
小田急線向ヶ丘遊園前駅の登りホーム新宿よりに降りると「川崎新田ボクシングジム」の看板が見える。今日はその新田ジムから初の世界挑戦をする黒田雅之選手の試合を観戦してきました。
といっても、私、黒田選手の試合を見るのは初めてです。正直「レベコを見てみたい」が8割がたであって、しかもいつもはそれなりに予習していくのですが、今回はほとんど予習無しで両者の試合を見ることに。
とはいえ、黒田選手についてはこの映像を見て、こんなおっとりした朴訥な青年が日本タイトル曲がりなりにも4度防衛しているのだから、リングでの野獣への豹変ぶりは半端ないのではないかというギャップの期待も少しはありました。
レベコ選手については長らくWBAライトフライ級暫定王座に鎮座後、フライ級暫定を制し、このほどBビロリアのスーパー王者昇格にともない繰り上がったおなじみのWBAマジックによる正規王者ですが、そんな事情は二の次で、Aアスロウム戦以外負け無しのアルゼンチン人がどんなボクシングをするのか見てみようではないかと思ったのです。
黒田はライトフライ級の日本王者ですが、身長167cm(推定:報道で157cmのレベコより10cm高いとあり)の長躯、パンチも強いということで、ライトフライ上がりのレベコにパワーで十分伍することができるのではないか、なんて期待も。
さて試合ですが、立ち上がりパンチを強振するレベコに黒田は足を使い左のリードで冷静に対応。1Rはややレベコのヒットに分があるラウンド。2Rになると黒田のパンチにレベコが効いたかバランスを崩したか後退、黒田がつめる場面があり、このラウンドは黒田。
レベコは左が多彩でスピードがある。それを研究済みであろう黒田は、右のガードをしっかり保ち距離をとって左のリードを突く。右は相手と距離がある場合か、相手の左の打ち終わりに繰り出すかのどちらかに限られる。この作戦はかなり機能したと思う。レベコは左を出してもなかなかヒットせず、当たってもガードの上からでクリーンヒットは少ない。その中で黒田が左のリードを当てる場面があればポイントはとれる。
その構図で一進一退の攻防が続いたが、6Rにレベコが手数でラウンドを制すると流れは一気にレベコへ。7R以降、左ボディも増やしながら、細かいヒットで各ラウンドほんのわずかずつだがレベコが勝る。
結果、117-111が2者、116-112が1者のユナニマス・ディシジョンで「スティル」のコールを黒田は聞いた。
2階席から見た私の採点は116-114で黒田。私はレベコの細かいパンチとボディをあまり評価しなかったので、黒田が相手の有効打を許さず左のリードで主導権をとったと見た。帰宅して録画で確認すると、やはり黒田は大きなダメージを負っていない。ただヒット数では少しずつレベコに上回られていた。レベコが黒田にダメージング・ブローを決められたなかったことも確かだが、挑戦者がチャンピオンをぐらつかせなかったことも確かだ。
決して惨敗ではない、採点ほどの開きはない。が、レベコが余力を残して勝ったという意味では完敗だったと言える。
黒田選手、悪い戦いではなかった。ただ今回の戦法では、相手の左を殺すために自分の右も殺してしまった感があります。相手を倒しにかかるときのコンビネーションブローもあれでは難しい。テクニシャンのレベコを脅かすことのできる武器を黒田は磨く必要があると感じました。守るだけでは勝つのは難しい。
レベコはウマかったです。ナルバエス・タイプですね。五十嵐とやったらどうでしょう。現時点ではいい勝負ですかね。
今回の観戦のもう一つの理由は、新聞折り込みにまぎれてくるタウン誌にしばしば黒田選手情報が載っていたことです。それを読んでいる私も結構ヒマ人ですが、川崎新田ジムは地域とのつながりを重視した活動を行っており、地元川崎市の商工会やJリーグの川崎フロンターレとの交流も盛んです。新田会長は地域の社会インフラとしてボクシングジムが定着することを目指しているようで、そういうボクシングジムの有りかたは有りだなという思いや、川崎市民としてちょっと貢献しようかという思いもあっての観戦でした。

ちなみに会場の「とどろきアリーナ」は、ボクシング会場としてどうかと思っていましたが(6500人収容で広すぎないかと)、実際には2階席でもリングが近く感じられて見やすかったです。(横浜文化体育館よりもっとよかった。)
川崎フロンターレの友情応援もあり、7-8割の入りの会場は黒田選手が敗れたものの大いに盛り上がりました。世界戦がなくても地域に不可欠なスポーツクラブとしてのボクシング・ジムの存在、これも一つの有りかたですね。
by 旧徳さん記事かぶせてごめんなさいのいやまじで
「今年は電子書籍元年」と言われ続けて一体何年経つでしょう?映像や音楽の配信がとっくにビジネス化されて生活に定着しているのに対して一向に普及しない電子書籍。本来は一番扱いが簡単でデータ量も軽いテキストデータがなぜデジタル商品として流通しないのか?答えは簡単で印刷物としての本の利権を持っている人が必死で抵抗しているからです。なぜか日本では出版社、印刷会社、取次会社、書店という既得権者が利権の分配方法を決めてからでないと電子書籍の導入は出来ないことになっているのです。紙の本を電子書籍にする「自炊代行」をしていた零細業者が「人気作家による抗議の記者会見」によって著作権侵害を奨励する悪質業者のようなレッテル貼りをされた事件が象徴的なように、著作権者である作家ですらが電子書籍時代に即したビジネスモデルに未来図を描けていないのが現状であります。電子書籍の直販で独走する漫画家の佐藤秀峰さんがエキセントリックな銭ゲバのごとく批判されるか黙殺されるかだけのメデイア状況は出版社がジャーナリズムを担っている事の明らかな弊害でありましょう。確かに音楽の世界で起こった構造変化は出版業界には脅威でしょう。「紙の本を売る書店がなくなっていいのか?」と言われたら自分だって寂しいです。ただ電子書籍が持っているメデイアとしてのポテンシャルを日本の社会だけが享受できないと言う状態は明らかに社会的な損失です。そうやって世界の趨勢から孤立しているうちに電子書籍におけるビジネスノウハウや技術と言う先行者利益を海外の事業者に独占されれば著作権者の作家的自由すら侵されかねません。今まで出版文化を担ってきたと言う自負心は結構ですが大衆が電子書籍を読む自由をなんで邪魔する権利があるでしょう?そして健全な技術発展を妨げる権利が彼らにあるでしょうか?
