ戻れなくなったということでしょう。
 
 高山勝成陣営の冒険は日本のボクシング史においてはとても重要な事件であり、それを記憶して語り継いでいくことが本来はメディア・著述者の仕事ではないのかと今一度言っておきたいと思います。そして復帰後の冒険の続きを、一ファンとして注視して待ちたいと思います。

 それと、当HARD BLOW!としてはやはり高山選手が「新コミッション構想に連座した」とJBCに名指しされたことに言及しないわけにはいきません。当時選手・陣営ともブログ等ではっきりと否定はされていますが、未だに安河内・谷川両氏の裁判は継続中です。この奇妙な事件の実相はどうだったのか?現時点での高山陣営の見解はどうなのか?ということを聞いてみたい。

 高山選手の競技生活が最優先であり、その他の舞台裏のゴタゴタはもうええねんという心境かも知れませんが、高山陣営の肉声によって霧が晴れることは多々あるかと思います。是非なんらかの情報発信をお願いしたいです。

 ジョイとの再戦と言うカードも見てみたい(旧徳山と長谷川が好きです)


ありがとう

是非皆さん下のリンクをご覧ください。

夢を追えないボクシングなら未来はない・・

http://www.l-kid.com/msg.html

高山選手のブログからですが、素朴な言葉に想像を馳せる事も当時はありませんでした。
軽薄な言葉が蔓延した世の中に自分が慣れて切ってしまっていたからだと思います。
しかし、彼らはそのメッセージを今真実の魂の言葉にして、平凡にして鈍感な自分にも余りに解り易く伝えてくれました。
そして、言葉は体現して初めて庶民の心の奥底に伝わる事までもあらためて教えてくれた。

僕らのテーマであるボクシングとは何か?ボクサーとは何か?
答えがそこにあります。

日本ボクシングの歴史に燦然と輝く高山選手の偉業は、単に海外王座奪取を果たしただけで無く、真のアスリートとして、魂の体現者たる資質を具えていた事を証明した事です。

リングで輝くボクサーを僕らは無数に見て来た。
しかし、これほどに生き様を通して心を揺さぶられたボクサーはなかった。

日本にはいまだアリは存在しません。
しかし、自らの哲学を貫き通し証明したという意味で、小さなそして無口なアリが出現したと言って良い。

この偏狭な日本ではこの偉業を正当に評価し理解する人は少ないかも知れない。

僕らはファンは、後世のためにもそれを守らなあかんのです。

僕は「カツナリ・タカヤマ」の偉業を生涯忘れません。

B.B

観戦記 ピーターソンvsマティセ 20130623

マリナージvsブローナー戦を前に最近の中量級の試合を振り返ってみた。

●ラモン・ピーターソン(アメリカ)vsルーカス・マティセ(アルゼンチン)
<IBF・Sライト級王者とWBC・Sライト級暫定王者のノンタイトル戦12回戦 2013/05/18>

長身と長いリーチ、速い足で距離をとって戦うピーターソンに対し、接近して打ち合いたい強打のマティセ。

立ち上がり、足を使って距離をとり左ジャブで様子をうかがうピータ-ソンに対し、マティセはヘッドスリップでかわしながら距離を詰め、鋭い踏み込みで左右のストレートを打ち込む。

試合は2Rに早くも動く。ピーターソンが不用意な距離に出たところをマティセが右のクロスカウンター。これがピーターソンのテンプルにヒット。チャンスと見たマティセがピーターソンを追撃。左フックがピーターソンの側頭にかするように当たり、ピーターソンがダウン。ピーターソンは何とか立ち上がるが、ダメージは深く、3Rに二度のダウンを奪われたところでレフェリーがストップ。



マティセ強し!

何より驚くのは目の良さ。ピーターソンのジャブをかわすヘッド・スリップ。ガードは低いが、必要な瞬間に上げて相手のパンチをブロック&パーリー。無造作に戦っているように見えるが必要最小限の動きで相手のパンチを防ぎ、攻撃につなげている。

パンチは肩に力が入らずスムーズに打ちだすのでスピードがある。インパクトの瞬間に手首の捻りを利かせると同時にウェイトを伝えている。相手としてはモーションがない分軽いパンチに見え、その実威力があるので、実質カウンターになっていると考えられる。

2Rの右クロスカウンターに見られる、相手のスキを見逃さない集中力、冷静さ、勝負強さ。

ダニー・ガルシア、ブローナーらとの対決が楽しみである。



●デボン・アレキサンダー(アメリカ)vsリー・パーディ(イギリス)
<ウェルター級ノンタイトル12回戦 2013/05/18>

元々IBFウェルター級タイトル戦だったが、挑戦者パーディ〔20(13KO)-3-1〕がウェイトをつくれずノンタイトル戦に。アレキサンダー〔24(13KO)-1-0〕は勝っても防衛階数を伸ばないオイシクない試合。

サウスポーのアレキサンダーは右を自在に使ってパーディを攻める。フックを顔面と脇腹に、アッパーを顎にヒット。

パーディはガードを固め、短い距離で打ち込むストレート、フックに威力ある選手だが、アレキサンダーにガードの隙間から打ち込まれ、前進するもののほとんどパンチを出せない。

パーディが打たれ続けて7R終了後、鼻血が出た時点でセコンドが試合放棄をレフェリーに伝える。

アレキサンダーのワンサイドだが、あれだけ打ってダウンがとれないというのは当てるのは上手いが効かせられないということか。体の軸を中心に回転を利かせて打てばパンチにキレが出るとはジョーさんの言。

アレキサンダーはハァッ! ハァッ!(これに濁点をつけたい)と声を出しながらパンチを打つ。国によっては禁止だそうで日本は禁止らしいが、私はよいのじゃないかと思いました。



●リッキー・バーンズ(スコットランド)vsホセ・ゴンサレス(プエル・ト・リコ)
<WBO世界ライト級タイトル戦12回戦 2013/05/11>

バーンズ〔36(11)-2-0〕は178cmの長身。アップライト・スタイルから左ジャブを伸ばし右ストレートを打ち降ろすガッツあるファイター。Rマルチネスを破ってSフェザーも制覇している。

ゴンサレス〔27(17KO)-0-0〕は紹介映像を見る限りハンド・スピードがあり回転の速い連打で相手を打倒す選手。今回初の国外での試合。

立ち上がりバーンズは得意の長い右ジャブと左ストレートで攻める。ゴンサレスは冷静にディフェンスしながらバーンズの打ち終わりにパンチを合わせる。バーンズが前に出て、ゴンサレスが下がるという展開ながら、クリーン・ヒットはゴンサレスがわずかに勝り、序盤はゴンザレスペース。中盤6,7Rには強い右でバーンズにかなりのダメージを与える。

ところが8R、急にゴンサレスの動きが鈍る。打ち疲れなのか何なのか、腕を上げるのもつらそうな状態でバーンズの前進を許す。9Rもゴンサレスの勢いは戻らず、10Rのゴング後、自らギブアップの意思表示。9Rまでジャッジは三者ともに87-80をつけていたため、ジョーさんは「残り3R続けて9-10でも判定で勝っていた。諦めてはいけないんですね」と言ったが果たしてどうか。

バーンズは命拾いの勝利。ゴンザレスは優れたテクニシャンだが、フィジカル面で世界王者にふさわしくなかったのかもしれない。

バーンズは技術も体力もあるが、一生懸命なファイトぶりが好感が持てる。

※ Boxrecによればゴンサレスは手首の負傷を訴えてリタイアとのこと。



●セルヒオ・マルティネス(アルゼンチン)vsマーティン・マレー(イギリス)
<WBC世界ミドル級タイトル12回戦 2013/04/27>

マルティネス〔20(28KO)-2(1KO)-2〕は膝の手術からの復帰戦。マレー〔25(11KO)-0-1〕はWBA同級暫定王者。

序盤戦。マレーはアップライト、高く固いガードを保ち、なかなか手を出さない。マルティネスのカウンターを警戒するとともにスタミナ温存で後半勝負か。

カウンターを狙うマルティネスはノーガードでマレーを再三挑発。右リードと速い踏み込みから左ストレートを軽くヒット。

マレーがほとんど手を出さず、ポイントは攻勢のマルティスに。チェベスjr戦と同様の展開。

マレーは徐々に距離を詰め手数を増やし、8Rには右ストでマルティネスからダウンを奪うが、追撃なく、結局終盤自らもスタミナ切れ。

判定は3者とも115-112でマルティネス勝利。

マルティネスは復帰戦&地元凱旋などで多少消耗した面があるだろうが、私は年齢的な衰えを感じた。もうゴロフキンには勝てないかもしれない。

サッカー場で行われたこの試合。マルティネスがフットボールのメッシを差し置いてアルゼンチン国内最優秀スポーツ選手に選ばれたことなど、試合内容以外で盛り上がった一戦だった。

byいやまじで

(追記 マリナージvsブローナーはSD判定でブローナーが勝ちましたが、ブローナーの手数が少なかったのはマリナージのパンチをガードした腕がダメージで重くなっていたからではないかと思いました。ウエルターでは絶対的に強いとまでは言えないですね。)

