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HARD BLOW !

リセット

 2013年、松の内も明けたばかりのある夜、私は都内の某飲食店で数人の仲間たちと、ある男の話を聴いていた。

 プライベートな会合であったが、男はスーツをかっちり着こなし、しかし、しかしそれでいてリラックスした口調、柔らかい物腰で応じていた。
 
 男はボクサーとボクシングとボクシング界について語っていた。

 ボクサーの経験もレフェリーの経験もあるというこの男は、以前「ボクサーが一番大切なんです。」と語っていた。

*    *    *    *

 「以前」というのは、この会合に先立つことおよそ1月前、西暦2012年12月某日のことだ。私はこれも都内の某喫茶店で、この男に会っていた。

「ボクサーが一番大切なんです。」
「だから、判定はしっかりしてやらなければならない。」
「レフェリー、ジャッジの研修は厳しくやりました。」
「といっても、ジャッジの難しい試合、際どい勝負はあります。そういう試合のことではなく、どう見てもその判定はないだろう、そういう試合は無くすよう徹底したんです。」
「試合後の反省会で、3人のうち他の2人が赤につけているのに、なぜあなたは青につけたのか、どこをどういうふうに見てそうつけたのか。それをはっきりさせる。そこを徹底してやったんです。」

 レフェリングやジャッジの公正性を期すことに関して、男はこうも言っていた。

「ドン・キホーテと言われてもいい。」
「世界から見て、そこまでしなくても言われるかもしれない。でも、日本が世界を変えるぐらいのつもりでやらないといけない。海外は―」

「海外は―」の後、男は同じ言葉を二度言った。それはここには書けない言葉だ。

 私はこの男の話を聴いて、JBCがWBCから表彰された理由が分かった気がした。CであれAであれ、ボクシングの世界タイトル認定団体にしてファミリービジネスという意味不明の取り合わせの組織であるにしても。

 ちょうど報道でAIBAが日本の村田諒太選手にAPB(AIBAプロフェッショナルボクシング)への参加を呼びかけたことが話題になっていた頃だった。私自身は、ロンドン五輪で見たアマチュア・ボクシングが非常に楽しめたという話をした。プロの試合では、ラウンドごとの優劣の積み重ねが必ずしも試合全体の印象に合致せず、それが見る側にとってフラストレーションになることがある。アマの試合は有効打のポイントを積み重ねてゆくので、その決着が非常に明快で、集中して試合を見ることができる。どこでリードしているか、どこでひっくり返されたかがはっきりしている。(実際には不可解な判定も多く、銅メダルの清水聡選手の場合は試合結果が覆るという前代未聞の事態も生じたが。)

 そのアマボクシングがプロ化することについて、私はある期待を抱いていた。それは黒船理論のようなものだ。

 現在のプロボクシング界について私が最も強く感じる不満は、レフェリー、ジャッジの不公正である。ホームとアウェーをはじめとして、人気選手やプロモーターに配慮したと思しきレフェリングやジャッジが横行し、それが当たり前と受け止められている。本来ならば少なくとも建前ではフェアでなければならないレフェリングとジャッジが、むしろ、アンフェアであることが建前であるかのような観を呈している。倒錯した世界である。ファンは試合を見る際に、下手をすると選手よりレフェリーやジャッジがどのようなバイアスで職務を遂行しているかに神経を使わなければならない。そうして時として、実際に出た勝敗とは別の勝敗表を自身の中に作らなければならない。他の採点競技でも同様のことはあるだろうが、その頻度の高さは他競技の比ではなく、それを改善する意欲の無さについては断然他の追随を許さないものがある。結果、このスポーツは面白いと気軽に人に言える状況ではなくなり、見る術をある程度心得ている人同士でのみコミュニケーションをとることになる。このようなものはスポーツと呼べるのか、見るに価するのか、そんな疑問に抗しながら観戦しなければならない。