でやっとボクシングの話であります。今春よりやっとWBOとIBFの承認(加盟?)が成って海外並みの4大タイトル時代を迎えるらしい日本ボクシング界。「何でこんなにも時間がかかったのか?」という疑問に対する答えは、先述の電子書籍と同じ「既得権者の利害調整に時間がかかったから」であろうことは大人のファンには周知の事実であります。「業界の秩序を保つ」という美名は実質「現在のパワーバランスの保持」に他なりません。こうした送り手側の事情に依存する売り手市場のボクシング界にあって、4団体時代の扉を開くことは「世界中の強豪が見たい」というファンの願望、「大手ジム・プロモーターに挑戦のルートが独占されていない未踏地に挑んでチャンスをつかみたい」という選手の願望にわずかながら応えるものだと評価するべき動きと言えるのでしょうか?残念ながら私にはそうは思えません。なぜなら4団体加盟がなっても風通しの良い業界像はどうにも展望できないと落胆せざるを得ない事態が今進行しているからです。それは大星ジムの大沢宏晋選手のライセンス停止を巡る事件です。
大星ジム所属の大沢宏晋のライセンスの停止についてJBCはHP上で『JBCが認定していないWBOアジアパシフィックフェザー級暫定タイトルマッチ(以下「本件試合」という)と知りながら本件試合に出場した。』ことが理由であると告示しています(こちらを参照下さい)。さらに返す刀で『大沢が所持していたOPBF東洋太平洋フェザー級タイトルを平成24年12月16日付で剥奪せざるを得ない』となぜかJBCとは別組織であるはずのOPBFタイトルの剥奪まで高らかに宣言するに至っては鼻息の荒さにには慄くばかり。ですが、その意気込みに比してこの処分理由の根拠が失礼ながらかなりオソマツ。なぜなら過去に未認定のタイトルマッチを戦いながら処分されていない選手が沢山いるからです。それも日本IBFなどまで遡らなくとも近過去に沢山の事例があるのです。
2000年代日本ボクシング界の看板選手だったクレイジー・キム選手が日本未認可のABCOタイトルを海外で獲得し国内で防衛戦をしていた事はファンの記憶には新しい事でしょう。ベルトを何本もかけたポスターや報道写真は日本では珍しい中量級のベルトコレクターであるという氏のトレードマークとも言える姿でした。WBOアジアパシフィック王座を獲得した際ベルトを控え室で受け取り、防衛戦も海外で行ったという大沢の姿勢はキム選手に比べれば随分しおらしい節度に満ちたものに思えるくらいです。あるいは大沢と全く同じWBOアジアパシフィックフェザー級のタイトルマッチを2010年に脇本雅行が行っています。こちらは敗戦した為に戴冠には至りませんでしたが大沢選手は勝ったがゆえに問題になったということでしょうか?タイトルマッチに勝つと問題になるようなルール設定をしてる競技にレベルアップは望めるのでしょうか?2012年には2月に岩井大選手がWBCのユースシルバーに、9月には鬼ヶ島竜選手がWBCのインター王座に挑んでいます。直近の試合予定では4月に帝拳ジムの石本康隆選手がWBOのインター王座に挑むと堂々宣言されています。サスペンドが怖く無いのでしょうか?
ホンのここ数年の近過去に遡っても矛盾だらけのこの最低、じゃなかった「裁定」。なぜこのような奇怪な判断が下されたのか?過去の事例と整合性のない処分に理があるのか?本来はこうした検証がスポーツジャーナリズムの使命であるはずです。ところが業界紙の雄「ボクシングマガジン」は検証という名の下に怪文書まがいの陰謀論を展開しJBCの不可解な裁定を援護射撃し、当事者であるボクサーが様々な思いを呑み込んで出したであろう苦渋のコメントを「選手はこのように反省しております」とばかりに何の論評もせずに掲載する始末。選手へのリスペクトは微塵もありません。第二コミッションへの連座は事実なのか?という検証もさることながら、そもそも2011年に安河内事務局長を排除する手段として「第二コミッション」に言及したのは他ならぬ現JBCの中枢の皆様ではなかったでしょうか?「JBC内部にいながら第二コミッションを画策すること」がサスペンドの対象であるなら彼ら自身もその咎を免れないのではないのか?という論理矛盾をどう考えているのでしょうか?
無論このような不毛な言葉遊びが私の本意ではありません。私が言いたいのは、大沢選手はボクシングのチャンピオンであるとともに介護師ボクサーとして社会面にも載るような業界にとっても非常に良いイメージをもたらす有為な人物であったということです。このような人材を下らない自己都合で放逐したとすればそれこそ業界の損失であります。才能ある選手の一年間を取り上げるに足る正当な根拠があったのか?私は大いに疑問です。
それともう一つ。私はあんまり人間が出来てないので、「日本で最初のWBOの世界戦を戦うのは大手ジムの選手で無ければならない―という理由で地域タイトルを取って順調にランキングを上げていた大沢選手が排除されたのではないか?」という邪推をついついしてしまうのですが…。
この問題には今後も言及していきます
なぜ批判が起きないのか不思議な旧徳山と長谷川が好きです
JBCに引退届を提出し海外で活動を続けている高山勝成選手がIBFミニマム級に挑戦する。(3月30日、於メキシコ)
時事通信
高山選手のブログ
高山選手の同タイトルへの挑戦は3度目。2011年南アフリカのジョイへの最初の挑戦は偶然のバッティングでノーコンテスト。2012年ジョイⅡはユナニマス・デシジョンで敗戦。
同年フィリピンでのハンディグとのIBF挑戦者決定戦はスプリットで敗れたもののIBFが再戦を指示。ハンディグ負傷により高山が挑戦権を得た。
王者はジョイを破ったマリオ・ロドリゲス(メキシコ 15〔11KO〕-6〔1KO〕-4)。数字上の戦績に見るべきものはないが、24歳の若さと対戦相手のレベルの高さは侮れない。
Boxrec戦績
ジョイvsロドリゲス戦
ジョイⅡで非力さを感じさせた高山だが、海外での判定の不利を実感してか、ハンディグ戦前はパンチ力強化を課題にトレーニングを積んでいた。
彷徨う拳Ⅱ高山勝成(ハンディグ戦の一部を含む)
高山のスピーディでアグレッシブなファイトが私は好きであるが、今回の試合ではパンチに力強さが増していることを期待したい。タフなファイターらしいロドリゲスとは激しい打撃戦になるだろう。
by いやまじで
世界タイトルの乱立、不可解な判定の頻発、ボクシング中継の減少、業界の構造不況。雨降りの車中からワイパー越しに見るような視界不良のボクシング界。「一体ボクシングファンはどうしたらいいんだ?」問いかけたところで壁に貼った尾崎のポスターもファンシーケースの脇のラークのゴミ箱も何にも答えてはくれません。いきおい私の生活は荒れました。安酒をあおってあてどなく街をさ迷い、気がつけば書店の雑誌コーナーの前。「壇蜜のグラビアでも立ち読みするか」と半ば自暴自棄になっていたその時、ある一冊の雑誌が私の目に飛び込んできたのです。荒れた海を行く小船の航路を照らす灯台のように、あるいは悩める小羊たちを導く預言者のように、あるいは出張先で出会った話好きのタクシーの運転手の如く、インターネット上の不確かなボクシング情報に一喜一憂するボクシングファンに確かな指針を与える存在がまさか書店にあるなんて…。
