HARD BLOW !

HARD BLOW!の原点

 当HARD BLOW!のを生むきっかけの一つとして元東洋フェザー級王者榎洋之さんの存在は欠かす事が出来ません。全ては彼のJBCに対するたった一人の直接行動に触発されたことが原点であり、その反則検証を巡る路線対立がBBさんの『市民団体』(笑)除名の(表向きの)原因となったことは氏の回顧録の通りであります。

 私も上京した際榎さんに一度お会いしましたが、BBさんのエントリで活写されているようにその人間性・言動は一本気を絵に描いて額に入れたような方であります。

「悪童・・榎 洋之さんのこと・・  それでもボク愛」

引退試合となったガルサ戦で受けた悪質な肘うちで引退に追い込まれた上に深刻な健康被害を受け、のみならずその不当なレフェリングに抗議した事で親族や友人からも批判されるという苦難の道を一人で歩いてこられた榎さん。「レフェリーも人間。見落としもある」「一度下った判定・裁定に抗議しても仕方ない」「ブラインドをつく反則もテクニックの一つ」あるいは単純に「後からあーだこーだ言うのは男らしくない」等等氏の行動を批判する理屈は数多あります。ですが私にはそのような分別くさいレトリックよりも、「反則でダメージを受け、負けにされたらそりゃ抗議するでしょ」という姿勢のほうが遥かにシンプルで人間的で納得のいくものだと思えます。そもそもその当該の試合のレフェリングが、失礼ながら人生をかけてリングに上がったボクサーの覚悟に応える様な水準とは到底思えないのです。



 この動画は試合のビデオ映像を抜き出したものです。

度重なる意図的な肘打ちの様子が一目瞭然です。ほぼ試合全般にわたって肘うちを受け続けた榎さんは結果的にTKO負けとなり、試合後も体調不良に悩まされまさに災難ではすまない仕打ちを受けました。レフェリーはなぜ反則を取らなかったのかという素朴な疑問が浮かびます。JBCのHPには試合役員会でこの試合が議題になった旨が記録されています。

JBC試合役員会報告

文中ある試合役員による『公式見解』は「第3ラウンドのガルサの手を折りたたんで打った鋭角的な右フックが肘打ちのように見えるが、試合時明らかな反則行為とまでは判断できなかった。肘打ちは非常に危険な反則行為であり、今後は故意、偶然を問わずレフェリーは常に注意し、肘打ちと疑わしき行為を認めた場合は即座に試合を中断し、厳重に注意または減点すべきことが確認された。」という木で鼻をくくったような官僚的なものであります。いや官僚そのものか。これよく読むと「肘打ちは無い」という事実の隠蔽まで行っていてかなり悪質でもあります。彼らに必要な事はこのように居直ってレフェリーの『威厳』を守る事ではなく、自らの技術不足をまず率直に自己批判することではないでしょうか?実際に彼らはJBCに抗議に赴いた榎さんに「ボクシングは戦争だからこういうことも起こりえる」というような暴言まで吐いたというではありませんか。自分がお会いした時に榎さんは「自分はJBCで『ボクシングは戦争だ』と言われてボクシングの歴史を調べたんです。そうしたらかつては暴力だった技術を長い期間かけてスポーツとして洗練させて来たのがボクシングだと分かったんです。何で先人が苦労してスポーツにしたものをまた戦争に戻す必要があるんですか」と実際にはもう少し物騒な口調で(笑)怒りを込めて私に教えてくれました。

 試合中反則を見抜けなかったレフェリーには職能が無いというのが普通の結論だと思いますが、なぜかその事を抗議に行ったボクサーが業界内で孤立してしまうというという不条理が当り前になっているのが日本のプロボクシングの現状なのでしょうか?審判は神聖なりというプライドを持たれるのは結構ですが、それも厳しい職責を果たせばこそであります。どんな仕事であれそうだと思います。そして間違った時は率直に自己批判できることこそプロの証ではないでしょうか?

 もう一つ気になる事は誤審や判定への不服を申し立てるシステムがないのかと言う疑問であります。江戸時代の直訴でもあるまいに、選手が単身直談判すると言うあり方で良いのでしょうか?本来は審判の職能はコミッションによって厳しい検証がなされるべきものであります。ですが現在のJBCを見れば事務局長は大レフェリーの森田健氏であり、次期事務局長は森田氏の愛弟子である浦谷レフェリーへの『禅譲』が規定路線であるかのように噂される状態です。これではたしてレフェリングへの健全なチェック機能が働くのでしょうか?レフェリーやジャッジは興業主の意向に翻弄されないように一定の発言力を持つべきではありますが、さりとてコミッションとの一体化には現状では疑問を持たざるを得ません。そして昨年来現在まで続く選手・ファン不在のJBC内の不毛な人事抗争を概観すれば、彼らが安河内氏を排除した論理・よって立つ正義の基盤にこそジャッジが必要なのではないでしょうか?