アマ・プロ対決 『村田ルール』VS公益認定

 最新号で『日本ボクシング界の秩序を守るために』と言う、何が言いたいのか分からない珍妙な記事をわざわざ見開きを使って掲載し、一部読者・関係者を大いにポカーンとさせたボクシングマガジン誌。一方、競合誌であるボクシングビート誌は「アマ協会が選手から『プロへ行かない』という誓約書をとる方針だ」と言う、あらゆるファン・関係者にとって重大な規則変更-いわゆる『村田ルール』-の詳細を一般誌・スポーツ紙に先んじて報じ、専門誌の面目躍如となりました。専門誌には、このような貴重な情報にこそページを割いて欲しいと私は思います。それは多くのファン・関係者にとっても同じでありましょう。

 さてその肝心の『村田ルール』はと言えば、「これって憲法違反じゃないの?」と思わざる得ない時代錯誤なシロモノで、到底広汎な支持を得られるような内容とは思えません。軽い気持ちで近所のプロ非加盟ジムや高校のボクシング部に入った少年が、一生十字架を背負うようなルールは大変問題があるものです。30%という『搾取率』じゃなかった『マネジメント料の比率』や、引退後に移籍を制限される2年という年月の根拠も不明で、失礼ながらいい大人が議論して決めた内容とは到底思えません。
 このルール変更の異様さの根底には、村田諒太選手のプロ転向に関してアマチュア側の面子を潰すような何かがあったことは想像に難くないわけですが、かといってこんな個々の選手・現場の指導者にしわ寄せがいくようなやり方は明らかに間違っています。「アマはプロの育成機関・下請けじゃないぞ」「五輪金という実績は、プロ選手の箔付け材料じゃないぞ」という憤懣は正当なものだとは思いますが、それをスポーツを健全化するオピニオンとしてでなく、いきなり生臭いゼニカネの話として打ち出してしまっては世間はドン引きするのみです。
 それもこれも、ロンドン五輪でのダブルメダル獲得によって『終身会長』というモノ凄い肩書きを得た山根明氏の絶大な威光が、他の理事の皆さんの判断をゆがめていることが原因ではないのでしょうか?日本ボクシング連盟の皆様には、どうか怒りを一旦置いて冷静になって頂きたいと、生意気ながら意見させて頂きます。そうでなければ主張自体が世間に届きません。
 それとこれは個人的な心配ですが、フジテレビ・三迫・帝拳・電通・トップランクという中間搾取の多重連結状態でプロに漕ぎ出す村田選手は正当な報酬が得られるのかいなとこちらも心配になります。さらにアマ側が「こっちにも分け前を」と言い出したとなればますます事態は複雑化するでしょう。今となってムナシイだけですが、なにかこうもうちょっと円滑にやる方法があったのではないだろうかと思えてなりません。

 さてそんなアマ側の迷走(と言っていいと思います)が話題をさらう影で、プロ側でひっそりと結構重大な制度変更がアナウンスされました。JBCのホームページの「告示 平成25年6月14日」から引用します(以下引用)

平成25年7月1日、財団法人日本ボクシングコミッションが一般財団法人日本ボクシングコミッションに移行後は、従前の健康管理基金制度を廃止し、新たに健康管理見舞金制度を創設し、平成25年7月1日(月)より実施する(引用以上)

 なんとJBCは2008年以降の公益法人格の見直しに伴い、7月1日以降一般財団法人に移行するらしいのです。ならばこの制度変更は公益事業の整理統合措置でありましょうか?この制度変更が改善なのか改悪なのかは、私はまだ勉強不足で分からないのですが、少なくとも健保が使えず自己負担額100%になる外国人選手がもし深刻事故に遭って手術と言う事になれば、10万円では到底足りないでしょう。その場合誰が医療費を負担するのかは問題になると思います。あるいは試合後体調が悪い選手がいても、「国内で倒れられても面倒だから、医者に見せずに速く国に帰らせよう」という発想になりはしないでしょうか?公益指定を得られないことで選手の安全が犠牲になるような事態はあってはならないと思います。

 思えば、大相撲の八百長スキャンダルの時に相撲協会がとにかく拘ったのが、NHKのテレビ中継と公益法人格の維持でありました。そんな公益法人格をアッサリ手放してしまうJBCの行動は私には不可解です。勿論「公益指定なんかわずらわしいだけで大してメリットないよ」という見方にも当然一理はあるのでしょうが、税制面の優遇だけでも充分なメリットではないかと私は思います。そもそも、認証が困難だと言う公益法人格自体が業界の先人の遺産であり、それを手放すに当たって議論が尽くされたのだろうか?という疑問もあります。今月号で「ボクサー・練習生が払った金をムダ使いするな」と、大仰に嘆いていたつまらない方の専門誌あたりは、公益指定が外れたことでJBCの財務内容がどう変るか、来月号当たりで伝えて頂ければ、読者も少しは見直すかも知れません。ま、もう手遅れか。

 専門誌二誌が来月号でこの問題をどう報じるか?報じないか?にも注目して成り行きを見て行きたいと思います。

 「村田ルール」と言う名前は村田には迷惑だろうと感じる(旧徳山と長谷川が好きです)

梅雨の読書感想文 ボクシングマガジン2013年7月号

 現在、プロ野球の統一球問題が大変な話題となっています。株価や事件報道を差し置いてトップニュースとして報じているニュース番組を見ると「人気低迷なんて言われているけどやっぱり日本人は野球が好きなんだなあ」と再確認せざるを得ません。報道された加藤良三コミッショナーの「知らなかっただけで隠してたわけじゃないから良いでしょ」と言わんばかりの態度は、「トップが『知らなかった』で済まないでしょ」とファンを大いに呆れさせました。昨年まで出なかったホームランがポンポン出てれば「なんかおかしいなあ。ボールが変ってんじゃない?」という疑問を持つのが当り前だし、その疑問を検証するのもコミッショナーの大切な仕事です。競技の公正・公平・透明性を確保するのがコミッショナーの仕事であり、隠蔽や居直りはもっともやってはいけないことです。

 もっとも2004年のオーナー主導による一リーグ化画策時に、当時コミッショナーだった根来泰周氏が「私には権限がない」と問題解決から全力逃亡した姿を憶えているプロ野球ファンにとっては、『コミッショナーなんか期待するだけ損』な存在なのかも知れません。桑田の暴露本が出た時に「これでも読め」と新渡戸稲造の本を桑田に贈った吉國一郎とか、どうでもいいことするのがコミッショナーというイメージであります。
 無力なコミッショナーに代わって、大儀なき一リーグ化と一部オーナーによるプロ野球私物化を阻止する原動力となったのはファンによる大衆運動でした。選手会によるストを支持し、巨人軍中心の旧弊なビジネスモデルに拘るスポーツマスコミに対する論陣を張ることで2リーグ制を堅持出来たことで、楽天と日本ハムという地方球団が生まれ、交流戦が始まり、プロ野球文化と市場がより拡大することとなりました。公共財・大衆文化であるプロスポーツをコミッショナーを含む一部関係者が私物化した時誰がそれを批判するのか?それは本来メディア・ジャーナリズムの仕事なのですが、それが機能しないどころか癒着して一体化している場合には、ファンが声をあげるしかありません。プロ野球のような選手会がないボクシングであれば尚更のことです。

 さてここからが本題です。プロ野球の一リーグ化問題よりももっともっとスケールの小さい、セコイ利権のお話です。舞台は本日2013年6月15日発売のボクシングマガジン誌(以下BM誌)7月号の94、95ページ。展望なき組織防衛だけしか能のないJBCトップと、それにシッポをふる茶坊主マスコミが共同作業で育てた『奇妙な果実』が、突如ボクシングファンの頭の上に落ちてきました。「日本ボクシング界の秩序を守るために」という大仰なタイトルのその記事は、「金払って買う商業誌に載せるようなもんかいな」と読者の脳内に戸惑いの『?』を浮かび上がらせること請け合いの珍品となっています。
 
 以下は金をドブに捨てた一読者の読書感想文です。

 まず全体的な構造として、この記事は非常に変った体裁で書かれています。執筆者の署名はなく文責は【ボクシングマガジン編集部】となっているのですが、なぜか二名のライターのコメントを中心に記事が進行していくのです。「取材して実名出してコメントしまくる体裁なら、署名原稿書けばいいんじゃね?」という考えが頭によぎります。この不自然な体裁はもしや、文責者が「ライターのコメントを載せただけです」と言い逃れするためのものでしょうか?あるいは本来は執筆者であるライター陣が「訴訟とか起こされたらかなわんから文責は負いたくない」とこれまた言い逃れするためでしょうか?かように無責任な体制で告発記事を書いちゃう当事者のお気楽さには脱力を禁じ得ませんが、こうやって策を弄する事で逆にライター氏とBM誌両方が記事の内容に責任を負うというミラクルが起こってしまっています。何のための工夫でしょうか?

