昨年の女子サッカーW杯におけるなでしこJAPANの優勝は、世界の女子サッカー界にとってエポック・メイキングな出来事だったと思う。それはなでしこが女子サッカーをスペクタクル(=瞠目すべきもの)にした点だ。
圧倒的な身体能力で覇権を握った中国、アメリカに対し、高い個人技と組織力、そして、澤や宮間や川澄の勝負強さでひっくり返したなでしこ。パワーとスピードのサッカーに、高度なテクニックとスキルのパスサッカーを対立させたことで、女子サッカーをインテリジェントでスリリングでドラマチックなものに変えた。これがなでしこジャパンの最大の功績だと思う。
昨日昼、たまたまテレビをつけるとヤングなでしこ(U20W杯)の対スイス戦を再放送していた。プレーする表情のあまりの明るさに、これまでのスポーツ・シーンになかった何かを感じた。その後スポナビでこんな記事を見た。
「ポップなヤングなでしこ なぜ楽しいのか」http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2012/text/201208290001-spnavi.html
釜本氏のコメントも興味深いが、吉田監督の言う「自分で考える」「自分で戦う」ことの奨励とは何なのか。「今、判断しなさい、こう判断しなさい、なんて指導者が言っていたら、選手は育たない」とあるように、どう判断したらよいのかを「教えない」ことである。
「教えない」だけで選手が勝手に成長するなら皆名監督だがそんなわけがない。実際には選手のプレー意図の良い点悪い点を正確に読み、良い点をしっかり評価すること、これが選手の成長につながる。だから監督には指導者としての力量が必要になる。
選手は自分で判断を下す根拠を他から与えられないから自分の中に探し求める。自分一人の経験は狭く小さいが、使えるものを探し出すうちに、使えるものと使えないものがはっきりする。自分の経験の内容が整理され、自分の中に無かったものを自分の中に摂り入れることもでき、自分に足りないピース(欠点)が何であるかもはっきりする。
こうして選手が成長すれば、選手は誰かの判断ではなく自分の判断で上手くなるのだから、自信もつくし、楽しくもなる。
彼女たちの明るさには「自分で考え判断する」指導法が背景にあり、それが彼女たちとそれを観る者の「楽しさ」につながっているのだと思う。
なでしこのメンタリティとして付け加えておくと、監督との縦関係をあまり感じない点である。女子サッカーチームのオープンなムードはジュニアユースレベルから全般的な傾向としてあるようだが、試合中のポジション・チェンジなど自己判断(監督に確認はしてはいるが)が男子よりも多いように思われる。もっと言えば、ゲームコントロールの能力は男子よりも良い。この辺は、女子サッカーが置かれてきた厳しい環境が、彼女たちにそれを強いた面はあるのかもしれない。
さて名城である。
名城がカサレスに王座を追われた時、再戦は名城有利ではないかと思っていた。日本人世界戦で苦戦→再戦の場合、研究が功を奏してか勝利するケースを度々あるからだ。しかし結果は逆だった。1戦目が名城に分のある引分けだっただけに意外だった。その一方、カサレスに2度同じパターンで攻められた名城に、技術であれ何であれ上積みはあったのかと疑問だった。
その後の世界戦での敗戦も、何かがプラスされないと勝てないのではないかと危惧しつつ、見ればテクニシャン相手に世界を逸していた。
自分が向上しても、相手も同様に努力し進化する。だから追い付けないこともある。これはやったものにしかわからない。しかしそれも込みで自分を高めるのがアスリートの世界。女子サッカー、女子バレー、女子卓球、いずれも相手をにらみつつの、相手に勝つための、武器の備えがあった。
調印式で名城自身は「年がいってから強くなるパターンもある」と言った(西岡のこと?)。9月1日の挑戦で、彼のボクシングに何か新しい見るべきものはあるのか。彼が何を考えて試合に備え、また試合で何をどう判断するのか、まずそこを見たい。
リング禍の苦悩をモーチベーションに昇華させ初戴冠した名城 ― 今度は別の形の勝利でファンに感動を与えてほしい。
BYいやまじで
イケメンメダリストの話を聞いた後に、そこからすぐの場所にある、かつての「イケメンチャンピオン」が働くお寿司屋さんを訪ねました。元・日本スーパーフェザー級チャンピオン・コウジ有沢さんは、こちらも村田選手に負けず劣らず、相変わらずのいい男っぷり。厨房に立つ大将は、ニューヨークでトップクラスの寿司店「安田」で長らく包丁をふるっていた○○さん。このお二人が出迎えてくれるのが、「西麻布横丁 鮨 まぐろや」です。(ウチ猫)

「どうもご無沙汰でーす!」とのれんをくぐると、いつものこのスマイルで出迎えてくれたのは双子の兄弟ボクサーで一世を風靡したコウジ有沢さんこと有澤幸司氏(41)
と、一般メディアではこんな取り上げ方で始まるんでしょうけど、僕ら素人ブログでの扱いでは上にも置きませんのでご勘弁をという事で、ざっくばらんに紹介して参ります(笑
先ずはお店の宣伝。
大将のうめさんはトップにあるようにニューヨークの有名店で8年間の修業を終えて帰国。現在はコウジさんとの共同経営でこの「まぐろや」で自慢の包丁をふるっています。
「うめさん」はたぶんニックネームで・・そう、あの「ど根性ガエルの梅さん」からと思うんですが、初対面とは思えない人懐こい笑顔と軽快な語り口は一瞬で惹き込まれます。若き日の川谷拓三さんを3倍くらい男前にした感じかな?
「いいところで握りますか!」と出された寿司は上物あわびや看板の鮪からはじまって、あなご、こはだ、いくらとどれもこだわりのまさに逸品!その他、白焼きやたいら貝の磯辺巻きなど贅沢なお品書きが次々と。
このあたりで「流石に西麻布、ちょっと覚悟が必要だなぁ」と財布の中のペソを頭の中で計算・・(汗
しかし、そこは飲んだくれの真骨頂。うめさんこだわりの焼酎(大理石のかめ!から注がれた米焼酎)やコウジさんお薦めの宮崎「青鹿毛」「赤鹿毛」をテキーラのように飲みほしながら昔ばなしに花を咲かせると、そこはすでに文字通りお花畑の世界であります(笑
まぁ、まずこの先飲めないであろう大理石焼酎は芳醇な米の香りで我が身大地に包まれたよう・・
僕がショックを受けたのは大麦の香り芳(かんば)し「青鹿毛」で世の中にこんなお酒がまだあったのか!
いや、もっと驚いたのはうめさん自慢のお漬物。この日いただいたのは「かぼちゃ」でしたが、これがなんとなめらかで新鮮な瓜のよう。ぶったまげました!
おそるおそるの「おあいそ!」でまたビックリ。
身も心も大満足のこの日のお会計お二人様は〆て大ペソ一枚に小ペソを少々(いや無粋な話で申し訳ない!)
いやぁ、しかし幸せなひと時でした。ありがとうございました!
とと、肝心のボクシング談義載せるの忘れてました・・
まぁいいや、すんません、また今度です!

ブログがんばって下さいね!と見送ってくれたコウジさん。
「青鹿毛」手に入りそうなんで2本くらいぶら下げてまた来ます!
by B.B
旧徳さんの情報提供を受け、これは是非金メダリストの話を聞きたい!と勇んで出かけました。
今回で4回目となる「緩くて深いボクシングナイト」というこの企画。私はまったく知りませんでしたが、過去には石田順裕選手や八重樫東選手などが出演しております。1500円プラスドリンク代という、いまどきならそこいらのヘッポコバンドのライブだってこんなに安くないだろう、という金額で選手の生の声を聞けるなんて最高です。

生で見た村田諒太選手の印象ですが、これがもう最高にカッコイイ!男前なのはわかってましたが、佇まいというか雰囲気というか、侍のようなオーラをまとってますね。内容については、激安とはいえ有料のイベントですし、いくら過疎ブログといえども最初から最後まで載せるわけにはいきません。休憩をはさんで約二時間、非常に濃い内容でしたが、そのほんの一部をご紹介します。
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━ロンドン五輪について
・世界選手権で銀だった悔しさがあるので、決勝進出の時点で喜ぶことはありませんでした。銅メダルの二人は前日負けているので、表彰式の時には気持ちが切り替わっていて笑えるんですが、銀メダルだと(当日負けたばかりなので)いっさい笑えないんですよ。肩とか組まれても「もうええわお前ら!」となるくらいで(笑)。
・決勝の入場時に笑っていたのは一つはリラックスする為と、あとは、こんな舞台に立てるのは自分だけなので、それを楽しもうと思ったからです。
・一貫してあのスタイルを続けたのは、勝てるところで勝負しようと思ったからです。ヨーロッパの選手たちとやる時など、技術の交換ではやっぱり分が悪いですから。
・試合終了後、リング下のジュリーが、青と赤の卓球のラケットのようなものを掲げて、どちらが勝ったかをレフェリーに知らせるんです。それを見ればコールされる前に結果がわかるんですが、怖くて見れませんでした。確信ですか?あの内容でそんなもんあるわけないじゃないですか(笑)。
━キャラクター(銀座でのメダリストのパレードやテレビ出演時に「控え目キャラ」であること)について
・あんな風に高いところから人様に向かって手を振るなんて、たかがボクサーがするもんじゃない、と思ってるんで…
・だいたい、スポーツ選手をそんなに神格化するもんじゃないと思っています。(活躍してる選手も)たまたま才能があり、周りのサポートがあるからできているだけで。
・ここでこうして喋れてること自体奇跡的なことで(笑)。この暗さ・身内が相手・ほどよい人数・テレビがない、ということで調子よく喋ってますけど。
━メディアについて
・48年ぶりの金メダルということですが、自分としては世界選手権の銀を経て、獲るべき目標としてやってきましたので、嬉しいには違いないですが、世間のあまりの熱狂ぶりには違和感があります。
・全日本のチームの中でも、他の選手の1.1倍か1.2倍くらいは頑張ったと思ってるので、その0.1とかの部分を身近な人に褒めてもらうのは嬉しいです。ですが、よく知らない人ほど「48年ぶりに現れた伝説の男」みたいに言われるんですよね(苦笑)。
・僕だって酒飲んだらパッパラパーになるんですから(笑)。
・しずちゃんとは全日本合宿で一緒になりましたがメッチャいい人です。これからもチャレンジしていけばいいと思います。ただ(しずちゃんがキッカケでアマチュアボクシングを)メディアで取り上げてくれるなら、競技レベルの高い人も同様に取り上げてくれないと失礼だと思います。 ※()内はウチ猫による補足
━今後の進路
・プロ入りはゼロです。悩みますけど、第一希望でない、ということは成功しないと思いますので。
・ボクシングって、スポーツ科学から取り残されてる競技だと感じているので、スポーツマネジメント等の勉強をして、そういう方面で貢献していきたいのが第一希望です。
・自分の試合を見返すと、まだ伸びるような可能性もあるような気がするので、完璧に引退とも言い切れません。
・ただ第一希望は勉強なので、それをしながらリオを目指す環境があれば…とも思います。しかし、今は東洋大学にお世話になっている身なので、大学との話し合いを抜きに、勝手に自分の希望だけをメディアで喋ったりするわけにはいきません。もう少し休んで考えて、関係者と話し合って決めていきます。
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村田選手の言葉だけを抜粋しましたが、司会進行の本郷氏や藤原トレーナーとのコンビネーションや、時折混ざる柳光和博さんのヤジなど、シャイとはいえさすが関西人!と唸る面白さでありました。他には、恩師である故・武元前川先生とのエピソードもたくさん話してくれましたが…これはこのダイジェスト版でサラッと書くのは勿体ないので、書くとしたら、また稿を改めてご紹介したいと思います。
本当に人間味あふれるキャラクターで、いっぺんに大好きになってしまいましたが、しかしやはり彼の成し遂げたことは、残念ながら(?)「神様扱い」されてしまうに値する大偉業だと思います。金メダルが重荷になったり、あるいは少したてば何の役にも立たなかったり、何かとこれから大変だろうとは思いますが、どんな道を選んでも、そのボクシングスタイル同様、ブレない心で頑張ってくれるものと期待しています。
(ウチ猫)
旧徳さんのいち早い情報のおかげで金メダリスト村田諒太トークショーに行って来られました。
ありがとうございました!