 そんな現状のプロボクシングに、ポイント加算式で試合全体の流れと結果に齟齬が生じにくいアマボクシングが参入し、そこに従来のプロ選手も自由に参加するようになればどうなるか。しかも、そこで例えば長谷川vsモンティエルの再戦が行われたら、…なんて妄想はともかくとして、ジャッジの公正なプロボクシングが登場して人気を博し、プロボクシングのパイのそれなりの部分を奪うことになれば、従来のプロボクシングサイドも、レフェリー・ジャッジの公正性について是正を図るのではないか、そういう期待である。つまり外圧による内部改革である。

 私は男にその話はしなかったが、男はAPBについてこう言っていた。

「難しいですね。興行のセンスが一番のネック。ワールド・シリーズ・オブ・ボクシングも成功しているとは言い難い。」
「ヘッド・ギアを外して、採点法も(現在の)プロと同様にする方向です。」

 このあたりを聴いて私は落胆した。採点法はもちろん、ヘッド・ギアを外すというのもそうである。ヘッド・ギアをつけているメリットは、カットによるストップのリスクが少ない点だ。これまでプロボクシングの試合では、カットによるストップで何度も消化不良の試合を見せられた。そうなる前からヒヤヒヤして見なければならなかった。それがなくなるのは安心だと思っていたのだが。

 それでも、APBが新しいプロボクシングとして発展することを私は期待している。AIBAもスキャンダルが絶えないが、採点の公正化への努力をしているだけでも評価できる。チャンピオンは各階級一人であり、オリンピックという強力なブランドもある。参加基準を緩和すれば既存のプロボクサーの参加は増えるのではないだろうか。

 男は、現代におけるスポーツの価値と可能性について力説した。

「これからはスポーツの時代です。」
「かつて肉眼で数えられるほどの観客の前でプレーしていた日本のサッカーが、Jリーグができたことによって現在では日本のトップのプロスポーツとなっています。かつてその可能性を信じた人間がどれだけいたでしょう。ボクシングが可能性を捨ててはいけないんです。」

*    *    *    *

 男との正月の会合で、仲間の一人がこういうことを言っていた。

「元ボクサーのボクシング関係者Sさんが、あの男は問題あるでしょ、と言ってたんですよ。Sさんはかなり客観的に物事を判断する人物なので、そのSさんまでそういう見方をしているのかと思って、ちょっとびっくりしました…」

 私はこの話を聴いて、男についてのSさんの心証は、おそらく報道やネット上で流れた情報が、その真偽が糺される前に一般化したものであるだろうと思った。つまり、これだけ報道されているんだから、何もなかったことはないだろう。何かしら問題があったから、ここまでの騒ぎになったんだろう。そうでないと、ここまで人が動いたことが説明できない、と。

 これは情報が十分に行き渡らない場合の世間一般の人間の極めて普通の反応である。火のないところに煙は立たない。実際私にしてもそうだった。

 そうしてその一方で、騒動の際にあまり自分からは情報発信をしなかったことで、「有罪」の世論が広がったことに、この男自身幾許(いくばく)かの責任はなかったのだろうか、そんな疑問を抱きつつ、私はその夜、男の話を聴いていた。

 男は、自分が属していた組織でしてきたこと、組織がいかに男を陥れたかということ、現在組織がいかに運営されているかということ、現在裁判では何が争われているのか、そしてもちろん、現在のボクシング界、未来のボクシング界について語った。

 あまりに多くを語ったので、ここで一度に全てを書くことはできない。ゆえに、ここではその一端を紹介するにとどめるほかない。

 男は組織が提出した不正疑惑についてはすべて真っ白だと証明できると断言した。また、組織がこれまで内部留保として蓄えてきたもの(億単位のお金)は、今後数年で消費し尽くされそうになっているとのことだ。彼の任期にとどまらず先人たちが半世紀以上に渡って積みあげてきたこのお金について、男はこう言っていた。

「そのお金を元手に、ボクサーのために病院を作ることもできる。」

 男は引退後のボクサーのセカンド・キャリア支援のために、警察への就職の道を開いた。結果的に成功を収めたとは言い難いとは彼の弁だが、それを実現させるために彼がしたのが暴力団排除である。それがボクサーに警察への就職の道を開くために必要であることは自明であろう。それがいかに困難であったかは想像しにくい。しかし、それがいかに危険なことであるかは容易に理解できる。誰のためか。ボクサーのためである。

