メールを送ろうとしてPCを開いたら、ヤフーのトップ画面に -「デスブログ」いじめの指摘- という記事を見つけました。
とあるタレントのブログに書かれた人や会社・団体などが次々に不幸になる為、「デスブログ」なる呼び方をされているそうで、この山口浩という駒澤大学の教授は、そうした風潮がいじめを生み出す温床であると考えておられるようです。
内容以前に、この文章を一読して、なんだか文章の書き方が私に非常に似てるような気がしちゃいました。
別に私が大学教授並というわけではないですよ。ただ、この山口教授という方は、ちょっとした言葉尻で誤解を受けたりしないように、非常に丁寧に書いたんだろうと思います。
「突っ込まれる隙を与えないように」というのではなく、「正確に意図を伝えようとして」という意味で、です。
ネット上の文章で意思を伝えるには、面と向かった会話より遥かに慎重な言葉の選択が必要だと思いますので。
※しかし実際のところ、私は製本という仕事の性質上、論文集や紀要等を多く扱ってるんですが、特に理系学生・エンジニアといった人たちの作文能力の低さは少し気になります。
で、肝心の中身ですが、文章に対して勝手に親近感を抱いたからということでもないですが、まあ言わんとするところは理解できますし、概ね賛成できる内容だと思いました。
ただ、もし自分がこのテーマで文章を書いて公の場で発信するとしたら、この山口氏のように「いじめの温床そのもの」と断じているところまでは書けないです。今初めてその「デスブログ」なる名前を知ったばかりで、そこまで考察を深めてもおりませんので、せいぜい「いじめの温床ではないだろうか?」と疑義を呈するところどまりでしょう。
その後、画面を下にスクロールしていきますと、一般の方々の意見・コメントが表示されているのに気がついたんですが、ここを読んでちょっと考えてしまいました。
多かったのが「ネタに対してマジレスすんなww」これに近いものに「ネットと現実を混同するな」あとは「このタレントだって売名出来て喜んでる」などなど。
コメンテイターの方々は、在籍してる高校や大学を書いたり(学生か教師かはわかりません)、会社名を書いてる人の中には社長さんも多くいるのですが、これが世間の普通の反応だとしたら恐ろしいですね(大学生だとか社長とかいうのがハッタリで、ただのネットオタクだとしたらまだ安心ですが)。
この山口氏の意見に反対する意見がバンバン出ることは一向に構いません。しかしそこで見た多くのコメントは、意見と呼ぶにも値しないものが多すぎます。
「ネタにマジレスすんな」については、お前のそういうコメントこそ不要だろ、と言わざるを得ないですね。
この山口氏の着眼点が、「ただのネタに過ぎない些細なことを、殊更大げさな問題にまで発展させている」というのであれば、それが「ネタ」であること、いじめの問題とは異なることを筋道立てて説明すべきです。
そもそもこの「マジレスすんな」ですが、私が見る限りこの言葉を使う人間は、「みなまで言わないが、マジレスする必要などないことが分かってる」というのではなく、単なる思考停止に陥っていると思われる場合が多いです(明らかに全員が、おふざけのネタとわかってやってる場合は除きます)。
「ネットと現実を混同してる」というのも意味不明ですね。あのタレントのブログを「デスブログ」と揶揄してるのはネット世界でのことだから、現実世界でのいじめ問題と同列に語るな、ということでしょうか?
だとするならば、これもやはり同列に語れないことを説明しなければ不十分、というか、反論になりません。
いやしかし、ホントに意味がわかりませんので、わかる方がいたら教えてください。
あと「タレント本人も売名出来て喜んでる」ですが、これは本人がそう公言してるんでしょうか?