「ボクシングマガジン」という雑誌を皆さんご存知でしょうか?発行はベースボールマガジン社とありますが野球と何か関係があるのでしょうか?第三種郵便物ってどういうこと?恐る恐るページを開くとそこはボクシングファンの桃源郷が。こんな世界があったのか!私は矢も盾も堪らずレジに直行。つり銭と一緒に「ボクシングマガジン」をワシ掴みにすると家路を急ぎました。しかし「一刻も早く読みたい」そんな焦りがいけなかったのでしょうか。家に帰ってつり銭を確認すると1000円札に対するお釣りがなぜか40円しかないのです。いくら白黒ページと広告が充実しているからといってこの値段はあり得ない。書店員のミスでしょうがしかしあせった自分にも一抹の責任はある…それに今はどうしても「ボクシングマガジン」を読みたい…抗議は明日にしようと自分を納得させていよいよページを開きます。
人気選手へのインタビューのトーンはまるでアイドルのグラビア。さながらJUNONのようです。少数精鋭のカラーページの後に控えるのは読み応え満載の記事が溢れる白黒ページ、充実した広告ページと続きます。巻末には各団体のランキングがパソコンやスマホがなくても確認できる便利な情報のページがドンと控え、どこをとっても削るところのないタイトな作り。活字離れが言われる昨今でも何の不安もない誌面構成ではありませんか。きっと頻繁にリニューアルが行われて現在の形になったであろうことは想像に難くありません。そして何と言っても一番読み応えがあるのは最終ページの編集長のコラムです。今月号では「テレビがゴールデンタイムに村田や井上の試合を中継すればまたボクシング人気出るんじゃねえ?」という昭和から一切ブレていない筋の通った意見を拝読出来て当方はもはやお腹イッパイ。暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょボンボリに、金メダルバブルに踊らにゃソンソンというジャーナリステイックな姿勢には脱帽するしかありません。
楽しい時間はすぐ過ぎるといいますが、思ったより早く読み終わり「来月も絶対買うぞ!多分!!」と決意も新たに目次を眺めて余韻を楽しんでいると奇妙な違和感が…。なんと「大沢宏晋選手に1年間ライセンス停止処分」と言う記事のページが目次と違うのです。目次は96ページですが実際は98ページに掲載されたこの記事。サスペンドと言う重い題材を扱ったが故についつい熱が入りすぎ「上手の手から水がこぼれる」ことになったのか…。とはいえ「JBCの裁定の正しさを何が何でも証明したい」と言う書き手の熱意が乗り移ったアジビラのようなの檄の前では誤植など所詮小さな綻びに過ぎません。あらゆる問題点を元職員と自称マッチメイカーに集約するアクロバチックなレトリックにただ酔えばいいのです。この記事から見て取れる「ボクシングマガジン」とJBCの強い絆は人民日報と中国共産党のように麗しい一体感です。そして当事者大沢選手のコメントで記事を締める構成は「関係ない周囲の事情に巻き込まれて一年間試合が出来ない選手の無念さ」などという感傷的な要素には一切配慮しない・出来ない厳格なコミッションの姿勢をボクシング業界に周知するという見事なガバナンスでもあります。こうやってコミッションとメデイアが一体ならば我々ファンも安心です。JBCがなければボクシングもありません!大切な事に気付かせてくれてありがとう 「ボクシングマガジン」 そしてさようなら 「ボクシングマガジン」
ボクシングマガジンに真のジャーナリズムを見た(旧徳山と長谷川が好きです)
安河内氏と対面して、まず私たちが言わなければならないことは、やはり市民団体(笑)のことです。
拳論サイドからの情報のみを以って「安河内降ろし」に加担したこと、そして今振り返れば、それらの疑惑が事実ではない可能性があり、そうだとしたら大変な迷惑をかけてしまったことは反省・謝罪しなければならないのではないか。
今回の仲介者の方(この安河内会談実現にご尽力頂いた方)も、約束を取り付ける際に安河内氏にそういったニュアンスを伝えたそうですが、その時氏は「いやいや、謝罪とかそういうのはナシにしましょう。ざっくばらんなボクシング談義でしたらうかがいます」と言われたそうです。
とはいえ、自己紹介をするにしても、その件に触れないわけにもいきません。すると氏は「拳論が何かやったとはいえ、また皆さんもそこで色々書いたりしたとはいえ、それ以上の大きな動きがあったということですよ。」と、あの当時のことを話し始めました。
安河内氏(以下Y)「まず、最初にコミッションや全国のジム等に出回った怪文書ですが、これ自体はK記者や、彼とつながりのある職員・試合役員(以下、「改革派」)とは関係ないだろうと思っています。誰がやったのかは、大体めどはついていますが」
Y「まあクーデターですね」
このあたりの話は、内容的には同じことを当時の私たちも聞かされておりました。しかしニュアンスがだいぶ違いますけどね。
「あの騒動自体が、悪に対する組織の自浄作用が働いたものであり、権力闘争などではない」「怪文書に端を発する内紛騒動ということにしようとしてる連中がいる。この件の本質を見誤らそうとしているんだ!」「職員・役員たちは職を賭して、体を張って訴えを起こした」という表現でしたし、「事務局長から降格された」という、安河内氏にとっては災難といえることでさえも、当時の私たちから見れば「あれだけ悪事を働いたのに、多少金額は減ったとはいえ、ほとんど何もせずに給料もらいやがって!」ということになります。
ウソやねつ造がなくとも、同じ事実を、少し違う見方・表現をするだけで、まるで正反対の印象を受けてしまうというのがミソです。
この場合重要なのは、安河内氏に対してかけられた数々の疑惑が事実であるかどうか?ということです。
本当の真実は勿論、安河内氏自身にしかわかりません。現在氏はJBCを相手に、地位保全等の裁判を行っておりますので、そうした場では、双方が提出する材料の中から、客観的な証拠や信ぴょう性の高い証言等を基に判断がくだされるものと思います。
しかしそれはそれとして、まずはあの頃ほとんど口を開かずにいた安河内氏自身の言葉で、何があったのかを語っていただきたい、というのが今回の私たちの目的です。
前回の記事でも書きましたが、当時の市民団体(笑)が、水戸黄門の印籠のごとく崇め奉り、切り札にしていたのが、安河内氏についての「20項目に及ぶ告発」と言われるもの(以下、「20の告発」)です。
例の、第1回目の会合前夜、私がちょっとだけ見せてもらってすぐに回収されてしまったアレのことですが、これは2011年5月9日、JBC東京試合役員・事務局員合同調査委員会の名義で、JBC林有厚理事長に対して出された「調査報告書」というもので、裁判の証拠資料として提出されてますので、東京地裁の記録閲覧室に行けば誰でも見れます。
その冒頭の文章を引用してみましょうか。
「平成23年4月18日、日本ボクシング協会各ジム等関係者一同に送付された、安河内剛事務局長を告発する文書(以下、告発文という。)の真偽について、財団法人日本ボクシングコミッション(以下、JBCという。)東京試合役員会と事務局は、合同調査委員会を立ち上げ、真相究明のための調査を行なったので、結果をご報告いたします」
この中にある「告発文」というのは、4月に全国の各ジム等、業界関係者に一斉に送られたいわゆる「怪文書」のことですが、この文章を読むと、その怪文書に記載してあることについて、職員・試合役員が調べた結果についての報告書、ということになっています。
しかし当時、私たちは拳論や「改革派」から、「この「20の告発」は、怪文書だのキス写真だのといったスキャンダルネタみたいなものと一緒にされては困る。もっと重大な不正経理や組織の私物化等について役職員が独自に調べ、職を賭して訴え出たものだ」と聞かされていました。
が、実際のところは、やっぱり怪文書とセットだったようですね。
だったら普通に、「安河内氏に関する怪文書が出回ったから真偽を調べた」と言えば何の問題もないのに、なぜこういう変なところで小さいウソをつくんでしょう?