 榎さんの言葉を借りれば「ちゃんと仕事しろ」という心境であります。日本ではコミッショナーは所詮名誉職に過ぎ無いのでしょうか?

秋の到来が心底うれしい(旧徳山と長谷川が好きです)

ナイフと言われた男

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ある事件から個人的にずっと気になっていた一人のボクサーに会った。
98年度第45回全日本Sフェザー級新人王獲得の大串尋人(おおぐし ひろと)である。
19戦15勝(11KO)4敗の立派な記録だが、最後の試合から11年が経過した。しかし、本人は引退届を出していないと言う。
17歳でボクシングを始めた彼は今年35歳になっていた。

大串のレコードを振り返ってみると面白い事に気付いた。
戦績で目立つのは高いKO率で、11KO勝利のうち7人の選手がその試合を最後に引退しているか、または大きなブランクを作らざるを得なくなっているのだ。これは一体何を表すのかとても興味深い。

何度も大串とスパーリングで手合わせをした同門の松信秀和はその他にもエドウィン・バレロ、ホルヘ・リナレス、内山高志ら著名な世界チャンピオンらとも数多くのスパーをこなしているが、大串のパンチを後にこう語った。

「大串の左フックはデビュー当初から一発で相手の意識を刈り取るほどの威力があった。小堀佑介(元WBA世界ライト級王者)も切れ味に定評があったが、この左フックに関して自分が怖いと思ったのは後にも先にもこの二人だけだった」

大串はデビュー戦、二戦目と立て続けにこの左フックで相手を秒殺した。

98年の新人王戦にエントリーすると、東日本新人王準決勝の相手は4戦4勝で勝ち上がって来た儀間真次(帝拳)で強打の前評判高く、アマ上がりでスピードと技巧が売りだった大澤康規(大橋)と並んで優勝候補の一人だったが、大串の左フックの餌食となり2RKO負け。この試合を最後にあっさり引退した
大串が引退に追い込んだ選手の中には比国のベテランのエルネスト・ウルダニサ、当時三迫ジムのホープだった小牧亮太、後に長らく日本人の壁となった比国のジェス・マーカに勝ち東洋タイトルを獲得した韓国のベテラン呉 張均もいる。皆、大串戦を最後にリングを去った。

大串に負けたものの判定まで粘った選手は4人でその内、直後に引退せず現役を続けたのは松沼誠太郎(沖)と中村徳人(相模原ヨネクラ)の二人だけ。日本タイトル挑戦まで辿り着いたのは中村ただ一人だった。

これで大串戦を最後に引退した選手が8人もいることになるのだ。
ただし、その内3人は暫くして復帰したと聞くが記録として残っておらず、その後を追うのが難しくなった。これは時間をかけて追ってみたい。
物事には必ず原因と結果がある。追って行くうちに何かが見えてくるだろうか?

逆に大串に際どい判定で勝った篠崎哲也(高崎)は次戦で強打のコウジ有沢が保持する日本Sフェザー級タイトルに挑戦。大接戦の末、引き分けで王座獲得ならず。
つまり大串にとって篠崎戦はタイトル挑戦目前での手痛い敗戦だったのだ。
その後さらに連敗を重ねた後、再起2連勝と復調の兆しがあったものの、ついにあの鮮烈な強打は復活しなかった。

ボクシングは過酷なスポーツである。
時に命懸けでたった二つの拳で頂点にある栄光を目指す。文字通り生き残りを賭けての戦いだ。
大串の戦績から敗れ去ったグリーンボーイたちの失意の足跡が垣間見える。
生き残った大串は彼らの分まで戦い、そして彼らの無念をも晴らさなければならなかったはずだ。
それは栄光へと向かう勝者の義務でもある。だからこそボクシングは強者の系譜として受け継がれて来たのだ。
いや、大串自身も燃え尽きるまで戦い続けたいと願っていたのではないか?