仮にそうであったとしても、そこで扱われているのは実際に起きた事件や事故で、少なくとも関係者にとってはマイナスな出来事ばかりなんですから、そういうのを「ネタ」にすること自体不健全だと思いますがね。
よく、災害や刑事事件の被害者や遺族がテレビに出たりした際に起こる「被害者バッシング」に通ずるものを感じます。
ネット世界の住人たちの典型的な考えだと思ったのが、かなり多くの賛成(いいね!とかいうヤツ)を集めている意見で「もともとこの話題で騒いでるのは一部だけ。この記事が出てより騒ぎが大きくなる方が問題」という主旨のもの。
騒ぎが大きくなったら問題になるようなことだけど、一部でこっそりやってる分には放っておけばいい、という考えだとすればおかしいと思います。
実際に何人が見てるとか話題にしてるとかいうことに関係なく、インターネット上で発信する以上は、全世界で閲覧できるわけですから、匿名であっても「公共の場」での意見だと自覚すべきでしょう。
この方、いじめ問題を学級会で取り上げるのもよくないと言ってますが、これはその後の報復が激しくなることとかを指してるんでしょうか?
じゃあ見て見ぬふりをしていじめを放置しろ、というわけではないでしょうから、多分個別に相談や指導をした方がいいということなんでしょうが、それならそれで、その方法がなぜ優っているかを説明しなければ適切な反論になりません。
結局、「ちょっと気のきいたコメントを思いついたから書いてみただけ」じゃないの?と思ってしまいますね。
最後に「でも実際にそのブログと出来事が一致してる!」と力説してる方々ですが、大半が冗談で言ってるとは思いますが、もし本当にそう思ってる人がいるとしたら、山口氏が言うように小学校から行き直すか、しかるべき病院で治療を受けることをおすすめします。
ちょっと目にした記事について、こんだけのマジレス長文を書いてしまったのは、まさに私たちが今、ネットとの付き合い方や使い方についてあれこれ考えているからだと思います。
この山口教授、いじめの問題について興味深い着眼点から意見を述べてますが(いじめ「根絶」をめざしてはいけない)、このデスブログ騒動がいじめに相当するかどうかは、様々な意見があるでしょう。まさしく氏が言うように、明確に「いじめだ」「いや、いじめではない」という線引きは難しいかもしれません。
しかしネット世界の言葉であっても、機械が勝手に送信してるわけではなく、生身の人間が発信しているんですから、根本的な人間同士のコミュニケーションをおろそかにしてはいけないと思います。
ですから、友達との会話の中で「デスブログってホントに的中するなw」と話すのはいいと思いますが、それを公衆の面前で(=ネット上などで)堂々と話すのはちょいと品性に欠けてやしませんか?と思いますし、さらには、デスブログ祭りを批判する記事に対し、反論をするなら、多少なりとも根拠を示したものでないと、ただの難癖にしかならないと思います。
今年は、それぞれ自由に意見を発信しようということになったので書いてみました。ですから当然、我らがメンバーの中にも反対意見はあるかもしれませんが、もしそうであればそれも聞いてみたいと思いアップしました。
なんせネット初心者のオジサンですので、賛成・反対に関係なく、ご意見やご教授をいただければ幸いです。
(ウチ猫)
回顧録8の最後で、またも「とある出来事」なんて思わせぶりな書き方をしてしまいましたが、前回の「追記」の部分を読んだ方ならおわかりのように、私がお話しすることは、いずれも大したネタではありません。
ただ、もしこれまでの私の話を聞いて「ええーっ!」ともの凄く驚いたり、あるいは「次回がとても楽しみ」なんてことがあったとしたら、それはイコール「彼ら」の印象操作の巧みさやスケールの大きさ(それほどまでに、虚像と事実との乖離っぷりがハンパない)を表しているんだと思います。
ドンデン返しに次ぐドンデン返し…ミステリやコン・ゲームものの小説や映画みたいなものですね。私も大好きです(笑)。