 男が情報発信しなかったのはなぜだろう。男の話を聴いていて、そんなことはどうでもよくなっていた。

 少なくとも男は自分が正しいことが分かっており、その裏付けもあり、「有罪」の世論・風評に動ずることなく、また芯の部分がいささかも傷つくことなく今に至っている。そしてこれまで信を得ていた内外のボクシング関係者から今も変わらぬ信頼を得続け、ビジョンを描き、そして何よりもボクサーとボクシングへの愛と熱を持ち続けている。ボクシングを語る男の姿からそう私は感じた。

 裁判に訴えたのも、それが一番の近道だと判断できたからであろう。ネットを使っての反論をしなかったのも、そういうことだったのではないか。

 Sさんが男に持った心証は、2011年6月から私が持ったものと同じである。そしてそれは2012年12月、男に会って話を聴く日をもって終わった。

 リセットされたのである。

 欠席裁判ともいえる状況で社会的に抹殺されようとしているこの男と話したことによって、偏った情報を基に持っていた印象を私は一旦脇に置くことができた。そしてこれから彼の言葉をもう一度精査し評価をし直す必要がある。(もう一つ偏りを是正するためには、現JBCスタッフに直接話を聴く必要もあるだろう。)

 ところで、私が男と会うのは、ボクシングへの関心からである。その関心とは、2011年6月の騒動での関心、つまり、「安心してボクシングを見たい」、それである。私の目的はこの男ではないが、この目的のためには、この男が必要ではないかと思っている。少なくとも男は、ボクサー、ボクシングのために全身全霊を傾けて働いてきた。そう感じるからだ。

 私が市民団体(笑)に参集したのも、正常に試合運営されるボクシングを見たい、そのためには運営組織が正常化されるべきだ、そのためには疑惑が生じている人物について完全に独立した第三者機関による調査を行うべきだ、そういう考えからだった。それは今も変わっていない。

 それは今、裁判という形で実現しようとしている。日本の司法あるいはそもそも裁判そのものがいかに信用ならないとはいえ、現在望みうる最も公正な機関・手続きだと私は思っている。まずはその結果を待ちたい。

 私が男に最初に会った時、男はここに書けない言葉を二度繰り返した。この男にしては珍しく、吐き捨てるように。いやそれも彼の本当の姿なのだ。それは怒りであり、呻吟であった。

 その言葉は私の胸に響いた。

 先に店を辞した私は、帰宅後仲間にメールを送った。以下はその一部である。
 
 もう5年以上前になると思いますが、どこかのサイトで安河内氏のインタビュー記事を読んだことがあります。たしかボクシングのルールについてだったと思いますが、その説明の分かりやすさと誠実さが強く印象に残っていました。ファンの素朴な疑問も決して侮らない、そんなところがありました。あの騒動の際にも「そんな人ではないと思っていたが」という思いもありましたが、「権力の座にいて変わってしまったのでしょう」という4時起き氏の言葉に「そういうことも確かにある」と思うしかありませんでした。そうではなかったことを私は心から喜んでいます。

byいやまじで



追記
 男の印象はどう言ったらよいのか。話で、「頭は切れるが人望がない」と聞いていたが、それとはちがう。「頭が切れる」人間はことさらに怜悧さを表に出してしまうことがあるがそれはない。「人望」については長い時間を過ごさないとわからないからノーコメントだ。私は仕事柄、事務次官クラスの人間まで話をしたことがあるが、その落ち着きに近いものがある。明快でブレがないが、色や当たりを感じさせないスムースさがある。世界中の魑魅魍魎とネゴシエートしてきたその練磨ぐあいがこの男のクセのなさ、つかみどころのなさに結びつくように思われる。しかし、それでいて熱い。ちょっと茶目っ気もある(笑。これがこの男の私にとっての像である。