記事は本業が忙しいウチ猫記者に無理やりお願いしましたので、お願いします(笑
まぁとにかく普通のちょっとヤンキー入ってたあんちゃんが金メダル取っちゃったって事で、そんなに騒がないでくださいよ。ま、それもあと3ヶ月くらいなもんでしょうからってな感じで始まりしたが・・
大偉業を果たしたにも関わらず、メディアも含めて勘違いしないでくださいね!と言うあたりは頭のいい人だなと。
一貫したボクシング観はプロの業界の方々にも選手にも是非とも傾聴して頂きたい。
耳の痛い話ではありますが、ファンもしっかりと受け止めていかなければならないと思います。
皆が聞きたかった事、プロ入りは考えているか?には
「それは0(ゼロ)です」と言い切りました。
この理由がふるっている訳なんですが、それは深夜に上がるはずの記事にて
あとひとつ、南京都高校(通称ナンキン)時代の恩師、武元前川先生との師弟愛は今どきの先生や親に考えさせられる部分が大きいと思いました。
武元先生の教えないで教える「生徒に気付かせる」教育方法はいやまじでさんの考える部分にも共通するのでは。
その関係はコミカルでハートフルで武元先生亡き後も村田諒太の心に深く関わり続けているようです。
「オリンピック2日目の夜に武元先生が夢枕に立ったんですけど何も言ってくれない。朝起きると自分泣いてるんですよ。けれども今でも傍に居てくれていると感じた時、(五輪特有のプレッシャーによる)怖さなど吹き飛んでいたんです」
思春期に関わった人間が如何に大事なことか親としても考えさせられるひとコマでした。
その後、折角ギロッポン(死語)まで行くんだからコウジ有沢さんの職場も見ておかなくちゃというわけで西麻布の寿司屋に行って来ました。
ボクシング談義を思いっきりやってきましたので当たり障りの無い所で、それも写真と共にご紹介したいと思います。
これもウチ猫記者にフォームを決めて貰ったあと、僕もそこに書きあげたいと思います。
なんかいつもおんぶにだっこでスミマセン。
さて、色男・有澤幸司の前で「女論」を調子ぶっこいてた僕でしたが確信犯的朝帰りをした後、ウチ猫さんの予想通り我家の今後についての緊急トークショーが某所で行われました。
今回のテーマは引き続き「ボクシングは家庭ひいては人生において本当に必要なのか?副題として女はそこにいるのか!」でした。
僕もこれまでになく真摯な態度でテーブルにつき、彼のキム君にならい対話路線を目指しましたので今すぐ紛争とはなりませんでしたのでご安心を(笑
B.B
オリンピックイヤーに相応しいドキュメントをたまたま続けて読んだので少し感じたことなどを…。
その本は増田俊也さんの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」http://goo.gl/OCDUsと柳澤健さんの「日本レスリングの物語」http://goo.gl/H6mTQの二冊
まず前者「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」はそのエキセントリックな書名、木村政彦が正面から睨みを効かせる表紙写真、二段組700ページのボリューム、そして平成も20年を遠に越えた今更昭和にワープして力道山×木村戦を徹底検証すると言うテーマの異様さも含めてどこを切っても奇書そのもの。でありながら、ベストセラーになり大宅壮一ノンフィクション賞まで受賞したという破格尽くめの一冊です。北大柔道部で七帝柔道と木村政彦伝説に出会った増田氏が(七帝柔道と高専柔道と講道館柔道の違いについては本書に詳述されているので是非参照されたい)「鬼の木村先生が力道山ごときに敗れるはずがない!」という強烈な信念を原動力にして、関係者への綿密な直当たり取材と膨大な文献の猟歩とを両輪とする暴走機関車に乗り込んで木村政彦の伝説を現代に蘇らせると言う使命へと突き進む!巨岩から石仏を削り出すようなダイナミックな筆致で綴られる木村と彼を巡る男達はまさに神話の登場人物のよう。まずは柔道の師匠である牛島辰熊氏。名前に三種の動物が入ってる時点で凄いインパクトですが、昭和初期の白黒写真からでも鮮明に伝わる鋭い眼光はまさに武道家そのもの。自身も日本最高クラスの競技者であった彼が持てるノウハウの全てを費やして木村を究極の柔道マシーンへと育てて行く。一方で牛島には石原莞爾の直系の亜細亜主義者という顔もあり、活動家を志し来日していた後の極真空手総裁・牛殺し大山倍達の師匠でもあったというじゃありませんか。力道山戦でセコンドについたという木村との縁は実は思想運動に始まっていたと言うから驚くばかり。戦前部分では師弟悲願の天覧試合での優勝がクライマックスですが、牛島のブレーキの壊れた薫陶で危うく東条英機暗殺のヒットマンにされそうになったりの行き過ぎた師弟関係エピソードも強烈。敗戦後のGHQによる武道禁止から柔道家が辿る苦難の運命と、なぜ講道館と柔連が一体化したという分析、柔術・高専柔道・プロ柔道の政治的敗北もデータのおさらいに終わらず人間ドラマとして読ませる。そしてブラジル日系社会の血みどろの抗争を背景としたブラジル遠征から生まれた伝説のエリオ・グレイシー戦のエピソードも新事実の数珠繋ぎ。海外遠征で外貨を稼いで巨万の富を得た木村はやがて日本で旗揚げされたプロレス興行に参加することで力道山と運命の邂逅を果たし、そしてクライマックスの世紀の一戦へとなだれ込んで行くのですが…。未だにその筋書きがなぞに満ちているあの一戦を総合格闘家や柔道家によって多角的に分析させることで浮かび上がる残酷な結論。余りにも狡猾でしたたかな力道山という怪物。事実が予見を遥かに上回ると言うことがノンフィクションの魅力でありますが、これはまさにその好例。そして愛弟子である岩釣兼生のプロレス入りのエピソードとグレイシー一族のブレイクによる木村の再評価が本書の余韻をさらに深いものにしています。虎死して皮を残すと言いますが、これはまさにその皮を作ってしまった本と言えるでしょう。しかし柔道って凄いですね。日本に来たプーチンが講道館で乱取りしたりするのがなんやかんや言って日本の文化の重層性だと思います。
この木村政彦の柔道人生に対置される存在として「木村政彦は~」で何度も言及されるのが講道館の嘉納治五郎。その嘉納は実は後者の一冊でもキーマンとして登場しています。「日本レスリングの物語」はアントニオ猪木やクラッシュギャルズを題材に格闘技ノンフィクションに新たな地平を築いてきた柳澤健さんの最新作。「日本レスリングの歴史」でなく「物語」となっているところがミソであります。日本最初のIOC委員であった嘉納が柔道が正式競技になる前にメダルほしさに柔道家を派遣したのが日本のアマレスのオリンピックデビューであったわけです。安易にメダルが取れると踏んで参加したアムステルダムとロサンジェルス大会で柔道家が惨敗したことが日本のアマレスの原点になります。アマレスは柔道家の余芸で勝てるような競技ではないという厳しい現実を前に、レスリングをも支配下に置こうとする講道館(講道館内にレスリング協会を置こうと画策までした)を向こうに回し徒手空拳で選手育成を始めるアマレス界を牽引したのが八田一朗氏。時に私物化を言われながらも宮家を巻き込むような旺盛なアイディアと独裁一歩手前のリーダーシップで日本にレスリングを定着させていく。東京オリンピックの予行演習としての位置づけがあった東京世界選手権のグダグダの舞台裏や国交のない共産圏の選手をいかに来日させたかというエピソードは貴重な時代の証言となっています。しかしオリンピック以外の世界選手権やアジア選手権は派遣費用もなく選手は自腹で参加していたというのはひどい話です。期待のみ重くケアは薄いというマイナースポーツの宿命は未だに続く問題であります。モスクワオリンピックのボイコットやナショナルトレセン設立の舞台裏、そして女子レスリングのブレイクまで多彩な証言で立体的に浮かび上がるドラマはまさに『物語』。ですが描写は情緒に流れることはなく、アマレスのクライマックスであるオリンピックを参照しながら進む構成は資料的な価値も高いです。
4年おきにオリンピックと言う『点』で上げたり下げたりされるのはアマボクも含めたマイナースポーツの宿命ですが、しかし近視眼的にメダルの数で一喜一憂するのでなく歴史観を持って眺めればスポーツの果たす役割が立体的に浮かび上がってきます。オリンピックを招致すればウン億円の経済効果がなんて生臭い話でなく、スポーツそのものが価値を持っていることが重要。経済効果云々いうならアテネ五輪やって経済がパンクしたギリシャや招致活動のスキャンダルで悪名が広がった長野やソルトレイクはどうなるの?って話ですよ.