 こんな奇妙な体裁で進行する記事ですから、内容のほうもストレンジにならざるを得ないのでしょうか?JBC、BM誌、フリーの取材者(笑)それぞれの「ネガキャンはしたいけど責任を負いたくない」といういい大人にしてはムシのいい思惑に引き裂かれてか、事実の検証という建前はあらぬ方向に。飲酒検問に引っかかった酔っ払いが千鳥足なのに「まっすぐ歩いてるよ!」と強弁している姿を思わせます。

 記事の前半はHARD BLOW!が対面取材した安河内氏・谷川両氏や記事化していない複数の関係者の証言、高山のトレーナーである中出氏のブログとも真っ向対立する内容です。そもそも現在係争中であることからも主張が対立していることは予め分かっている事案です。普通こういう場合真っ当な媒体は必ず『双方取材』という原則を守ります。フリーの取材者(笑)からの取材依頼はあったものの、彼らは媒体名も明かしていません。そもそも公判においてJBCに情報提供をしている利害当事者、取材なしで記事を書いて説教かました勘違い野郎という面々では、中立的な検証記事の取材者としては不適格なのは明らかです。BM誌が安河内氏や谷川氏の話を本気で聞きたいなら、公正な取材者を派遣し反論の機会を担保すれば済む話です。そもそも記者の仕事とは被取材者の心を開いて話を聞きだすことで、それこそが職能です。話を聞けないのは記者の技術不足でもあるのです。どうしても話を聞きたい、公正な記事を載せたいというBM誌側の意欲の欠落が当事者のコメントを得られない一方的な記事の原因であると私は思います。

 記事中一番の失笑ポイントは、JBCが谷川氏(記事中のA氏ですね)の解雇理由として高山勝成選手が新コミッション構想に関与したと名指ししたことに対して、なぜかBM誌が言い訳する部分。少し長いですが引用します。95ページより(以下引用)

 高山選手の元マネージャーで自称マッチメイカーC氏が、IBF本部を訪れてピープルズ会長らと会談したことをJBC職員A氏やB氏、D氏らにメールで伝えた際のアドレスに、高山選手のサイトを思わせる英字が並んでいたのだ。しっかり読み込めば高山選手本人からのメールでないとわかるが、高山陣営やC氏に直接ヒアリングしなかったことも含め、前代未聞のクーデター計画の実態究明に際し、本来調査機関ではないJBC側に躊躇と戸惑いがあったのではないか。(引用以上)

 どこから手を付けていいのか分からない『名文』であります。ホンの数ヶ月前、海外記事を鵜呑みにし「高山がアゴを骨折」という誤報を陣営に裏取りせずに載せてしまったBM誌が、同じ高山がらみでウソを書いたJBCに「紛らわしい英字だから間違っても仕方ないよ」とエールを送る姿は、国語辞典の「同病相憐れむ」の用例に推薦したくなる親密さじゃありませんか。

 「『高山選手のサイトを思わせる』ってそりゃ単なるお前の感じ方だろ」としか言いようがないのですが、そもそもJBCと言えば海外の統括団体やプロモーターと文書で様々な連絡をする必要がある組織です。それが「英字だから間違えました」という言い訳をしてて大丈夫なのでしょうか?海外との交渉事でも「紛らわしいので間違えました」で済めばいいのですが…。

「前代未聞のクーデター計画」という表現に至ってはもはや開いた口が塞がりません。今のJBC中枢職員が、前任の安河内氏(記事中のB氏)を怪文書とゴシップライターによるヨタ記事に乗じて追い落とし、まんまと権力を掌握したのは谷川氏解雇のほんの一年前です。そんな近過去すらBM誌は忘却してしまったのでしょうか?

 記事の後半は「一国一コミッショナー制」がゆらいだことについて、白井義男さんの名前まで出してこれまた大仰に嘆いて見せるのですが、それなら2011年時点に「第二コミッション」に言及した皆さんにも同じように批判の刃を向けるべきではないでしょうか?『前代未聞のクーデター』で一国一コミッションをゆるがせた先達はお咎めなしでは余りに没論理ではないでしょうか?

 執拗に「自称マッチメイカー」という揶揄的な表現でおちょくられるC氏についての記述も変です。当時未公認であったIBFのタイトルマッチを日本で挙行したところでJBCには土台関与できないのです。谷川氏が手記の中で触れられていたように独禁法に抵触するのでJBCに国内のボクシング興行を規制する根拠はもはやないのです。ライセンサーでないC氏が当時のJBCには決して出来ないIBFのタイトルマッチを企画する事の何が一体問題なのでしょうか?ライセンスがない彼が自称マッチメイカーなら高山勝成はまだ「自称プロボクサー」なのでしょうか?JBCのライセンスがあろうとなかろうとボクサーはボクサー、マッチメイカーはマッチメイカーじゃないでしょうか?BM誌の基準では世界は自称プロボクサー、自称マッチメイカーだらけになってしまいます。

 
 JBCと連携して度重なる誤報の被害に遭わせた高山選手に、「本誌だけは味方だよ」と猫なで声で擦り寄るような記事の締め部分は、悪寒が走るような気持ち悪さです。であるならきちんと本人に取材して偉業を讃えるとともに、JBCがかつて高山選手に濡れ衣を着せた事を批判できるのではないでしょうか?こんな子供だましの論理で高山陣営を説得できると本気で考えているのでしょうか?

 それと読者の皆様に今一度喚起したい問題点は、高山選手に対する濡れ衣も彼がメキシコで敗れていれば黙殺されていた可能性があったということです。高山選手がIBFタイトルを奪取したことで、JBCには是が非でも対応する必要が生じましたが、もし高山にIBFタイトルがなければ黙殺してもなんの利害対立も起きなかったのです。高山選手を人事抗争に巻き込んで犯人扱いしたことについて未だ謝罪せず「英字が紛らわしいから間違った」とガキみたいな言い訳してる彼らの態度を見れば誠実さが微塵もないことは明らかです。

 それに付けても、彼らの行動原理にあるなりふりかまわなさは一体なんなのでしょう?どうも未だに自分達が正義の代行者だと思っているフシがあることにただただ驚くばかりです。

 もっと楽しい読書がしたい(旧徳山と長谷川が好きです)

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合17

 私どもHARD BLOW!が「安河内事務局長下ろし」に端を発する2011年からの「JBC問題」について記述するようになったのは、元はと言えば「動物には優しいけれど、人間には意外と平気でヒドい事をするゴシップライター」氏との軋轢が発端でした。その時点ではまさか当事者である安河内剛氏や谷川俊規氏に直接話を聞けるようになるとはよもや思っていませんでした。2011の早春から足掛け二年チョイ、まあ色々なことが起こりましたが、関西在住の私と関東在住の他のメンバーはそれぞれ分担して個々の事案を取材してきました。

 しかしことここに至って、原点に返る必要を私は感じています。安河内氏に根拠なき疑惑を向け、谷川氏の私生活を徹底妨害し、高山選手に濡れ衣を着せ、大沢選手の貴重な選手生命のひと時を奪うといった一連の行為(私達が知らない事案もまだあるかと思われます)は全て、安河内・谷川両氏との裁判闘争との関連が強く推測されます。JBC側の証拠や論拠の弱さと矛盾を糊塗するために、次々と新規の話題を御用ライターと御用メディアを使ってぶち上げることで目先を変え続け世間を欺いているのではないか?勿論そのような手法は証拠を精査する法廷では通用しませんが、内情を良く御存知ない市井の方や専門誌が情報源のファンや関係者には「なんかややこしい奴が暗躍してるみたいね」と言う印象を植え付けることが出来ます。いやむしろ訴訟の行方まで織り込んで「判決はともかくコイツらはボクシング界に弓引いたとんでもないワルでっせ。付き合いしたらあきまへんで」という開き直り戦術とすらとれます。このような道理をわきまえない卑怯千万な手法に積極的に関与するコミッション中枢職員と一部マスコミ人の暗躍を今一度鳥瞰することで、15日発売の号に掲載されると言うボクシングマガジン(以下BM誌)の告発記事の底意を実感していただきたいというのが本記事の主旨であります。