11連勝8連続KOが止まった篠崎戦後、当時宮田ジム最大のホープだった大串尋人に一体何があったのか?ボクサーの光と影を追ってみたい。


同門に後の世界フライ級王者 内藤大助がいる。
大串が全日本新人王を獲得したこの年、内藤もまたフライ級の全日本新人王に輝いている。
また、前年にはフェザー級で新人王を制しMVPを獲得した松信秀和とこの時期は同門同士の若手出世争いが注目されていた。

練習の虫といわれた内藤に比べどちらかといえば、ボクシングセンスとパンチャーとしての才能があった大串、松信は練習嫌いで有名だった。
いや、大串の場合は練習嫌いというより、すぐに物事を投げ出してしまうといった面があった。
初黒星のあと2連勝で復活し97年度新人王戦へのエントリーが決まったが、パッタリとジムから姿を消した。
この年は松信も同じフェザー級での出場が決まっていて、トーナメント表が発表されると決勝で大串との同門対決になるとの予想が立てられた。
松信は同期の内藤が日本タイトル挑戦を決めた時、「先を越された」と口惜しさ滲ませたが、気の良い大串は「素直に嬉しかった」と口にした。
大串本人は生涯言うつもりはないだろうが、この優しさがボクシングから一時遠ざかる事になった原因では無かったのか。勝負事とは言えどちらかに傷が付く。仲間とギクシャクするのを恐れたのではないか、と私は感じた。

大串の生い立ちを見ると父親から離れて、孤独感を味わったであろう少年時代があった。この頃は喧嘩もよくした。周りも悪かったが、自分の事よりも友達の事で体を張った。それは大串自身の孤独を埋め合わせる為ではなかったか。そして、それはいつしか彼の行動規範になる。

この年12月、大串のいないフェザー級では大方の予想通り松信が東日本新人王MVPを獲得し全日本も制した。
大串といえば当時住んでいた江東区大島のアパートで一人くすぶっていた。どうであれボクシングから離れたのは自分だ。本心を悟られないように「練習を1日か2日休んだら、もうどうでもよくなった」と言い訳したが・・
年が明けても大串はジムに顔を見せる事は無かったが、頑なになった心にやっと転機が訪れた。
大串が忘れもしない98年1月20日の深夜だった。

アパートのドアチャイムが何度も鳴る。時計を見ると午前0時をとうに過ぎている。
大串は「誰にも会いたくない」と深夜の訪問者を無視し続けた。
やがてドアの外は静かになったが大串はテレビを消して耳を澄ましていた。
すると、今度は窓の外で何やらゴソゴソと物音がし出した。
ベランダにドスンという音と共に人影が見えた。
大串の住んでいる部屋は2階である。
瞬間、窓がガラリと開けられて大串は驚き、身構えた。
壁をよじ登ってベランダから部屋に侵入して来た男を良く見ると見慣れたキャップを被っていた。

「会長!何やってんすか!」

「おおぐし!いいから練習に来い!」

この短い会話で大串は再起を決意した。
正直嬉しかったと後に話す大串だが、その時の宮田会長の右手に何故アイスピックが握られていたのか、今でも解らないと洩らす。
宮田博行会長の深夜の急襲に、自分は期待されていたんだと気付いた大串は一階級上げ心機一転。Sフェザー級でエントリーしたこの年の東日本新人王予選初戦、1年と4ヶ月ぶりの試合で粘る中村徳人を4R判定に下すと、怒涛の快進撃を見せる。

次戦の有賀祐二郎(シシド)を右フック2発で担架送りにして左だけでは無い事をアピール。
準決勝では優勝候補の儀間真次を伝家の宝刀左フックで2Rノックアウト。
この試合がこの年の新人王戦のハイライトでもあった。
決勝は今大会もう一人の本命、横浜高ボクシング部出身のテクニシャン大澤康規が相手だった。
スピードが身上の大澤は終盤まで粘るが5Rに大串の狙いすました見事な右クロスが決まりリングに散った。
続く全日本決勝でも西日本をしぶとく勝ちぬいて来た濱之上 彰(鹿児島シティ)を難なく2Rで切って落とし見事に全日本を制し敢闘賞を獲得した。
大串にとっては誰の為でも無い、人生の中で初めて自分の為だけに戦い、そして勝ち抜いた末の栄冠であった。人の事では素直に喜べるのに自分の事には照れて隠す面もあったのか、優秀選手三賞に送られた副賞のラスベガス旅行は何故か辞退した。だが、宮田会長との男の約束を果たした事に大串は胸を張った。