佐藤秀峰さんの著作権フリー化の衝撃(旧徳山と長谷川が好きです)
前稿で拳論コメント欄における、ボク愛氏除名の経緯を見てもらいましたが、最初の方はまずまず普通の意見のやり取りだと思います。
「野次馬集団になっちゃ困るよ」「おいおい、いきなりそう否定的な言い方するのは失礼じゃないの?これからやっと始まるとこなのに」「まあどんな活動するのか知らないけど、場合によったら接し方が変わるよ」
乱暴に要約するとこんな感じだと思いますが、ここまでは双方の言い分とも理解できます。ちょっと険悪なムードがないでもないですが、大人同士の本気の議論であれば、そういうこともままあるでしょう。また好意的に解釈すれば、K記者が本気であるがゆえに、まだ何も始まってないうちから「野次馬になるなよ」と釘を刺したとも受け取れます。
しかし、K記者の2番目のコメントの後半の「次はゲストに誰を呼ぶとかで盛り上がってる」という一文、これは完全に嘘です。こういう風にサラッと書かれると、読んだ人は「ボク愛氏含む市民団体(笑)のメンバーがそんな風な盛り上がり方をしている」というのが事実であると認識してしまうでしょう。で、そういうことならK記者が協力しにくいのももっともだなぁ、という方向に読者が誘導されてしまう。
そもそも市民団体(笑)の会合に参加していないK記者が、そんな風に盛り上がってるところを見る機会など「絶対に」ないんですが、よほどの推理小説のマニアでもない限り、そんなとこまで気がつかないですわね。
では何を以ってK記者は「盛り上がってる!盛り上がってる!」とプリプリ怒ってるのか。思い当たるのは、7月1日の茶番劇の晩に、東京駅で食事をした時のことです。
いやまじでさんの寄稿(三)の中に「ボク愛氏はこの会において選手をふくめた業界関係者との交流を盛んにしたいという持論を口にした。これについてR記者は特に反応していなかったように思う」という記述があります。この「特に反応していなかった」というのが、いやまじでさんの勘違い。多分その時いやまじでさんは、他の方と話していたかなにかで気づかなかったんだと思います。本当はこの点について口裏を合わせようかとも考えたんですが、お互い思ったままを綴ろうと決めたのでそれはやめました。しかし私は非常に強く印象が残っているのでよく覚えています。
この食事の席でボク愛氏は、ある業界人の名前を出しました。その人は、奇しくもこの日のホールでK記者の横に移って来て、あれこれと話をしていた超有名業界人のJ氏のことですが、ボク愛氏は会の活動のやり方について「こういうのはどうだろう、ああいうのは…」と提案して行く中で「たとえばJさんなんかを呼んで意見を聞いたり、逆にこちらの意見をぶつけたりしてもいいと思いますよ。あの方はそういうファンの声を聞いてくれる方だと思います」と発言しました。
「そんな素人の集まりにあの人が来るかよ(笑)」とかいうことはおいといて、意見としてはごく普通の考えで、私も漠然と「ああ、そうなったら面白いねぇ」と思ったんですが、これにK記者が食いつきました。
それはまさに「突然」という表現がピッタリな勢いで、猛然と「いやいや、そんな誰を呼ぶとかそんなのはどうでもいいんですよ!」と反論しだしたのです。
その後もいったん火がついた勢いは収まらず、といった様子で「市民団体として活動するなら、何か一つでもいいからJBCの規則を書き替えさせるとか、そういった実績を残さないと意味がない」「将来的には、この団体からJBCの理事に名を連ねる人が出るくらいでないと」といった持論を展開していきました。
このファンの会から理事を出すなんちゅうのも、この段階ではJさんを呼ぶ以上に非現実的ですが、しかしまあこれもその内容はともかく、そういう意見を持っているのは一向に構いません。
しかし、ボク愛氏がポッと言った一言に、なぜあれほど執拗に食いつくのか…その理由はわかりませんし、別に知る必要もないので考えることもしませんが、とにかく不思議でしかたありませんでした。その時点では会の会合は第一回目をやっただけだし、ただ意見として今そう言っただけなので、喜ぶもへったくれもないんですけどね。
そのあとの4時起き氏の文章も珍妙ですね。ボク愛氏が「個人の意見です」とことわっているのに「当会のコメントではないことをご理解頂ければ」なんて書いてますし、その次の「また代表ではないボク愛氏が会のコメントとして受け取る内容であった事は、私の代表代行としての力が不足していた事として反省すべき点だと考えております」に至っては日本語になってませんね。
これの三日後のコメントから推測するに「個人的な意見なのに、それが会の意見として受け取られるような発言をした」ということなんでしょうけど、一体何人の人が、あの時のボク愛氏の発言を「会全体の意見」としてとらえたでしょうか?
また、ボク愛氏のコメントは、4時起き氏も書いている通り、7月9日の第二回会合当日の早朝に投稿されたものです。そしてその後、実際の会合での話し合いの結果、「市民団体的な活動で当面はJBC問題に絞る」ということが確認され、4時起き氏が代表に選ばれたんですから、何ら問題はないと思いませんか?
なのに4時起き氏に言わせると「9日の会合前に変なコメントした」「その後会合ではきちんと方向が決まった」「よって会合前に変なこと言ったボク愛は除名」っておかしいでしょう(笑)。
「方向性云々の話し以前の重大な失態」とか、なんだかとんでもない大事件にしちゃってますが、それほど修復不可能な問題なら、9日の会合が始まる前か、代表に4時起き氏が決まった時点、遅くとも当日のうちには発表すべきだと思いますがね。
そしてその後の拳論コメント欄では、主に匿名さん軍団によるボク愛バッシング祭が開催され、それとほぼ同時進行で某巨大掲示板でも同じことが行われます。これらのコメントは、まるで荒唐無稽なウソならいいんですが、ホントのこととウソを混ぜ合わせているから非常にタチが悪い。そしてその中で、何か強調したい、定着させたいデマについては、何回も繰り返して、複数の人間に発言させるので「色々言われてるけど、その中でもこれについては本当なんだろうなぁ」という刷り込みを狙ってるんだと思います。一時は、ボク愛はコウジ有沢や、宮田ジムつながりで内藤大助を呼び出して、会費制の会合をやって金儲けしようとしてる、みたいなのが連発してましたよね。
そして最後に、拳論のコメントを規制すれば一丁上がりです。もっともボク愛氏の場合は、過去の前例からそれは予想してたので、「書き込もうとしたら規制されてた!」と驚くことはなかったですけどね。
このあたりの、巨大掲示板と連動してのバッシングのくだりは、誰が犯人だという証拠もありませんので名指しはしませんし、私もこの7月頭の時点では「何かおかしいぞ」と感じていた程度でした。しかし、このK記者と4時起き氏のコメントは絶対におかしい、ということだけは感じていました。
ボク愛氏が「市民団体(笑)」を除名になった経緯は、当時の拳論のコメント欄のやり取りが発端でしたので、記憶に残ってる方も多いでしょう。しかし、私たちのような当事者でないと、どんなこと言ってたかもう覚えてないと思いますし、でも当時のコメント欄の流れだけが印象に残ってて「飲み会やりたいorオフ会で金儲けしたいボク愛が除名された」なんて認識の人もいるかもしれません。
まあ実際は、良識ある読者の方は「何が真相かわからない」ということだったと思いますが、でも当時のコメント欄では「不埒なボク愛は首切って正解。やんややんや♪」という意見が異様に多かったですね。誰が書いてたのか知りませんが。
とりあえずその頃のコメントのやり取りを見てみましょうか。まずはK記者のとあるコメントの後半部分から。
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「…大衆は基本そういうものなのでしょうね
役員会の告発を独占的に伝えて、その時点では「へえ~!」となっても、次の瞬間には「で、もっとないのかよ」って感じで。ハリウッド映画でも見せてもらってる気分なのかと(笑
でもまあ、そういうものなのだと思えば別にどうということはないですね。逆にサービス精神が出てきたら本末転倒ですからね。ボクレポさんのフラストレーション発散のためにやってるわけじゃないですし。
その部分とリンクするのが“市民団体”ですね。ひとつ間違えれば、そういう野次馬の集まりになっちゃったりする危険性も感じました。
ファンの方だと、集まりに行けば何かネットで見られないものが見られるかも…という期待が潜在的に生まれやすいのではないかと。集まって行動を起こすことが目的なのか、集まること自体が目的なのか、そこは方向が違うと、自分も距離感が変わりますね。」
これに対しボク愛さんが苦言を呈しました。
「注)あくまでも個人の意見です。
>その部分とリンクするのが“市民団体”ですね。ひとつ間違えれば、そういう野次馬の集まりになっちゃったりする危険性も感じました。
ファンの方だと、集まりに行けば何かネットで見られないものが見られるかも…という期待が潜在的に生まれやすいのではないかと。集まって行動を起こすことが目的なのか、集まること自体が目的なのか、
この部分は個人的に少々見過ごす事が出来なかったので、言わなければならないと思います。
Kさんの危惧される部分は良く理解できますし、指摘された部分の可能性は僕自身も考えない訳ではありません。
しかし、正式に会として会合を持ったのはまだ1回目で議論の成熟を見るのはこれからである事。
会として発足する以上は当面の目的は当然の事で、その後一定の目的を達したあと解散するのか、あるいは存続させるのか、その場合には意義をどこに置くのか?などの意見が出るのも当たり前かと思います。
会としての目的や明確な主張を公けにすらしていない段階で、影響力のある拳論で野次馬の集まりになる「危険性」と言われましたが、何を持ってそう判断されたのか甚だ疑問に思います。
何を期待されているのか僕には理解できませんし、何かを期待されるなら、それを背負うつもりもありません。
そもそも「市民団体」の言葉は集まったファンの口から出た物ではありません。
コネも情報にも乏しい僕は謂わば徒手空拳の出発であります。
その思いはひたすら「ファンが心から応援できるボクシング界になって欲しい」それだけの集まりであると思います。
傍から見れば余りに幼稚で脆弱に見えるかも知れません。一体何が出来るのか?との懐疑は内々にもあるかと思います。
呼び掛けに集ったメンバーは僅かに数名であった事も事実です。
しかしながら、「行動を起こさなければ」と立ち上がったのも事実です。
拳論の記事に触発され立ち上がった事も事実ですが、しかし会としての結果や責任は全て会にありますので、それに応じた批判も一身に背負う覚悟は出来ております。
ただ拳論を通して立ち上がったファンでありますので、形を公けに出来るまでは静かに見守って頂きたいと切にお願い致します。」
今度はこれに対してのK記者のコメント。
「市民団体ではなくファンサークルとかオフ会なら、それはそれで良いと思います。
会の方向性がどうなろうと僕の口出すところではありませんが、ただ、僕はこの集まりに情報提供やゲスト参加を求められています。
そこで話すこと伝えることは取材した情報を出すということにもなり、これは安易にできることではありません。ですから「そこは方向が違うと、自分も距離感が変わります」と書いています。
正直、次はゲストに誰を呼ぶとか、そういう話で盛り上がっているのを見て、そういうものなら僕が取り組んでいる今回の問題とは直接関係がないので、ただ何か知りたいだけなら記事を読んでくださいとしか言えません。
これは4時起きさんにも口頭で真意を伝えています。ファンの声を届けるのは素晴らしいことだと思いますが、その目的と手段がハッキリしないうちは、記者としても拳論としても関わりは持てません。」
