HARD BLOW !

小國vs芹江 生観戦リポート! by旧徳さん

関西在住の旧徳さんより、東洋太平洋スーパーバンタム級タイトルマッチ、小國以載vs芹江匡晋の観戦リポートを頂きました。
プロキャリアはまだ8戦しかないものの、ガスカ、大橋を連破し急上昇中のチャンピオン小國に対し、国内同階級の有力選手との戦いを悉く制し、6度防衛の日本同級王座を返上してこの試合に臨む芹江。
前評判では、その実績もさることながら、やりづらい芹江の変則スタイルが若い王者を苦しめるのでは?という予想が多かったかと思いますが、観戦できない身としては「グダグダの塩試合の末、ジモハン防衛とかは勘弁でっせ」なんてケシカランこと考えたりしてましたが、素晴らしい試合となったようです。

では以下、試合当日の夜に頂いたリポートです。

◆◆◆

先ほど帰宅しました。 播州赤穂は遠い!しかしそんな便利とは言えない地方都市(失礼)なのに会場は満員でした。神戸でやった真正のツニャカオ×本田よりよっぽど入ってました。小国をサポートする播州赤穂の地元のみなさんの熱意もさることながら、芹江というトップファイターを東京から呼んだマッチメイクの冒険も見逃せない要素でしょう。実際帰りの電車には会場から流れてきた男の客が結構いました。

アンダーはセミもセミセミも睡魔と戦うのが大変というレベルの試合でかなりゲンナリしましたが、メインはさすがチャンピオン同士。見事な試合でした。
まずは芹江がセコンドを従えず一人で入場。奇妙なダンス(?)をひとしきり踊ってリング下で松ヤニのケースに足を入れたまま四方に一礼。リングに上がっても野生動物のようにリング上を徘徊。一方小國は法螺貝を吹く僧侶を先頭に三味線のBGMで入場。この時点でかなりの異空間。

1Rは芹江が変則ムーブで出入りして小國は手数が出ず。様子を見ているのか、狙いが絞れないのか?

2Rも序盤は小國は手が出ずセリエはクネクネとサークリングしながら要所で飛び込んでボディにフックを決める。「これは小國ジャブ当てるのも苦労するかなあ」と思った瞬間、小國の右ストレート一発で吹っ飛ぶように芹江がダウン。足元もおぼつかずこれは効いてる?がさすが百戦錬磨の芹江、ラッシュに来た小國に近距離から見えない角度でフックを入れて逆に腰を落とす。ダウン寸前の一撃に普段は余りボクシングを見ないであろう播州赤穂の善男善女も「あらまー危ない」と芹江の実力を警戒。

3R芹江は回復しまた小國は手数が減る。が芹江も出入りのタイミングを読まれ距離を支配され始める。

4R小國のジャブが当たり始め芹江は密着、接近戦に活路を求める。
中間採点は3-0で小國。芹江の攻撃はジャッジにアピールしてないようで三者とも3~4ポイント差。

そしてポイント差を意識してか密着して乱打乱撃に持ち込まんとする芹江。その接近戦のさなか、小國の左フックでまたも芹江が吹っ飛ぶ。ダウン二回とも芹江の倒されっぷりが凄い。そこから小國はラッシュするも詰めきれず。
ここで芹江は遠距離で右、近距離で左と倒されて手詰まりに。小國は芹江の変則フックにオーバーハンドクロスを合わせたり驚くような勝負勘を見せる。
芹江は苦し紛れに頭を合わせてボディーを叩くが小國はフィジカルでも押し負けずコンパクトなボディーアッパーで応戦。芹江はヘッドハントを警戒してかボディーががら空きで、ボディーを打たれて目に見えて減速。

試合後半は芹江は打開策を見つけられず離れてジャブ、密着してボデイアッパーともらい続け、相打ちすらなかなかとれない。小國は無理せず冷静に芹江を攻略し最終ラウンドはクルージング。この辺の試合運びもただもんじゃない。

採点は三者とも当然の大差。芹江応援団はさぞ焦れたことでしょう。インタビューを受けた小國くんは2Rのダウンについて「びっくりしてうわっ!ってなりました」という天然コメントで会場の笑いを誘う。勿論これはおとぼけでかなり芹江の動きは研究してたと思います。特に接近戦は素晴らしい対応力でした。

ジム設立わずか二年で東洋王者を出し日本チャンプも倒した高嶋穣会長はかなりの策士とお見受けしました。大学を中退させて獲得したという小國の才能を見抜いた眼力もただもんじゃないですな。このジムは台風の目になるでしょう。板宿っていう神戸の渋い下町にあるんですよ。

小國くんは思うようにヒットが取れなかった序盤も辛抱強くタイミングを待てたあたり非凡さの証明ですね。技術に自信があって尚且つ胆力がないとなかなかあのダウンは取れないですよ。会場に激励に来てた井岡くんに似てると思いました。集中力があって焦らない。ボクサーだけど切れるパンチでダウンも取れる選手です。

◆◆◆

これは驚きましたね。小國選手、とんでもない大化けの可能性を感じられます。で、後日、この試合までの道のりに密着した、地元テレビ局の番組の映像を紹介してもらいました。
いやー、小國君は気持ちのいいナイスガイで、鮮明な試合映像もあるんですが…ジムの会長がちょっとブッとんでますね(笑)。
旧徳さんも言ってましたが、宮田・内藤コンビの後を継ぐ、名コンビとなりそうです。

  「俺が一番心配しとるんは…ベルトが有料らしいんや」

「いやまじで」さんからの寄稿 (八)

6 雲散霧消の後


2011年12月23日以降、私はファンの会を離れ、一ファンとしてボクシング観戦をし、そしてこうして知り合うことのできた人々と意見・情報交換をしている。もっとも、ボク愛氏の活動に私が貢献できるところは少なく、足を引っ張ることの方が多い始末だが。

結局のところ、拳論の管理者であるR記者と4時起き氏の存在は、私の信に堪えるものではなかった。4時起き氏については、約束を守らず、それを他者に責任転嫁し、さらには人を根拠無く「スパイ」呼ばわりして恥じるところがなかった。

或る人が2ちゃんねるで風説や個人情報を流布した。それが誰であるか私は知らない。2ちゃんねるにあがった情報を持っている人間は限られている。が、2ちゃんねるへの書きこみは匿名である。だから私にはそういう書きこみをした人間が誰であるかは分からない。

人は警察の捜査や裁判の物証のようなものを頼りにして生きてはいない。その前にいつも判断は下されている。人に対する見方は、その人の発言・行動によって作られる。誰かがその人たちの横を通り過ぎることをその人たちは止めることはできない。

私は、一つの失敗や悪行でその人間のすべてを判断しない。ある積み重ねられたものから判断する。その人が変わらない以上、私のその人に対する見方も変わらない。それは仕方のないことだ。

2ちゃんねるに個人情報の書きこみをした人が何をしたかったのか、また現在においても何をしたいのか。誰かに何らかの影響力を持ちたかった、匿名性に守られたネットという安全地帯の中で戯れたかった、そういうことなのかもしれない。そして、上手に遊べなかったことは、ある意味で救いなのかもしれない。

今後も2ちゃんねるへの個人情報の書きこみは続くかもしれない。書きこみをした人はこう考えるかもしれない。今後2ちゃんねるへの書きこみがなくなれば認めることになる、書きこみを続けても同じかもしれないがそうでない可能性もある、どちらを取るとなれば後者だろう、と。そういう個人情報の書きこみによって、少なからぬ人が傷を負っている。書きこみをした人間は、そのことを理解しているだろう。そして、もうその書きこみは消えない。

4時起き氏は拳論コメント欄で、昨年のファンの会の雲散霧消について、弁明らしきものを行っていたようである。何人ものボクシングファンが全国から集まり、その代表に選ばれた人間が、それを放置し、その言い訳をする。なるほど。彼はそれなりの年齢に達したよい大人であり、社会的にそれなりに地位のある人間である。

個人的なことだが、そういう人間を代表に担いだ自身について言えば、私は反省はするけれども後悔はしない。ただ、あの日集まった方々にご報告が遅れたことを謝するのみである。

信じるということは、いつでもどこか賭けである。

(終)

「いやまじで」さんからの寄稿 (七)

5 12月決別


私はボク愛氏からの話を、それはそれとして受け取っていた。ただし、ボク愛氏の活動に協力する意思はあった。私としてはどちらもボクシング界のためになるならば、お手伝いしたいという気持ちであった。ただ、ファンの会がなくなったわけではないので、何らかの支障が生じることのないよう調整・確認した上で参加したいと思い、回答を保留した。

私は4時起き氏に問い合わせのメールを送った。ファンの会の今後の活動についての考えを確めるためである。ボク愛氏と会ったことについては触れなかった。12月22日13時のことだった。それに対して4時起き氏から返答があったのは12月23日午前8時過ぎであった。

そこに書かれていたのは次のようなものであった。

①第二回会合後にボク愛氏がK会長やS氏と親しく、「スパイ」であることが判明したため除名した。

②ボク愛氏を外してアピールしながら団体を運営するのは危険だと判断し、個人として動いていた。

③今は市民団体は活動していると世間に思わせておくのが得策で、来年何か動きがあったら仕切り直すと考えている。

ということだ。

①は、おそらく嘘であろう。彼が確証を示せないであろうからである。彼は何ら根拠を示していない。

②は、最も意味不明な点である。ボク愛氏を外しての団体運営がなぜ危険なのか。ボク愛氏がスパイなら、むしろ安全になったのではないのか?