しかし、そんな大串も若さが抜けず宮田会長の指導にも「自分は体さえ作れば勝てるんです」と言い放つ頑固さが仇となった。後援会の付き合いも酒を遠慮せず、賑やかになり始めた周辺との交際も断らなかった。
日本タイトル挑戦が囁かれ始めた頃も、マイペースの練習しかしなかったが、それでも相変わらず力で相手をねじ伏せ続けた。
11連勝8連続KO勝ちの勢いで臨んだ初10回戦。勝てばいよいよタイトル挑戦が現実味を帯びて来る大串にとって絶対に落とせない試合だった。結果から言えばこの一戦が彼のボクサー人生大きく狂わせる。
だが、本人はいつものようにマイペースな練習でいつものようにリングに上がるだけだった。
対戦者はここまで24戦して12勝(5KO)6敗6分けの篠崎 哲也(高崎)
戦績を見ても勢いに乗っている大串が圧倒するのではないかと見られた。
気がかりなのは篠崎が一度のKO負けも無いタフネスを備えている事だったが、逆に大串が何ラウンドで倒せるかに興味は注がれた。
しかし、初回から力み返った大串は終始前に出る篠崎に手を焼いた。幾つも手応えのあるパンチが篠崎の顔面を捕え左フックを効かせたはずだった。しかし、ついに篠崎は倒れる事は無かった。大串も試合全般を通して手数が少なくこれまでに無い苦戦ではあったが、僅かながら自分が勝ったと思った。
実際に「勝者赤コーナー・・」とコールされ一度は大串の手が挙げられたのだ。
ほっとした瞬間、信じられない事が起こった。
単純な集計ミスとの事で正式な勝者がコールされたが、大串にとっては判定が覆った事と一緒だ。
大串は一礼もせず、黙ってリングを降りた。怒りは心頭に達したが騒ぐ事も無かった。
彼は自分の事では素直に怒りを表現出来ない性質だったのだ。
しかし、負けた事よりもこの事が大串の心を深く傷付けた。
ボクシングへの情熱が「ゼロになった瞬間」と大串は打ち明けた。
世の中にはこんな事はいくらでもある。いや、もっと理不尽な事はある。
しかし、たったこれだけのことでボクサーの心は深く傷つき、奈落に落ちてしまうものなのか。

ボクシングは非日常であり、また非情である。
マイペースを気取っていた大串だが、実は彼もまた他のボクサーと同じようにギリギリの所で戦っていたのだ。ファンはそのボクサーの硝子のような心に気付かなければならないと思う。

その後大串は覇気の無い試合を繰り返しさらに連敗を重ねる。
流石に3連敗以上してブランクを作る訳にもいかずに何とか踏みとどまったが、勝ちを優先する余りに、あの怖さを知らぬ荒武者の様な試合ぶりは影を潜めた。


新人王戦の後、順調に白星を伸ばし先にタイトル挑戦を果たしたのは内藤大助だった。
01年7月16日、坂田健史(協栄)の持つ日本フライ級タイトルに内藤は挑戦し1-0の引き分けで惜しくも王座獲得ならず。試合内容は接戦で後半を制した内藤の手が挙がるものと思えたが、判定は意外だった。

そしてこの時、事件は起こった。
判定がアナウンスされると、内藤のセコンドやジム仲間がリングエプロンに駆け上がり猛抗議が始まった。その中の一人がナイフのような物を振りかざし何事か叫んでいるではないか!
この異様な光景は周囲を騒然とさせたが、本人は一向に収まる気配はない。

練習で互いに苦しい思いをし、同じ釜の飯を食った仲間の内藤が不当な判定で貶められたと思った。
自分の事は我慢出来るが、仲間に加えられた理不尽な仕打ちは絶対に許せない!

控室でも大串の怒りは収まらず、審判に対しての批判や暴言は扉の外にまで響いた。
控室の隣りにある試合役員室にもその声は伝わったはずだが、伝聞では酔った大串が試合役員室に乗り込んで暴言を吐いた事になっている。しかしそれは若干、事実とは異なる。

ファンの間でもこのショッキングなニュースはまたたくまに広がった。
その二日後コミッションは大串に対しプロボクサーライセンス無期限停止処分を下した。

ボクサーがリング外の刑事事件などの重大犯罪以外でこの処分を食らったのは大串唯一人である。
本人は半年か長くて1年も謹慎すればまたリングに上がれるだろうと高をくくっていた。
その処分通知書には(一年以上の)と付されていたからだ。

しかし、1年以上経っても復帰への兆しは一向に見られなかった。
大串は再び孤独になった。

ジムや後援会もショッキングな事件にすっかり腰が引けてしまったのか、と私は思った。ジム仲間の間でもそうした感情が広がった。いつしか大串の事はタブーとなっていった。

しかし、実際は違った。
この時の事を大串はこう振り返る。

「実は処分が下った翌日に(明日ネクタイ締めてコミッションに謝罪に行くからな)と宮田会長が言ってくれてたんです。一緒に会長が頭を下げてくれると言うのに、俺としては直後だったから素直に頭を下げられないって突っぱねちゃった。その予定の日には協会のお偉いさんも集まっていたらしくて・・会長の顔まで潰してしまった」
「だけど謝罪に行かなかった本当の理由は、着て行くスーツを当時持っていなかったんです。それが言えなくて・・ずっとそのまま何年も経ってしまいました」

なんと間抜けな話しだろう・・。

しかし、大串は本当に復帰を諦めていたのだろうか?