さて、猫の件・ボク愛さんの除名・「Tさん発言」のトリプルコンボで、もうスブドコンビに用はなくなりました。
じゃあこれからどうするんだってハナシですが、私たちは彼らと違って、何の思惑も企みもありませんから、とりあえずは、相手の出方によって対応を考えようということくらいしかできません。
そこで、まずは私たちがリアルに接したことのある人たちと、膝をつきあわせて、お互いの顔を見てお話をしていくことにしました。噂がどうのとか、○ちゃんねるではこう書いてあった、とかいうのにはすっかり辟易してましたからね。
ただし、こちらは情報戦だとか印象操作などを仕掛けるつもりはなくても、あちらさんはその方面のプロですから、尻尾を掴まれることについては用心しなければなりません。
なんせ「一度直接会って話をしようじゃないか」という申し出をしたら、それが襲撃予告をしたということになってしまうんですから…いやはや恐ろしや。
ですから、会う人の人選や、何をどこまで話すか、といったことには、それなりに神経を使いました。
そんな中、○ちゃんねるを眺めている時に、あるコメントの中に信じられない言葉を発見したんですが、それが回顧録8の予告編にあった「とある出来事」です。
私の仕事は製本屋ですが、あの大地震のあった2011年の3月までは雇われの身でした。
もう10年くらい前になりますが、ちょうど前の会社を辞めて「さて、どうしようか」と思ってる時に、幼稚園からの幼なじみ(仮名・田中君)が、「まだ決まってないなら、ちょっとウチの工場(製本屋)を手伝ってよ」と声をかけてきたのです。
私の住む地域は、製本・印刷関係の小さな工場がたいへん多く、私の死んだ父親も同様の仕事を長くやってましたし、学生の頃には、その田中君の工場でバイトさせてもらったりしたこともあるので、「じゃあとりあえず」ということで受けました。
その後色々ありまして、その田中君は結婚を機に「やっぱりカタギの給料取りの方が固い」と工場を離れサラリーマンになり、田中君のオヤジさんが病気をしてからは私が仕事の大部分を任されるようになり、そしてそのオヤジさんが亡くなったのを機に、私は自分の名前を屋号にして、今に至ってます。
そして、驚いたことというのは、そのオヤジさんの会社名である「田中紙工(仮名)」という名前を○ちゃんねる上で発見したことです(「紙工」というのは製本関係の会社が屋号でよく使う言葉です)。
今であれば、何か変わったものを発見した時にはすぐ魚拓を取る癖がつきましたが、その時はまだ「師匠」の手ほどきを受ける前でしたので、どのスレだったかまでは憶えていません。しかし、拳論スレやJBCスレなどのボクシング板であったことは間違いありませんので、そんな名前が出てくるわけがないのです。
※その時、あまりに驚いたのであちこち調べたら、まったく別の板で「田中紙工」と「ウチ猫紙工(現在の私の屋号)」のことを書いたレスを一つ発見しましたが、それも前後の文脈に何の関係もなく、唐突にその言葉が出てきていました。多分彼らは、とりあえず色んなところに色んなことを書くのが習性になっているんでしょう。
彼らにとって、私たちは面白くない存在であり、大嫌いなんでしょうけど、直接関係のない人間の名前までポンポン出すということに、まったく抵抗を感じない、というのが本当に信じられません。
そもそも嫌われてるのだって、こっちはいっこも悪くないんですけどね。
前回でも話しましたが、敬愛さんやボク愛さんについては、毎日いろんなところで、平気で本名を晒した中傷が行われていて、本来怒るはずである私たちも、あんまり出過ぎて慣れてしまうような感覚になっちゃうほどでした。
ボク愛さんたちの場合は、そもそもの発端となったのは、「彼ら」が個人情報をダダ漏らししたせいだと確信していますが、その後あれだけ乱舞した書きこみの一つ一つについては、もう誰によるものなのかはわかりません。
全部が全部彼らだったら、そのマメさ加減に敬服するとこですが、便乗した人間が面白がって書いた可能性も充分あります。それほどまでに、ボク愛さんたちの個人情報は晒されまくってましたからね。