 まず根本的な問題として安河内氏が職を追われる原因となった「試合役員による公益通報」でほのめかされた『疑惑』はその後全く尻すぼみになり、出所不明の「フグの領収書」以外の背任・横領の証拠は何も出ていません。これまた出所不明の「キス写真」とのパッチワークで「職員を愛人にして経理を私物化している」というイメージが流布されたものの、その後確たる証拠も出ていません。路上で妻帯者が妻以外の女性とキスしてる写真は深刻な家庭争議を生む可能性は大ではありますが、証拠もなしに怪文書を使ってトップを蹴落とし職場の実権を乗っ取るという行為の方が道義的にはマズいんじゃないのかという気がしますがいかがなもんでしょう?
 その時点での安河内氏の不正を告発する記事の主役となった「複数の人格を使い分けることで幾多の名文をモノにされてきた人気ライター」氏が「王子様のようないでたちが眩しすぎて、リング上のボクサーより目立っちゃう試合役員氏」と非常に近しい関係であったことはファンの間でも周知の事実です。「『格闘技経験者』でありながらファンを騙して自分の弾除けに使っちゃう」「ことあるごとに秘密結社に自分が狙われているかのような虚言を弄して多くの人を欺いてきた」「この人にしか話してないことがなぜか翌日2ちゃんねるに出てしまう」ような、胡散臭いライターの獅子奮迅の活躍によって、JBC事務局長の地位を追われた安河内氏は閑職に追いやられ結果的に解雇されることとなりました。その解雇要件がおなじみ「新コミッションの画策」。15日発売のBM誌にどのような爆弾情報が掲載されているのか当方の関知するところではありませんが、まず彼を失脚させた手法が恐ろしく卑劣なものであったことは記憶しておくべきだと思います。そして解雇不当・地位保全という基本的人権に関わる重要案件を争っている局面においても、「アイツらはボクシング村の秩序を乱した極悪人ですよ」という論理をしか主張できないJBC中枢とBM誌の人権感覚・社会常識・教養の欠落振りにはただただ呆れるのみです。彼らによると「第二コミッションの画策」は万死に値するような悪行のような扱いですが、であるならば公益通報の後「第二コミッション」の言及した現JBC中枢の皆さんこそまずは自らの罪過についての率直な見解を出して欲しいものです。

 私生活を暴く怪文書と虚偽の理由をもって気に入らない上司を排除し「アイツが辞めないなら俺達は新しいコミッションを作るよ」とゴネていたのは自分達じゃないのですか?そしてこの様な近過去との整合性すら指摘できないBM誌の論理欠如は目を覆うばかりです。本来の調査報道・検証報道とは原因にまで遡り背景を探り出した上で、的確な分析を加える事です。「JBCがなければプロボクシングは無い」「JBCが認めなければプロボクサーではない」というような近視眼的な利害計算で係争の一方当事者を取材もなしに貶めるような記事を掲載するのみならず、訴訟にも当事者として参加してしまうような態度は報道機関としての自己否定です。しかし考えて見たらこれこそベースボールマガジン社のDNAなのかしら?という気もします。最近「ジャイアント馬場から金を貰ってSWSに対するネガティブキャンペーンをしてました」と告白したターザン山本氏が編集長を勤めていた「週刊プロレス」もベースボールマガジン社の雑誌です。読者をミスリードするのが本来の姿で、ジャーナリズムだの人権だのといった高尚なお話はハナから無理な会社なのかも知れません。そう考えればBM誌の編集方針も納得であります。

 今一度言わせて頂くと、相撲協会や柔道連盟でも情実人事とスポーツマスコミとの馴れ合いが、腐敗の温床となりました。今JBCで進行しつつあることと見事に相似形である、と私は思います。

 関西の夏が大嫌いな中年(旧徳山と長谷川が好きです)
 

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編6

 昨日も当サイトとしては大変多いアクセスを頂きました。とはいえ当方の影響力など、所詮『ボクシングマガジン』様に比べれば屁みたいなもんではありますが、読者の皆様におかれましては是非読み比べて頂きたいと思います。(旧徳山と長谷川が好きです)

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谷川俊規氏御本人による手記

 さて、私の手記も今回で打ち止めとなります。15日にボクシング・マガジン(以下BM誌)が出た時に、比べる材料をボクシングファンには提出しておきたい、その一念で全6回の手記を寄稿させて頂きました。15日の原稿でどの程度、名誉毀損などがあるか、でまたこういう機会、もしくは別の形で自分の思いは発表させて頂こうと思っています。言論には言論で、司法には司法で。時にはこれが入り混じるから困ったものなのですが(笑)。
 最後とあって、これを書き落としたら悔いが残る、というものを確実に書いていきます。BM誌とJBCの関係で、これは許せない、と私のみならず、私と懇意の記者仲間も怒りを隠さなかったのが、例のBM誌3月号。「大沢選手」の話ではありません。BM誌が選ぶ日本各地区年間表彰と題された記事の54ページ。西日本のナイス・レフェリー賞に、C氏が選ばれていたことです。ベテランのボクシングライターでもある友人の記者は「え、それはないよ!」と絶句していました。なぜ、それはないのか。それは昨年5月5日の関西で行われたボクシング興行に遡らないといけません。
 この日行われた試合で、あわやリング禍の事故が起こりました。敗れた選手が一命を取り留めたのは、本当に良かったのですが、この試合のレフェリーがC氏でした。白熱した試合で、止めるタイミングが難しかったのは認めますが、一時は担ぎ込まれた病院で意識不明の状態が続く事故となった事実は消えません。開頭手術も当該選手は受けています。年に、一度でもあってはいけない事故。それを裁いたというだけで、少なくともその年の「ナイス・レフェリー」、などではないのは明らかです。そのC氏を選出していたのが、AとBの2人でした。
JBC職員として、一番肝に銘じなければいけない試合管理の部分。当該のC氏はJBC職員でもあります。C氏は選出に罪はない。AとBの責任です。関西には他にも多くの優秀なレフェリーがいます。どうしてわざわざ、起きてはならない事故となった試合を裁いたレフェリーを選出したのか?CがJBC職員だから選んだとすれば、AとB、そしてBM誌のJBCへの盲目的な「愛」を疑われても仕方ないでしょう。
さて、ここを読む方の関心のひとつにIBFのことがあると思います。それについても、兼ねてから私が持っていたひとつの資料を提示したいと思います。手に入れたのは1997年7月。IBF日本ボクシング連盟が活動を再開したばかりの頃です。その資料は私宛で、会社(時事通信社)に送られてきました。そこには、1991年4月30日付けの「公正取引委員会公審第26号」の写しが添付されていました。JBCとJBA(のちのJPBA)に対して、公正取引委員会が「独占禁止法に違反することのないよう、注意しました」とあります。注意の具体的内容も、同封されていました。
長くなるのを避けるために、簡単に記すと1992年にJBCはルール第一条にあった「JBCは日本国内の全ての試合」とあった試合を指揮及び監督する権能の部分を現在の「JBC管理下の試合」と、この公正取引委員会の注意が元で改正を行っています。見方を変えると、独占禁止法の違反。訴えられるとそうなる可能性の高いことを、当時の小島事務局長はいち早く察知し、「一国一コミッション」がJBCだけの主張であることを明らかにすることで、IBF日本の追及の手を遮断した、と言えると思います。何が言いたいのか、と言えば
この時点でJBCは、JBC管理下以外の試合は一切権限が無い、ということを自覚していた、ということです。そして、このルールがそれ以後、変更されていないのですから、状況はそのままのはずなのです。
 JBCは何があっても必要。私はそう思っています。それはローカル・ランキングを作成、発表できない国、あるいはそういう組織が複数ある国のボクシング界の無秩序ぶりを私自身、国外の状況でいやというほど感じていたからです。だから、混迷した高山選手の世界戦実現のため、アドバイスを求められJBCの勤務外の時間を使って陣営に話をさせていただいた時にも、ローカル・ランキングを発表する唯一の機関としてJBCの必要性を話しています。もちろん、これは持論ですが。でもJBCが全て、という考えはどうでしょうか?キックボクシングなどの「別のコミッション」はあったほうがいいと今も思っていますし、ボクシング界が狭い袋小路から出られるようにいろんな建設的なプランはあったほうがいい。ビール会社の社員が、よりいいビールを作るにはどうしたらいいか、を考えるのと同じです。
 長くなりました。言っておかなければいけないこと。残りは一つ。なんだか、大きな話をした後でおかしいのですが「ネット」の成りすましです。URLもここに貼り付けるつもりですが、昨年8月に「夕刊紙」に私としか思えない人物への中傷記事を載せたフリー・ライターKと、別の理由で件のB宛に通告書を弁護士名で出したのですが、それから3日もしないうちにYAHOOアカウントに谷川俊規(shu)さん、という人物が現れました。そして、私の過去の所属会社サイトやボクシング、プロレスなどの記事に私が書いた、と思わせるコメントを掲載し始めました。
昨年10月半ばになって、気が付いた私はYAHOOに抗議しました。そうすると、「谷川俊規」の部分は消えたのですが、残りの(shu)さんは残ったまま。その後も、そのアカウントで私自身の本名を書き込んだ中傷(これは刑事告訴で保留となっているものです)が出るなど、今も書き込みは止まっていません。この人物は、断じて私ではありません。最後の締めがこれか、と思うと情けないですが。URLはこれです。http://headlines.yahoo.co.jp/cm/personal?u=kguyDhxh_2OWL6tjWlaSDJBDeRs-
15日。それ以後、忙しくならないことを今は祈るばかりです。長らくのご拝読、ありがとうございました。