③要するに活動するつもりはないということ。会合を重ねて、活動内容を具体化させていくという話はどこにいったのか。

私には4時起き氏のメールの内容が唐突で珍妙なものに思えた。いかにも急造のつじつま合わせのスパイ論。おそらく4時起き氏はボク愛氏がK氏に会っているという情報を得ていたのであろう。それを自分の都合の良いように合成している。そう感じられた。水掛け論で有耶無耶になるような話を持ちかけてきている。そうも感じられた。何とか捻り出した意味不明の屁理屈で事を誤魔化そうとしている。それは明らかだった。そして、実質的に会の活動を続けるつもりはない、そう彼は言っている。そうではないのだろうか? 会を放置したことについての代表者としての責任ある言葉は一片もなかった。そして、そのような人間に信を置くことはできないと私は判断した。

そのことを私は4時起き氏に返信し、同時に会からの脱退を申し出た。

その後4時起き氏から連絡はない。

この時のメールについては、いつでも公表する準備がある。

その後私は、ボク愛氏、ウチ猫氏、U氏、また敬愛氏とも何度かお会いし、お話をうかがうことができた。またKジムのK会長にも直接会って話をうかがうことができた。そこでJBC問題や榎氏のレフェリング問題、あるいは亀田ジムのことなど、その内実と意見をうかがうことができた。

私にとってR記者のフグ屋領収書は、4時起き氏の口にするなぜか公開されない安河内氏にまつわる20の疑惑リストとともに、全く信憑性のないものになっていた。さらに安河内氏が更迭されたこの時点では、ほとんど意味をなさないものと化していた。そうして、彼らがこれまで口にしてきた奇妙なできごと、スブド、襲撃予告メール、習志野署への電話、安河内氏が改革派職員に対して見せたというガッツポーズ、…彼らの口にしたあらゆることが完全に現実の色を失っていった。

「いやまじで」さんからの寄稿 (六)

4 その後のメール交換


7月9日の第2回会合後、3回目の会合が行われることはなかった。

第2回会合は次回の日程を決めることなく終了し解散した。4時起き氏は私がメールで送った議事録を掲示板に掲載すると言ったまま果たすことがなかった。そうして徒に時間だけが過ぎた。

7月15日に突然ファンの会の掲示板にアクセスができなくなった。パスワードが変更されたものと見て、4時起き氏にメールで問い合わせると、新しいパスワードが送られてきた。

7月25日、ボク愛さんよりメールをいただいた。その内容は、2ちゃんねる上である人物に対する誹謗中傷が繰り返されており、これはある団体サイドのなりすましによる仕業ではないかというものであった。しかし、当事者でない私には判断がつきかねることばかりであった。

この時すでにボク愛氏にとって、2ちゃんねる上での自身および身辺あるいはボクシング関係者に対する誹謗中傷が誰の仕業であるのかは明白になっていたらしい。しかし、事情を呑み込めない私は、「双方の情報についてどちらか一方に加担にするつもりもありません。まずは私自身の目と耳で確認し判断するのみです。」とお答えするのみであった。

8月に入っても4時起き氏から連絡はなく、前月と同じ状態が続いていた。
私は連絡を取らなかった。

なぜか? 理由は三つある。

一つはJBC事務局長が解任・交代によって、一応の事態収拾が図られ、ファンの会が当初想定していたデモ活動などに緊急の要がなくなっていたからである。

もう一つは、九州から参加したN氏同様私も何らかの理由でアクセス禁止の状態に置かれているのかもしれないとの懸念があったからだ。そのような状態にあることを確認することを恐れる気持ちがあった。彼がつながるボクシング関係者の意見を仄聞していたことから、下手に動かないかどうか試されているのではないかとの逡巡とないまぜになって、それはあった。ファンの会の掲示板へのアクセスは依然として可能であったので、事実としてはなかったのであるが。

そしてもう一つは、私の懈怠である。

そのような状況が3か月続いた。

何の連絡もない4時起き氏に対して不審の念はあったが、自らが代表として選出した人物に対する信頼が揺らぐことはなかった。

それでも年内に一度は連絡をとろうと考えていた。もちろん今後の活動について確認したかったからである。

そんな中であった。12月11日、ボク愛氏よりメールが届いた。その内容は「榎さんの件で活動している。意見を聞きたい」というものだった。

私自身は4時起き氏がボク愛氏を除名にした直後に個人的に信を置くことは変わらぬ由のメールを送っているので、ボク愛氏と連絡をとることに全く抵抗はなかった。

聞けば12月18日後楽園ホールでの全日本新人王決勝戦を観戦するとのことで、その日に合流し話をすることになった。

そこで聞いたことは、次のようなものであった。

まずボク愛氏が11月に知人の仲介でKジムの会長と会っていたこと。そして、ネットの2ちゃんねる上で何者かによりボク愛氏及び敬愛氏への誹謗中傷が繰り返されていること、その中には個人情報を晒す悪質なものもあるということ、であった。

私の感想としては驚愕ということだけを記しておこう。

また私はボク愛氏とウチ猫氏とU氏から、ファンの会のその後の動向について、彼らの視点からの情報を得た。結論は、活動は一切行われていないということだった。

ボク愛氏としては、6月25日に日本各地から集ったボクシング界を憂える士たちの、あの日の思いと行動を無にしてはならないという思いがあったようだ。

ボク愛氏には、ファンがボクシング界(業界)に対して意見交換のできる対話・交流の場を設けるという念願が以前からあった。これは6月のファンの会の最初の会合でも彼が口にしていたことだ。彼はかつてそれを拳論に見たであろうし、それは私も同じであった。

ファンの会の有名無実化を知り、改めてファンの声を業界に届ける場を創る意思があるとボク愛氏は語った。

話はさらにある複数の人物に及んだ。ボク愛氏によると、2ちゃんねる上の誹謗中傷は、その人物によるものではないかということであった。それは、2ちゃんねる上にあがる情報を知りうる人間が極めて限られ、その中に常に「その人物」がいたという一点に尽きていた。そしてその見方はこの時期までボクシング関係者にも薄々気づかれ共有されつつあったとのことだった。そのためその人物に対してこれまで懇意にしていたボクシング関係者も、距離をとることが多くなっているとのことだった。

私はその話を聞いて頷けるところがあったが、その人物についての悪評を鵜呑みにするつもりもなかった。もちろんそのような可能性はあるだろう。その人物に胡散臭いところはあった。しかし、信を置いていたことも事実で、それは確かなものだった。その人間の趣味や性癖と、私との関わりにおいてその人間が為すこととを、私は切り離して考えている。

「いやまじで」さんからの寄稿 (五)

以下は、第2回会合の議事録である。固有名詞をランダムにイニシャル化(本名や本文との相関性はない)している以外は、誤字脱字も含めて変更していない。

◆◆◆◆

仮称「ボクシングファンの組織」第2回会合 議事録
(2011/07/09 10:30~21:00 於:某所)

1.議案の確認

①団体名称と代表の決定
②本会の目的(まとめ)
③活動について具体的提案(質問書作成、署名活動等)
④会則を設けるか(本会議への参加条件等、条件を設けた場合資格喪失等)
⑤第一回会合と同じく、Mの本会参加の動機と目的。およびあらためてのご紹介。
※実名の問題

*上記議案についての掲示板における事前の意見交換は、資料として掲示板にまとめを掲示、会合当日も別紙で配布。

*当日参加できなかったPさんからの事前に掲示板に寄せられた意見(趣旨)。

P:参加資格については妨害行為などを考慮し段階分け(運営とそれ以外)の資格、どこまで情報を流すかの定義が必要か。掲示板とメーリングリストではどちらが安心か。ファンによる業界への意見交流が出来ているサッカー界のサポーター制をモデルケースとして調べてみる必要がある。

2.議事進行

(1)⑤参加者自己紹介(確認のためもあり参加動機を再説)

Y:ジム側からの訴えができないか。

(※PCが立ち上がる前で議事録が不完全。)

T:業界に知り合いがいなかったが疑問を感じてきた。ファンの立場で言えることがある。目的はJBCの問題に絞る。

W:E問題を発端に、JBCに不信感。JBCの監視団体として団体に参加したいと思った。

N:E問題をきっかけに疑問。真実を汚された。Eと近所で核心にちかいものがある。協会を正さないとファンが納得できない。ネットの壁を越えて声を広げていきたい。

C:JBCの対応がひどすぎる。見るのをやめようと思ったが、その前にやることをやってやめようと思い参加。JBCに対してまっとうな調査をしてほしい。

N:(Zさんについて)最初は私怨にしか見えなかったが、Zさんと直接話した
我々はファンの立場として動くと伝えた。

C:業界を離れた方は1ファンとして参加してもいいのではないか、Lさんとか。今JBCとかJPBAにいる人は無理だろう。

N:Zさんの主張とは線引きが必要ではないか。

H:Zさんの暴走を止めるために掲示板を立ち上げた。出発点はボクシングが好きと言うより、人として許せない。D→JBC理事会→の順におかしい、ここを見てやってるんだぞ!とやっていきたい。

N:心情的にはわかるが、Zさんの魂を沈めるのは無理。会としては路線が違うということは明確にする。

T:拳論のリンクが外れたこと。

N:拳論と別にしていいのではないか

C:拳論との位置関係は?