そして代表の4時起き氏。
「私がここに書く事が遅くなってしまい、拳論関係者の方、読者の方に迷惑をおかけした事をまずお詫びさせて頂きます。
申し訳ございませんでした。
9日の会合前にボク愛氏がコメントされた内容ですが、当会の真意とは異なる部分があります。
当会のコメントではない事をまずご理解頂ければと思います。
また代表ではないボク愛氏が会のコメントとして受け取る内容であった事は、私の代表代行としての力が不足していた事として反省すべき点だと考えております。
私は今回のJBCの不透明な決着に対して抗議をするのが目的です。
9日の会合でも活動はこの一本に絞ってやっていくという結論になりました。
故に「市民団体」の解釈で良いと思います。
目的は同じでも方法論が異なる方は、自ら行動される方が良いと私は思っています。
それで私が一人になったとしても私は私のやり方で活動するのみです。
榎さんの件に関しては、有志が榎さんと共に再検証を要請する事になっておりますので、
当会の行動とは別の案件だと認識して頂きたく思います。」
さらに上のコメントから三日後の4時起き氏
「会の代表として発表させて頂きます。
今回ボク愛氏を除名処分とした事をご報告させて頂きます。
処分の理由は片岡氏のコメントに対し、ボク愛氏は個人的な意見とはいえ、会のコメントとして受け取られるような発言をこの拳論で行なったことにあります。
「市民団体とはこちらからは言っていない」
「何を期待しているのか?期待されても背負わない」
この発言はあたかも片岡氏が当会を煽動していると受け取られてしまう内容であり
片岡氏の顔に泥を塗ったと言われても致し方ない発言です。
会合の中での意見ならともかく、この拳論という中でのその発言は会の真意だととられてしまうという認識があまりにも不足しています。
そのために拳論の皆様に多大な迷惑をかけてしまう事になりました。
これは私とボク愛氏の方向性云々の話し以前に、会として重大な失態であると受け止めなければなりません。
これを認めていては会として成り立ちません。
よってボク愛氏はその責任を取るべきと判断し除名処分にいたしました。
拳論の皆様には深くお詫び致します。
申し訳ございませんでした。
当会は調査委員会、不正疑惑等の不透明な決着や内容に対して、断固抗議を申し出る会であると改めて宣言させて頂きます。
ボク愛氏には離れたとしてもボク愛氏なりの活動をされる事と思いますので、頑張って頂きたいと思っております。」
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さて。さらーっと上っ面だけ読めば、あるいは、わりかし最近登場してきたボク愛なる人物よりも、今まで拳論を引っ張って来たK記者の方が信用できる、というスタンスで見れば、せっかくの市民団体運動にボク愛が水さした、という風に見えるかもしれません。それ自体は仕方ないことだと思います。私も当時はバリバリの拳論シンパでしたから、もし完全な第三者であったなら、そのような印象を持ったかもしれません。
私が違和感を感じ、また不快に思ったのは、こういう議論の中で、微妙に相手の意見を曲解して、そして今度はそれを「前提」にしてしまって相手を攻撃するというやり方です。
もっともこの件をここで取り上げたのは、ボク愛氏の名誉を回復したいという個人的な感情からですので、この先建設的な話に発展するわけではありません。しかし彼らの、コメント欄を駆使しての印象操作をお話しするのにちょうどいいネタですから、次で詳しく見てみましょう。
いよいよ来週に迫った名城信男の世界戦。厳しい試合になるとは思いますがしかしファイター同士、少なくとも消化不良の試合にはならないと思います。不器用でドンくさい選手ですが、だからこそ市井で生きる無名の人間が思いを乗せて感情移入が出来るそんな選手だと思います。素晴らしい技術を堪能するのもスポーツ観戦の楽しみですが、同時に技術を超えた強さに触れることこそがスポーツ観戦の真髄だと思います。そしてそんな不器用な彼が幾度もチャンスをもらえることこそが彼の非凡さであると思います。
というわけで私は会場に行くのですが、ついでと言っちゃなんですがこの際「なぜ私(旧徳山と長谷川が好きです)がいろんな意味でこういうことになってしまったのか」を「『市民団体事件』の経緯についての私の知るところと体験したこと」も含めて安河内氏がパージされた当時蚊帳の外であった関西のファンの皆様にお伝えする機会にしようかと思います。
題して『Q氏の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて酢豚を愛するようになったか』です
まあ「そんなもん興味ないわ」ということでリアクションゼロならひとり寂しく帰宅しますが、もし「一体何があったんだい?」という興味をお持ちの御仁がお有りでしたら、下記までご連絡を頂きたいと思います。もしあのサイトに投稿されていた方なら当時のHNも併せてお教え頂けたら幸いであります。下記アドレスまで是非ご一報下さい。別に個人情報を書き込まれる必要はありません。
hardblowblog@gmail.com
当日の襲撃に怯えて8時間しか眠れない(旧徳山と長谷川が好きです)

試合後のセレモニーが終わり、リング上で勝利者インタビューが始まりました。試合を振り返り、またファンの応援に感謝の意を表した後、「最後に一言」とふられた斉藤選手は、
「このユースタイトルというのは、日本ではまだ新しくて、よく知らない人もいるでしょうが、僕がこのタイトルの価値を高めていきたいと思ってますので、これからも応援よろしくお願いします」
言いまわし等は正確ではないと思いますが、このような主旨の発言をしました。正真正銘の世界王者を目指している以上当然かもしれませんが、やはり斉藤選手自身も「わかってるな」ということが確認できて安心する思いでした。
さてその後、控室での取材に同席させていただきました。主に専門誌の記者と思われる方が質問していましたが、スポーツ紙、地元千葉の新聞の方々等が訪れていました。この時の様子を以下再現して行きます。
◆◆◆
━試合を振り返って
斉藤司(以下S)「体も軽く、相手も良く見えて、冷静にできたのでまずまず良かったと思います」
━リング上でユースタイトルについて触れていたが
S「自分の認識では、ユースタイトルって最近急に出て来て、だから皆価値に疑問を持ってると思うんですが、それは当然だと思います」
S「ユース王者が、日本・東洋・世界…と活躍していけば、新人王や最強後楽園のように一定の評価が得られると思うので、プロボクサーとしてそういう責任を背負ってこれからやっていきたい」
S「僕がこれから勝ち進んで行って、ユースタイトルって斉藤司も獲ってたんだよ…ということで価値が上がれば嬉しいので、もっと強くならなければいけない」
━ダウンを取った右ショート等は素晴らしい切れ味だったが、練習で変わったことは?
S「今年から中村トレーナーに見てもらってます。練習は凄くキツいですが、それをこなせて教えを吸収できているのも、今まで三谷会長とやってきた10年間の土台・下積みがあってこそだと思います」
━中村トレーナーが重視している点は?
S「とにかくスピードですね。これは常に言われます。後は自分はディフェンスが悪いので、そこを注意しています」
━初の敗戦からブランクを作ったが、それはどういったことで?
S「(三谷会長の方を振り返りながら)いやー、こういうこと言っちゃっていいんですか(笑)。まあ簡単に言うと、色々なこと全てが、自分の思い描いていた環境と違ってきてしまったんです」
S「でも時間の経過とともに、自分の頭の中も切り替わって、会長ともよく話し合って(今に至ってます)」
S「今は毎日が勉強で、新しい発見があるので充実しています」
今後はこのタイトルを防衛していく予定?
三谷会長(以下M)「一応そのつもりで、11月に防衛戦を組む予定です」
M「ただ、以前から本人もやりたがってた土屋(修平・角海老宝石)君ともやりたいですね。彼もPABAに挑戦するというような話を聞いたけど、たとえばユースとPABAのタイトルを懸けてやるとか、注目の集まる試合を組みたいです」
S「とにかく強いのとやって、自分のレベルを上げていきたいですね」

いちいち私が注釈を入れると興ざめなので控えますが、こうした受け応えを聞いても、明らかに「ああ、日々成長してるなぁ」と思うんですが、この感じ、わかっていただけるでしょうか(笑)。わかっていただけなかったら、それは私の筆力のせいですのでスミマセン。ファンの欲目かもしれませんが、リング上といい控室での話しぶりといい、非常にいいオーラを放つようになってきたと思います。
バレンタイン選手にやられた方の日の帰り、中村トレーナーは「じゃあ僕は司と帰りますんで、当日は応援よろしくお願いします」と言って、帰って行きました。その前の出稽古の日は、斉藤選手が一人帰った後、私たちファンとの食事につきあってくださったのですが、さすがにあの日はそんな雰囲気ではありません。
今日の試合後に、あの日の帰りの道中の様子を中村トレーナーに訊いたところ、帰りの電車の中では「また明日から頑張ろう」という一言だけ発したそうです。その一言でどれだけ意思の疎通が図れるのかは外野からはわかりません。確かなのは、この師弟がプロとして、ハッキリと結果を出したということです。
スポーツには、見る人に「よおし俺も頑張るぞ!」と活力を与える効果がありますが、その舞台裏で、上がったり下がったり、喜んだり落ち込んだり…といった部分を、少しとはいえ間近で見てきた選手については、余計にそれを感じますね。やっぱり単純に「斉藤君も頑張ってるんだから」「篠塚君やゴルフも…」って思いますからね、根が単純なんで(笑)。
斉藤選手はこの先、いよいよ相手のレベルがドンドンと上がっていくと思いますが、どこまで行けるか非常に楽しみです。彼のハートは並大抵の強心臓ではありませんし、松信トレーナーによると「これまで多くの選手を見てきたけど、司ほど練習するヤツは今まで見たことがない。(二階級世界王者の)畑山選手もここまではやっていなかった」というほどの練習の虫だそうです。
まずは遅めの夏休みをとってもらって、次の11月も大いに期待しています。
(ウチ猫)

このWBCのユース王座というタイトル、日本人の第一号はあの真教杉田選手であり、獲得後ほどなくして国内では認められなくなった…という歴史があったようですね。
よってその後ずっと、日本人選手にとって無縁なタイトルだったわけですが、昨年から一転、国内でもユースタイトルの試合が認められるようになり、亀田和毅、黒木優子、渡邉卓也といった選手が獲得しています。
近年は、IBFやWBOで騒いでた頃が可愛く思えるくらいに、世界王座というものの価値に疑問符がついています。同一階級に王者三人がデフォルトになっているWBAはもはや末期症状ですが、そこにWBCのシルバーやユース、ダイヤモンドに名誉王者なんてのが加わってくると、いよいよ混乱してきます。
業界の方に伺うと、こうしたタイトルは興行を活性化する意味では大いに意義がある、今はタイトルそのものが権威であるという考え自体が古臭い、ということのようですが…少しは頭を柔らかくして今どきの事情に理解を示そうと思っても、感覚的にどうしても違和感があるという面は否めません。
さあそこで今回、斉藤司選手がライト級のユース王座決定戦に出場することになりました。この王座は、前述した渡邉卓也選手が獲得し、その後返上した王座を争うものです。対戦相手が、特に目立った戦績のないタイ人選手ということで、一般のファンからは評価を得るのは難しいだろうというのが正直なところですが、そうであればこそ、万に一つもミスをしないよう緊張感を持って試合に臨む必要があるでしょう。