では、この「田中紙工」というのを書いたのが「彼ら」だと断じている理由は何か?ということですが、それは以下の通りです。
まず私の周囲の仕事関係の人間は、当然その名前は知ってます。が、私がボクシングを好きなことくらいは話したことはあるかもしれませんが、そんな他人の趣味に関心を持つヤツなどいませんし、ほとんど仕事の話と天気の話(紙は一度濡れたら一発で終わりなので)しかしないので、○ちゃんねるのボクシング板でそんな名前出して喜ぶヒマ人などおりません。
では、ボクシング関係で知り合った人は…となるんですが、当時、その人たちの中で「田中紙工」の名前を知ってるのは二人しかおりません。K記者と、拳論の管理人のH氏です。
H氏には、Mジムのスパー大会に参加するべく手を上げた時に、連絡先として「田中紙工」の住所と名前をメールしました。
K記者の方は、2011年5月19日の「ボクシングの日」イベント(チャーリー×湯場戦があった時です)のチケットが余ってますから行きませんか?と声をかけてもらった時に、じゃあ郵送してくださいますか?と言って、やはり住所と名前を教えました。
これ以外の人、たとえばボク愛さんや敬愛さんですら、「田中紙工」の名前は知らなかったのです。私が勤めていた工場の大将が亡くなって、今は自分一人でやっている、という経緯は知っていましたが「田中」という固有名詞は、特に教える場面もなかったので、話したことはありません。
この時、○ちゃんねるでこれを発見した時に初めて、「いや、この田中と言う名前はこういう名前なんですよ」と説明したんです。
敬愛さんの時は、「敬愛」というHNを知ってて、さらにその敬愛なる人物が「二階」に住んでること、その両方を知ってるのは誰か…ということで犯人を絞っていきましたが、今回はその時より容疑者が少ない…というか、最初からそのものズバリのお二人しか残っておりません(笑)。
あまりに多くのことを短期間に経験したので、いったい何を信じたらいいのやら、と悩んだこともありましたが、ここに至って私は「彼ら」に関して、自分自身の心の中でスッキリとした着地点を得ました。
何かまだ、知られざる意図が隠されてたり、まだ見ぬ他の人物がどこかで関わってる…などというややこしい事情があったりすることも可能性としてはありますが、どんな理由があるにしろ、少なくとも「彼ら」が、平気で他人の個人情報を晒したりウソをつく人たちであるということは確信できた。
これにより私は、完全に彼らと決別する覚悟が決まったんですが、これが私の中で一つのターニングポイントとなった「とある出来事」です。
なんだ、やっぱり大した話じゃねーな、とおもわれたかもしれませんが、これってけっこう大きなことなんですよ。
私はまだまだ彼らのレベルには達していませんので、確たる理由もなしに他人を非難したり中傷したりして喜ぶことはできません。しかし、一向に収まることのない中傷・自演・成りすまし…もう疑心が暗鬼を、グレムリンの如くポコポコ生み出しておりました。
かといって、「彼らはそんな人間のはずがない!」というような、彼らを信じたいと言う気持ちもほとんどなかったので(そりゃあ、あれだけのことが起こればねぇ)、きっちり区切りがついたというところです。
もともと私については、彼らもどう扱うか迷いがあったのか、ボク愛さんや敬愛さんに対する時のような攻撃はなかったですから、皆さんがビックリするような「こんな酷い目にあったんですぅ!」という事件は別にないです。
それでも、その死んだオヤジさんのフルネームまで出したりして揶揄してるのを見た時は、さすがに趣味の悪さに呆れましたけどね。
その後、このブログがスタートしてからは、彼らの方としても「よし、これで迷いはなくなった」と思ったのか、私の名前もあちこちで見るようになりましたが、逆に急激な変化はさけたのか、やはり強烈な攻撃はありませんでした。
凄いですよね。今までが酷過ぎたもんだから、本名とかをバラ撒かれたくらいでは「彼ら、最近は何もしてこないね」と感じるちゃうんですから。