H:拳論内でも反対があったがRさんが記事にした。こいつらが本気でやってると認知させなければならない。

(2)討議

■議題…①会の目的

H:D、JBCに話を持っていくのは偽名は難しいのではないか。個人名を出せば嫌がらせはあるだろう。Mも恐いはず。

C:名前を出したほうがインパクトがある。会の代表者は実名であるべき。

H:目標を決めないとなにも始まらない。

C:NPO法人を立ち上げるとすれば半年かかる。任意団体としてならすぐに活動できる。

H:ファンとしてJBCの処遇に納得できないので、透明性のある回答を出してもらう。

N:納得のいく回答がもらえなかった場合は。

H:ファンじゃなくてもマスコミが飛びつけばいい。そのためにも実名活動が必要。

N:ファンに信頼される団体にしたい。

H:それだと焦点がぼやけるので、問題を特化すべき、一人でもやる覚悟はある。

N:告発したい。

H:最終的にはそうなる。文科省なりにもっていくことになるだろう。署名活動は自然発生的におこるべき。

W:監視団体として長期戦の構えをとることが効果的。

H:JBCにでも協力できることもあるが、おかしいことは徹底的に糾弾する。その根底はボクシングが好きというのは当たり前。

Y:ボクシングに関わってない人が入ってきてボクシング界をよくしている部分がある。選手が声が上げる時に橋渡しができればよい。

H:JBCに市民団体から理事が入る形になれば一番いい。

◆議決:会の目的を「JBC安河内問題の追及」とすることに決定。

※ 全員賛成〔挙手〕で可決。


■議題…③具体的活動内容

N:署名活動をやりたい、質問書の草案作成を急ぎたい。

H:「JBCへの質問状」の内容として、質問1→調査委員会のメンバーの公表、質問2→告発状に対する調査結果の具体的内容の公表。

◆議決事項なし

※ 正式な議決事項はないが、上記の具体的提案有。

■議題…①代表の決定

C:社会的地位がしっかりしている方が対外的アピールに有利。会への取り組みの姿勢、度合いで選ぶ。

H:証言者が証言してくれないことが多い。実名は中途半端に出さないほうがいい。

T:相手のほころびをついていった方がいい。

※ 参考意見…匿名希望さんよりのメール:JBCに専属の公認会計士をつけること。文科省ではなく労務管理問題として厚生労働省に話をもっていってはどうか。

◆議決2:会の代表をHさんに決定

※ Hさん以外の全員賛成〔挙手〕により可決。


■議題…③団体名称

※YさんとNさんは所用により途中退席、残る4名で討議を続行。

・「ファン」という言葉で参加者を限定するおそれがないか。
・勝手に「ファン」の代表を名乗るなというファンがいる。
・「拳」という字を使うと既存の空手団体などとカブル。
・「愛する」という言葉は語感として弱い。

◆議決事項なし

※ 従来案に決定的なものがなく、有力な新案も出ず、議論を次回以降に持ち越し。

■議題…③具体的活動内容(質問書についての議論)

H:JBC(理事会)宛と林コミッショナー宛の2通送る。(告発内容と対応についてお聞かせ下さい。)

T:複数の理事に送ってはどうか?

・私書箱設置(Hさんの会社の近くである豊島郵便局で)

◆議決事項なし

※ 上記の提案有。私書箱については4名で合意済。採決は経ていない。


■議題…④参加資格

・実名、住所、電話番号、メールアドレスを申告し(Hさんにメールで連絡)、メンバーと共有できること。

◆議決事項なし

※ 上記の提案有。4名で合意済。採決は経ていない。


3.議決事項まとめ

◆議決1:会の目的を「JBC安河内問題の追及」とすることに決定。

◆議決2:会の代表をHさんに決定.

※ 懸案事項および承認待機事項として以下の4つである。

・①団体名称

・③JBCへの質問状の作成と送付

・③私書箱設置(Hさんの会社の近くである豊島郵便局で)

・④参加資格… 実名、住所、電話番号、メールアドレスを申告(Hさんにメールで連絡)、メンバーと共有できることとする。

4.次回第3回会合予定…未定

以上

5.補足

 会の目的である「JBC問題の追及」については、Cより正式な文言として下記のものを提案いたします。これをたたき台にみなさんから再度を意見交換をしていただきたく思います。)

・会の目的(案)…

 本会の目的は、公益法人であり日本のプロボクシングのスポーツとしての公正性を担保する組織である日本ボクシングコミッション(JBC)に対して、安河内前事務局長の不正経理疑惑をはじめとする様々な疑惑問題について、完全な第三者による透明性ある調査と、具体的かつ詳細な結果の報告を、ボクシングを愛する者として、また一市民として、要求し行わせることである。
また、不正が発見された場合には、日本ボクシングコミッション規則第一部総則に則って適切な処分を下し、ボクシング界が失った信頼を回復することを要求し行わせることである。

※ 第1部 総則
 ボクシングはスポーツであるが故にあらゆるボクシング試合はスポーツマンライクの態度をもって行われるべきである。
 また、プロフェッショナル・ボクシングは、ビジネスの要素を持つことを認めるが、あくまでも正直なビジネスの倫理法則に合致すべき方法で行われることをもって方針とする。従って、JBCは不正破壊の行為に対しては、たとえ法規において合法と解釈されることがあっても、フェアープレイと誠実の精神を侵す場合は之を排斥する。(JBCホームページより)

以上。

◆◆◆◆

「いやまじで」さんからの寄稿 (四)

3 7月9日第2回会合と議事録


ボクシング・ファンの会の第2回会合は7月9日午前10時半より東京上野(於:ルノワール上野第1店)で行われた。出席者はボク愛氏、4時起き氏、ウチ猫氏、U氏、私(いやまじで)、そしてボクシングを生業としているN氏である。

この日の会合の主たる議題は、会の名称と代表の決定、そして会の目的の明確化である。実際の討議の内容は後出の議事録の通りである。

会は4時起きを代表に選出した後、所用で退席する人間もいたため一旦店を出る。16時頃であろうか。小腹も空いたということで4時起き氏の店で食事をとる。その後、4時起き氏、ウチ猫氏、U氏、私の4人で別の喫茶店に入り、会の名称について意見交換した。といってもこの頃はだいぶ時間も過ぎていたため雑談が多かった。結局名称が決まることはなく、21時頃に解散するのだが、私は自宅が同じ小田急線沿線だという4時起きと帰路を共にした。

この日10:30から12時間ほどを私は4時起き氏と過ごしたわけだが、第1回会合での発言も含めて彼が話したことで印象に残っているものを挙げておく。

・会に参加したのは榎さんを止めるため。
・会の活動は一人になってもやる。
・安河内氏問題に会の目標を絞るべき。
・会の名称に「聖」という字を入れたい。
・ネット上で悩み相談を受けたことがある。
・ネット上で悪質ないじめに遭い多大な被害を受けたことがある。
・スブドという組織につきまとわれている。
・R記者との旅行先の行動を2ちゃんねるで実況された。これもスブドではないか。
・携帯電話会社のカウンターで携帯の不調を相談していると、自分の携帯にウィルスが侵入し画面が異常な状態になる。そればかりか店のPCにまでウィルスが侵入感染して店内がパニック状態になった。これもスブドの仕業と考えられる。

彼がどんな異常な経験をしていようと、私は気にしなかった。会の活動に真剣に取り組むことが、この時の私にとって人を見る最重要の判断基準だったからだ。その限りでここまでのところ彼に問題はなかった。私は情報というものを100%信じる(鵜呑みにするという意味で)ということはないし、そもそも彼のこういった話の真偽には関心がなかった。それは彼を信頼していたということもあるが、それよりも話の内容そのものが、私の関心の埒外にあったからだ。要は「へえ、それで?」としか言いようがないものだった。

ただし、この日、会の名称についての討議はさすがに奇妙だった。4時起き氏は、ああでもこうでもないと話を引き延ばしていた。それは、どう考えても話を先に進めたくないのだとしか思えないものだった。そもそも名称は喫緊の問題ではない。しっくりくるのが出なければ後日また持ち寄ればよいだけの話だ。それを延々と話題として引っぱるのはなぜなのか? 「やる気がないのかな?」と私はこの時初めて不信感をもった。