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編5

今回は非常にパーソナルなことに触れる内容です。
「ボクシング界の秩序を乱した」ということは(そもそも『実際に乱したのか?』を今も裁判で争っているところなので根本からおかしい問題設定ではあるのですが…)かくも罪深い行為なのか?取材記者の歪んだ正義感に鼻白む生々しい体験談です(旧徳山と長谷川が好きです)

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谷川俊規氏御本人による手記

これまでBについてはいろいろ書かせて頂きましたが、今回は『説教くん』ことAに関して書きます。Aと私は、小説仲間として一緒に作品を見せ合ったこともある仲だったのですが、一体彼は小説も含めて文章で何がやりたかったのか?今となっては、謎と言わざるを得ません。さて、ここに一つの文章を紹介します。私が書いたものではありません。

「一言言わせて頂けるのであれば、葉っぱも枝も幹も全部をしっかり眺めて行動して欲しいと思います。腐った葉も痛んだ枝もあるかも知れないですがどんなところに生えどんな状況なのか?」

これは今年1月にAに対してある人が書いた文章(Aには誰か分かるはずですし、この文章が書かれた状況も分かっていると思います)ですが、同じ事を私もAに対して言いたいです。全体を見る目こそ文章を書く人間に一番必要なものではないのか?彼が志していた小説の世界では、特にそうだと思います。一面的な見方で書かれた小説がどの程度のものになるのか、Aが知らない訳がないのです。
 2010年の秋に、私はJBCに入ってボクシング界を風通しのいいものにしたい、と決心しました。決めると早い。12月には退職を時事通信社に伝え、当時のJBC関西事務局長を通じてJBCの職員になれないか打診をしました。結果は「空きがない」というものでした。私は引きませんでした。結果として、「試合役員として手伝うのでどうか?」という案を出されました。それを正職とするなら生活は成り立たない。まあ、でもいいか、と思いました。元々、贅沢を好む人間では私はありません。妻子はいましたが、節制すれば数年は蓄えでいけるのでは、と計算しました。そのうちに、熱意も通じてJBCに入れるだろう、と。
 しかし実際は、大企業だった時事通信社を辞めた後、ほんとうに、あっと言う間にそばにいたはずの人たちはいなくなりました。結局、私の存在価値は会社のブランドにしかなかった、ということを知ったのはその時です。去った人の中には、WBOやIBFに挑戦する者がボクシング界の秩序を乱す、とそういうボクサーを報道するマスコミに怒り心頭だった当時の西日本協会の会長さんもいます。
彼に私は「だったら、WBOやIBFを全部認めたらいい。そうすれば、抜け道などなくなる」と助言しました。いや、助言だけでなく、同協会の理事会で、WBCが認められた経緯をきちんと説明して、なぜ抜け道がなくなるか、の説明をしました。その案がJPBAのその冬の総会で出されたのはご存知の通りです。彼らには、目からうろこ、だったはずです。敵対していたモノを受け入れることで、すべてが丸く収まる、ということに気づかせた訳ですから。当然、この時の報道は私の独走でした。特ダネとしては、会社を辞める前の最後の奉公だったかもしれません。
 私がWBO、IBFを認めることを西日本協会に進言したのは単純な理由です。ほんとうに、同じ階級で一番強い者を日本で見たい。それだけでした。それは今も変わっていません。だから、今年の4月、JBCが両団体を認めたことは喜ばしいと思っている一人でもあります。
 Aの話に戻りましょう。さて、時事通信をやめ、次の正職もなし、の状態でAに私は相談しました。神戸駅近くのドトールかどこかで。「フリーで書ける媒体ないですか」と。今、考えると情けないですが、まあ、泳げないと気づかずに深い海に飛び込んでいたのですから仕方ない。Aは同情してくれていたようでしたが「紹介できるものはない」と、ここだけはきっぱり私に言い放ちました。私も、根拠はなかったのですが、JBCへ早い時期に入れる気がしていたので、彼の冷たい答えにも『そりゃあそうだ』と思っただけだったのを覚えています。
 実際にそれから1ヶ月半後にはJBC職員になってましたから私の予見も大したものだったのですが、ここではAの話です。今年4月末に、AはJBC裁判に係わる原告側に関係ある人物の多くに質問状を送りました。その中に「2011年夏に谷川俊規氏から聞かされた『ボクシングを含む格闘技を包括する新たなコミッションを設立し、手始めにIBF、WBOを承認してJBCに対抗し、将来はJBCをも統括するコミッションとすべく活動する』旨の証言」とAが記しているものがいくつかあります。
改めて、言うまでもないのですが、その時期、Aが私のことを真剣に思って考えることなど有りえなかったでしょう。そんな人物に、これほど刺激的な発言をするほど私は抜けてはいません。現実には、あれほど入りたかったJBCから内部抗争のあおりを受けて、勤めて2ヶ月しか経っていない7月に解雇通知予告をもらった際、Aに今後の話をしようとした、というだけです。その際、Aは「谷川さん、僕は聞けないですわ」と、なんの話もさせてもくれませんでした。そういう人間だったのか、とがっかりしたのは覚えています。まあ、それも生き方。それが、2年近く経って、前出のような話を聞いた、ということになってる。一体あの夏、どこで聞いたのか、教えて頂きたい。幻聴でしょうか?
 あまり長くなってもいけないので、先を急ぎます。最初に、他の方が書かれたAに対する文章を引用したのには理由があります。Aは、今も述べたとおり、私が解雇予告通知(のちに撤回)をもらうことになったJBCの内部抗争(この通知により、現JBC事務局長ら数名はこの年の12月に厳重注意処分をJBCから言い渡されている事実も記しておきます)に全く関心を持ちませんでした。よって、現事務局長らが画策した第2コミッションのことも、いまだにAはほとんど知らないのではないでしょうか?あれは、記者会見までして、JBC職員の引き抜きまで予告した、まさにクーデターでした。それに、何の関心もなかったのに、なぜ突然、JBCの内紛に興味を持ったのか。まあ、それはともかく、最初の引用の文章どおりです。『葉っぱも枝も幹も全部をしっかり眺めて行動して欲しい』-これがAに対して言えるすべてです。
 今年2月14日のバレンタインデー、新しい職を得て2日目だった私。妻は、ほんとうに喜んでくれていた。職がない状態のままなら、2人の私の子供(当時1歳と3歳の男子)は今、話題の待機児童になるところでした。昨年のJBC解雇から始まって、衆議院選挙の中傷による出馬断念。どこまで落ちるのか、と思ったのが救われての一家団欒のお祝いをしていた日。その日に、Aはまさに不幸の電話を寄越したのです。あの日、妻は必死になってAにすがりました。「そこまで人を不幸にして楽しいのか!」とAに電話口で迫った妻。Aは平然と「お好きにしてください」と言い放ちました。その直前の妻の言葉は、「私たちが死ねば満足するのですか」でした。だから、Aは私たちに、この世にいなくなってください、と言った、と私は思っています。ちなみに、Aの予告どおり、翌日発刊の「ボクシング・マガジン」に私を名誉毀損する記事が出たのは、それこそご承知の通りです。
 妻は、現在「ストレス性不眠症」の診断を受けて、心療内科への通院をあの日以来、続けています。あの日までは、少々のことでへこたれなかった妻が、です。そして、今月の15日。また、同じことが起こるのです。14日の夜に、Aは私の元にまた電話してくるのでしょうか?