「本当にボクシングをあきらめ切れたならジムにも近づかないし、昔のボクサー仲間にも会いません。未練が無いと言ったらウソになる。」
「あれ以来、本当につまらない10年を過ごしてしまった」と言う大串に「そのつまらない時間の中にもきっと意味があると思う。人生に無駄はないはず」という仲間の声があった。
「確かに世の中でもまれて丸くなったと思うし、大人にもなった。今でも頭を下げて、やれるものならやってみたい・・」

現役時代と変わらぬ引き締まった体は67kgを維持している。

「だけどもう(ボクサー定年まで)あと1年半しかないんですよね。しかし出来るとしても6回戦からだし、順調に行ったとしてもランキング入りから半年経たないとタイトル挑戦が出来ないルールなんです。それでもね、やっぱり・・」

10年以上現役を離れた人間が奇跡の復活を遂げられるほどプロボクシングは甘くない。
そんな事は大串自身が一番良く解っている。

世界王者にまで登り詰め有名になった内藤大助も、しのぎを削った松信秀和も現役を終えた。大串にとって昔と変わらぬ、いや今では兄弟のような間柄である。
大串もまたかつての少年の様な心で孤独と戦う面影は既にない。
温和になって人の話しを良く聞く大人になった。

しかし、いくら時間が経っても埋められない記憶はある。

大串の拳の前に打ち倒され、若くして引退に追い込まれたボクサーらの事を思うと、まだ諦め切れないと言う大串には自身の為にも、そしてそう・・あの日の贖罪の意味も込めて、その心の無念をたった一度でも晴らして欲しいと願ってしまうのである。

by B.B

コウジ有澤in西麻布・・part2

さてさて前回、西麻布「まぐろや」のご紹介をさせて頂きましたが、昨晩はウチ猫記者ほかHARD BLOW!読者の方々と再び「まぐろや」におじゃまして、「青鹿毛」呷りながらコウジ有澤さんとのボクシング談義に花を咲かせて参りました。
早速コウジ有澤さんの現役時代の興味深いお話しを紹介したい、とその前にやっぱりお店の話しから。
スイマセン、旨いんですよホントにここ(笑
「梅さん!いつものお漬け物を・・」「へい!いつもの!」とお出しいただいたのがとっておきの、かぼちゃに大根、山芋、茗荷、トマトの盛り合わせ。
もうすべての一つ々に心配りがされていて、これだけでお酒がすすむこと、すすむこと(笑

看板のまぐろのいいところや黒鯛、それに自慢の穴子の白焼きは某タレントさんがこれだけを目当てに来店されるとか。ちょっと普通のお店では頂けない贅沢な逸品が今日も惜しげもなく・・でした。
気になる4名様のお会計は〆て大ペソ2枚にまたビックリ!西麻布あたりにご用の際は是非お立ち寄りくださいませ。(要予約らしい)


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思えばコウジさんとの出会いは僕がサラリーマン時代でしたが、もう何年になりますかね。

「僕が古城さんの持つ日本タイトルに挑戦する前でしたから24歳の時ですね」

そうだ古城賢一郎さんは不思議なボクサーで負けは込んでいたものの老獪でねぇ。当時アマチュアから鳴り物入りでプロデビューして来た赤城武幸さんや東悟さんに黒星を付けている。僕は正直まだ早いかなと思ってました。あの独特なカバーリングはホントに厄介で・・それが僅か2Rで右当てて倒しちゃった(笑

「あの時は勢いもありましたけど、控室からリングに向かう途中はもう逃げ出したいほど恐くて、半分泣いてました。リングの中央で向かい合ってレフェリーの注意を聞いている時も古城さんはもの凄い目で睨むんですよ。あの風貌ですから、もう見ないように下向いてました(笑」

その後も何度かお会いしましたが、川崎タツキさんを紹介してくれたのもこの頃でしたね

「あの時はタツキが25歳でボクシングを始めようかという時期でまだ背中に刺青が入ってましたから良く覚えてます(笑」

そうでした。当時有澤ジムのトレーナーだった古川さんに街中でバッタリ会った事が、川崎タツキさんの大きな転機だったんですよね。その後コウジさんやカズさんらのアドバイスでボクシングに賭けてみようと。