「一人でもやる」発言については「一人でやりたい」のではないかと思った。4時起き氏の言動を間近に見る限り、多くの人を巻き込んで活動するタイプではないと私は感じていた。彼はプロレス死亡事件の裁判にも関わっているらしいが、ほとんど一人で活動しているという。当初行動を共にしていた人たちが去っていったことについては、「いやがらせを受けてみんな心が折れ、離れていった」と彼は言った。(これはメールにも残っている)しかし、本当のところはどうなのであろうか。

6月25日以降、会の活動について拳論のコメント欄でもいろいろな噂が出ていた。また、明らかに参加者しか知らないはずの情報が、会合の直後に一つ二つ出てくることがあった。これは不思議だった。聞くところではその状況は2ちゃんねるでも同様で、その度に4時起き氏は「情報がもれているおそれがある」として掲示板のパスワードを変更する旨のメールをよこした。

また、4時起き氏は掲示板へのアクセス記録から疑いがあるとして、第1回会合にかけつけたメンバー1名を事実上アクセス禁止にしていた。

さらに不思議だったのは、第2回会合の議事録である。書記を務めたUさんが起こしたラフ(議事内容)を私が議事録としてまとめ、会専用の掲示板にupすることになっていた。私はそれを4時起き氏にメールで送った。7月11日深夜である。4時起きはそれを掲示板で発表すると私に返信した後、連絡してくることはなかった。そして、その後、議事録が掲示板に発表されることはなかった。

そして、(7月10日から14日の間のはずだが)、ファンの会の掲示板上で、突然ボク愛氏の除名が発表された。

理由としては、拳論のコメント欄に、独断で、会にとって不利益な書きこみをしたからということであった。

たしかにこの前後、拳論コメント欄上で、ボク愛氏とR記者との間に何らかの感情のもつれのようなもの(私にはそう見えた)が感じられた。しかし、それがファンの会の除名処分と直接つながるものとは思えなかった。第2回会合で、拳論とファンの会は別個の団体として活動する方針を確認していたからだ。だから拳論管理者との間に何らかの衝突や軋轢が生じたところで、会の運営に基本的に問題は生じないはずであった。

私は4時起き氏とボク愛氏とがツーカーの関係であると思っていたが、どうもそうではなかったらしい。彼らの背景となる人間関係もまったく知らなかった私は、この事態にただ茫然とするばかりだった。

4時起き氏は会の掲示板上で、ボク愛氏の除名に同意するかどうかの確認を求めてきた。私は同意する旨回答したが、より詳しい理由の説明を求めた。その他の人も、選出したばかりの代表の決断に賛意を表した。

それと同時に私は、ボク愛氏に対して、個人的に信頼と親愛の情は変わらない旨のメールを送った。会の合間にお話をするなかで、彼が東日本大震災への支援活動を行っていることや、在留外国人の世話、敬愛さんへの気遣いなど、彼のボクシングのみならぬ愛情の広さ深さに感じ入っていたからである。


※ 7月17日、旧徳氏が震災ボランティアの帰路、東京新宿に立ち寄り、ウチ猫氏、U氏、私とで小さな会合を持ち、情報交換をしている。

「いやまじで」さんからの寄稿 (三)

2 7月1日襲撃予告メール事件

ファンの会のサイトにR記者に対する襲撃予告メールの報告があがったのはいつだったろうか。もうサイトが残っていないので確認はできないが、第1回会合が6月25日で、7月1日の前日には連絡を受けているはずだから、6月26日から30日の間であることは間違いない。

私の記憶では、4時起き氏がファンの会のサイトにその情報をアゲ、R記者を暴漢から守るために協力できる人は後楽園ホールに7月1日に来るようにと告知していたと思う。私は仕事の空いた日だったのでホールに出向く旨を書きこみ、当日を迎えた。

なおJBC事務局長安河内氏については、すでに6月28日に降格処分がJBCから発表されていた。しかし、JBCの組織内には留まることや調査に相変わらず不透明な点が感じられたことから、予断を許さない状況であった。

7月1日18:00頃、私はホールに到着した。5,000円の当日券を買って入場すると、第2試合が始まるところだった。

この時点でファンの会のメンバーの姿を会場に発見することはできなかった。ただし4時起き氏とはメールでやりとりをしていた。

私は南側の席で観戦していたが、やがて携帯に連絡が入り、西側通路にいるとのことで落ち合った。

西側通路の選手控室入口に付近の観客席最後列にR記者は陣取っていた。その背後の通路で我々すなわちボク愛氏、ウチ猫氏、4時起き氏、私の4名が陣取り、万一に備えていた。もっとも、試合中にR記者を襲撃するようなことはまずないことは、ボク愛氏はじめほぼ全員の頭の中にあったであろう。相手が業界の人間であったなら、興行を台無しにするようなことはさすがにするはずはないからだ。

試合の合間にR記者の隣にJ氏が移動してきて、ひとしきり何かを話していた。後で聞いたところでは、「おまえ、すごいなぁ、安河内を引きずりおろしたじゃないか」との讃嘆の言葉があったとのこと。ただこれはR記者自身の言葉なので、どこまで本当かはわからない。しかし、当時拳論上では安河内氏についての疑惑が取り沙汰され、それを裏付けるように週刊新潮に安河内氏のキス写真(妻以外の女性との)が掲載され、ついには6月28日安河内が事務局長の任を解かれる事態に至っていたので、私としてはJ氏とR記者との間にそのようなやりとりがあっても不思議ではないとの印象を持っていた。

ちなみに試合が進行する最中、ボク愛氏が「(襲撃予告そのものが)ないと思うんだけどね」と何度か漏らしていたのを私は聞いた。その時私はボク愛氏が希望的観測として口にしているのだろうと解釈していたが、当時ボク愛氏はより詳しい経緯を知っていて、それ故「襲撃予告メール」なるものに信憑性を認めていなかったという。それは後に語ったことではあるが。

最終試合が終了すると、R記者は帰路につく。要人警護の経験のあるというボク愛氏が先に立ち、ウチ猫氏、R記者、4時起き氏、私の順で、エレベーターを使わずに、非常階段を使うべくホールのロビーに出た。

そこでちょうどKジムの会長と出くわした。我々が出た位置のほぼ正面にK氏がいたのである。拳論上ではE批判が記事においてもコメントにおいても満載されており、そこではE擁護の最右翼として見られていたK氏。またK氏自身も拳論に頻繁に抗議・反論・反撃の書きこみをしている様子に見えた。少なくとも当時はそのようなイメージが拳論ファンには刷りこまれており、それは私も同じであった。そのためこの日の襲撃メールについてもKジムサイドの人間の手によるもではないか、いや、それでまちがいないであろうとの憶測が私にはあった。

そのK氏と出くわしたことで私はちょっとした衝撃を受けながら、われわれはK氏を避けて非常階段に入り、一気に下まで降りようとした。途中通行禁止区域を迂回しながら2階まで降り、東京ドームホテル内に入り、地下駐車場に通じるエレベーターを目指す。すると、またもやK会長が今度はエレベーター前に姿を現していた。周囲に関係者や部下らしき人物は見当たらなかった。一人であったと記憶している。

私はここでかなり驚愕した。偶然にしてはあまりにも…。われわれは来た経路を引き返し、エスカレーターで階下に降り、そこから地下駐車場に向かった。

なんとか地下駐車場にたどり着くと(後に4時起き氏は駐車場にもK氏がいたと私に語ったが私は見ていない)、われわれはボク愛氏の車に乗りこみ、とりあえず落ち着けるところへ行こうということになった。私の帰宅方向を気遣って新宿方面の案も出たが、東京駅なら時間的にあまり変わらないことと、他の人にもアクセスがいいということで、東京駅に向かうことに。

この車中でも驚くことがあった。4時起き氏が携帯で2ちゃんねるをウオッチングしていると、われわれの車が今どこを走っているかを何者かが刻々と書きこんでいるというのだ。しかもその内容は逐一正確であった。今飯田橋、今は大手町、東京駅で見失う、といった具合だった。またその最中にR記者は習志野警察署に携帯で連絡を取り、この日は結局何事も起きなかった旨の報告をしていた。

東京駅の地下駐車場に車を置いて食事をすることに。日曜の午後10時過ぎで、付近に手頃な店がなく、結局東京駅丸の内側の駅の並びにある飲み屋に入る。

ここでわれわれは1時間ほど過ごす。話は勢いファンの会のことに。ボク愛氏はこの会において選手をふくめた業界関係者との交流を盛んにしたいという持論を口にした。これについてR記者は特に反応していなかったように思う。R記者はここで安河内氏の京都でのフグ屋での領収書をいかにして入手したかを語った。それは安河内氏らが利用した店にR記者が連絡をとり、「領収書をなくしたので、もう一回書いてほしい」と店側に頼みこみ、店が再発行したものを後日入手した、というのである。ボク愛氏はこれについて「捏造」ではないか、「ファンがこれを聞いて、(R記者をはじめとする安河内氏追及サイドを)信用するだろうか」と思ったと後に語った。これについての私の考えは、証拠を入手するためなら正当化される範囲の行動であろうと考えていた。ただし、当初より感じたことだが、そもそも2万円程度の額で、どこまで疑惑として追及できるかのか、ということはあった。中小企業の交際費としてもそう高くない額である。当時の私はその背後により大きな不正経理の影を見ていたのである。