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編4

 今回は昨年末の衆議院議員選挙出馬前後に出た、一連の中傷記事を巡る顛末についてです(旧徳山と長谷川が好きです)

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 谷川俊規氏御本人による手記

 一度、ボクシング・マガジンから離れてみます。前回、書いたようにメディアの鉄則を破ったのがBなら、警察権力を手玉に取ったと言われても仕方ないのがJBCだと、私は思っています。ことの起こりは、私に対する中傷記事が元で衆議院議員選挙への立候補を取りやめた昨年の晩秋から今年の頭にかけてになります。
 某記事配信会社のネット版に出た「ボクシング界の問題人物も出馬へ」と題された原稿。私は徳島のホテルで見ることになりました。準備も整わない選挙。それでも、選挙事務所を構え、街宣車やポスター、看板もなんとか手配して「さあ」となった時に、その原稿は出ました。四国トリビューンの記者に「ネガティブキャンペーンが始まってますよ」と言われるまで、気がつかなかった私も私なのですが、記事を見た瞬間、『ああ、あかんわ』と思いました。落下傘候補の私にとって、どんなものでもマイナスは避けなければいけない。イメージしか、戦う手段はなかったのですから。その後、ネットに、現在、私が刑事告訴している関西の某ジム会長のブログに、その記事を上塗りしたひどい中傷を見つけて『終わった』に気分は進みました。こちらが、あてにしていた20代の浮遊票を確保することを考えるとネット上の中傷は、その世代をターゲットにする限りジ・エンドです。公職選挙法と名誉毀損での刑事告訴を決心して、徳島から私は撤退しました。
 それにしてもネット。匿名掲示板に、某記事配信会社の原稿はベタベタ貼られました。神戸に戻り、告訴を考えた時も、どこから手を付けたらいいのか、という状態でした。まあ、なんにせよ、根拠のない与太記事ですから、警察へ行けばなんとかなるんじゃないか、とは思いました。だから昨年12月の頭から今年の1月に掛けては、3日に2日は警察にいるような感じになりました。刑事さんたちも、私のことを気の毒がりながらも困られてました。笑い事でなく、対処する数が多すぎたのです。名誉毀損はそこに書かれていることが真実であろうがなかろうが成り立つのですが、公職選挙法違反は、書かれていることが虚偽であることを実証しなければいけない。その上、警察はやはり、逮捕だけでなく起訴できるかどうか、を考えます。
確実に起訴までいける、と警察が太鼓判を押してくださったのは某ジム会長のブログだけでした。しかし、これは実際に、捜査に入った1月の時点でIPアドレスがすでにプロバイダーの元から消えている、という警察にとっても不測の事態が起こりました。「谷川さん、たぶん誰が書いたか、特定できない。C(疑われている人物)だと思うけど、思うだけじゃだめだからね」と刑事さんには言われました。その後、刑事さんはCに事情を聞きに行かれましたが、Cが自分が書いたと認めなかったのはいうまでもありません。告訴は受理されていますから、今も犯人は不明で宙に浮いたまま、というのが真相です。
 では、そのブログの元になった某記事配信会社はどうなったのか、と言えば。こちらは、公職選挙法違反の疑いで着手してくれていたのですが、思わぬ形で中断しました。それは、JBCの対応です。先に記したように、公職選挙法違反に問うには、書いていることが虚偽、を証明しないといけません。私は、通常解雇(厚生労働省のお墨つきです)をされたのですから、某記事配信会社の書いていることは虚偽、と実証できる、と思っていたのです。ところがJBCの事務局次長は、確認の電話を入れた刑事に「ハローワークに書類を出し直します。通常解雇ではないです」と言ったそうです。刑事は困ったようです。「JBCとの裁判が終われば、たぶん大丈夫なんだろうけど、今の時点では、虚偽と言い切れない」と刑事は私に告げました。「じゃあ、どうすればいいですか?」、これに対して刑事は「告訴すれば受け付けるよ。ひどい案件だから。でも、起訴出来るかどうか保証できない」という答えでした。「もし、JBCが書類を出し直さなかったら、いけるんじゃないですか」という私に、刑事は「(JBCが)出し直す、と言ってるんだから仕方ない」と言いました。私は、迷いましたが、「分かりました。じゃあ、保留にしてください。」と返しました。それが今、です。
JBCはいまだに、ハローワークに書類の出し直しはしていません。もう5ヶ月が経過していますから、警察に虚偽の申告をした、と言われても仕方ないでしょう。それ以外にも、保留にしてもらっている件がありますが、それはここには記しません。ただひとつ言えることは、よほどのことがないと、ネットから中傷の書き込みを消す者はいない、ということです。次は再度、マガジンに戻ります。昨日(10日)、Bが7月号に記事を載せる、ということを改めて通告してきた、というのを人づてに聞きましたので。

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編3

決してヒット数が多いとは言えない当サイトも、昨日は大変多くの方に閲覧して頂きました。読者の皆さんの関心の高さが伺えます。
今回はメディア人、ジャーナリストを名乗るもののタブーについてです。(旧徳山と長谷川が好きです)

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谷川さん御本人による手記

メディアにいる人間として最低、守るべきもの、として記者スタートの研修で大手マスメディアが必ず教えるものに取材源の守秘があります。どんな時でも、これは守られなければならない。昨年、私は名誉毀損であるブログのページを兵庫県神戸市で刑事告訴しましたが、そのブログに主として書いているらしき人物と、特ダネを巡っていざこざになったことがあります。単純に、世界戦の開催日程、場所、相手をすっぱ抜いただけのことですが、この人物は怒りまくりました。「お前のところには取材させん」-大変でしたが、私は屈することはありませんでした。メディア的に、屈する、とは取材源を明かす、だと私は思っています。いまだに、かの人物にはどういう経緯で掲載に至ったかの説明などしていません。だから昨年、私が名誉毀損として訴えることになる中傷記事をブログに載せられることになったのだと思います。いまだに誰が書いたのか分からないらしいのですが(笑)。
「取材で得た結果を報道以外の目的に供さない」。それこそ、最高裁判所刑事判例集第32巻第3号463頁464頁(興味のある人は調べてみてください)にある通りで、取材者には守らなければいけない、と肝に銘じなければいけないことがいくつかあります。簡単に書くと、ア)取材方法の違法性 イ)取材源の隠匿 ウ)取材物の目的外使用をしてはならないこと エ)プライバシーの侵害 の4つが骨子になります。
 なぜ、長々とこんなことを書くか、というと、今年3月に行われた私とJBCとの民事裁判の証拠としてJBC側が提出してきた資料に、JBCへの私に対する情報提供者としてBの名前が明記されていたためです。そこにはこう記されていました。

「(前略)話し合いを行ったとの情報について、同情報の提供者であるB(原文にはもちろん名前が入っています)と会談し、同情報に間違いがないことを確認いたしました。」

 情報が正しいか、正しくないか、はこの際、二の次です。Bは大手新聞社にいたこともあるベテランのフリー・ライター=作家です。そして今年の4月18日付け、Aと連名で「財団法人日本ボクシングコミッション(注・JBC)の職員であった谷川さんの在職中の言動について、直接、お会いして、お話を伺いたく取材を申し込む次第です」と、取材を申し込んできた人物でもあります。さて、私でなくても、「え?」と思われるのではないでしょうか。JBCに情報を渡すための新たな取材、と思わないほうが不思議です。
 そして、民事裁判でJBCが提出してきた資料からは、ひとつの推論が生まれました。私がJBCから解雇されたのは、ボクシング・マガジン3月号既報どおり(関係者の誰でも私と分かります)、2012年6月16日付けです。BがJBC側の主要メンバーと最終確認のため?会ったのが6月15日というのは分かっています。では、15日にいきなり約束して、その夜会ったのか?それはありえないでしょう。その10日ほど前にBは、ボクシング・マガジン社の記者(契約記者の可能性有り)を間においてJBCと連絡を取った可能性が強い。その際に「話し合いを行ったとの情報」を伝えたものと思われます。だから、JBC側の私に出してきた書面に「話し合いを行ったとの情報について、同情報の提供者であるB氏と会談し、同情報の内容に間違いがないことを確認いたしました」と出てきた。あくまで、「同情報の内容に間違いがないことを確認した」のが6月15日だった、というのが推論です。なので、私の解雇がBの密告した情報によってなされた可能性がここで浮上してきます。まあ、ジャーナリズムを離れて2年以上経ってますから、勘もにぶっているかもしれません。どちらにせよ、取材者の義務、そして命綱ともいうべき前出の4原則の内、ア)以外のすべてにあてはまることをBがやったのは間違いないでしょう。いや、ア)も破っている事実を私はつかんでいますが、今、ここでは言わないでおこうと思います。

もうひとつのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編2

 前回はさすが御本人の手記だけあって生々しい描写の連続でした。読者の皆様におかれましても「ここまで書いて大丈夫?」と御心配の向きもあるかと思いますが、書かれていたことは谷川氏が法廷で主張されていることです。では引き続き続編をお読みください(旧徳山と長谷川が好きです)

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谷川俊規氏ご本人による手記

大沢選手の試合(2012年4月30日)では、他にも困ったことが当日、起こっていました。違う話になってしまうので、これも詳しく書きませんが、試合会場に警察が事情を見るために出動してきたのは事実です。JBC職員として事を大きくしないために、私はこれの対処にあたりました。幾人かの関西の私と親しかったジムの会長さんらも、私と一緒に事態の収拾にあたりました。その状況で、大沢選手の試合はゴングが鳴らされたのです。私は少なくとも第1ラウンドの2分間以上を見ることが出来ませんでした。そして、なんとか見られたのも、会場の一番後ろで、でした。
元々、パワーハラスメントの関係もあって、2012年に入ってから私には試合役員費は払われなくなっていました。簡単にいうと、私の試合観戦はJBC的には勤務外に自由意志で行っていることとされたのです。JBC職員ではあるが、試合役員ではない、という私自身、いまも理解出来ていないダブル・スタンダード。しかし、JBCの広報に原稿を書くためには、自費(少なくとも交通費はそうなります)で試合を見なければいけない。なので、試合観戦は「自由にやってもらっていい。控え室にも行ってくれ」(JBC関西岡根事務局次長)。そういう立場だったことは明記しておきます。なんにせよ、大沢選手の試合に関して、私が話せるのはこれだけです。補足をひとつだけすれば、試合後、10日ほどして大沢陣営がJBC関西事務局を訪ね、WBO地域タイトルの扱いに関してJBC関西職員の坂本氏と話をしてました。「(WBO地域タイトルを)返上したほうがいいですか」という大沢陣営(誰かも知っていますが、書きません)に対して、坂本氏は「返上してもらわないと駄目でしょうね。早い時期にやってください」と伝えていた、というのは読者の方にお教えしておこうと思います。
私のことを、おそらく大沢陣営は、存在さえ把握してなかったのではないでしょうか?前職での記者、編集委員としての取材とかもあったので、顔は知っていたかもしれませんが、JBC職員という認識はなかったと思います。同時に、「谷川俊規」という名前で認識など、私がJBCから解雇を言い渡されるまで彼らは全くなかったと思います。BがJBCに告げたと思われるWBO?=大沢と私の関係は実際これだけです。

ここで、なぜ、ベースボール・マガジン社がここまで私、および私の家族を執拗に苦しめるのか、読者の皆さんに、私の推論(かなりの部分は確信ですが)をお伝えしておかないといけません。
ことの起こりは2011年1月30日に遡ります。南アフリカは、ブラックパンでの高山選手とジョイ選手の最初の対戦の日です。カーニバルシティの会場リングサイドに、日本のメディアとして来ていたのは、私とBの2人だけでした。現地の毎日新聞の記者も訪れて観客席から見られていたようですが、この方と私が挨拶を交わすことはありませんでした。
 南アフリカ側が用意してくれた記者席は、ニュートラルコーナーそばの最前列2つ。私はBに「どちらがいい?」と訊ねました。Bの答えは、「どちらでもいい」というものでした。そこで、私は内側の席に座りました。それがBには問題だったのです。前座の試合が始まったどの時点かで、Bが突然「ここでは写真が撮れない」といい始めました。そういわれて、見ると確かにBの位置はコーナーポストが邪魔になって、撮影はしにくい。だからといって、私も代わるわけにはいきません。私も撮影が必要な取材者なのです。しかも、席を選ぶ権利は彼に与えてました。彼の選択が悪かった、というだけのことです。しかし、その後、彼は帰国まで一度として私に口を開くことはありませんでした。私は、すねた子供みたいなやつだな、と彼のことを思った事実を明記しておきます。
 Bとの確執?はここからだったような気がします。次に、Bを意識しなければいけなくなったのは、高山選手とジョイの再戦が決まったかのように記者発表しなければいけなくなった2011年10月の初旬でした。私はJBC職員になっていましたが、同時に、関西運動記者クラブの会友にもなっていました。この会友、実は少々のことではならせていただけません。条件がかなりあります。永久に運動記者クラブのメンバーを約束されるものでもあり、最終的に付けていた取材用バッヂを付与されます。要は、運動記者クラブへの連絡を私が行うことには問題がない、ということです。その前提で、次の話を聞いていただきたいのです。
 高山選手側はジョイとの再戦が、もろもろの問題で正式に決まらず本当に困っているようでした。私に陣営から「何か方策はないか」と相談が最初に来たのは、2011年8月の末だったように思います。「友人として相談に乗って欲しい」という提案でした。私はJBC職員でしたし、勤務時間にその相談に応じることなど、当然出来ません。しかし、ジャーナリスト時代の旧知の人たちが困っているのを放っておけるような人間でもありません。「南アフリカの状況だけは調べてみましょう」と返事したのが最初だったと思います。そして、調べてみて仰天しました。当時のJBCと同じく、南アフリカのコミッションも内紛の最中でした。事務局長が2人いる、とかどこかで聞いたような話ばかり。加えて、ジョイのマネージャーであるブランコ氏が、非黒人であるという理由で興行システムから放り出されている、という事実まで分かりました。
 なので、10月開催の報を高山陣営から聞かされた時も『実現するわけないだろ』と思いました。思いながらも、「記者発表したいので、運動記者クラブへの連絡をしてもらえないか」とお願いされたのに、簡単に応じてしまいました。先に述べたように「関西運動記者クラブ会友」という身分が、私にはJBC職員以外にありますから、そちらの身分で、ということなら問題ない、と考えました。で、記者クラブ幹事に記者会見の予定を各社に伝えてくれるようにお願いしました。もちろん、JBCの勤務時間外に、です。それがBには問題だったのです。Bはフリーのライターであり、記者クラブに所属していません。運動記者クラブからの連絡がなかったBは記者会見に来ることが出来ませんでした。
 運動記者クラブの名誉職である会友の私が、記者クラブに連絡事項を伝えるのに、どう問題があるのか?そして、フリーライターのBに会見の日取りを伝えることには問題がある気が今もしています。だから、故意でないにせよBに連絡しなかったのは、結果的に良かった。しかし、Bは別の連絡で電話をした際に、電話口の向こうで荒れ狂いました。「おまえ、土下座しろ!」、怒鳴られたのは今も鮮明に覚えています。私のほうが年上で、ジャーナリズム界にも私の方がBより長くいた、というのがありましたから「年上に使う言葉ですか」とは電話口で言いました。それに対する彼の答えは「おまえだけは特別だ!」でした。ただ、土下座して済むのならそれでもいいかな、と当時の私は思っていました。つまらないことで争いはしたくない、というのは万人の常だと思います。しかし、それ=私怨が、こんな大きな問題に発展するとは当時の私は思ってもいませんでした。





もう一つのJBC裁判 谷川俊規氏の場合 ご本人登場編1

さてこれまでは第三者である私(旧徳山と長谷川が好きです)が、報道されている安河内氏の事務局長解任を端緒とする『JBC問題』とその実像との乖離について、関西が舞台となった谷川俊規氏の解雇事案について考察することで検証してきました。その結果『大沢問題』『高山問題』は実はJBCの人事抗争から派生した公益性無き内輪もめに選手を巻き込んでいるだけではないのか?という疑問を持つにいたりました。

またその過程で新聞・ニュースサイト・専門誌と言ったメデイアが、マスコミの大原則である中立性も公益性もかなぐり捨ててJBCの利益の代弁者として振舞うという異常事態が起きました。分けてもベースボールマガジン社が発行するボクシング・マガジン誌はメデイアを挙げて一方当事者に肩入れし、今月発売の最新号に「JBC問題」の続報を載せると谷川氏の代理人に通告してきています。このような異常事態の中で一方当事者である谷川俊規氏に発言する機会を作る目的で、今回HARD BLOW!において氏の手記を発表して頂くこととなりました。その内容については個々の読者に読んでいただいて、今月のボクシングマガジンに掲載されると言う記事と比較した上でどちらの言い分に信憑性があるのかを判断して頂きたいと思います。以下は氏の筆による手記です。