それはともかく、内容はどのようなものだったのか。
Y「その、彼らの出した報告書(「20の告発」)について、さらに調査委員会でしっかり調べることになったんですが、彼らにしてみたら、叩けば何かしら出てくるはずだと思っていたんでしょう。調べりゃわかるんだからとっとと(事務局長を)降りろ、と詰めよってきました」
Y「しかし実際私は何もやっていませんから、一円でも遣い込んでいる事実が出てきたら警察を呼んで逮捕してくれて結構、と言いましたよ」
Y「その告発の中身ですが、もう取るに足らないような嘘八百なんですよ。そんなのを色んなとこから集めてきたらしいですけどね。たとえば私が歯を剥いて唸った、とか(笑)」
この「歯を剥いて唸った」には、一同思わず笑ってしまいましたが、この「20の告発」の中に、本当にその表現が出てくるんですよね。
それを含め、「JBC職員に対する異常な言動」という項目でいくつか事例を挙げていますが、要はパワハラがあったという主張です。
Y「その唸ったという件ですが、あれはL選手が世界戦で1ラウンドKO負けした時です。控室が狭かったというのもあるんですが、頭からタオルをかけ、茫然自失になっているL選手の顔の前に尻を向けて、ある職員が作業していたんですよ。もう尻がL選手の鼻先にくっつきそうになるくらいの距離で」
Y「私もジム育ちですし、強い弱いに関係なくボクサー全員が好きですから、日頃から選手を大切にしろと言ってきました。それなのにそんな光景に出くわしましたから。そりゃあ頭に来ましてね。すぐに引きずり出してどやしつけたのは事実です」
Y「あとは、携帯を使って、ドクターと職務上必要な連絡をやり取りしていたのに不当に怒られた、とかいうのもありましたね」
Y「電話であれメールであれ、携帯を使っているところを傍から見れば、誰が相手でどういう内容なのかはわからないですよね。だから、職務上必要なことをしてるんだからいいだろう、ではなく、変に勘ぐられないように、コミッションの職員は試合会場では、人から見られるところで携帯は使うなとずっと前から注意してるのに、彼らはわからないんですよ」
個人的な感想を言わせてもらえば、L選手のケースなどは、そりゃ歯を剥いて唸られても仕方ないわなぁ、と思ってしまいますね、正直なところ。
その怒り方が常軌を逸して酷かったということかもしれませんが、もし私がその職員で、これ以上ない無残な負け方をしたばかりの前チャンピオンにそんな無礼なマネをしてしまったとしたら、たとえそれが故意でなく「うっかり」であったとしても、まずは自分自身を恥じますね。それを棚に上げて「その時にすごく怒られたんですっ!」なんて言う気にはなれません。
「20の告発」というだけあって、この調査報告書には他にもたくさん書かれております。
これは現在、東京地裁に行けば誰でも見れるものですから、いっそここに全文をアップしようかとさえ思いましたが、さすがに結審前の今それをしては問題があるでしょうからやめておきます。
この当時は「ここまで詳細な報告が上がった以上、問題があったのは間違いない」「違うというなら当然反論するべきで、そうしないのはそれが事実だからだ」というのが、拳論含めたネット上での論調でしたね。
しかし、いざ本物を読んでみると、申し訳ないですが「これが、いい大人が雁首そろえて出した報告書ですか?」という印象です。
上に挙げた例のように「ああ言われた」「こう言われた」ということの他に、様々な不正のことが書かれていますが、その多くが「…と思われる」「…の可能性がある」「…という噂があり…」という調子で、そしてそれらの文章は「よって、今後調査すべきである」というように結ばれています。
調査報告とはいいながらも、最初の怪文書と大差ない、「こんな疑惑がある」というレベルに留まっています。
では、ここからが重要なんですが、これらの疑惑について調査委員会が調べた結果はどうだったんでしょうか?
当時の拳論では、調査結果が出た後も、何回かこの件に関する記事を更新しておりました。そこでは、「一部、職員に対する対応のみが不適切とされ降格になったが、多くの不正疑惑については不正なしとされた」「しかし、詳しい調査内容や委員会メンバーもわからず、うやむやになった印象」と言われており、それがまたファンの「安河内憎し」を増幅させることになっていたんですが、実際には6月28日に明確な結果が出ております。
それによると、「ある職員に対する対応・処遇について不適切だった点がある」という一項目についてのみ、安河内氏に非があったと判断されていますが、その他の遣い込みやパワハラや愛人登用等については、すべて「不正なし」という結果でした。
あれだけ「領収書がある!」「動かぬ証拠だ!」と言って騒いでいたフグの件だって、その食事の場に、この告発をした側の試合役員のうちの一人が同席してるんですからね。自分も一緒にフグを食っておきながら「キャバクラ嬢との食事に公費を使った!」と訴えているんですから閉口します。当然この会食自体が、正当な理由があってのことで、調査委員会の見解でも「問題なし」とされています。
※この件の詳細については、当該女性のプライバシーを侵害する危険を冒してまで書く価値のない、他愛もない出来事と私は判断しましたので内容は書きません。
また、拳論のコメント欄では「杜撰な調査」「(調査委員会の)メンバーが誰だかわからない時点で信用できない」なんて声もありましたが、ではどのような人がこれを調べたのか。
「改革派」の訴えを握り潰すべく、恣意的な人選がされたんでしょうか。
この時の調査委員会のメンバーは全部で6人。元仙台高検の検事長も務めた方を含む三人の弁護士と、JBCの理事・監事・評議委員という構成です。
司法試験に縁もゆかりもなかった、アホ大学の法学部生だった自分が言うのもなんですが、弁護士といっても一つの職業であり、神様ではありません。いい加減な調査だったとか、それこそ金を掴まされて云々…といったことだって「可能性」としてはあります。しかし「蓋然性」ということでいえば限りなく低いでしょう。
この時の三人の弁護士のうち二人は、現在安河内氏が起こしている訴訟において、JBC側の弁護人を務めているんですから。
安河内氏の想像するところでは、「改革派」の人たちは、「どうせあいつは悪いことをしてるに決まってる」「もしちゃんと調べれば、絶対何か出てくる」と高をくくっていたのではないか、とのことです。
しかし氏としてはやましいところは何もないので、伝票から領収書からすべてを開示して「どうぞ存分に調べてください」と言って調査が始まったが、いつまでたっても何も出ない。
そうした「これはどうも話にならないな」「何も出なそうだ」という感触が「改革派」に漏れ伝わって、それはマズいということで、あれこれ騒ぎ始めたのではないか、と。
確かに、5月9日に「20の告発」が出され、調査委員会に委ねることが決定した時点で、まずはその結果を待つのが筋だと思うんですが、その後時系列を追いながら事態の推移を見ると、ちょっと異常とも思える展開です。
まずはその告発の翌日、5月10日に、安河内氏に対して一カ月の休職処分が科されます。まだ「疑わしき」の段階での処分としては厳しいとは思いますが、それほど「改革派」の声が大きかったのでしょう。
その同日に、氏の解任を求める連判状なるものが提出されたのを皮切りに、公益通報と称する外部通報を行ったり、「複数の女性をレイプした」などという内容の文書をばらまいたり(試合役員の一人が)、またファンの間ではジェントルマンとして認識されているレフェリーの某氏などは、恫喝に近い激しい口調で安河内氏に解任を迫ったり…
調査が半年・一年かかったというなら怒るのもわかりますが、ひと月とたたないうちにそれだけ騒ぎ始めたら「何も根拠がないから焦ったのではないか」と言われても仕方ない感じはします。
少し話は逸れますが、ここで私が注目するのは、拳論やK記者は、このような流れをすべて知っていたはずであるということです。当時彼らは「改革派」の役員たちはじめ関係者へ取材もしており、そこで得た情報を基に、紙媒体や拳論の記事を書いていたんですから。