魚料理が多かったので、その残りを自宅の猫へのお土産にと、R記者は包んで持ち帰った。この時のR記者についての印象は、テンションが高く、拳論で見せる通りの愛猫家というものであった。

11時過ぎに店を出て、私は東京駅から電車に乗るので他の人とは別れた。R記者はその後一人で電車で帰ったという。(襲撃予告を受けた人間の行動としてはずいぶん呑気なものである。)

ボク愛氏と、R記者、4時起き氏が直接会って話をしたのは、おそらくこの時が最後ではないだろうか。そういう事態がこの先に待っていた。

「いやまじで」さんからの寄稿 (二)

1 2011年6月25日第1回会合


2011年6月25日の昼下がり、東京駅地下の「動輪の広場」前を集合場所とし、7名のボクシングファンが集った。その中に私もいた。

一行はパッキャオTシャツを目印に集まり、近くのビル地下にある和食店の個室に集合した。

簡単に自己紹介しつつ、今回集まった動機を各自が述べた。

動機 ― 全員に共通していたのはJBC(日本ボクシングコミッション)の問題。現場トップである事務局長、安河内氏の諸々の不正疑惑を追及することであった。

私自身は、安河内疑惑に対するJBCの組織としての対応が極めて不透明であり、「あまりに酷(ひど)い」、ゆえに放置できない、というのが発言の要旨であった。

JBCはプロボクシングの競技としての公平性を担保する機関であるはずである。その現場トップが不正行為を働いているとすれば、競技としてのプロボクシングの公平性が損なわれる恐れがある。これまで亀田問題などで、JBCの不可解な対応が心に引っ掛かっていた。競技の公正性に疑問を抱いたままでは、もはやボクシンング観戦をする気持ちになれない。その意味で私にとって安河内疑惑とそれに対するJBCの対応は由々しきことであった。そして、もしそれが正されないのであれば、そして、もしファンがそれに参与するチャンスがあり、それによって少しでも疑惑が解明されるのであれば…。そのように考え、馳せ参じたのである。私は一つの頭数であればよいという気持ちであった。

その日の会には、北海道から1名、九州から1人、神奈川から2名、都内から3名が集まった。

いずれも自称ジャーナリストR記者が主宰するボクシングブログ「拳論」のコメント欄に投稿する常連の皆さんである。その日集まったのも、その「拳論」で情報を得、「拳論」でつながり、いわば「拳論」の下に集まった皆さんと言ってよい。

私自身は、JBC問題がマスコミに取り沙汰され、拳論においても議論が沸騰していたこの時期、榎氏がJBCにアピールに行くとコメント欄に書きこみをされたのを機に、駆けつける旨のコメントしていた。

榎氏とは、フェザー級の元OPBFチャンピオンにして元日本チャンピオンである榎洋之氏である。榎氏は現役最後となった試合において、悪質な反則行為があったとして、異議申し立てをJBCに対して行っていた。レフェリング技術の改善について事務局に出向いて訴えていたのである。私は経緯の詳細は存知あげなかったが、JBCの正常化を訴えるという点で軌を一にするゆえに、行動を共にしてよいと判断した。また、それまで榎氏のコメントを拝見し、その直截な物言いがともすると乱暴に見えはするが、ボクシングを見る目、愛する心に曇り無しと感じたからでもある。

そんな折であった。拳論のコメント欄上だったと思うが、ファンの会立ち上げを告知するコメントがあり、そのサイトのURLが載った。早速メールを送り、参加の意思を表明すると、返信のメールをもらい、会合の日時について連絡をとることになった。サイトに入室するためのパスワードも教えてもらった。パスワードによる入室は、サイトを立ち上げ、後に会の代表に選出されることになる4時起き氏の発案のようだった。

こうして連絡をとり、6月25日に7人のボクシングファンは集結したのである。

(このネット上のサイトは12月まで存在したが、2012年1月に削除された。もちろん立ち上げた当人である4時起き氏の手によるものであろう。現在は次のような状態になっている。

http://megalodon.jp/2012-0208-2059-25/e.z-z.jp/?boxinglove2nd

この日の議事録もこのサイトにupされていたが、上記の事情で現在は閲覧できない。)

特に司会や議長は決めなかったが、そもそもこの会合の準備を進めたらしいボク愛氏と4時起き氏が主導して話し合いは進められた。

私たちは、各自の動機を述べた後、今後の活動について意見を交わした。

諸氏の話で印象に残っているのは、ボク愛氏がボクシングファンの声が業界に届く日が来たと、この日の集まりを非常に喜んでいたこと、また、4時起き氏が安河内氏について「人間として許せない」「一人になってもやる」とJBC問題に向けて強固な意志を示していたことである。また彼は「今日は榎さんを止めに来た」とも発言していた。どちらかというとボク愛氏はJBC問題に限らずファンの声を業界に伝えたい、そのため業界との信頼関係を大切にしたいというスタンスだった。一方、4時起き氏はJBC職員から提出されたという20か条に渡る安河内氏の疑惑を把握しているとし、これについてJBCに対して質問状を出し、それに対する真摯な回答が得られない場合はファン無視としてマスコミ等に訴えていくという戦略、強硬姿勢であった。

当時の私は4時起き氏に賛同できた。JBCが疑惑の調査に対して内部調査でお茶を濁しているとの印象を強く持っていたし、JBC問題解決のために動こうとしない業界に対しては不信感しか持ちえなかったからである。デモ等の抗議行動で世間の注目を集め、固い扉を開かせる以外には問題解決の方法は考えられなかった。また、個人的にはたとえメディア等に取り上げられずとも、行動は起こしたいと思った。その事実を残すことがまず必要だと感じられた。それゆえ、デモのための準備も進めていた。

各自の話と意見交換が一通り済んだところで、開始から3時間ほど経過していた。明確な決定事項のない形であったが、次回の会合で会の形や活動目標を決定しようということになり、一旦会場を出ることになった。連絡先の交換をし、今回はまずは顔合わせというところであった。

その後、一行は近くの喫茶店で2時間ほど過ごす。ここではJBC問題に限らず、ボクシングについて各自の思いを語り合った。第2回会合での再会を期して解散したのは夕方近くだったはずである。

「いやまじで」さんからの寄稿 (一)

このブログを始めたきっかけの一つが、ボク愛回想録の中でも多くのスペースを割いて書かれている、拳論発の「市民団体」であります。
ここでは、その参加者のお一人である「いやまじで」さんの視点から、当時を振り返っていただきます。


ボクシング・ファンの会 集散の顛末 by いやまじで

はじめに


2011年6月25日、拳論発のボクシング・ファンの会が結成され、それが消えた。以下は、一人の参加者から見たこの出来事の顛末である。

実際あったことは次の通りである。

1 6月25日第1回会合
2 7月1日襲撃メール事件
3 7月9日第2回会合
4 その後のメ-ル交換
5 12月決別
6 雲散霧消の後

これだけでも十分である。委細を読んだからといってより事態が分かりやすくなるとは限らない。私たちは、2度の会合を持ち、代表を選び、その後代表が会を放置し、会員もそれを放置した。すこぶる締まらない話だ。

それ以上に詳しいことを知りたい方が読んでくださるとよいだろう。

何のためにその詳細を書くのか?