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谷川俊規氏ご本人による手記

何月何日に、不幸なことが起こる。それこそ、かつてのノストラダムスの予言をはじめ、
各種用意されていた不吉な予告は「あったら大変」、という程度のものでしたが、今回の私のものは違います。「2013年6月15日」に、名誉毀損、あるいはそれに近いことをメディアによってやられる、というのがはっきりしている中で、カウントダウンしながらその日を待っているというのが今です。
 メディアの名前は「ボクシング・マガジン」。ベースボール・マガジン社が発行している競技の専門誌としては50年以上の歴史を持つ伝統ある雑誌です。その雑誌が記事執筆を委託している2人のライターから取材依頼が来たのが、今回のことの起こりでした。ここを読まれている大多数の方がご存知の通り、私は現在、日本ボクシングコミッション(JBC)と「地位確認等請求事件」を大阪地方裁判所で争っています。パワーハラスメントに関する案件も入っており、JBC在籍中はむしろ同僚によるこちらの案件の方に悩まされたと私は思っていますが、これも真相を裁判で争っていますので詳しくはここに書きません。
 「取材申し込み」と題されたものが、私の代理人の弁護士のところに4月18日付で送付されてきました。送付者は2人。ともに、フリーのジャーナリストを称する「A」=(通称「説教君」)と「B」=(通称「「日本で一番権威のあるノンフィクション賞の候補にもなったことがある方」」でした。その取材申し込み、の1行目から2行目にかけて、を読んで私は暗澹たる気分にさせられました。そこにはこうあります。

「ご承知のとおり、私どもは財団法人日本ボクシングコミッション元職員らが同団体に対抗する新団体設立を画策した背任問題を取材しているフリーランスの取材者です」

 なにを「ご承知」なのか、私には分かりませんでしたし、「対抗する新団体設立」とおっしゃられても、それを具体化した事実はない、とJBCとの裁判で訴え続けている私に話されるのは、お門違いも甚だしい、と言わざるを得ません。極めつけは「背任問題」です。JBCでさえ、裁判資料のどこにもこの文言は使っていません。それぐらい、繊細な言葉をいきなり最初に、簡単に書いてくる彼らは、本当に文章のプロなのか、と今更ながらに憤りを感じはします。Aは地方の文学賞を受賞された経験をお持ちの方ですし、Bにいたっては、私がジャーナリストを志す元となった「路上の視野」(1882年刊行)の筆者、沢木耕太郎氏が「テロルの決算」で受賞された「大宅壮一ノンフィクション賞」の候補になった経験もお持ちの作家です。そういう方々が、言葉を軽々しく扱う事実がまず私には「アウト オブ サイト」もしくは「アウト オブ クエスチョン」の世界でした。
そして「フリーランスの取材者」。後述しますが、Aは私に「ボクシングマガジン取材班」と名乗って、電話で取材申し込みを今年の2月14日の夜、9時半頃に言ってきています。その際、翌日発行の「ボクシング・マガジン3月号」に、取材なく私のことを書いたことも告げてきていることは、この「HARD BLOW!」に書かれている通りです。補足しますと「(あした発行の雑誌に載ることを告げることは)僕の誠意です」とA氏は私に強調されてました。取材なく、悪意のあることを書いた、と告げられて「誠意」とは?私が混乱するのは当たり前のことだと思います。その日の経緯に関しては、家内とAのやり取りもありますので、後述したいと思います。さわりだけ告げると、家内はその後、心療内科に通院を余儀なくされることになる(診断書は数ヶ月の通院後に出してもらってます)内容の電話でありました。

 この「取材申し込み」を口火として、何度か取材についてのやり取りを弁護士を通じて私は彼らと行いました。A、Bの両氏からの取材申し込みでしたので、2月14日の件、というよりは単刀直入に書いて「ボクシング・マガジン3月号」の執筆にはっきり携わっているのが分かるAの取材は控えて欲しい、Bの取材として欲しい、ということを彼らに伝えました。なんの注釈もなく、私と分かる元JBC職員について、懲戒解雇、背任行為、と決め付けたことは、記事内容以前の問題でもあります。何のために、今、民事裁判をしているのか分からない。司法を無視する彼らの姿勢はその前も、その後も一貫していますが。
記事内容は「大沢宏晋に東洋太平洋王座剥奪、ライセンス1年間停止処分」と題されたものでしたが、これが「何を言っているんだ」の内容であるのは、過去のハードブローの原稿で書かれている通りです。私はこの試合終了後、確かに大沢選手の控え室に行きました。それは、JBC広報誌の大沢選手の原稿を執筆するための取材のためです。そして、控え室に入った時、カメラマンの大沢選手への撮影が始まっているのを見ました。WBOのレオン氏がいたのも見ました。くだんのBが私が部屋にいて、大沢選手から話を聞くのをじっと見守っていたのも忘れていません。だからと言って、私が何を出来るのか。
この試合、WBOの役人が来ることをプロモーター側がJBCに告げています。東京はもう辞められている石塚氏、関西側は坂本氏の最低2人のJBC職員はそれを知っていました。なぜ、私がそれを言うのか、いえば、坂本氏とプロモーター側のやり取りする電話をJBC関西事務局で聞いていたためです。そして、坂本氏はプロモーター側に「(WBOの)役員をリングに上げて紹介するのはまずいと思いますが、席を(リングサイドに)用意するのはそちらの裁量です」と告げていました。だから、JBCがWBOのアジア・パシフィック暫定タイトルがかかっていた、というのを知らなかった、ということがないと私は断定できます。ただし、私は、そういった大切な交渉・報告に参加もさせていただけない身でした。今回のJBCの訴訟で問題にしているパワーハラスメントのことがかかわっている、と私は思っています。

感想文「狂気に生き 第二部」vs「アンチェイン」

友人から一冊の本が送られてきたので読んでみました。「狂気に生き 第二部」(佐伯泰英・著、新潮社)。金平毒物オレンジ事件のルポです。

具志堅と二度戦ったリゴベルト・マルカノをベネズエラに訪問、帰国後元トレーナー氏へのインタビューと書簡の交換、協栄関係者とセキ・ジムへの取材、ジョー小泉の存在、そして裁判へ。

読み進めながら感じたことは、ボクサー達が戦うリング、その舞台裏で繰り広げられる様々な工作活動の存在である。噂やフィクションの世界で真偽定かならぬ出来事として語られてきたそれらが、ここでは事実として語られる。その生々しさに衝撃を受けました。

そして著者の周到で粘り強い取材。マルカノの敗北の瞬間を撮った著者が、なぜあの日ペレア(戦い)を撮れなかったのか。証言の錯綜、混迷。読み物としてサスペンスを湛えながら、事件の真相はあの日の疑問への答えとともにある一点に収斂していきます。この取材は著者の魂の旅、存在証明の旅でもあるのです。

旧徳さんは本書を「一瞬の夏」と並ぶ歴史的な一編として紹介していましたが、後者に比べて本書の知名度は低いと言えます。ボクシング界にとっては汚点であり、触れられたくない部分を扱っているからでしょう。ネット上の情報も、この事件に関しては極めて少ないように思います。事件自体がネットが普及する以前の古いものであるからということはあるでしょうが、事が事だけに関係者もファンも積極的に語りたくないということはあるでしょう。そうして情報自体が表に出てこなくなったということなのではないかと思います。

1982年、世間的にはJBCによる金平会長の永久追放で幕引きが行われたこの事件。当時でも臭い物に蓋的な対応で、真相究明は行われなかったことに不信感を持ったことを覚えています。そうして本書が刊行されたのは1986年。

そして今、実名で書かれている本書を取り上げることには、それなりに考えてしまうところがあるのも確かです。

しかし私は思うのです。ボクシング界の暗部を掬い取り、白日の下にさらすことは、一時的には不信と人気低迷につながるとしても、ボクシングに関わる人間達の誠実さと真実を求める心を証明する意味では大きな意味を持つのだと。

あってはあらないことがあったということ、そうして今もあるかもしれないということ。そのことを警鐘し続ける本であると思います。

凄い本だな、と思いました。

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同梱のDVD「アンチェイン」(映画)も見てみました。

4人のボクサー及びキックボクサーの運命の交錯を追ったドキュメント映画です。

人間はただ生きているだけでは満たされない。いつも何かを求めて戦わずにおれない。そういった4人を描いた作品です。

それにしても激しい。

彼らは自分たちのつながりを友情ではないという。おそらく言葉にするにはあまりに繊細なものであるのでしょう。

彼らの「間」に何かがあるとしたら、たとえ一勝もできなくてもボクサーにとってリングとは魂の解放区なのだいうこと、ただそのことだけなのかもしれません。

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仲間と集まり深夜に及んでボクシングのことで話し込んでいた時、ウチ猫さんが「こんな時間までおっさんたちがボクシング談義(12時間以上)してるってのは、頭オカシイっすよね!!」と言って一同大笑いしたことがありましたが、たしかにボクシングに関してはみんな狂気を抱えているのかもしれません。

by いやまじで