にも関わらず、冒頭の方で書いた通り、この騒動の発端についても彼らの記事の中では「これは怪文書をきっかけにした内紛などではない」という事実とは異なる発言をしたり、調査委員会の出した結果についても「詳細はわからない」と言ったり、「倉庫の鍵の保管場所がいつの間にか変わってた」などという、いかにも何かがあったことを匂わせるような、思わせぶりな記述を繰り返しておりました。
まさしくこうしたことを、除名された時のボク愛氏は心配していたのです。
この市民団体(笑)が拳論発でスタートしたのはいい。素人と違い取材力もあるから、協力関係を保ちながら進めるのもいいが、やはりファンが自ら立ち上がった以上、すべて自分たちの責任で行動するべきだ、ということです。
拳論に依存し、一蓮托生になってしまった場合、もしその拳論が間違っていたらどうするのか。
誤った情報を基に動いた結果失敗した、という後悔をしたくないなら、たとえ困難でも自分たちの手で情報を集めて行動する、ということをしなければならない、と。
結果的には、その不安が的中した形になりました。
少なくとも、あの時市民団体(笑)の活動の源であった「20の告発」は、第一回会合の直後には、調査委員会によりほぼ否定されていたわけですから、大義名分を完全に失ったといっていいでしょう。
今となっては、市民団体(笑)が空中分解してくれて良かったと思っています。
あのような内容の、それこそ「怪文書」を頼りにその後も戦っていたら今頃どうなっていたか…
「彼ら」がこれを読んだら、「あいつらまた騙されやがって」なんて言うんでしょうか(笑)。
確かに言った言わないの問題などは当事者にしかわかりませんが、調査委員会の公式の見解で「ほとんどシロ」とされたのは事実です。
その結果もやっぱり間違いで、実は裏で何か細工をしてどうのこうの…なんてお得意の陰謀論で話をされたらキリがありません。
しかし、事実を求める為に情報を集めることは常に必要ですから、いやまじで氏が言うように、「改革派」の話もぜひ聞いてみたいと思います。お話ししてくれるのであれば、ですが。
まず今回は、自分自身の市民団体(笑)についての総括の意味もあり、安河内氏に対する「20の疑惑」の部分に関してのみ振り返りました。
潔白であるなら、なぜ氏はこの時に全面的に抗戦しなかったのか?ということや、また、安河内氏がその後解雇されるに至るまでに起こったいろいろな動き、その結果現在のJBCはどうなったか?等、まだこの件については語られるべきことがたくさんありますが、そのあたりはまた別の機会に譲ることにいたします。
(ウチ猫)
2013年、松の内も明けたばかりのある夜、私は都内の某飲食店で数人の仲間たちと、ある男の話を聴いていた。
プライベートな会合であったが、男はスーツをかっちり着こなし、しかし、しかしそれでいてリラックスした口調、柔らかい物腰で応じていた。
男はボクサーとボクシングとボクシング界について語っていた。
ボクサーの経験もレフェリーの経験もあるというこの男は、以前「ボクサーが一番大切なんです。」と語っていた。
* * * *
「以前」というのは、この会合に先立つことおよそ1月前、西暦2012年12月某日のことだ。私はこれも都内の某喫茶店で、この男に会っていた。
「ボクサーが一番大切なんです。」
「だから、判定はしっかりしてやらなければならない。」
「レフェリー、ジャッジの研修は厳しくやりました。」
「といっても、ジャッジの難しい試合、際どい勝負はあります。そういう試合のことではなく、どう見てもその判定はないだろう、そういう試合は無くすよう徹底したんです。」
「試合後の反省会で、3人のうち他の2人が赤につけているのに、なぜあなたは青につけたのか、どこをどういうふうに見てそうつけたのか。それをはっきりさせる。そこを徹底してやったんです。」
レフェリングやジャッジの公正性を期すことに関して、男はこうも言っていた。
「ドン・キホーテと言われてもいい。」
「世界から見て、そこまでしなくても言われるかもしれない。でも、日本が世界を変えるぐらいのつもりでやらないといけない。海外は―」
「海外は―」の後、男は同じ言葉を二度言った。それはここには書けない言葉だ。
私はこの男の話を聴いて、JBCがWBCから表彰された理由が分かった気がした。CであれAであれ、ボクシングの世界タイトル認定団体にしてファミリービジネスという意味不明の取り合わせの組織であるにしても。
ちょうど報道でAIBAが日本の村田諒太選手にAPB(AIBAプロフェッショナルボクシング)への参加を呼びかけたことが話題になっていた頃だった。私自身は、ロンドン五輪で見たアマチュア・ボクシングが非常に楽しめたという話をした。プロの試合では、ラウンドごとの優劣の積み重ねが必ずしも試合全体の印象に合致せず、それが見る側にとってフラストレーションになることがある。アマの試合は有効打のポイントを積み重ねてゆくので、その決着が非常に明快で、集中して試合を見ることができる。どこでリードしているか、どこでひっくり返されたかがはっきりしている。(実際には不可解な判定も多く、銅メダルの清水聡選手の場合は試合結果が覆るという前代未聞の事態も生じたが。)
そのアマボクシングがプロ化することについて、私はある期待を抱いていた。それは黒船理論のようなものだ。
現在のプロボクシング界について私が最も強く感じる不満は、レフェリー、ジャッジの不公正である。ホームとアウェーをはじめとして、人気選手やプロモーターに配慮したと思しきレフェリングやジャッジが横行し、それが当たり前と受け止められている。本来ならば少なくとも建前ではフェアでなければならないレフェリングとジャッジが、むしろ、アンフェアであることが建前であるかのような観を呈している。倒錯した世界である。ファンは試合を見る際に、下手をすると選手よりレフェリーやジャッジがどのようなバイアスで職務を遂行しているかに神経を使わなければならない。そうして時として、実際に出た勝敗とは別の勝敗表を自身の中に作らなければならない。他の採点競技でも同様のことはあるだろうが、その頻度の高さは他競技の比ではなく、それを改善する意欲の無さについては断然他の追随を許さないものがある。結果、このスポーツは面白いと気軽に人に言える状況ではなくなり、見る術をある程度心得ている人同士でのみコミュニケーションをとることになる。このようなものはスポーツと呼べるのか、見るに価するのか、そんな疑問に抗しながら観戦しなければならない。
そんな現状のプロボクシングに、ポイント加算式で試合全体の流れと結果に齟齬が生じにくいアマボクシングが参入し、そこに従来のプロ選手も自由に参加するようになればどうなるか。しかも、そこで例えば長谷川vsモンティエルの再戦が行われたら、…なんて妄想はともかくとして、ジャッジの公正なプロボクシングが登場して人気を博し、プロボクシングのパイのそれなりの部分を奪うことになれば、従来のプロボクシングサイドも、レフェリー・ジャッジの公正性について是正を図るのではないか、そういう期待である。つまり外圧による内部改革である。
私は男にその話はしなかったが、男はAPBについてこう言っていた。
「難しいですね。興行のセンスが一番のネック。ワールド・シリーズ・オブ・ボクシングも成功しているとは言い難い。」
「ヘッド・ギアを外して、採点法も(現在の)プロと同様にする方向です。」
このあたりを聴いて私は落胆した。採点法はもちろん、ヘッド・ギアを外すというのもそうである。ヘッド・ギアをつけているメリットは、カットによるストップのリスクが少ない点だ。これまでプロボクシングの試合では、カットによるストップで何度も消化不良の試合を見せられた。そうなる前からヒヤヒヤして見なければならなかった。それがなくなるのは安心だと思っていたのだが。