あの日集まったボクシング・ファンたちに、その後の報告をしたいということ、そして、世の中には困った人たちがいるということを知らせるということ、その2点である。

まあ自分のケツを拭きたいというが一番正直なところかもしれない。

私が書いたものが、ボク愛氏の回顧録の理解を些でも助けることになれば幸いである。

07/21/2012 いやまじで

完敗・・    それでもボク愛

「ひとつひとつ答えましょう」
勝又氏は私の挑発的ともいえる質問にひと睨みした後、淡々と話し始めました。

「先ず私の拳論への投稿に際しては勝又プロモーション代表 勝又 洋と明記してあります。それ以外の投稿は私ではありません。誰かが私になりすまして書いたものと思われます。拳論さんにはその事を指摘してなりすましをやめるよう、また削除依頼もしております。その事(なりすましかどうか)は拳論さんが良く分かっているはずです。コメントの管理をされているのですから」

続けて7月1日に何があったのかを説明した後、問題の襲撃メールについて聞きました。

「7月1日芹江・瀬藤戦の興行でしたね。その日は私もホールに行きました」
「あの日は・・
これまで拳論でのなりすましが一向に止まない為、メールにて再三抗議をした事はありましたが、なしのつぶてでしたから直接会って話しをしたい意向はありました。私はK記者とは会って話をした事がありませんでしたので、Sプロモーターが彼と懇意にされているとの事でしたからSさんに仲介をお願いしました。それぞれスケジュールを調整した後、あの日、7月1日に(3人で)会おうかという話になりました。これは無用な騒ぎを起こさない為です。その事はSさんからK記者には勿論伝わっていたはずです。それがどこでどうなったら襲撃メールなどという物騒な話しになるのかまったく解りません。
しかし、あの日はSさんも興行でずっと忙しかったですし、私も挨拶などで走り回っていましたから、結局は実現しませんでした。

あの日の真相といえばそれだけです。

例えばの話し襲撃してやろうなんて事を本気で考えたとしたら、わざわざメールなんかしますか?ふざけた話です。
その裏で(ファンを巻き込んでの)そんな事があったなんてことも知りませんでした。」


それとあの日、N選手がK記者にストーカーまがいの行為をしたとの噂がありましたね。

「知っています。しかし冗談じゃありません、Nはウチの大事な選手ですよ。その選手を使ってストーカーだなんていくらなんでもあり得ないでしょう。あの日Nは試合を間近に控えてましたからジムで猛練習してましたよ。今ここに本人を呼びますか?」

これまでは冷静に話されていた勝又氏でしたが、N選手のこの話しになった時にはさすがに語気は荒くなっていました。
当然です。
手塩にかけて育てた選手に事実無根の中傷が投げかけられれば黙っていられるわけがありません。私は非礼を詫びました。

しかし、まだまだファンの持つ疑惑は晴れません。
「一歩も退くものか・・」私の執拗な質問攻撃は続きます。

勝又氏は一つ一つ丁寧に、そして包み隠さずに答え話しを続けられました。
その話題はY元事務局長との関係、亀田家との出会いと今に至る経緯、そして何故応援するのか、有名選手移籍問題の真相、噂される団体との関係とその真相など拳論の読者なら皆が事実を知りたいと思ったであろう事柄ばかりでした。それは過去の思想事件の真相にまで及びました。
主義主張の違いはあるものの、真摯に応えられるその姿は実に潔く、私も次第に襟を正さざるを得なくなっていました。

いつしかそれはネット上の勝又氏への誹謗中傷によって作られた幻影を取り除き実像に迫るものとなりました。ファンの心に積りに積もった垢を取り除く作業ともなりました。

午後8時過ぎから始まった勝又氏との会談はジム内で約2時間、更に場所を替えて朝5時過ぎまで延々9時間にも及びました。
これまでの鬱憤を晴らすかのように勝又氏の語りは止まりません。
私もこの6年間の思いの丈を全てぶつけました。
互いに真剣勝負の長丁場ですから、私にとっては頭が痺れる様な展開もありました。
それは一片の曇りも無い、ケシ粒ほどの嘘さえ入り込む余地の無い、実に研ぎ澄まされた時間でした。
しかし、それでもこの数年間をたった一晩では語り尽くせる筈も無く、再会を約束していただきました。

当たって砕けろと特攻隊の覚悟で臨んだ会談でしたが、終わってみれば勝又氏のボクシングや選手に対する愛情と、懐の深さ、男としての器の前に完敗でした。

私はむしろ清々しさを全身に感じていました。

当たって砕けろ!・・  それでもボク愛

平成23年11月8日 午後8時  於 勝又ジム会長室

私とNさんはほぼ予定時刻に到着しました。

「それでもボク愛は私です」と名刺交換のあと、これまで拳論に情報を流してきた事、
特に夕刊紙の記事(スパーリングパートナーによる亀田負ける発言)についての取材方法に問題ありとされた件について、これは私の情報によるものでしたので「やはり、あのやり方については私の方に問題がありました。拳論のコメント欄で勝又さんが反論された内容は概ねの部分で筋としても正しいと思います。当時は完全に冷静を失っており、それどころか砂上の楼閣などという別のHNでさらに反論や批判を繰り広げました。この一点をまず謝罪しなければなりません。ただ記事の内容について(私の情報部分)は事実であります」

「事実かどうかを問題にしているのではありません。問題は拳論のコメント欄でも提示した通り、公式な記者会見なり、取材申し込みをするなど正当な取材方法だったならば文句は言いません。むしろ試合を盛り上げる事になるならば個人的には良いと思いますよ。しかしその発言をしたという選手はこちらと一定の契約下の選手ですから、いかにプライベートな発言としても、選手本人の承諾もなく記事にするような勝手は許されません。仮にもジャーナリストと彼は名乗っているわけですから。私としては正当な抗議をしたまでです」

(この中の当事者である選手はスパーリングパートナーとして来日する以前に、日本では3戦(2勝1分)している外国人選手で私とは言わば義兄弟の間柄でした。その彼が亀田兄弟のスパー相手として来日するなんて・・これも私の因縁だったのでしょう、何から何までが重なりました。彼は弟分のようなものでしたので、彼には事後報告でもいいかという安易な判断でした。実際この証言については日本のメディアが取り上げる事は後に彼には伝えており、これまでのようにK記者にとって二次情報にならぬように国際電話での取材が出来る段取りもしました。K記者はその経歴から英語も堪能と私は思っていましたので、それほど難しい事では無いと思われましたが結局は実現していません)

さて、謝罪すると言った一方で私のその後の態度はまったく真摯なものではありませんでした。

互いに初めて顔を突き合わせ、事の発端を話し終えたところでとりあえず選手紹介(挨拶)は終わった・・私は先制攻撃をしかけるべく、間髪入れずに聞きました。

「ところで拳論でのボクシング振興会なるハンドルネームの書き込みは勝又さんご本人ですか?
その後も勝又名義での書き込みもありましたが、その内容はあまりにファンを愚弄するものと思いますが?」
とたたみかけたのです。

それはまるで初回のゴングが鳴りグローブタッチを拒否していきなり殴りかかるような、あるいはリング上の相手の前で腰を振り、舌を出すような行為だったかも知れません。

しかしその質問はいずれ率直に聞かなければならない事でしたし、それとネット上で噂される人物像そのままの人なのかを確かめるには手っ取り早い戦法でした。
絶対にはぐらかされてはいけない、得意のガチンコ勝負を挑むのだ・・
一触即発が予想された会談のこの第1ラウンドに全てを賭けたのです。

この時、同行して頂いたNさんは「今日は無事には帰れない」と覚悟を決めていたそうです(笑
私は初めから特攻隊の覚悟でいましたので、平静を装いましたがすでに頭の中は沸騰しており、Nさんを巻き込んでいる事などスッカリ忘れていたのです。
Nさんにも本当に申し訳なかったです。

さて、勝又さんといえばそんな挑発野郎の誘いに乗る事も無く、実に淡々と話し始めました。

続く・・

奇跡的な会談・・  それでもボク愛

私の心象風景の中では誇張では無く、それは生涯の敵として決して交わる事など無いと思われた人物との会談でありました。 
それはその人物も、もしかしたら同じように思われていたかも知れません。
しかし、このままではいけないとはずっと考えていました。
この日、この会談に向かう前にある方にメールを送りました。
一部氏名の部分を伏せており( )内は補足部分です。

 さて、長くなりましたが今日の本題です(笑
ある人物を介して「会いたい」と接触をしてきました。断る理由も無い、というかむしろ聞きたい事が山ほどあるので今夜勝又ジムに行き会って来ます。

証人として○○さんに同行してもらいます。

拳論的には(コメント欄での)ボクシング振興会での書き込みが本当に彼自身なのか?
それが本当ならばファンを愚弄する(数々の)コメントは如何なものか。
7月1日の(N選手によるK記者)ストーカー(疑惑)事件について。これは○○の捏造と確信しますが、○○をストーカーしたといわれるN選手本人がいれば直接聞きます。

またこの日に向け○○に送られたとされる襲撃予告メール(回想録「ファンが盾となった日」参照
)は本当か?