「息をするようにウソをつく」という言葉があります。これは多分、呼吸をするのと同じように自然にウソをつくという意味だと思うんですが、私は彼らについては別の意味で「息をするようにウソをつき、息をするように他人を中傷する連中」と評したいと思います。
つまり、呼吸が止まれば死んでしまうように、彼らはウソや中傷をやめると死んでしまうのではないか。生きて行く為には常にそうしてないといけないのではないか。そう思ってしまうくらいに、しょっちゅうそんなことばっかりやってる、という意味でです。
振り返れば、拳論を、というか、あのコメント欄を初めて見た時は感激しましてね。
当時の私がPC初心者で(いや、今もですが)、他の掲示板やブログをあまり知らなかった、調べなかったということもありますが、本当に楽しい場所で、また可能性も感じる場所でした。
活発な意見交換だけでも充分意義がありましたが、その後ネットの壁を超えて市民団体(笑)にまで発展した時には、小さいながらも画期的な一歩と期待していたのですが、本当に勿体ないと思います。
今でもたまに拳論は見ますが、今のコメント欄は本当に人材が乏しいと感じます。
しかし、あの頃とかなり顔ぶれも変わりましたが、ごくごく数人、個人的に好きな人もいたりしますし、意見を発信する読者の数で言えば、やっぱり一番多い部類なんじゃないでしょうか。
拳論の価値はコメント欄にあり、ということは自他共に認めるところだと思いますが、まだまだ熱心な拳論ファンは確かにいます。
私たちはもう戻ることはありませんが、せっかくの縁でこうしたボクシングファンが集っているんですから、そのことを大切に、真剣に考えて欲しいんですが…まあそれは無理なんだろうなぁという諦観がありますね。
K記者にしろH氏にしろ、また観戦歴は浅いものの4時起き氏にしろ、ボクシングを見るのが好き、見て楽しいというのは本当だろうと思います。
しかしたとえば、某ジム会長を貶める為に、その所属選手を中傷したり、あるいは「あの選手にストーカーされた」なんてウソをついたりしてる時点で、私は彼らを「ボクシングファン」とは呼びたくない。
興奮したいから試合を見る・仕事のネタにしたい時はいい加減な記事でも出しちゃう・ネット上では都合のいいように持ちあげたり叩いたり…これではボクシングをエロビデオの代わりにしてるだけだとしか思えません。
勿論娯楽ですからそういう付き合い方でも大いにけっこうです。
私もお笑い番組を見ている時に、そこに出てる芸人さんの社会的地位について考察したり、有馬記念くらいは馬券買おうかな、とWINSに行った時に、国内の生産牧場の行く末を案じたりはしません。
そういう風に、ただ面白いから見てるけど、その業界がどうなろうと知ったこっちゃないし、その分野にリスペクトもない、というような人間は、ちゃんと分をわきまえて、「あくまで外から見てるだけ」「ヘタに口を開かない」というのがオトナの態度です。
客としての立場で、妥当な範囲で物申すのはもちろん構いませんが、口先三寸・ウソ八百並べ立て、面白半分に顔を突っ込んで引っ掻きまわすなんてもってのほか。選手やジム関係者はもちろんのこと、試合役員や協会・コミッションの職員だって、人生の大部分の時間をボクシングに費やしているんですから。
彼らはまだボクシング界の一員のつもりでいるのでしょうか。
「一人になってもやる覚悟があるかどうかですよ(ニヤリ)」とまで啖呵を切った4時起き氏は、今も頑張って市民団体(笑)をやってるんですかね。いや、一人になったら「団体」じゃないからただの「市民」か。
ちなみにこの方、2011年の11月に突然メールを送ってきまして、中身を見たら、清水智信選手の休養王者問題について書いてありました。清水が休養に追いやられ、テーパリと亀2号の試合が正規タイトルマッチになるのは許せん!というわけです。
この期に及んで私にこんなメールを寄越すとは、ちょっとネジが30本くらい抜けちゃってるんじゃないかと思いましたが、どうやら複数の人に同じメールを送っていたようです。