で、いきなり結果をお話ししますが、2回1分58秒で斉藤選手TKO勝ち。体格差もあり、スピード、パンチともに斉藤選手が圧倒しましたが、勝ったことだけを以って「バンザーイ!」というつもりはありません。立ち上がりを見て、ああこれは力の差があるな、と思いましたので、あとは斉藤選手がどれくらいの仕上がりでこの日を迎えてるか、に興味がうつりました。
この試合に向けて、斉藤選手は何度か宮田ジムに出稽古に行き、細川バレンタイン選手等とのスパーリングを重ねてきました。八千代まではそうそう足を運べない私たちも、宮田ジムまで来てるとなると、ついつい覗きに行きたくなり、何度か練習を見させてもらったのです。
私は調子のいい日と悪い日、それぞれ一回ずつ見せてもらいましたが、良かった方の日は、松信トレーナーが「これが実戦だったら止まってますね(TKO)」というくらいバレンタイン選手を圧倒してましたね。以前から非常にキレのあるパンチに定評がありますが、この日はそれに加えてパワー面でも迫力満点で、階級を上げた分の力強さが感じられました。
しかし今晩の試合で感じたのは、やはりキレのよさですね。最初のダウンを奪った右ショートストレートは非常に鋭くアゴをとらえました。また、キビキビとしたフットワークも良かったのですが、これは相対的な見え方というのもありますからね。中村トレーナーが、私たちと話していると、一日に何回も「スピードです、スピードです」と口にしますが、まだまだこれからレベルアップしていくでしょう。
そしてその翌週は立場がまったく逆の展開で、力一杯の強打ではないものの、優れた当て勘があり、また斉藤選手のタイミングを完全に読んでいたバレンタイン選手のパンチを何発も浴びてしまいました。この時は、減量を進めながら体をイジメぬくピークの時期で、かなり疲労があったようです。
スパー後、様子を見に行った中村トレーナーによると、本人は相当落ち込んでいたようですが、シャワーを浴びて帰り仕度を整えて出てきた時にはいつもの斉藤選手に戻っていて「試合までには完全に仕上げていきます!」と言ってくれましたが、そのコンディショニングが不安材料…とまではいかなくとも、懸念材料ではありました。
しかし、中村トレーナーも大ベテランなら、斉藤選手もプロのキャリアを積んできた中で、初の敗戦等も含めて様々な経験をしてますから、それは杞憂に終わりました。
こうして、まずはきっちりと結果を出した斉藤選手。陣営も私たちも、当然「次」を意識しながら見ていたわけですが、今回は控室での取材の現場にもお邪魔させていただきましたので、その時の声を次稿で紹介します。
※ちなみに、けっこうな枚数の写真を撮ったのですが、私のスキル不足により、タイムリーにアップすることができません(汗)。そのうちのっけますのでご勘弁を。
(ウチ猫)
さきほど報道ステーションで村田諒太の特集が放送されていました。松岡修造による試合内容を振り返りながらのインタビューでしたが、最後の判定結果が出る直前村田選手は十字を切ってますね。何気なく出た動作なのか、クリスチャンなのか?そして彼もまた辰吉、長谷川、内藤なんかの系譜につながる恐妻家ですね。最近のボクサーのトレンドか。
野球留学は悪くない!大阪、神奈川、愛知、福岡、千葉、埼玉は二代表制に!(旧徳山と長谷川が好きです)
以前に私が書きためた回顧録では、「私と拳論との出会い」といったところから振り返って書きましたが、これを読んでる方々には周知のことも多いと思いますので、そのへんは省略していきます。
じゃあ「市民団体(笑)」について何か書こうか、ということになりますが、これも大体の流れはボク愛氏といやまじで氏が書かれており、私の手で一からまた全体を書く必要もないかと思います。
ですのでこのカテゴリでは、あの時期の個々の場面についての雑感や、根本的に私があの会を離れるようになった理由等、あくまでパーソナルな視点で書いていきます。
前稿でも、「自分には、四時起き氏の団体運営を批判する資格はない」と書きました。あの時の拳論に書かれた、一連の「JBC・安河内事務局長の疑惑」の記事には憤りを覚えたものの、ではどうしたらその思いを実現できるか・何をすべきか、というところまで考えが及んでいなかったからです。
で、実際に拳論の呼びかけをきっかけに、少数とはいえファンが集まったわけですが、この時も「ネットの壁を越えて生身の人間達が会う」ということ自体に、私は意義を感じていました。
このあたりのことについてK記者は、私達との話の中や拳論上で「手段と目的を混同してはいけない」つまり、「ある目的(たとえば「打倒・安河内氏」とか「JBC改革」等)の為の手段としてファンが集まったのであり、集まること自体が目的ではない」ということを再三主張しており、また四時起き氏も、自身が代表に選ばれた第二回の会合で「要は自分一人になってもやる覚悟があるかどうかですよ」と言ってました。
たしかに私もそうであれば理想的だとは思いますが、しかし、最初からまったく同じ志を持った人間が集まるわけはないですし、その時点では活動方針はおろか、まだ会の名前すら決まっていない状態で、そこまで高い意識を求めるのは無理だろう、とは感じました。またそうだとしたならば、その目的が達成された時点(または達成できないことが確定した時点)で、その会は存続の理由を失うわけで。
私のように「何ができるということじゃないけど頭数にはなりますよ」という人がたくさん来てくれていいのではないか。当面はJBC問題に絞って活動するのはいいとして、その過程で話し合いを重ねるうちに、新しい、より面白いことも見つかるのではないか。その為には人数が多ければ多いほどいいし、その参加条件は「ボクシングが好き」以外は必要ないのではないか…そう思って何度かその旨の発言をしましたが、多分誰も覚えていないでしょう。
この部分のメンバー間の齟齬が、ひいてはボク愛氏の除名騒動にも発展するんですが、次回はそのあたりのエピソードについて書こうと思います。
やらかしたといいますか韓国サッカー代表の政治パフォーマンス(と呼ぶに値するのか?)で終わった後まで紛糾するオリンピックですが、度々覆った判定とともに後味の悪さを残すことになりました。私個人の感想としては「愚かだ」としか言いようありませんが、国家の経済成長の途上でスポーツを国威発揚に使うことはまあままあること。件の政治宣伝行為を韓国の大衆が「良くやった」と評価してるなら、韓国に行ったことのない私は「彼の地は成熟に程遠い野蛮な段階なのであろう」と推察するほかありません。WBCでのマウンドへの国旗立て、サッカーW杯アメリカ戦での冬季五輪ショートトラックへの意趣返しとも相俟って、国家間の闘争として国際競技へ邁進するその姿勢が仁川空港やサムスンやKIA、ヒュンダイなんかの成功の秘密かしらと想像したりするのですが、そのような精神状態を常態とする社会が果たして幸福なのかと立ち止まって考えてしまいます。本来の韓国社会の精神の基盤となる儒教の精神というのはああいう行為とは対極だと思うのですが…。
今回のオリンピックでもう一つの困ったトピックとなった誤審ですが、私はある競技が公正性を担保することにどれだけ熱意があるかの指標は何だかんだいって電子機器・ビデオの導入具合にあると思います。人気スポーツであるテニスにチャレンジの制度が出来て広く周知されたことは誤審の多さであり、抗議の制度化でゲーム性もアップするということです。かつてマッケンローが(古いねえ)インアウトの判定で怒って審判を罵倒してはペナルティを受けてましたが、実は結構な割合で彼が正しかったのだろう、と今になれば分かります。当時は単なる『悪童』扱いでしたがね。競泳や陸上は水着問題やドーピング、選手のセックスチェックなどで紛糾はありますが、こと競技においては電子機器による計時で結果がはっきりしてて安心して見れます。一方個々のジャッジに判定が委ねられる柔道とボクシングは今の運営ではファンの理解を得るのは難しいなあと感じます。両競技とも頻繁なルール変更でコロコロ判定基準が変わり、オリンピックくらいでしか試合に触れない大衆は置いてけぼりです。柔道が公正化の為にとっているジュリー制度は、判定が変わるのが余りに唐突だし審判の存在異議も否定している。武道性・精神性を保ちたいという日本の柔連の思惑は分かりますがそれはスポーツ化と矛盾する要求だし、国内の大会と国際試合の運営が違いすぎて日本のファンは混乱するだけです。ボクシングはプロも含めて「地元判定」「選手の格」「レフェリーの好み・気分」で判定が曲げられることが常態化しており、『注目度の高いステージでやらかして慌てる』という負のサイクルが続いている。こんだけプロもアマも運営がグダグダでも試合が面白いということは奇跡的なことです。ボクシングは政治力で判定を曲げてきた歴史が長すぎて関係者の公正性の感覚がマヒしており、「変に感じるかも知れないけど、こういうスポーツなんだよ」と開き直っているようにしか見えない。お互い迷走は深いと感じます。そんな混乱する両競技が参考にするべきはレスリングのチャレンジ制度だと私は思います。セコンドがチャレンジを申し立て公開の場でビデオを見るというあの制度はかなりうまく出来ているし、競技を面白くする要素にもなっている。フェンシングなどは電子機器とチャレンジの併用を行っています(時計壊れたけど)。
もう一つ大きな事件となった体操の団体の採点ですが、技の完成度の比重が高い現在の採点基準は実はフィギアスケートと同じです。バンクーバー五輪の折にはキム・ヨナと浅田の採点を巡ってスケート界の事情を知らない皆さんによって玄界灘を挟んで壮絶なウンコの投げ合いが行われましたが、採点基準に合わせた演技をすることは勝つためには当然のことです。男子でも四回転を飛ばずに安全な演技をして金をとったライザチェックを4回転跳んで銀だったプルシェンコがボロクソに言って半泣きにしてましたが、ゲームとしてはライザチェックの行動は正しいわけです。ただスポーツとして技のイノベーション止めるようなルールはどうなの?と言うプルシェンコの意見も良く分かります。体操競技にも「難易度をこそ評価しろ」という揺り戻しが必ず来ると思います。その時に「日本人を狙い撃ちしてる」とひがむのでなく対応できるように準備をしておくことこそが重要です。すぐに民族・人種差別に結びつける思考法は実は、あの愚かなプラカードを出した韓国選手や彼を支持する無知な大衆と同じなのです。スポーツというのは政治や国家に従属するものではなく、実はそれこそが人間が生きる目的であり、スポーツこそが国家よりも政治よりも遥かに重要なのです。
もう日韓戦は面倒くさいからしなくていい(旧徳山と長谷川が好きです)
いよいよメイン。ここ何年かは、嶋田選手の試合を見る時はいつも「もし負けたらこれが最後になるのかな…」という思いを抱いて会場に入るんですが、そのたびにしぶとく生き残ってきましたね。前回の岩下選手との試合では、まだまだ日本中位ランカークラスにとっては高い壁であることを証明してくれましたが、今日の相手はWBCの最新ランクでは1位まで登りつめた荒川選手。勝てば一気にランキング返り咲きとなります。
一方の荒川選手も、世界を目指す以上は「勝って当然。問題は勝ち方」ということが求められるでしょう。往々にしてスロースターター気味の荒川選手に対し、嶋田選手の右の大砲が、いきなり序盤に当たるようなことがあればひょっとするかも…なんて考えながら試合開始を迎えました。
◆◆◆
ともにボクシングIQが高く、それでいて利き腕のパンチには一発の破壊力も持つ両選手。初回は、互いに前に出した手で距離をつかむこと、そして相手にはそれをさせないようにすることに終始。セミとは正反対の静かな立ち上がり。