何れは亀田問題総括の過程で会談したい希望がありましたので、僕としては願ったり叶ったりな訳です
が、業界の中でもあまり評判のよろしくない人物のようなので、はてさてどうなることやら(笑

また、対立からは何も生まれない、対話によって解決すべき、が僕のモットーなので勝又氏の主張に一分でも同調出来る部分があったとしたら、多くのアンチ亀田を敵に回す事になるでしょうか(笑
まぁ、まずは対話の出来る人物である事を祈ります。こちらも忙しい身なので(笑
無事に帰って来られたら(これも冗談です)今夜内容をメールします。
 

私は平和協定に赴くのではなく、むしろ新たに宣戦布告までするつもりでしたから、誰かに伝えて自らの退路を断つ思いでこのメールを送ったのでしょう。
しかし、当時の私の精一杯の強がりがこの文面からは伺えます(笑 

続く・・

都内某ジム会長と・・  それでもボク愛

昨年の7月下旬だったでしょうか、都内のあるジムの会長さんから突然の連絡をいただきました。

私はその会長のある選手の激励にジムを訪れた事が一度だけありましたが、それ以前に名刺交換をさせて頂いたほかは、特別な接点があるわけでもありませんでしたので正直驚きました。
「何だか大変みたいですねぇ。それはそうと近くまで行きますので会いませんか?」
ジムの会長さんがただの一ファンに過ぎない私に「何だか解らないけど」会いに来て下さる。初めてのことです。お断りする理由などありません。
その日の内にお会いする事になりました。

その会長は豪放な中にも常に思慮深く物事を冷静に見ていらっしゃる方と私はお見受けしました。
私は物怖じしない性格と自分で思っていますが、さすがに緊張は隠せません。

「いやぁ、特に理由がある訳じゃないんですが、たまには食事でもと思いまして・・」

こう切り出された会長でしたが、わざわざ私の所までマネージャーさんと来られたわけですからそんなはずはありません。
世間話に近い話しをした所で、私の緊張も解(ほぐ)れたと感じられたのでしょう。
「ところでスブドって知ってますか?」
私が聞き知っている所のスブドは架空の物ではないか?と考えていましたのでこの問いには椅子から飛び上がりそうになるほど驚きました。私やウチ猫さんが経験したスブドに関わる件(くだり)は以前の回想録「茶番劇 市民団体の舞台裏」の後半部分に書きましたので参照してみてください。あまりにくだらない事件でしたが・・
さらに会長は・・

「そのスブドって彼らがいない所では何故か出て来ないんでしょう?何でですかねぇ?」

私はスブドなんてものは既に信じていませんでしたが、彼らとは全く関係の無い業界の人が「その事」を知っていた事に先ず驚きました。そして意気消沈しているであろう私に「騙されてはいけませんよ」との忠告と激励をしに来て下さったと思い心の底から有り難く感じられました。

後日、この会長は「(あの時は)まったく他意はありませんでした。ただ皆が仲良く出来たらいい、(ボクシング界全体の為に)協力し合えたらいい。(私が願う事は)それだけです」と仰られましたが・・。

様々ご教示下さったこの会長は私にとって恩人であるとさえ思います。

私はこの方にこれまで亀田サイドの情報を拳論に流していた事を正直に話しました。
如何に自分の中に義があると思えども、自身が拳論の影に隠れてしたことが男として恥ずべき事であり、このままでは生き心地がしない事。
ボクシングに対するファンとしての主義主張は変えられないものの、亀田サイドには一点謝罪しなければならない事があること。
それと私が一貫して批判を加え続けたKプロモーションK・H代表(当時)に会って7月1日の襲撃メール事件の真相を聞かなければならない事。

特にK・H氏の人物像については長い間、拳論のコメント欄だけでなくK記者からも「普通ではない」様子を直接聞いていましたので、刷り込みされたイメージは膨らみ過ぎて破裂するのではないか・・と思われるほどでした(笑

拳論、そしてその読者、とりわけアンチ亀田の最大の敵と思われた人物K・H氏・・
会わなければ・・会ってどんな人物かこの目で確かめなければ。会えば真実が判るはずだ。


「それぞれ主張も批判もあるでしょう。僕だってありますよ。しかし、争い事が結果的にボクシングを貶めているのが現状じゃないでしょうか。ケンカはやめましょう。今はファンもボクシング界も手を携えて進むべき時ではないでしょうか。」

おそらくは私の事をボクシングファンとして認めてくださったか。ありがたいことです。


この日から様々な課題に取り組みながら、再び仕事と睡眠時間は平均3時間を切るような時間との格闘が始まりましてこの日の思いはなかなか実現出来ずにおりました。
そんな折、また会長から連絡があります。

「ご無沙汰ですが、この前はK・Hさんに会いたいって言ってましたよね。先日会場でお会いした時にその旨伝えたところ先方も会いたいとの事でしたので携帯番号を教えてもいいですか?」

翌日、私の携帯電話には少しかすれた、それでいてドスの効いたイメージ通りの人物の声は伝わって来ました。

「はじめまして、勝又です・・」

私にとっては奇跡的な会談がいよいよ実現します。
忘れもしない昨年十一月八日の事でした。

続く・・

友人の事・・・・  それでもボク愛

その後の私と言えば、ファンの決起を実現する為に仕事を放り投げて走り回っておりましたので、滞った仕事を全力でこなしながら、榎さんの問題を協会に提出するべく友人らの協力を得ながら準備を進めていました。また家庭人として、そして傷ついた友人の為に時間と格闘していました。この友人の問題は市民団体とはまったく別の背景でしたが、時期を同じくした為か、はたまた私を標的とする為に利用されたのか、ネット上では同時にその攻撃は始まりました。
当時の経緯は一から十までを知っていますので機会があれば書きたいと思います。

さて、その攻撃とは2ちゃんねる掲示板での事で、私に対して繰り返される中傷は私のリアルな人間関係の中に影響を与えるようなものではありませんでしたので、気にも止めませんでしたが、しかし私の友人らに対する事実無根のそれはエスカレートする一方で心を痛める日々は続きました。友人の悲痛な叫びはやがて怒りと変わり私にも向けられました。
しかし、それも仕方の無い事です。友人として彼を守る事が出来なかったからです。
人間としての感性が人一倍強く鋭い彼は苦しみました。それは熾烈を極めました。
それ以上は書けません。彼がまたいわれの無い誹謗中傷の的となる事は明らかだからです。
今は誰の助けも借りず一人で立ち上がろうと必死の彼を私はただ見守る事しか出来ません。

偏見があります。心の病を言い訳にする人もいます。
しかし、それ以上に普通を振る舞い、健常を装いながら、なんと病んだ人のいる事か。

一部のネット上での誹謗中傷は本当に悲しく、現代の病巣を見る思いです。
現実の生活や人間関係に生き切る覚悟の無い人は架空の世界に逃げ込むのでしょう。
批判を恐れずに言えばその人らはその世界だけで生きていればいいんです。
リアルな人間関係や私たちの愛するボクシングに関わらないでほしい。
彼らのそれは現実生活にリアルな人間関係に矛盾しか生みません。

その矛盾のスパイラルを抜けだそうとするのではなく、ひたすら隠そうと必死なようです。
それはあまりに滑稽な姿に見えます。むしろ憐れみさえ感じます。

人は蹉跌の後に学びます。
しかし、彼の人らの後には私には人としての破綻しか見えません。

ありのままでいいじゃないか!
笑われても転んでも再び立ち上がって、そこに嘘さえなければ「人」は二度と笑わない。

市民団体の続き・・除名処分  ・・それでもボク愛

さて、市民団体となったファンの集いでしたが、私の発言で紛糾させることになりました。
それは表層的には私と4時起き氏の意見の対立という構造に見られました。

既にY事務局長は降格処分となっていましたが、このY問題で指摘された不透明な資金の流れや愛人雇用問題などについてJBC理事会で設けられた特別調査委員会の報告や処分決定は到底受け入れられないものとして拳論の記事でも取り上げられたと記憶します。
つまり疑惑に対し内部告発したものの、調査委員会はそれを裏付ける確たるものはなかったとした訳ですが、それについて要は「甘い!」というわけです。
喧伝された根拠の割には受け手としてのファンの中に不透明感が残ったのは事実でしょう。
世論に訴えるという意味では告発側の戦略は当たった。
この不透明感について「更に調査をして全て明らかにせよ」というのが市民団体の主張骨子でしたし、これから巻き起こす抗議行動の根拠でもありました。
私もそれに賛成をしましたが、しかし、この時点ですでに監督責任のあった理事は解任、事務局長は一般職員に降格という処分が下り、新しい専務理事の選出と後任の事務局長にはM氏が再任されておりましたので、この新体制を今は見守る時ではないのかとの思いはありました。

この推察は告発側を応援する立場としてもこの時点では正しかった事を明かしておきます。
会合の翌々日、試合役員の方から電話で話しを伺いました。
「具体的にはファンの抗議は大変有り難いのですが、新体制になったばかりですので的を外すとまずいと思います。今はとにかく関心を持ち続けていて欲しい。これを絶やさぬようにお願いしたいです」
このメッセージは勿論、代表となった4時起き氏には伝えました。

私は市民団体としてさて具体的にはどう行動すれば良いのかを思案していましたが、にわかに拳論での発言が大問題とされそれどころではない事態になりました。

4時起き氏とは何度か電話やメールでのやり取りがありましたが、拳論サイドの怒りが収まらなかったらしく、私の存在があるかぎり「会として存続出来ない」とまで言われましたので腹を決めるしかありませんでした。

私は7月9日未明の書き込み以来拳論を見ていませんでしたので、拳論の中で何が起こっているのか皆目分かりませんでしたが、この時点で何が何でもファンの会を市民団体にしなければならない理由がおぼろげに見えて来ました。拳論に依存しない独自の会であると強弁する4時起き氏、市民団体でなければ情報は提供出来ないというK記者。
後日、この市民団体について当時のメンバーと総括をする事にになった時、このお二人には始めから「市民団体という名を借りた拳論の外郭団体構想があったのではないか?」「もっといえばK記者の親衛隊を作りたかったのではないか?」とさえ言う人もいました。
これは実際に聞き確かめた訳ではないので断言は出来ませんが、7月1日の「ファンが盾となった日」などの経緯を見れば、なるほどと思わざるを得ません。