それでも、APBが新しいプロボクシングとして発展することを私は期待している。AIBAもスキャンダルが絶えないが、採点の公正化への努力をしているだけでも評価できる。チャンピオンは各階級一人であり、オリンピックという強力なブランドもある。参加基準を緩和すれば既存のプロボクサーの参加は増えるのではないだろうか。
男は、現代におけるスポーツの価値と可能性について力説した。
「これからはスポーツの時代です。」
「かつて肉眼で数えられるほどの観客の前でプレーしていた日本のサッカーが、Jリーグができたことによって現在では日本のトップのプロスポーツとなっています。かつてその可能性を信じた人間がどれだけいたでしょう。ボクシングが可能性を捨ててはいけないんです。」
* * * *
男との正月の会合で、仲間の一人がこういうことを言っていた。
「元ボクサーのボクシング関係者Sさんが、あの男は問題あるでしょ、と言ってたんですよ。Sさんはかなり客観的に物事を判断する人物なので、そのSさんまでそういう見方をしているのかと思って、ちょっとびっくりしました…」
私はこの話を聴いて、男についてのSさんの心証は、おそらく報道やネット上で流れた情報が、その真偽が糺される前に一般化したものであるだろうと思った。つまり、これだけ報道されているんだから、何もなかったことはないだろう。何かしら問題があったから、ここまでの騒ぎになったんだろう。そうでないと、ここまで人が動いたことが説明できない、と。
これは情報が十分に行き渡らない場合の世間一般の人間の極めて普通の反応である。火のないところに煙は立たない。実際私にしてもそうだった。
そうしてその一方で、騒動の際にあまり自分からは情報発信をしなかったことで、「有罪」の世論が広がったことに、この男自身幾許(いくばく)かの責任はなかったのだろうか、そんな疑問を抱きつつ、私はその夜、男の話を聴いていた。
男は、自分が属していた組織でしてきたこと、組織がいかに男を陥れたかということ、現在組織がいかに運営されているかということ、現在裁判では何が争われているのか、そしてもちろん、現在のボクシング界、未来のボクシング界について語った。
あまりに多くを語ったので、ここで一度に全てを書くことはできない。ゆえに、ここではその一端を紹介するにとどめるほかない。
男は組織が提出した不正疑惑についてはすべて真っ白だと証明できると断言した。また、組織がこれまで内部留保として蓄えてきたもの(億単位のお金)は、今後数年で消費し尽くされそうになっているとのことだ。彼の任期にとどまらず先人たちが半世紀以上に渡って積みあげてきたこのお金について、男はこう言っていた。
「そのお金を元手に、ボクサーのために病院を作ることもできる。」
男は引退後のボクサーのセカンド・キャリア支援のために、警察への就職の道を開いた。結果的に成功を収めたとは言い難いとは彼の弁だが、それを実現させるために彼がしたのが暴力団排除である。それがボクサーに警察への就職の道を開くために必要であることは自明であろう。それがいかに困難であったかは想像しにくい。しかし、それがいかに危険なことであるかは容易に理解できる。誰のためか。ボクサーのためである。
男が情報発信しなかったのはなぜだろう。男の話を聴いていて、そんなことはどうでもよくなっていた。
少なくとも男は自分が正しいことが分かっており、その裏付けもあり、「有罪」の世論・風評に動ずることなく、また芯の部分がいささかも傷つくことなく今に至っている。そしてこれまで信を得ていた内外のボクシング関係者から今も変わらぬ信頼を得続け、ビジョンを描き、そして何よりもボクサーとボクシングへの愛と熱を持ち続けている。ボクシングを語る男の姿からそう私は感じた。
裁判に訴えたのも、それが一番の近道だと判断できたからであろう。ネットを使っての反論をしなかったのも、そういうことだったのではないか。
Sさんが男に持った心証は、2011年6月から私が持ったものと同じである。そしてそれは2012年12月、男に会って話を聴く日をもって終わった。
リセットされたのである。
欠席裁判ともいえる状況で社会的に抹殺されようとしているこの男と話したことによって、偏った情報を基に持っていた印象を私は一旦脇に置くことができた。そしてこれから彼の言葉をもう一度精査し評価をし直す必要がある。(もう一つ偏りを是正するためには、現JBCスタッフに直接話を聴く必要もあるだろう。)
ところで、私が男と会うのは、ボクシングへの関心からである。その関心とは、2011年6月の騒動での関心、つまり、「安心してボクシングを見たい」、それである。私の目的はこの男ではないが、この目的のためには、この男が必要ではないかと思っている。少なくとも男は、ボクサー、ボクシングのために全身全霊を傾けて働いてきた。そう感じるからだ。
私が市民団体(笑)に参集したのも、正常に試合運営されるボクシングを見たい、そのためには運営組織が正常化されるべきだ、そのためには疑惑が生じている人物について完全に独立した第三者機関による調査を行うべきだ、そういう考えからだった。それは今も変わっていない。
それは今、裁判という形で実現しようとしている。日本の司法あるいはそもそも裁判そのものがいかに信用ならないとはいえ、現在望みうる最も公正な機関・手続きだと私は思っている。まずはその結果を待ちたい。
私が男に最初に会った時、男はここに書けない言葉を二度繰り返した。この男にしては珍しく、吐き捨てるように。いやそれも彼の本当の姿なのだ。それは怒りであり、呻吟であった。
その言葉は私の胸に響いた。
先に店を辞した私は、帰宅後仲間にメールを送った。以下はその一部である。
もう5年以上前になると思いますが、どこかのサイトで安河内氏のインタビュー記事を読んだことがあります。たしかボクシングのルールについてだったと思いますが、その説明の分かりやすさと誠実さが強く印象に残っていました。ファンの素朴な疑問も決して侮らない、そんなところがありました。あの騒動の際にも「そんな人ではないと思っていたが」という思いもありましたが、「権力の座にいて変わってしまったのでしょう」という4時起き氏の言葉に「そういうことも確かにある」と思うしかありませんでした。そうではなかったことを私は心から喜んでいます。
byいやまじで
追記
男の印象はどう言ったらよいのか。話で、「頭は切れるが人望がない」と聞いていたが、それとはちがう。「頭が切れる」人間はことさらに怜悧さを表に出してしまうことがあるがそれはない。「人望」については長い時間を過ごさないとわからないからノーコメントだ。私は仕事柄、事務次官クラスの人間まで話をしたことがあるが、その落ち着きに近いものがある。明快でブレがないが、色や当たりを感じさせないスムースさがある。世界中の魑魅魍魎とネゴシエートしてきたその練磨ぐあいがこの男のクセのなさ、つかみどころのなさに結びつくように思われる。しかし、それでいて熱い。ちょっと茶目っ気もある(笑。これがこの男の私にとっての像である。
このブログのメンバーが集まった経緯は、既に各人の記事で述べられている通り、拳論主導で結成された市民団体(笑)がきっかけでした。
そして、その後起こった様々な出来事について説明してきたわけですが、では、そもそもその市民団体(笑)が出来たきっかけとなった「JBC問題」とは、一体なんだったんだろうか?という疑問が当然に浮かんできます。
それまで、色々な業界の方と会うことで、真に実になる情報を集める作業をしていましたが、ことJBC問題に関しては、直接的な情報や証言というものに触れてはおりません。と言うのも、普段私たちが接しているのはプロモーター・会長・トレーナー・選手といった、いわば「業者サイド」の方々である為、JBC問題についてはほとんど語られることがなかったからです。
そういう方々は、いい試合・いい興行をするべく努力しているわけですから、そのような話題の流れで「コミッションの役割」といった話になることはあっても、「いつだかの揉め事」についてわざわざ語る必要もないというところでしょう。
そういう時の当ブログのスタンスは「とりあえず当事者に会っちゃえ!」なんですが、さて誰に会ったらいいものか?