先に空間を支配したのは嶋田。二回からは上下に、ストレート、フック、アッパーと、様々な角度で放つ右が効果的にヒット。自分だけが好きに打ち、その後はくっつくか離れるか、どちらにしても荒川の反撃が空を切るような展開に持ち込んだのは流石というべきか。余計な力の入っていないリラックスしたパンチながら、非常にいいタイミングで入る為、しばしば荒川の動きが一瞬止まるシーンも。
四回終了時は一人が38-38。二人が39-37で嶋田支持。
このままでは容易にペースを変えられないと判断したか、五回から荒川はゴリゴリとした肉弾戦に活路を求める。多少の被弾をものともせず、とにかく嶋田の体のどこかにパンチを当ててさえいれば、そのうちいいのも入るだろう…そんな風にも見える、ちょっと「らしくない」戦術。
しかしそれでも嶋田の集中力は素晴らしく、六回までは完全にペースを掌握。これを最終回まで続けられるかどうか…そう思った七回終盤、嶋田が「突然」ダウン。
ようやく荒川が、相撃ち覚悟でいくつかパンチを当て始めたとはいえ、まさか倒れるとは…しかも、滑った・転んだダウンではなく、明らかに効いてしまっている。立ちあがったところでゴングが鳴ったが、見たところこのダメージは深刻。
八回、嶋田は最後のアタックに出る。荒川もそれに呼応するように打ち合いになるが、セミの試合と同様、乾坤一擲の一撃が炸裂することはなく、かすったようなテンプルへの右フックで嶋田が崩れ落ちるようにダウン。ノーカウントでストップとなった。「壊れている」という表現は大嫌いなのだが、やはり歴戦のダメージが蓄積していたのではないかと思える。
いつものように相手を讃え、四方に深々とお辞儀をする嶋田を見ているとどうしても感傷的になってしまうが、この年齢まで第一線で活躍してきたことには最大限の敬意を払いたいと思う。
試合を振り返り荒川は「体力勝負という作戦は最後まで使いたくなかったが、もうそうせざるを得なくなるほど、嶋田さんの精神力・技術はすごかった」と語った。
◆◆◆
荒川選手、自分自身も、勝つには勝ったが内容は…と思ったんでしょう。それほど嶋田選手の出来は素晴らしかった。最後の八回、心の中では「嶋田頑張れ!」と応援しつつも、「いやしかし荒川は、この回で倒しきらなきゃダメだ」と思ったりして、複雑な心境で見ていたんですが、終わってみれば順当な結果でした。
こういう好漢同士のサバイバルマッチだと、どうしても勝敗のコントラストが残酷に見えてしまうんですが、これがボクシング。荒川選手には今後一層の精進を、嶋田選手にはただただ「お疲れ様でした」としか言えないですね。
今夜のダブル東洋戦は、非常に対照的な挑戦者二人が、世界ランカーの王者に挑む、という図式でした。
わずか5戦目で王座を狙う若い戸部選手と、長らく保持していた世界ランクを失い、背水の陣で、41歳の誕生日の今日、大一番を迎えた嶋田選手。両王者にとっても、上を目指す以上は当然負けられないものの、大きなリスクも伴う試合なわけで、「よくぞこれが実現したな!」というカードです。
私が朝10時にホールへチケットを買いに行った時点で、指定席は残りわずか。観戦はセミセミからになってしまいましたが、その時点ではもう会場は満員御礼で、ファンの期待の大きさがわかります。
赤穂選手の試合は、2年くらい前に何試合か見ましたが、その時の印象は「とにかく豪腕」。バタバタとした、何だか落ち着かないスタイルなんですが、どこからでも一発で試合をひっくり返すそのパンチ力は魅力です。
戸部選手は未見でしたが、何と言ってもあのタフなラッシャー河野公平選手を、プロ3戦目で降したというのはタダモノではないでしょう。優秀なアマ戦績もある選手なので「追う赤穂、捌く戸部」という展開が予想されましたが…
◆◆◆
開始早々、予想は裏切られる。なんと両者ともに、大きな左フックや右のオーバーハンド等を振り回し、いきなり最終回の打ち合いのような光景が。どちらもガードが低く、また繰り出すパンチがどれもフルスィングなので、大味と言えば大味ながら、非常にスリリングな立ち上がりとなる。
戸部陣営としては、敢えて赤穂の土俵で勝負して、それでも圧倒してやる!という自信があったのだろうか。
しかしこの選択は裏目に出る。二回終了間際に赤穂が放った左右フックが戸部の顔面をとらえ、ロープにもたれて棒立ちに。この時、一瞬ではあるが完全に意識が飛んでいたように見えたが、そこでちょうどゴング。あと10秒あったら終わっていただろう。
インターバルでは回復しきれないダメージを負った戸部だが、細かく手を出して少しずつペースを取り戻そうとする…が、またも終了間際に連打をもらい、あわやの場面に。キャリア初の大苦戦。
四回終了時の採点は三者とも39-37で赤穂。さあここから益々赤穂はイケイケになるかと思いきや、ガクンと手数が減る。しかしラスト30秒~1分くらいからは連打を繰り出して襲いかかるので、ラウンド終了間際でジャッジにアピールする作戦なのか、それとも少しずつ当たり出した戸部のパンチを警戒してのことなのか。いずれにせよ五回~七回は動きの少ない展開。互いに序盤から、あれだけフルスィングの空振りを続けてたので、かなり疲労もあるかもしれない。
このまま両者ともに消耗して判定決着もあるかも、と思ってた八回、やはり回の折り返しからラッシュを仕掛けた赤穂がダウンを奪う。これは、バランスを崩したところをこづかれたようなダウンに見えたが、しかしここまでの蓄積したダメージが戸部の体を重くしているのは明らか。
ようやくチャンスが来たとばかりに仕留めにかかる赤穂に対し、戸部も前に打って出る。この相手に、ダメージを引きずった体で下がりながら捌こうとしても、逆に飲みこまれてしまう可能性が高いので、これは正解。
しかし、回転の速さ、パワーの差は如何ともしがたく、打ち合いの中で赤穂の左フックがジャストミートした瞬間、レフェリーがストップ。8ラウンド2分58秒(だったかな?)、TKOでチャンピオン赤穂の防衛となった。
◆◆◆
久々に見た赤穂選手、相変わらずの豪腕も健在でしたが、以前気になってたバランスの悪さもやや見受けられました。ガードされていても、相手の体にパンチが当たっている時はリズムよく攻められるのですが、空振りした時や、相手の攻撃を受けて真っ直ぐ下がってしまう時等、必要以上に体勢を崩してしまうので、今後、より相手が強くなるにつれ、改善の必要がありそうです。しかしパンチがあるというのは大きいですね。
戸部選手は、今日に限っていえば、二回終わり際のダメージが尾を引いてしまった印象で、本来はもっと幅の広いボクシングが出来るんだと思います。有力選手がひしめくクラスですので、これからの活躍に期待したいと思います。
ボクシングファンにとっては、村田諒太、清水聡らの大活躍で大いに盛り上がったロンドンオリンピックが本日閉会しました。
時期に当たってこの歴史的快挙について、いやまじで氏、中年チャンピオン氏に記事の投稿をお願いしましたが、期間中は当ブログのコメンテーターの中でボクシングだけでなく他の競技についても数多く話題となり意見交換をしてきました。その中で印象深いものを再現してみました。(B.B)
男子体操・内村航平選手について・・
自分にとって内村航平は現状日本一凄いアスリートなのですが、それは彼がゼネラリストを目指しているからです。個人総合の決勝に団体金の中国の選手が一人もいないのが象徴的ですが、いま体操界の主流はスペシャリストです。それはプロ野球の現状にも言えることで、分業制がスポーツ界に蔓延しています。その世界的な潮流の中で全能性を志向するのは現代においては尊いことであり、同時に古代ギリシャで始まったオリンピックの原点への回帰でもあります。そもそも瞬発系の競技で日本人がトップに立つという困難さを加味する尋常ではない超人性だと思えます。個人総合優勝はかつてロス五輪で具志堅幸司さんが達成されておりそれは勿論偉業ですが、あの時はソ連と東ドイツがいない『片肺五輪』であり、やはり今回の内村は別格であると思います。彼の超人性が正当に評価されることは今の日本の社会で無理なのでしょうか?モハメド・アリやカール・ルイスにも劣らない歴史的なスポーツ選手だと思うのですが・・・(中年チャンピオン)
内村の演技を改めて見直すと空中での感覚が他の日本人選手とは一枚抜けている事が判りますね。特に高得点を叩き出した跳馬での演技では、ロンダート後方宙返りから入ってひねり前方宙返りで降りるという難度の高い技ですが、この着地を一歩も踏み出さずピタリと決めるのは本当に難しい。
後方宙返りから降りる場合は着地が自分の目で確認できるので体のコントロールが比較的にし易いのですが、前方の場合は着地点が寸前まで(特に伸身系の場合)見えませんので回転の縦軸感覚しか無い選手には先ずこれが出来ません。勿論練習である程度養えるものですが。
内村はこの縦軸感覚と共に横軸感覚(一流選手の資質)が鋭い事もあると思いますが、おそらく着地寸前の頭が真下を向いている時にすでに目だけは四方を見て位置を確認し着地の為の微調整を加えているはずです。
空中姿勢の微調整は実は体操の極意(体の緊張と緩和)で、これを感覚だけに頼らず目視を常に加える事の出来る選手は内村の他にはそうはいないでしょう。
これに加えて内村は自身の「超」感覚をこう表現しました。
「僕には演技をしている自分をもう一人の自分が俯瞰しているという感覚があるんです」
内村は天才なのかと思ったエピソードがあります。
4、5歳の頃から誰に教えられた訳でもなく、ピンクパンサーの人形を自分の体に見たてて引っ繰り返したりひねりを加えたりして、「これなら出来る」と言い放ったそうです。
その映像が何処かにありましたが、なんとその技は「月面宙返り」でした。
月面宙返りはご存知の通り、鉄棒のスペシャリスト塚原光男さんがミュンヘン五輪で世界に向け披露された超ウルトラCと言われた画期的なものでした。
この鉄棒の大技はその後、世界の体操競技を大きく進化させ変えるものとなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=4v_ZVnEg0YE&feature=related
当時すでに体操小僧だった中学生の僕は塚原に憧れ夢中になりました。
この頃、塚原光男と同じ年代、同じ日本人チームの中にスペシャリストが実は何人もいました。
平行棒、床の加藤沢男、あん馬の監物 永三、つり輪の中山彰規と塚原を凌ぐ選手の中でしのぎを削ってきました。
今でこそ塚原光男は「ムーンサルト」で鉄棒のスペシャリストとして名を残しましたが、当時の真の実力者は加藤沢男、次に中山彰規と見るのが妥当ではなかったかと考えています。
特に加藤沢男の演技はすべての競技で安定感とその美しさにおいて群を抜いており、体操の極意である「緊張と緩和」を体得した選手であったと思います。
旧徳さんの言われるゼネラリストを目指したという意味でも強力なライバル群の中で僕は彼を推すわけです。
それでもムーンサルトの衝撃は日本を世界を巻き込みましたので、加藤らは塚原の影に隠れてしまいましたが。
内村は体操競技者としてこれまでの日本人選手の中でも現在最も完璧に近づきつつあると思いますが、「一般的評価」としては旧徳さんが既に気付かれたであろうサイドストーリーとしてのやはりライバル不在が挙げられますかね。
日本での評価については、ある意味塚原のような一般的なブームにまで至らないと起こらない議論かも知れません。マスも含めて見る側の競技と競技者への理解と冷静さ、そして成熟が求められますね。
それに自分の為に戦うという純粋なそして当たり前の本音は美しいとされない日本。問題はここでしょうか?(B.B)