その後も元気で頑張ってらっしゃったようで何よりですね。盟友K記者に言わせれば、行動を起こすなら何か成果を上げなきゃ無意味ということらしいですから、そのうち新聞やテレビのニュースで「市民団体(笑)がボクシング界に革命を起こす!」なんて報道がされるでしょう。あー楽しみ楽しみ。
K記者も相変わらず多方面でご活躍のようですね。私らがこんなブログを始めて、さぞやご立腹じゃないかとヒヤヒヤしてたんですが、ある日彼からもメールが来ました。
要約すると、これまで色んなことがありましたが、ウチ猫さんにはお話しできなかったこともたくさんあり、まあとにかく今まで拳論ではお世話になりました…といった、なぜ今こんなメールを?という内容(その他固有名詞もいくつか書いてありましたが、もちろんここでは触れません)。
返事をしようにも、別に私は感謝されるほど拳論で活躍しておりませんし、その他のことについても、何があるか知らんけど「お話しできない」というなら、それ以上話が進まないので、そのまま放置しております。
さてさて、たかだか全9回で何カ月も引っ張った割に中身の乏しい我が回顧録でしたが、今回を以って一応終わりとさせていただきます。
もっと書きたいことがあったような気もするんですが、「完璧なものを!」と力んでズルズルここまで遅れてしまったので、とりあえず過去のことはこれで一区切りということにしましょう。
「彼ら」がやらかした色々なことを書こうと思えば、まだしばらくブログ更新のネタには困りませんが、上の方で書いた通りそんな趣味はありません。
勘違いされてる人がいるかもしれませんが、これまで書いてきたことは、別に彼らを中傷してるわけではないですからね。ただ一点だけ、敬愛さんのことについては許せなかったので、糾弾口調・罵倒口調になりましたが、あとのことに関しては、あの頃起こったことをありのままお伝えしようとしたにすぎません。
もしこれが中傷に見えるとしたら、これまたこの文の冒頭で書いたように、それほど彼らのやってきたことが酷いということですので仕方ないですね。
「A容疑者はBさん宅に押し入り、100万円を奪い取った上に、家に火を放って逃走しようとしたところを現行犯逮捕されました」というニュースを読み上げたキャスターに対し、A容疑者の父親が「俺の息子を強盗呼ばわりしやがって!酷い中傷だ、ぷじゃけるな!」と怒ったところで、誰も相手にしないのと同じです。事実を言っただけですから。
今のこのブログのメンバーは、自分たちのことがネット上で面白おかしく、ウソまみれで書かれたこと等については、もう怒るというレベルはとうに過ぎました。
先日も、回顧録8をアップした数日後、あちらさんは早くもビミョーな記事をあげたり、ご自身のブログのあちこちをひっそりと修正したりしてましたが、そんな風にネット上で右往左往したり、またはこそこそと陰口を叩くことに終始しているのを見ていると、本当に哀れに思えます。
ですから、ボロクソ言われた腹いせに…という気持ちはもはやありません。
ただ、彼らに踊らされた面があるとはいえ、あの頃市民団体(笑)に積極的に関わり、参加を呼び掛けたりもしましたから、少なくともその時の読者さんたちには説明する必要があると感じたことが一つ。
あとは、とりあえずブログの形式で発信していくとなったのですが、いざ始めてみて、様々な人たちとお会いして話をしていくうちに、あれやこれや色々やりたいことが出てきました。
その時、やはりこれまでをきっちり総括して区切りをつけておかないと、これからの一歩は踏み出せないと思ったのがもう一つの理由です。
どちらかといえば、このようなことはすすんで明かしたいことではないですからね。みっともないので。
今後おいおいお話ししていくことになるかと思いますが、ボクシング界の現状は決して明るくない…というよりも、お先真っ暗と言っても過言ではないような、厳しい状況が待っていると思われます。
たかが数人のファンの集まりではありますが、なかなかどうして「やってみたらできた」ってことがけっこうありまして。また、利害関係がないゆえの強みというのもあり、少しでも何か力になれないか、その方策を色々模索しております。