「はい、あの時はB.Bさん、あの輪島功一さんだって25歳デビューでしたから、やる気さえあれば全然間に合いますよと言って下さったんです」

そうでしたか。けど、その後タツキさん後ろを振り返って僕に背中を見せた・・チョット言葉を失ったのは覚えてます(笑

「はい(笑)その後本人の努力も勿論ですが、周りの沢山の人が応援してくれて手術が出来て良かったです。それでも刺青消しても跡はどうしても残って、コミッションに何度も掛け合って、ようやくOK貰ってデビュー出来たんです。引退後も講演とか引っ張りだこで、今は足立区でジムをやってますけど有頂天になる事も無く頑張ってます。ほんとに根っからいい奴ですよ」

そういえば、僕の職場でテレビのロケがあった時もたまたまジムの皆さんで遊びに来られてました。それでディレクターに日本チャンピオンですよ、あの人って伝えたんですよ。たしかテレビ東京のクイズ番組でしたけど、あれは可笑しかった。

「はい、あの時は三日天下で有名な明智光秀の言った言葉、敵は○○にあり?という問題でしたが、ボクサーですし、わざとボケてという空気でしたから敵は我にあり!って答えたんです」

ボケても真っ直ぐなコウジさんらしい(笑

「はい、そしたら横に居たタツキが、敵はモハメド・アリ!って答えるんですよ。全部持ってかれました(大笑」

さてコウジさんの現役時代の話しをしましょう。ここで避けて通れないのはやはり畑山隆則さんとの究極の日本タイトルマッチです。

あれは畑山さんからのラブコールでした。崔との世界戦を惜しい引き分けで挑戦失敗した直後でしたが、仕切り直しに僕を指名して来たんです。僕も18連勝で勢いがありましたし、Jrライト級(当時)では国内トップの自覚はありました。でも畑山さんは世界王者と五分以上の試合をしたばかりで無敗の勢いだけでなく、駆け引きなどでも大きく成長してたと思います。僕にはまだまだ学ばなければならない事がありましたが、オファーがあれば断る理由がありません。負けたけど強い人とやって良かったです」

あの試合初回から右のボディーを狙って行きましたが作戦でしたか?

「畑山さんは足も体にもスピードがありましたから、動きを止めたいという事はありました。それと左のガードを下げさせて強い右を顔面に当てるという・・。ですが試合前から物凄い盛り上がり方で会場も世界戦で使うくらい広かったですしね、もう初回からガチガチでした」




「究極の日本タイトルマッチ」


それでも作戦通り中盤近くから得意の右が当たり始めましたね。

「畑山さんはいいのが当たって効いてるはずなのに、やっぱり気持ちが強いんです。勝てばお互いに世界ですからあの試合僕はその気持で負けたんだと思います」

仰る通り、試合後の控室で畑山さんは「コウジさんは世界王者の崔(チェ・ヨンス)より間違いなく強かったです。右もボディも強くて効いてました。だけど、この試合は僕の方が少しだけ世界に行きたいという気持ちが強かったのかも知れない」とプレスの前で言ったそうですね。

「それはリップサービスにしても嬉しいですね」

その後、再び福岡帝拳のホープ、パンサー柳田さんと同級王座を争い王座に復帰、平仲信敏さんとの激闘に続くわけですが・・

「平仲さんは拳が固くて僕が戦った中で一番パンチが強かったです。一見振り回すファイターに見えますがインファイトの細かいテクニックが凄いです。焦って出ようとすると突っ込んでくる僕の頭の位置を予測して、顎を引きながらおでこで待っているんです。序盤に眉間をカットしましたが見事にそのトラップにやられました」

それは傍から見てても判りませんね、実際に戦ってみないと解らないですね。しかしあの第二戦も火の出るような打ち合いでしたが制したのはコウジさんでした。

「やはり、畑山戦の経験が大きかったと思います。この試合も勝てば世界と言われてましたし、経験豊富な平仲さんに勝つ事が出来て更に自信が深まりました」




「コウジvs平仲Ⅱ」


僕は何度も言うけどコウジさんは華のあるリングの天才と思うんです。プロボクサーとしてまず外れの試合が無い。常にホールを満員にして、それを背に全力で相手を叩きのめそうと前に出る。自分が当てようとするパンチを決めたら、カウンターが飛んで来ようが躊躇しない。その瞬間はコウジさんの目が見開かれているからそれが手に取るように解るんです。それに一発当てたら間髪入れず必ず行きますよね、「見る」と言うもどかしさが無い。だから観客も熱狂する訳です。やっぱりそれは当たった時の拳の感触ですか?

「いや、いいパンチは感触がほとんどないですね。勘ですかね(笑」

その後ついに世界への道は開かれませんでしたが、そろそろアノ話しをして頂いてもいいですか?