市民団体(笑)がまだ存在していた頃、私たち(団体メンバーのみならず、拳論の読者も)は主に拳論サイドからの情報を基に「安河内はけしからん!」と息巻いておりました。
思い返せば、亀田一家についても、ランダエタ戦までは各メディアがこぞって持ち上げている状況の中で異を唱えていたのが拳論であり、「本質を鋭く突くジャーナリスト集団」という信頼感から、これはきっと何かが隠されているに違いないと思いこんでおりました。
しかし、市民団体(笑)結成後間もなく、安河内事務局長の降格が発表され、その頃から雲行きが怪しくなっていきます。
まず、安河内氏の降格という結果を出した「改革派」ですが、当然 益々気合が入ってるかと思いきや、その後伝わってくる声は「ファンの皆さんは、今はとりあえず見守っていてください」なんていう元気のなさ。
このおとなしい発言のことは、4時起き氏の口からも、また他の人経由でも聞きましたが、しかしそうなると「それじゃあ我々は当面何をすればいいんだろう?」と戸惑ってしまい、そうこうするうちにボク愛さんの除名騒動があり、なし崩し的に市民団体(笑)の活動はフェードアウトしていきました。
ちなみにこの当時、私たちの行動の根拠となっていたのが、安河内氏に対する「20項目に及ぶ告発」と呼ばれるものです。
これは、正義に燃えるJBC職員・試合役員たちが、氏の悪行を詳細に調べ上げたものということでしたが、私たちは現物を見ていないので、どういった内容かわかりません。
ただ一度だけ、市民団体(笑)の第一回会合の前日に、K記者・4時起き氏・ボク愛氏・私・オマケもう一人、というメンバーで会合を持った晩に、その告発文のコピーを少し見せてもらったことはありました。
私はその時点で、これが翌日の会合でテーマになる為、その前に自分に見せてくれたものと思い、何なら持って帰っていいのかな?くらいに考えていたのでノンビリ斜め読みしていたら、K記者から「あ、じゃあ一旦返してください」と言われて取られちゃったので、ほとんど内容を覚えていません。
翌日の会合でも「こういった内容の告発がされました」という発表のみで、現物の提示はなし。
その時は「やはり外部のファンにおおっぴらに見せちゃまずいんだろうな」と納得するしかなかったですが、結局その後、告発の内容も、その調査の結果もわからないまま、「ファンの方は見守っててね」状態になってしまい、出てきたのは結局「(不当に入手したと思しい)フグの領収書」のみという結末でした。
それからは、これも各人の回想にある通り、ドタバタとしたことが続いたんですが、これまで「彼ら」がやってきたこと(それはJBC問題に限らず、それ以外のことも含めて)に関する情報や証言を集めていくと、見事なまでに同じパターンの繰り返しで、もはや「様式美」のレベルに到達しているといってもいいでしょう。実際このブログにも、かつて「彼ら」と関わったことのある方々からメール等をいただいております。
そう考えると、あのJBC問題で私たちが「彼ら」に刷り込まれていた事柄の大部分は、もうその時点でかなり怪しいと言わざるを得ない。
ならば、星の数ほども挙げられていた疑惑について、まずご本人に聞いてみよう、ということになりました。
皆さんご存知、安河内剛さんです。
かつて「日本ボクシング振興会」という仮面を勝手に被らされて、好き放題叩かれていた勝又会長にお会いしたのと同じパターンです。
真偽の判断は冷静にしなければならないですが、少なくとも肉声による生の情報は、それだけで一定の価値を持ちます。誰かさん達の大好きなネット上の噂や都市伝説の類は、真剣な議論にはまったく不要です(というか、自らバンバン嘘っぱちを流布するから余計にタチが悪いんですが)。
そんなわけで、以前から私たちは「一度、安河内氏からも直に話を聞きたい」と思っていたものの、すでに業界から離れた方ですし、そう簡単に会えるとも思えないので、特段その為に努力をしたわけではありません。
そんなある時、安河内氏とつながりを持つ方とご縁ができ、その方のご尽力で会う約束をしていただきましたが、当日を迎えるまではかなり緊張しました。
勝又会長の時も、それまでネット上で散々悪党だという刷り込みをされてましたが、私が会う前にすでにボク愛さんがお会いしており、その時の様子を予め聞いていたので、個人的には安心して(笑)会うことが出来ました。
しかし安河内氏の場合は、まったく想像がつきません。
よく写真で見る表情は、眉間にしわを寄せた厳しい顔つきが多く、ウソかもしれないとはいいながらも、あれだけの悪事を遂行したという話を聞かされているので、「現時点で、何の足しにもならないファン風情と会うなんて、何か企んでいるんじゃあるまいな?」なんてことまで考えてたりして。
まあ企み云々は冗談にしても、互いに慎重に言葉を選び、「先に口を開いた方が負け」的な、緊張感バリバリな会談を想像していました。しかし…
人はみかけによらないとはよく言ったものです。
待ち合わせた店に入ってきた安河内氏の第一印象は、「愛想と調子だけはいい車のセールスマン」といった感じ(笑)。いや、あえて想像とのギャップを表す為に失礼な書き方をしてしまいましたが、一気に場の空気が緩みました。
お酒は飲まない方なんですが「いや、僕はコーラだけでテンション上げられますんで!」とか、すすんで料理を取り分けながら「いつもこんなことばっかやらされてるんですよ、ええ。もうホントにキャバクラとか連れてってもらったことなんかないんすから(笑)」といったキャラクター。
自らの性格を「超楽天的、楽観主義者で、胃が痛くなったことがない」と言う安河内氏。
そんな方ですから、今まで4回お会いしてますが、いずれも時間を忘れてボクシング談義に花が咲きます。そんな氏の人物像やボクシング観等についても記事を書きたいと思いますが、まず今回私が書くのはあくまでも「あの頃のJBC問題について」です。
といっても、氏にかけられた疑惑はハンパな数じゃありません。
お会いした計4回で、(普通のボクシング談義や雑談も含めて)お話した時間はトータルで20時間をゆうに越えていますし、地裁へ行き公判資料も調べました。
それらすべてを書いていたらいつまでかかるかわかりませんので、詳述するのはいくつかに絞って書きたいと思います。