皆さんにも何かお願いや呼びかけをすることもあると思いますが、その際は是非ともお力をお貸しいただければと思います。
回顧録について、もし何かに訊きたいことがある方は、コメント欄にお書きいただくか、メールでお願いします。答えられる限りにおいては何でも答えますし、「これは答えられない」「このコメントは承認できない」という場合には、その理由をきちんと明示して答えとさせていただきます。
長らくのおつきあい、ありがとうございました。
(ウチ猫)
再度大きなブランクを作ってしまった我が回顧録ですが、今回と次回で一気に終わりまで行きたいと思います。だいたいが、そんなに勿体ぶるようなシロモノでもないのにこんなに時間がかかってしまってスミマセン。もうパッパといきましょう。
前回は、4時起き氏の大ウソが炸裂したところで終わったんですよね。これはさすがにシャレではすまされないものでした。
いやまじでさんは「寄稿(八)」の中で、「一つの失敗や悪行だけでその人間のすべてを判断しない」と書いていて、私もそれはその通りだと思いますが、この4時起き氏のウソに関しては、それ一発で今までのすべてをひっくり返す威力がありました。
単なる言い間違い・聞き間違い等ではなく明確に意図を持ってウソをついたこと。ウソをつくにあたって「うーん、そりゃ思わずそう言いたくなるのもわかるなぁ」というような事情も見当たらず、ボク愛さんを貶める為としか考えられないこと。これでは情状酌量もへったくれもありません。即日結審です。
ということは自然に、「4時起き氏のこれまでの発言も鵜呑みにはできないんじゃねーの?」となり、そう考えるとこれまで不思議に思っていた出来事が、あっさりと説明がついていきます。
たとえば、Mジムのスパー大会に私が二度目のお手伝いで参加し、全体の打ち上げの後に、K記者・4時起き氏含む数人で食事をした時のこと。入店して間もなく4時起き氏の携帯に「習志野、焼肉屋、6人」なんていうメールが入ってきました。「お前らのことをどこかから見ているぞ」という、ナニモノカからの脅しであります。
その他にも4時起き氏の携帯には、「猫穂積の番号は000-1234-5678」なんてメールも来ていて(実際の数字は本当に私の携帯番号でした)、それを見せられた時はちょっとゾッとしたもんですが、タネが割れれば非常に単純な真相ですね。
4時起き氏は常に携帯を2台持っていて、そのうちの一つは「やつら」に番号やアドレスを知られている為、しょっちゅう怪メールやイタ電が入るものの、もう一つの私達との連絡用の方はバレていなかったそうです。
なにせ「やつら」は、携帯ショップの中にあるすべてのPCをウィルスで汚染するほどの力を持ってますから、敵対勢力の人間の携帯番号やアドレスなど簡単に割り出せるんでしょうが、しかし2台目は完璧に無事なんてこともミョーな話で…(笑)。いや、その2台目が何の為にあるかはもう明白でしょう。
焼肉屋での4時起き氏が「ああ、またこんなメール寄越して。フン」なんて余裕の表情をしていたのも当然です。そりゃ平気なわけですよ。自分で自分に送ってんですから。
これにて私は、市民団体(笑)と4時起き氏に対する興味を完全に失いましたが、K記者の方はどう関わっているのか?少なくとも彼らはプロレス事故の件で一緒に活動している頃からの付き合いがあり(実際はもっと古いかもしれません)、ボク愛さん除名の経緯を振り返っても、この二人が同じ意図を持って動いていると考えるのが自然でしょう。
またK記者については、除名騒動以外のことについても非常に不信感を持っていました。
それが敬愛さんとクッキーの件です。
※このクッキーの件については、以下に「追記」のかたちで書いておきます(ReadMoreをクリックしてください)。また、ただでさえかなりの分量があり、一から説明すると収拾がつかないので、当時の拳論を見ていて経緯をある程度知っている方向けに書いておりますのでご了承ください。