「はい、オファーは確かにあったんです。ホエル・カサマヨルですね」

当時その話しを聞いた時僕はビックリしてしまって(笑

「それを聞いた時はいつものように(笑)恐さも勿論ありましたが、嬉しかったですよ、世界だぞ!と。僕の眠っている本当の闘志を呼び覚ましてくれるはずと思ってました」

これまでのあの闘志溢れる試合を経ても?

「はい、自分の中にまだ眠っている何かを感じてました。結局、条件の問題など(色々)あって実現しませんでしたが・・」

当時はやっぱり頂点にカサマヨルやフレイタスでしたし、世界一の男とやりたいという気持ちは良く判ります。それからずっと後になりますが、出演されたキラ星の舞台でボクシングファンのプロデューサーが粋な演出をしましたね。世界一強い男とのタイトルマッチで激戦を制したコウジ有沢がセコンドに肩車されるシーン。
僕は思わず泣いてしまった。

「いや、僕も演技とは忘れて感極まって号泣してました(笑」

それでは最近のボクシングについて何か一言お願いします。

「そうですね、色々あるんですけどボクサーですからリングの事を。最近、試合に負けたり不甲斐ない試合で終わった選手に見られる事なんですが、四方に手を合わせてすまなそうにお辞儀する選手が多いですね。あれとっても違和感があるんですよ。気持ちは解るんですけど、負けても自分はプロだという事を忘れて欲しくないんです。練習を目一杯やって来たんだったら、グローブでロープを思いっきり叩くくらいの悔しさを出さないと。ちゃんとボクシングを知っている人はやり切らなかった言い訳にしか見ません。謝るのは控室でいいんです。辰吉さんくらいのレベルだったらまぁ解りますけどね。それでもプロとしてはどうなのかな?と」

なるほど・・やり切って来られたコウジさんだから言えるプロの後輩たちへの助言ですね。
そういえば12月にオヤジファイト?でユウジ・ゴメスさんとガチンコ勝負らしいですが・・

「そうなんですよ、むこうもその気らしいんでやりますよガチンコで!(笑」

話しはまだまだ尽きませんが(笑)記憶に深く残るボクサー、コウジ有沢さんの貴重なお話を紹介させて頂ける事はファンとしても感無量です。長い時間本当にありがとうございました!!

byB.B

名城信男最後の戦い?名城×テーパリット観戦記

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 いやー今回の試合は世間的にはかなり期待値低かったですねえ。まあ「厳しい戦いになるんじゃない?」と言う予測をされるのは仕方ないにしろ、彼が何度もチャンスをもらえる環境にあることは批判されるような筋合いのもんじゃないと思うんですけどね。まあ今じゃ人気者の内藤大助でも最後の挑戦といわれたポンサクレックとの三戦目の試合前はアレコレと心無い言葉をぶつけられたもんでございます。上げたり下げたりされるのは人気稼業の宿命とはいえ最近はスポーツ選手も消費スピードが速いですね。短期利益の追及が荒廃を生んでるのは政治や経済ばかりではございません。

 開場から一時間少し経ったあたりで会場に入ると、試合はアンダーカードの只中。六島ジム第二の男向井はタイ人との試合でしたがカマセ相手の予定調和かと思いきやこれが意外にも好試合。戦意が旺盛でグイグイもぐりこんでくるサンムアンローイなる青年ボクサーに向井は後手に回り手数も出ず、終始ロープを背負う展開。パンチ力はさほどでもないもののヒット数ではタイ人が圧倒しましたがここは日本、しかも大阪。順当に向井の手が上がり、普段ボクシングを見ない人の頭に?マークがつくと言う良くある風景に…。これほんとなんとかならんかといつも思うのですが。試合後四方に頭を下げるサンムアンローイにはアンダーカードでは珍しい大きな拍手が寄せられました。勿論強い外人を呼ぶほうが「カマセに勝って良かったね」という試合よりはずっと良いに決まってるのですが。今日のアンダーは二人の韓国ボクサーも強かったです。

 セミの後安田幹男の引退セレモニーを挟んでメインへ。この時点でアリーナは7~8割、スタンドは6割の入りといったところか。ただリングサイドのイスは少なかったですねえ。

 先に入場したのは名城。今までのテーマ曲と違う曲でリングイン(追記 この曲が枝川会長の曲でした!不勉強で大変失礼致しました。ラウドロックのようなイントロからジャパメタ風になる大変若々しい曲でした)して珍しくリング内で観客にアピール。一方テーパリットは国王の写真と大勢の取り巻きとともにリングイン。今回は花道も舞台照明も映像もなし。会場の客電が白々とついた状態でいきなり名城の入場が始まったので大層ビックリしました。この辺も限られた予算の中で試合を組んだ厳しさが伺えます。