ただしおことわりしておきますが、いくら人間的な部分で好感を持ったからといっても、安河内氏にとって有利になるほんの一部のことだけを大きく取り上げ、その他大部分の都合が悪いところは省く、なんてことはしてませんので。
普段自分がそういうことばっかりやってる人ほど、そういう難癖つけてきそうですけどね。
また現在、安河内氏含め数名の方の裁判が進行中ですので、事実認定等に関して安易に断言はいたしません。あくまでも「この人はこう言ってる」「このことはここに記録されている」といった書き方に留めます。
ただ当然、それに対する「私はこう思う」「それは信じられない」といった自分の意見は書いていきます。
今まで色々な業界の方とお会いしましたが、私にとってこの安河内氏との出会いはインパクトがケタ違いにデカいです。
上にも書いた通り、ご本人について勝手に抱いていたイメージとのギャップもそうですが、その口から語られた数々の出来事には圧倒されっぱなしでした。
今は書けないこと、今後書けるかもしれないこと等たくさんありますが、まずは第一弾を次稿でお届けします。
(ウチ猫)
桜宮高校の自殺事件は高校の部活のあり方、スポーツ指導現場の旧弊、相も変らぬ教育関係者の隠蔽体質などなど日々様々な問題を投げかけるとともに、橋下市長の存在もあって国民的議題の様相すら呈して来ております。朝毎のようなリベラルから産経や文春・新潮と言った保守系まで横断的に入試中止の判断を総批判してますが、大阪市民でもある私は市長の対応は極めて妥当なものであると思います。学校内で指導の名の下に体罰が常態化していたならそれこそが異常事態であり、自浄能力が期待できないと断ずるのは当然の事です。まして進学や就職の為に体罰への忍従が求められていたとすればそれこそ教育の自己放棄であります。右も左もメデイアの寵児である橋下氏を批判せんが為に「体罰はいけないがしかし」と言った没論理的な批判を繰り返していますが、それこそが事件の政治利用であり死者への冒涜であることをまず知らねばなりません。そもそも大手メディアは野球=朝日・毎日、サッカー=読売、バレー=産経、ラグビー=毎日とすべて高校の部活でビジネスをしています。彼らには「勝利至上主義が問題」などと言う資格はもとよりない、どころか勝利至上主義の元凶はメディア自体にあるとさえ言えるのではないでしょうか?
そんな高校生相手でも論外と言われる体罰事件が柔道のオリンピック女子代表チームでも行われており監督・コーチがトップ選手たちに連名で告発されると言う情けない事件まで発生するに至ってはもはや脱力するしかありません。聞けば園田監督の暴力は現場取材していたスポーツ記者には周知の事実であったようで、なんのことはないお馴染みのメデイアとの共犯関係の構図であります。柔連に告発をもみ消されかけた選手達は体罰事件で騒然とする世情の中上部団体であるJOCに告発する事で初めて事件を明るみにすることが出来ました。柔道連盟が徹底的に隠蔽した結果、露見するタイミングが内柴政人選手の実刑判決とバッティングしてしまい間抜けの二乗とは…。ヘドロのように滞留した腐敗を現役のトップ選手に告発されているようでは柔道連盟の国際舞台での発言力の一層の低下も避けられそうにありません。学校体育での必修化という『利権』作りに腐心するよりも先にやる事があるんじゃないの?と感じざるを得ません。
事件の原因を個々のコーチの資質のみに焦点する気は毛頭ございませんが、報道においては必ず桜宮高校のバスケの監督や豊川高校の駅伝のコーチ園田監督まで「熱心な指導者だ」という世評がOBや父兄の声として『両論併記』と言う形を取って紹介されます。「熱心だから手が出る」「真剣にやっているから指導の延長として殴る」「期待の表れとして叱咤激励する」と言う論法であります。往時の青春ドラマなどでも家族の愛情に飢えた不良学生が教師に殴られて「先生みたいに真剣に怒ってくれる人初めてだよ!」と感激するシーンがあったりしましたが、シリアスに向き合えばこそ暴力が肯定されると言う短絡な思考にこそ実は重大な陥穽があるのです。一連の体罰問題で積極的に発言されているスポーツライターの玉木正之さんの日記に重要な指摘があります。以下に引用します
『スポーツとは何か?ソレは暴力的な営みをルール化して非暴力化したゲームであるということ…つまりスポーツとは反暴力で暴力から最も遠く離れた世界にあること…ということを日本の柔道(スポーツ)指導者が全然勉強してこなかった証拠』
この簡潔にして至当な一文を読んで感じたのは私が過去記事で書いた榎洋之さんの見解と全く同じだと言う事です。バイオレンス、戦争の技術であったものをゲームへと昇華した格闘技の世界でも「真剣にやっていればこそ」というエクスキューズをつけて暴力への短絡な回帰が肯定されているという現状は憂慮せざるを得ません。スポーツが現状「戦争」であるからこそ戦死者が出てしまうのか?オリンピック招致を控えてスポーツの再定義が必要だと思います。
橋下市長は好き嫌いを超えて認めざるを得ない点が多々ある(旧徳山と長谷川が好きです)
補論 その後の体罰問題
バスケの推薦で体育大学に行った職場の同僚G君に色々高校バスケ事情を教えて頂きました
私「週刊文春で自殺した彼は『桜宮でキャプテンをやっても推薦で大学に行けるわけじゃない』という現実を知ってショックを受けてたって報道があったけど」
G君「県代表のキャプテンやったくらいではなかなか推薦は取れないですよ。大体全国ベストエイトでレギュラーになったくらいの選手からが対象です。バスケは結構狭い世界で中学卒業の時点で高校→大学→実業団というコースが学閥や人脈で決められてしまうんです。なかなか本人の希望で大学や社会人チームが選べない。しかも一回コースをそれると他のコースに入りにくい」
私「じゃ転校して続けると言うのも大変なわけだ」
G君「相当うまければ別ですけどまあ無理ですね」
私「バスケ界の人脈主義が問題ってこと?」
G君「トップリーグがBJと日本リーグで分裂してるくらいですからね。派閥争いが凄いんです」
私「あのコーチはU-16の代表コーチで優秀だって報道もあるけど」
G君「本当に優秀なコーチは学校や実業団の自分のチームに集中したいから代表のコーチは受けないんです。やりたいという人がやってるのが現実じゃないですか?
私「じゃ彼はコーチとしては日本のトップじゃないってこと?」
G君「全然。だって全国大会で勝ってないでしょ」
大変勉強になりました G君ありがとう