実は僕も器械体操見るのはすごく好きで、モントリオールの笠松茂さんくらいから記憶があります。現在の内村の活躍や台頭は、冨田洋之がつけた流れのもとにあるものだというのが自分の分析です。日本体操界の最低迷期を経て日本の『美しい体操』を復興させた功労者という意味でも彼を高く評価しています。冨田と塚原jrでそれが採点傾向すら変えてしまった。その延長上に内村の個人での金があるのではないでしょうか?正直今の採点傾向では新技が生まれる動機付けが少なく技術的なイノベーションが止まる可能性があるので少し変更が必要ではありますが、さりとて内村は難易度においても第一人者であると思います。
『器械体操の個人総合で金を取る』ということのとてつもない価値を本当に日本の大衆は理解しているのか?偉業に対してリアクションが少なくない?というのが未だに不満です。そして一見すると全く普通の大学生である彼が実は超人性、全能性を志向している「哲学者」であるということが正しく伝わっているのか?あの飄々とした仮面の下にとてつもない志があることを少しでも多くの人に知ってほしいと思います。(中年チャンピオン)
日本男子体操五輪出場の歴史を紐解くと意外と古く昭和5年のロス大会なんですね。
その後第二次大戦があって世界との交流が途絶えましたが、戦後再び国威掲揚の為に力を入れ始めたのがボクシングであり器械体操だったと。
当時の器械体操は文字通り体操の延長線上にあったので演技、模範演技という言葉が今でも使われているようです。
日本の体操の美しさの原点は頭のてっぺんからつま先まで自分の体を繊細に制御するところにありますが、日本人の元々の資質だったのか、戦時訓練の賜物か日本体操陣はこれを持ってめきめきと頭角を現すのですが、そこに出現したのが天才・竹本正男でした。
彼の演技は欧米選手のダイナミックな演技には及ばなかったものの、体の繊細な制御をこれでもかとアピール出来る「表現力」があったといいます。
初出場のヘルシンキオリンピックでは跳馬で日本人初の銀メダルを獲得するのですが、実はそれよりも徒手(現在の床運動)でのピタリと決める演技の美しさに当時の世界体操界は驚いた。
その後ローマの世界選手権で竹本の演技は世界的に認められ念願の金メダルを獲得、続くモスクワでは竹本を模範とする欧米選手が続出しながらそれらを抑え二連覇。
日本の美しい体操の源流はここにあると僕は考えています。
実際に加藤沢男、中山、塚原そして笠松茂ら日本体操界の牽引者も竹本に師事を仰ぎました。この中でも竹本の体操を正しく受け継いだのが加藤であり中山ではなかったかと僕は考えるわけです。
しかし、その後あまりに強くなった日本を抑える為にルールや出場枠などが変更され、演技自体も欧米や特にロシアなどの得意とする離れ業主流が採点の重きになって行き、覇権はロシア、中国へと移りました。
低迷する日本、勝てない日本体操界の中で再びその伝統を復活させたのが冨田ならば、彼は加藤沢男に次ぐいわば中興の祖ともいうべき存在なのでしょうか。
冨田の活躍を僕は実はあまり知らないのですが、「美しい日本の体操」の体現者とするならば日本体操界の最高傑作、内村航平も彼には大きな影響を受けた事でしょう。
内村を実は超人性、全能性を志向している「哲学者」と表現される事について、僕もまさにその通り!と思い昨夜は思わず嬉しくなり、ついつい飲み過ぎました(笑
そもそも哲学者は真理への求道者、探究者でありますので「自分」が、もっと言えば「自分だけが」如何にそれに向かえるのかが最大のテーマです。
即ちそこにもはや他人は存在しない訳で、内村もそして冨田もどこか孤高の雰囲気が漂っていますね。
遍く過去の哲学者たちも、おそらくはそのような精神の出発であり、その大いなる探究の結果に沢山の人々がついて来た。
傍観者や凡人はその有様を見て初めて偉業だったのだと知るのでしょうね。(B.B)
今回もいろんな競技が採点で揉めてますが、今の体操界は日本には有利な採点傾向ですね。これはアクロバチックな技のイノベーションがある程度頭を打ってることに起因すると思われます。それと離れ技の難易度を上げることで深刻事故が起きるの防ぐ意味もあるのだと思います。今回は選手の名前を冠した新技もなく各国の離れ技・演技構成は北京からほぼ変わっていない。むしろ床や平行棒は技の難易度より数を重視するような流れになっている。もちろん内村にも「ウチムラ」という名の新技を残して欲しいですが、しかし今の体操も変わらず魅力的で面白いと思います。ギンガーやマルケロフやゲイロードは全く見なくなりましたね。トカチェフだけは伸身で残ってますがコバチすらやる選手が減ってきた。居酒屋の突き出しで『連続コバチ』というギャグをやってる人もいなくなりました(笑)コールマンやカッシーナもリスクの割に加点に反映されない。自分としてはもう少しアクロバット的な要素が入ってる方が好みです(笑)。北京の時は冨田と鹿島が注目選手で内村は期待の若手という位置づけでしたが青年の成長は驚くほど速いですね。しかし内村の登場もまた伝統の継承と競技者であったご両親のスパルタ訓練の賜物。一人の大天才の影には何十人もの天才がいる。やはりスポーツはマンパワーですね。
日本人は身体操法的な統御論が凄く好きですね。武道・秘伝も何年周期で必ずブームが来る。体操の体の末端へのミクロなこだわりは、まさに日本的。ですがこの辺は中国の飛び込みとかにも通じる東洋感覚ですね。京劇とか歌舞伎とか (中年チャンピオン)
先程のスポーツ番組で(ちら見でしたが)江川卓さんが内村に触れて「技の完成度もさることながら、オールラウンドプレイヤーという部分に(彼の)凄さを感じます」と言ってましたね。
旧徳さんの言われたゼネラリストという言葉までは思い付かなかったのか(笑)視聴者に解り易く伝えたかったのか、それでも着眼点は他のスポーツコメンテーターと違って流石だなと思いました。
「体操の体の末端へのミクロなこだわりは、まさに日本的」はもはや「わびさび」の世界でしょうか(笑
70年代中頃に成美堂出版から出された「ジムナスティック男子体操競技」という竹本正男監修のいわば体操の手引書が永らく僕ら体操小僧のバイブルだったわけですが、そこにも美しさへの追求という言葉が使われていました。
改めて現在の採点方式をおさらいすると、これまでの体操の歴史の中で積み上げて来た日本の「美しい体操」が原点になっているようにも感じます。
日本人の美意識、体操哲学というべきか、だとすればそれが現在に至る世界の体操文化に大きく影響している事は間違いない事でしょうね。
また内村について印象深いひとコマがありました。
個人総合で既に金を獲得している内村が、彼の最終種目の床で銀メダルに終わった後のインタビューで「満足の出来る演技が最後の最後に出来て本当に良かったです」と答えたのです。
内村の後に演技した中国人選手が戦略的に難易度を上げ採点では内村を僅かに上回ったわけですが、それに少しの悔しさも見せずに言い放った彼の一言には彼の哲学がありました。
それは負けて潔しという慰めとは全く異質なものでした。
しかし、一般視聴者、あるいは観客の中でそれを理解する人は少ないでしょうね。
かく言う自分も旧徳さんのヒントやその後のやり取りが無ければ「銀でそう言えるのか?」と思ったかもしれない。
いや、いまさら何故こんな事を書くかと言えば、なるほどここに言論というかスポーツ論壇の価値があるのだなと痛感したからであります。
「表層的な部分だけを捉えていては足元をすくわれますよ」とは僕が公開討論を挑もうとしている(笑)勝又さんのアドバイスでしたが、彼もまた歴史や伝統の継承という言葉を使われました。そして原点を学ばない事には議論にすらならない事を教えてくれました。
いやぁしかし、久しぶりに触発を受けました。熱く語れる場を作って頂いてあらためて心から感謝です。ありがとうございました。(B.B)
2012.8.6
ボクシング好きにとっては村田諒太のミドル級での金メダル獲得という超のつく偉業で大団円を迎えたロンドン五輪。いやまじでさんがリンクを紹介していたせりしゅんやさんのブログ(http://blog.livedoor.jp/serishunya/)によると、その村田諒太がかつて発していたと言う印象的なコメントがあります。彼は北京五輪予選で敗退し一度引退した後現役復帰した時「社会ではボクシングで日本一になるより、普通にワードやエクセルを使えるほうが上だった。だから自分のボクシング復帰も、自己満足なんです。8年後には、金メダリストでも世間から忘れられる。そうなると、見返りじゃなくて、自分が自分を満足させられるかどうかだと思いますね」と言ったというのです。これはマイナースポーツと言っていい日本のアマチュアボクシング(世界的にはマイナースポーツではない)に体を張るものの矜持と覚悟が溢れているコメントであると思います。
五輪の時だけ注目されるアマチュアスポーツ選手の苦境を描いたスポーツ映画に「プリフォンテーン」という作品(http://www.tsutaya.co.jp/works/10001606.html)があります。これはDVDすら出ていないマイナーな一本で、アメリカ代表の陸上中距離選手としてミュンヘン五輪に出場したステイーブ・プリフォンテーンの伝記映画。彼はアメリカのアマ選手の生活と地位の向上に貢献した選手であり、また黒人テニスプレイヤーのイノベイターとなったアーサー・アッシュ(マイク・タイソンが彼のタトゥーを入れていることでも有名)と並ぶ創業期のナイキのシューズを有名にした選手でもあります。戦闘的なレース振りで中距離トラック競技を人気スポーツに押し上げ、ライバルとの激しい五輪選考を勝ち抜き、選手村でのテロ(スピルバーグの「ミュンヘン」の題材にもなった黒い九月がイスラエルの選手を誘拐して殺害した事件)を経験した彼の人生はそれだけでとてもドラマチック。しかしメダルが取れなかった五輪が終われば彼には何も残りませんでした。飲み屋の経営で糊口をしのぐ彼は大衆と社会に怨嗟をぶちまけます。曰く「普段は見向きもしない経済的にサポートもしないくせにいざオリンピックになるとメダルを取れとプレッシャーをかけてくる。でもオリンピックが終わればまたほったらかし。こんなもんやってられない」と。そこから彼は競技で報酬が得られるようにアマチュア規定を変更させようとAAUとの闘争に入るのですが、不慮の事故に遭い24歳で夭逝します。マイナースポーツ選手の気高さと、しかし理想だけでは生きられない悲哀が描かれた異色のスポーツ映画でありました。
振り返れば日本でもバンクーバーでの冬季五輪でスノーボードの選手が選手団の制服の着方を批判され猛烈なバッシング受けました。「公費で派遣されているんだから身の程を知れ」というような心無い言葉も浴びせられました。選手に国力を仮託するような野蛮状態をまだ我々も生きてるわけです。早くそんな段階を過ぎて優れた人間を称えるような社会、彼らが払った犠牲と貢献に正しく報いるような社会に早くならないでしょうか?かくいう村田選手も一生食うに困らないような待遇が待っているわけではなく、むしろ彼が言うように一夜の王のような評価しか受けられないかも知れません。せめてボクシングファンくらいは彼の偉業を覚えていなければいけないと思います。
最後にプロ転向ですが、ドイツやアメリカのプロモーターから引きは無いのでしょうか?キューバ人を亡命させるようなエグいことやってるわけだから、是非村田を勧誘して欲しいなあと思います。彼のスケールに日本の業界は合っていないのでは?実際マッチメイクすらままならないと思われます。
投稿者 アイスを食べたら歯の詰め物が取れた(旧徳山と長谷川が好きです)
観戦記20120812 by いやまじで
ついに迎えたロンドン五輪ボクシング競技ミドル級決勝。日本の村田選手とブラジルのファルカン選手の対戦。
ファルカンは決戦の舞台に向けて集中を高めながら入場。村田はいつも通りの笑顔。なんで?というぐらい明るいですね。弾むような足取りです。