このクッキー事件で、K記者および拳論に対する不信感が高まったところに、前回書いた「ボク愛さん除名」と「T氏発言」があって、私は彼らとは決別することを決めました。
今まで長い間信じていたものが覆された反動があった為怒りも大きかったんですが、しかしこんな展開になると逆に「いやでも、やっぱり真実は逆でした(スブドコンビが正しかった)」なんてこともあるんじゃないか、という迷いも出てきます。何がホントで何かウソが、わけがわからなくなりましたからね。
ただ除名騒動に関しては、優しい優しい4時起き氏が、「T氏発言」と言う名の自爆テロ(しかし相手はノーダメージの為、ただの自爆)をしてくれて、私の迷いを絶ってくれました。
そしてK記者および拳論さんの方も、とある出来事により明確な答えを出してくれたので、踏ん切りをつけることができました。
次稿はそこから書き始め、おそらくそれが回顧録最終回になると思います。
2013年新春。
高校生7冠 井上尚哉選手のプロ転向二戦目。
元世界チャンピオン 八重樫 東選手の再起戦がアンダーという異色な興行。
OPBFLフライ級9位 井上尚哉(大橋)VS
タイLフライ級王者 ガオプラチャン・チューワッタナ(タイ)
結果:1R1分50秒 井上 尚哉 KO勝利
WBA世界ミニマム級7位 八重樫東(大橋)VS
WBCアジアコンチネンタルフライ級王者 サンムアンローイ・ゴーキャットジム(タイ)
結果:9R 2分52秒 八重樫 東 KO勝利
雑感:
公開プロテストからA級デビューと何もかもが異例な扱いの井上選手は確かに魅力的な逸材。
けれどもオープン戦とはいえこの興行、古いファンにとってはユーリ・アルバチャコフが茶番劇のアンダーに回された事が思い出されます。
八重樫選手は人の良さが本当に滲み出る好漢で後輩の出世に文句もつけないでしょう。
しかし、世界陥落したとはいえ二階級制覇の井岡選手を終盤の猛攻で追い詰めた実力の持ち主。
どうであれ井上選手はまだ二戦目のルーキー、勝ちあがって先輩を乗り越え真のメインを張って欲しい。
いやそれよりも興行とは言え、順番、順序がある訳で、4回戦に続いて第三試合が10回戦の八重樫選手、続いて8回戦が3試合でテレビ中継の実質メイン扱い?とは来場客にとってもどうなのか?
15時より1時間枠での中継というテレビ局(TBS)の都合があるのでしょうが、ボクシングの伝統は守って頂きたいです。
byB.B
注目選手!! 8回戦に登場の松本 亮 選手 です
あけましておめでとうございます。
このブログは昨年の1月にスタートしましたので、約1年が経過したことになります。
現在、主に4人のメンバーで記事を投稿しておりますが、個人ブログの経験者はいたものの、複数人数で共同で…となると、なかなか勝手がわからない部分もありました。
書きたいと思うことがあっても「でもこれはどうかな…」と自制してしまったり、書いた後も、一応全員の確認を経てからアップするので時間がかかったり、等々。
ブログデザインも暗かったので、コメントしてくれようとしてる方にとって、かなり敷居が高かった、なんてご指摘もありました。
で、一部在京メンバーの新年の顔合わせで話したのですが、今年はもっと自由に記事を上げていきたいと思います。
業界の方々とお話ししたことを書くような場合は、今までのように合議の上で内容を決めたりする必要はあるかと思いますが、基本的には思ったこと、感じたことをストレートに、本音で書いていこう、と。時にはボクシングに限らず、本や音楽や、私らの大好きなB級グルメの話など、脱線した話題も書くかもしれません。
ですので、日頃こちらをご覧いただいている希少種(笑)の皆様も、ご意見やご質問がありましたら気楽にお書きいただければ有難いです。
その他、他記事のコメント欄でも少し触れましたが、動画サイトを使っての公開討論会なども考えております。
私たちはあくまで「いちボクシングファン」ですので、失うものもしがらみもありません。
とはいえ最低限の、競技や選手に対するリスペクトだけは忘れることなく、色々なかたちで意見を発信していきたいと思ってますので、今年も一年、よろしくお願い致します。