 1Rテーパリットが様子見してるのか手数が出ないのをついて、まず仕掛けたのは名城。ジャブからボディを叩いて攻勢をアピール。今日はロハス戦に比べたら遥かにジャブが良く出ています。2Rからテーパリットも前進を開始。ガードの上からお構いなしに重いワンツーを叩き込んで名城の動きを止める。しかし名城も今日はジャブが良く当たる。得意な距離も近いと言うことで必然打ち合いに。お互いクリーンヒットはないがテーパリットは持ち前の強打で単発気味ながら強引に攻め、一方名城は被弾覚悟で距離を詰めてボディー打ちに活路を見出す。名城は上にも強打を入れたいがテーパリットは上体の動きで巧みに右のパンチを外す。逆に名城は打ち終わりに攻められると下がってやり直しになるのでやや見栄えが悪い。序盤は重いパンチを振るうテーパリット優勢だがこちらもどうも本調子ではないようでなかなかギアが上がらない。スタミナ対策か足を使わず体を折ってパンチを交わすテーパリットに名城は7Rあたりからアッパーを合わせ出す。クリーンヒットこそないがこれは有効な作戦。アッパーを嫌ってテーパリットの体が起きると今度はボディーストレートを織り交ぜて追撃。勝負どころを心得たテーパリットもペースを渡すまいと8Rは再び攻勢。圧力を上げて名城を近距離から弾き出す。名城は姿勢の低いテーパリットからなかなかクリーンヒットがとれず空振りが多いもどかしい展開。が9R後半に入ると名城の積み上げて来たボディーでついにテーパリットが失速気味になり、嫌がるそぶりさえ見せ始める。明らかに動きが落ちたテーパリットを見て地元大阪の応援も俄然活気を帯び、10R前のインターバルでこの日会場で配っていた野球応援でお馴染みパカパカメガホン(名前わからん)を一斉に鳴らしての名城コールが爆発。声援に後押しされた名城は動きの落ちたテーパリットを上下を打ち分けながら猛追。後半3Rは鳴り止まぬ名城コールにのって一方的な展開に。テーパリットは足も動かずパンチも踏ん張りが利かず完全な体力切れ。お見合いからジャブを貰って動きが止まるシーンまで。しかし名城はどうしても詰めきれない。接近戦では被弾覚悟で打ちまくるがテーパリットは要所で打ち合いに応じながら巧みに名城の攻撃を交わしてなんとか終了のゴングを聞く。威勢の良いKO宣言をしたテーパリットはかなり消耗していたがしかし名城が詰めきれなかったのも事実。後半の展開を見れば「もう少し早くエンジンをかけていれば…」という感想が。まくりきったか?少し足りないか?緊張の採点発表は114-114、115-114、115-113と僅差の2-0という惜敗。会場にはしかし怒りのムードはなく「やっぱりそうか…」というある意味で大人の空気が…。滅多打ちに合ってのKOでもなく、完封された判定負けでもなく展開のアヤと言って良い負けですがそれでも負けは負け。名城というボクサーの不思議な強さとそして勝ちきれぬもどかしさ両方を感じてなかなか感想がまとまらない私であります。今日はテーパリットが不出来だった(と思います)とはいえ清水や大毅よりはずっと良い試合をした名城。彼は日本の同階級では未だに第一人者であると私は思います。引退を示唆されたようですが彼の試合はいつも面白く見ているとぐっと感情移入する何かがありました。この辺はまた改めて考えをまとめようかと思います。

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様々な困難を越えて名城に五度世界戦の舞台を整えた枝川会長のCDの直販コーナー。こういうお茶目さも氏の魅力ですね。ジムの会長って面白い人多いですね。選手より面白い会長ってある意味問題なような気もしますが(笑)


追記

先日呼びかけました私との会合ですが、反響のメールは頂いたものの本日はご都合の合う方はいらっしゃいませんでした。やはりたまの休日偏屈な中年と合おうなんて篤志家はなかなかいらっしゃいませんね。『泣いた赤鬼』の気分です。まあ秘密結社に襲撃されず無事帰宅できただけでヨシとしましょう。また観戦に出る機会がありましたらしつこく呼びかけようと思います。

     住吉スポーツセンターは良い会場(旧徳山と長谷川が好きです)

速報 WBA世界Sフライ級タイトルマッチ

速報!!

WBA世界Sフライ級タイトルマッチ12回戦

王者 テーパリット・ゴーキャットジム(タイ)対 挑戦者 名城信男(六島)

判定2-0 王者防衛

名城、残念無念!僅かに届かず・・・

詳細は後ほど!