1R 準決で足を使っていたファルカンは頭を付けて前に出る戦い。村田は準決までとやや異なるリズム。ボディ・ボディ・顔面ではなく顔面・顔面・ボディ、ボディ・顔面・顔面。ボディ警戒の相手の裏をかく形で5-3とリード。
2R ファルカンが足を使う戦いに変更。巧みに距離をとって盛り返し、このR5-4、トータル8-9の1ポイン差に追い上げる。
3R ファルカンはボディがきいたかホールディングの反則で減点2。村田はファルカンの激しい動きと速いコンビネーションで受け身になるも、持ちこたえ、最終盤に決定的な右を顔面に決める。終了のベルが鳴った瞬間、村田は勝利を確信したガッツポーズ。
判定は1ポイント差ながら村田の勝利をコール!! およそ半世紀ぶり、五輪ボクシング史上2人目の日本人ゴールドメダリスト誕生の瞬間を、村田はホッとしたような表情で迎えました。
昨年の世界選手権1回戦で村田がファルカンを破った試合を見ると、体の強さで村田が圧倒していました。しかし今大会のファルカンは重心が低く、パンチに体重がのり、動きもシャープになっていました。一方、村田もパワーアップとフットワーク向上が見られ、双方が実力を伸ばしてきている。私の予想では村田の勝機大というものでありました。
昨年の世界選手権2位の村田選手、プレッシャーはあったようですが、コメントを伝え聞く限りこの五輪は金メダルを狙って獲りにいったようです。この精神力は素晴らしい。
しかし何といってもミドルという階級での勝利が評価されます。日本国内では練習相手もままならない状況。にもかかわらずフィジカルで常に相手を上回り、ガード中心ですがディフェンス技術にも優れ、勝負所では強いパンチを正確に決めた。修練の賜物という他ありません。
終盤にさしかかった五輪、日本に明るい輝きをもたらした村田選手の金メダル。
私にとってはアマチュアボクシングの面白さを教えられた2012ロンドン五輪でありました。
PS せりしゅんやさんのブログも大変参考になりました。
観戦記20120810 by いやまじで
今夜は五輪ボクシング競技をテレビ観戦。日本に44年ぶりのメダルをもたらした二人のボクサーの準決勝2試合を観ました。このステージまで来ないとテレビに映らないのが悲しいですが、このステージで見られるのが嬉しくもありますね。
バンタム級(-56kg)の清水聡選手は、地元英国のルーク・キャンベル選手と対戦。
1R立ち上がり、清水が機先を制すように右でペースをつかみにかかりますが、キャンベルが要所でスピードのあるコンビネーションを繰り出しポイントをとります(5-2でキャンベルリード)。
2R、清水はボディを中心に反撃に出ますが、キャンベルはひるまず応戦。このラウンドも6-4、キャンベルがトータル11-6でリード。
3Rに入ってキャンベルややガス欠気味で、清水が攻勢かけますが、清水も体にキレを欠き、逆にキャンベルが持ち直してポイントを奪います。結局3Rは9-5、トータル20-11でキャンベルが清水を降しました。
いやあ、清水選手残念!! この日は体のキレがなかったように見えましたが、やはりコンディションがきつかったでしょうか。清水選手の試合は、例の疑惑判定の試合(ダイジェスト)と北京五輪の試合を見ましたが、どちらも伸びのある左ストレートが武器になっていたように思うんですが、この日はそれが見られませんでした。相手がサウスポーということもあったのでしょうか。まあキャンベル選手、良い選手でした。
それにしても日本ボクシング界44年ぶりのメダル、というより彼自身オリンピック・メダリストに輝いたことをお祝いしたいと思います。とりわけ北京での敗戦(この試合の判定も?に見えましたが)を糧に這い上がってきた点は賞賛に値すると思います。
§ § § §
さて次はミドル級の村田諒太選手の準決勝。準々決勝では同タイプの相手を攻めきって勝ちあがってきた村田選手。対戦相手は2007年世界選手権ライト・ヘビー級優勝、その後階級を落としスイス世界選手権ミドル級優勝のアボス・アトエフ選手(ウズベキスタン)。実は村田選手、この選手を昨年の世界選手権1回戦レフェリーストップで破っています。しかしそれだけに相手も対策を立ててくるでしょうから、手強そうです。
1R、村田はガードを固め、相手の出方をうかがいます。アトエフは村田の顔面にパンチを集めますが村田がブロック、村田が徐々にボディから顔面にパンチを繰り出すという展開。このRは4-1でアトエフがリード。村田のボディへのパンチは軽打と見られたか、あまりポイントになっていませんでした。
2Rになると村田は前へ圧力を強めます。アトエフの強打にガードを高く保ちつつ、ボディから顔面への攻撃を繰り返します。アトエフはボディが効き始めて後退orクリンチorホールドが目立ちますが、前年スタミナ切れで敗れた反省から大振りせずにコンパクトにパンチを出し続けます。村田が優勢かと思いましたがポイントは4-4、トータル8-5でアトエフが3ポイントのリードを保ちます。
3R、2R終盤から明らかにボディが効き始めたアトエフを村田が追撃。中盤以降は顔面ヘのパンチも決まり完全にアトエフは苦しそう。ホールディングの減点(2点)もあり、村田が圧倒してこのRを終えます。
そして判定はトータル13-12で、…村田、勝利!!!!
いやあ、最後はまたおかしな判定が出ないかとヒヤヒヤしましたが、見事に村田選手がミドル級という階級で五輪決勝進出を果たしました。おめでとうございます。というか、またもう1試合見られるのがうれしいですね。
村田選手はこの試合、しっかりガードしながら相手の弱点のボディを狙ってスタミナを奪う作戦。慎重かつ冷静にプランを遂行したところが見事でした。それとフィジカルが強いですね。
決勝の相手はブラジルのエスキバ・ファルカン・フロレンティーナ選手。準決で地元英国のオゴゴ選手を破っての決勝進出ですが、間合いの取り方が上手く、ハンドスピードがあり、カウンターが上手です。ハードパンチャーではないかもしれませんが、オゴゴ選手から2度ダウンを奪っており、パンチにキレがあります。正直、準決を見る限り、スピードはあるが動きが直線的で単調なオゴゴの方がやりやすかったのではないかと感じました。まあ村田選手がどういう戦略を練ってくるか、これも楽しみではあります。まずはどう距離をつぶすのかが鍵になるでしょうね。
§ § § §
実はアマチュアボクシングをこんなに長時間(8試合)見るのはウン十年ぶりでして、昔見た時のイメージは、選手がちょっとでもクラッとすると即RSCというものだったんで、こんなにダメージあるのに試合続行かよと、ちょっと驚きました。
また採点ルールについて初めて聞くものも多かったのですが、ポイントになるパンチの基準は見ていてけっこう曖昧かなと思いました。ただ、かなり力感のあるパンチでないとポイントにならないのはたしかなようで、旧徳さんが「総じて防御型の選手は今のアマルールは不利では?」と言ってましたが、たしかにこのポイントのつけ方だとそれはあるかもしれないと思いました。
また、実況や解説を聞いていると、最終Rに消極的な姿勢をとるとポイントとられやすいいという意味のことを言っていましたので、Rごとにポイントの基準がちがうのかいなと?なところはありました。また、地元判定は半ば公認みたいなことも言ってましたから(苦笑。アマチュアもけっこう判定に関して問題ありだなと思った次第です。
清水選手の誤審騒動なんかを見ますと、日本はレフェリーから「どうせ何をしても騒がれないだろう」と見くびられているように思います。その一方で、清水選手や村田選手の戦いぶりが、そういう流れを変えたところがあるとも思いますが。(プロにおける西岡選手の活躍なども好影響があるかもしれないと言う人もいます。)
この五輪はボクシングに限らず判定が覆る例が出ていて、審判の判定が覆ることはありえないという前例がそれこそ覆りまくりなのですが、おそらくこれは、所謂不当判定がもはや看過できないほど度を越したものなりつつあることの結果なのだと思います。この奥には審判技術の問題だけでなく、それ以外の問題、例えばイタリアサッカー界に実在する八百長問題などが、スポーツ界に対して対策を講ぜざるを得なくさせている面があるのかと思います。(清水選手の試合についてはAIBA買収疑惑も報じられていました。→http://london.yahoo.co.jp/news/detail/20120803-00000038-jij_olympic)
アマチュア・ボクシングを見てその他に気づいた点は、やたらヘッドギア直す、やたらバッティング姿勢で突っ込む、でしょうか。日本人選手は体幹が弱い印象もあります。また私自身が採点基準について理解が十分でないこともあるのですが、実況・解説がどこまで客観的でどこから日本贔屓なのかが、今ひとつ分からないところがありましたね。日本を応援する放送はいいのですが、競技の内容についてはできるだけ客観的に説明してほしいです。
日本ボクシング陣の五輪における活躍については、8月7日の朝日新聞に記事が出てまして、2010年夏に山根明氏の日本アマボク連盟副会長就任パーティで大橋秀行が「アマとプロが協力して五輪の金メダリストを育てませんか」ともちかけたことがきっかけとなってプロ・アマ交流が盛んになり、これが躍進を支えたとあります。
プロの実績を見ても日本に五輪でメダルをとるポテンシャルは十分あると私は思っていましたので、プロ・アマの壁が取り払われつつあるのはとても良いことだと思います。といいますか、五輪で存在をアピールすることは、ボクシングというスポーツの日本における存続にとって非常に重要なことだと思います。
ということで、久々の五輪ボクシング観戦は、妙に判定にハラハラさせられました。
村田選手のミドル級ゴールドメダルマッチは8月11日(日本時間12日、午前5時45分)、楽しみです。
「ウチ猫回顧録」なんてカテゴリがあるのに、記事が一つもないじゃないか!なんてことを思ってる人がどれほどいるかわかりませんが、そんな奇特な方もいるかもしれないので、つらつらと書き始めることにします。
元々は、けっこうな分量の記事をこのカテゴリであげたんですが、どうも内容が気に食わなくて、いちいち直すのも面倒になり、ならば!とばかりに全部消してしまいました。
中身は当然、あの「市民団体(笑)」を中心とした話題で、それについてあれこれ怒ったりしてたんですが、よく考えてみれば、私がカッカ怒るのもちょっと変なんですよね。
このあと追々お話ししますが、「市民団体(笑)」に参加した時も、はっきり「コレ」という理由がなかったので、4時起き氏の団体運営を批判する資格もあまりない気がします。
それよりも、(わかる方も多いでしょうが)ある二人の友人に対する、あまりに卑劣な行為に対する怒りの方が大きかったのですが、これも「で、お前は何かされたわけ?」と言われると答えに窮するというか。
まあ実際は、このブログの準備にあたり、例の巨大掲示板などもチェックしたところ、いやー出るわ出るわ、私の仕事やら本名やら、「私文書偽造で捕まった」とかいうワケのわからんデマやら色々発見したんですが、そんなのをいちいち持ち出してキャンキャン騒ぐのも、彼奴等と同じレベルまで落ちることになりそうですしねぇ…
そんなこんなで、いやまじでさんからブラックサバスのような重厚な文章を頂いたこともあり、「俺は特にこの件は書かず、他のカテゴリ専従になろうか」と思ってたんですが、「市民団体(笑)」や拳論については、ウチ猫さん視点の感想も必要です!という意見に押し切られ、重い腰を上げた次第です。
不定期で適当に書いていきますのでヨロシクお願いします。
※ちなみに、「市民団体(笑)」というのは、あの拳論発のファンの団体の、私の中での正式名称です。読み方は「シミンダンタイカッコワライ」です。