しかし、会の運動の邪魔をするつもりなどは毛頭ありませんでしたので、騒動の幕引きをするべく、代表にはいくつかの提案を致しました。先ず私を処分して組織作りを急がれます事。万が一私の意見に賛同する方がいた場合に後々禍根を残さない為に処分に対しては慎重に、そして全員の決を取られます事。その根回しは私自身がやる事。榎さんの問題は会の主旨とは異なるので私が個人的に引き受けさせて頂く事。
真剣に会と向き合っていただけに心残りはありましたが、会を外れても自分の出来る事で協力は惜しまない事も約束しました。
しかし私の進言は無にされ、数日後には「代表の権限において除名処分とします」との告知がサイト上と拳論にされました。
そもそも処分を願い出たのは私ですし、これで拳論の面子も保たれるだろうと考えましたが、やはり段取りを無視したやり方には疑問を感じます。これは我が身可愛さに言うのではありません。
代表となった4時起き氏の組織運営能力に多少なりとも疑問が投げかけられる事を危惧したからです。

「この人は人心が解らないのだろうか?血の通った組織を作ろうなどという気は無いのだろう」
どうであれ混乱を招いた責任の私のせめてもの思いで、市民団体をそれでも守らなければとの一心からの忠告ではありましたが・・

その数日後、私の全く身覚えの無い事でいくつかの問い合わせが来ました。
「ボク愛さん、(ボクシングフレンドなる)別団体を作ったのですか?」これには驚きました。
出処はどこですか?と聞くと「2ちゃんねるで会員を募ってますよね?」「拳論のコメント欄にもありますよ」
たしかに4時起き氏から「ボク愛さんの支持者もいますから別組織を立ち上げてボク愛さんの考える運動を拡げて欲しい。将来大連立の可能性もありますから」との提案を頂きましたがこちらはそんな事を考える余裕もありません。
それが書かれているという箇所を見ると、確かに私の拳論でのハンドルネームを使っての書き込みがありました。

いわゆる「なりすまし」です。

しかもその内容たるやいかにも私自身が書きそうな論調で、ファンの会ミーティングや東京駅近くの居酒屋で私が実際に主張した一部分が書かれていましたが、しかし如何に私の言質を継ぎ接ぎしようとも、その論旨自体がズレまくっていたので、読者からは一瞬でなりすましと見破られていた事には思わず笑ってしまいました。
もう少し上手に書いて頂ければたとえ2ちゃんねる上の事だとしても、私としても直ちに本気になれたのになぁ・・(笑


この時からこの掲示板では私や私の友人に対する事実無根の誹謗や中傷、個人情報の漏えいが始まりました。
そこにはある「特定の人物ら」しか知り得ない情報が幾つも含まれていましたので、私の中では疑惑と言うよりも確信に近いものが残っていますが、『今』はまだ公けにはしません。


中傷は延々と数ヶ月に及びましたのでさすがに地元のボクシングを知らない友人らまでが「法的措置を取るべき」と騒ぎ始め、この対応に追われる事になりました。

「いつかは明らかにするので、それまでは静かにしていて欲しい」「これは僕だけの問題ではなくなっているから・・」


さて前後しますが、「除名」が代表の権限によって決定事項とされ、周辺が賑やかになり始めた中で、私は4時起き氏に次のようなメールを送りました。7月中旬の事だったと思います。
(原文の一部名前の部分は変えてあります)

4時起きさん、どうもです。
サイトでも自ら明確に辞意を表さなかったのは「処分」という形を待っていたからです。
ですので一向にかまいません。

ただ「拳論を(世論を)扇動した悪者と位置付けるコメント」という部分はいささか無理はないですか?それよりも方向性が違うと明確にした方が良いと思いますが。
ウチ猫さんやいやまじでさんから連絡を頂いておりますが
今回の責任は全て僕自身にあり、会として一致団結して進まれるようにと伝えてあります。
決を取る段取りを経て発表されます事を進言します。

それと気になるのは不可解な工作です。
何か拳論と修復不可能な状態に追い込む意図的なものを強く感じます。
大きな騒ぎとは何でしょう?
4時起きさんはこれまで通り一人になってもと仰るでしょう
が、やはり人は大事です。
むしろ会として結束を固める良い材料にして頂きたい。
拳論もここ数日見ていないので理解に苦しみます。
2chや拳論コメント欄での事でしょうか?
4時起きさんは何か知っているのではないですか?
Kさんと4時起きさんの信頼関係があれば乗り越えられないはずは無いと思います。
僕が降りても会として修復出来ないと言われるならば、それもおかしな話です。

それとサイトを立てて別団体などと、まことしやかに噂さされておりますが、そんな考えは毛頭ありません。スキルがあればとっくにやってます(笑



さてさて、こうして除名処分はなったわけですが、私には榎さんの主張する問題が課題として残りました。
手を挙げたものの難題であります。
彼の主張が市民団体決起への大きな弾みになった事は間違いの無い事で、これを放りだし、あるいは無視する事は私には出来なかったのです。
一人のボクサーの訴えは一年経っても変わりませんし、ボクサー榎洋之のファンとしてこれからも一緒に考えて行きます。
別の記事で問題とされる試合を取り上げ検証をしていきます。


この章も長くなりましたが、もう一つ書いておきましょう。

市民団体が結局のところ有耶無耶になった数ヶ月後、驚くべき工作の事実が発覚します。
私の知人あるいは友人らに、「ボク愛が拳論の個人情報を流している」「ボク愛が○○ジムのスパイだった事が判明したので除名とした」などという事実無根の内容のメールが送られていた事を知りました。
当人らが「そんなメールは送っていない」「言ってない」などの言い訳をしたとしても、もはやそれは通用しません。

これは事実無根の中傷というだけでなく、私自身が半生を懸けて守って来た信義と人格を冒涜し侮辱をする極めて悪質なものです。
自らの綻び始めた正当性を強弁したいが為にこの様な虚偽の工作をしなければならないとは、何と己れに自信が持てない人らなのでしょうか・・人をこれ以上弄ぶことはもう止めた方がいい。
虚偽や欺瞞はいずれその人自身を破綻させます。これは最後の忠告です。

悪童・・榎 洋之さんのこと・・  それでもボク愛

誤解の無いようにしておきますが、「彼」を悪ガキと言うつもりはありません。
悪童とは一般的には手のつけられない悪さをする子供という意味ですが、私は彼には敬意を持ってそう呼びたい。純粋で邪気の無い言動はしばしば大人達を困惑させます。
人類みな平等とうたいながら現として存在するヒエラルキーの社会で誰も彼もが物分かりの良い人を演じ、錯覚した権威権力の人たちは人としての裏付けもないくせに尊大さを肥大させ、やがて人としての価値観や情さえも失っていると感じます。
厭なものはいや、間違いは間違いとハッキリ言える人に!と育てられた昭和の子供たちは大人の教えに忠実に育ちました。しかし自己主張を繰り返す子供は次第に煙たがられ、時にレッテルを貼られ、寂しさを感じてしまった子供は次第に大人しくなっていく。
飼い殺されるのが必然となってしまった社会で、これが大人になると言う意味ならば子供回帰してでも自身に純粋だった自分を取り戻したい…彼を見ていてそう思うのです。

さてJBC騒動でファンが問題意識を持ったのは拳論の記事でしたが、決起するきっかけとなったのは紛れもなくこの人だったでしょう。
拳論のコメント欄では我に「正義」ありとし、後に本名を明かし、盛んにJBCに対する抗議行動を促されていました。その言葉は時としてあまりに乱暴であり、文章も練り上げられたものではありませんでしたが、読み手にとってはその真っ直ぐな人格と心情がダイレクトに胸に響いてきました。
彼の登場は問題意識を持ちながらもネット上の文字だけでは身に引き当てるような現実感を持てず、いま一歩を踏み出せないでいたファンにとって、まるで風雲の中からまさかの龍が舞い降りる姿を見てしまったように妙で、そして急激にリアリティを持たせる事になりました。リアルファイターには一線を退いた後でもそのオーラには説得力があるものです。

紆余曲折のあと、友人のボクサーを介し彼と会う事になります。
彼の怒りとも言える主張の根幹は彼の最後の試合の相手であったメキシカンから受けた反則を度々見逃したレフェリーに向けられたものでした。
試合後1ヶ月以上、その反則で受けたダメージの後遺症に苦しみ、選手としての胸の内を周辺に洩らしていました。
しかし、彼によれば彼の言葉を真剣に聞く人はいなかった。いなかったと言うのは適切でない。実際のところは彼の痛みをそして怒りを同じ苦しみとして受け止める事が困難だったと言うべきなのでしょう。

彼と初めてこの件で会い、問題とされる試合のビデオ検証をした日、私は開口一番こう言いました。
「今日は榎さんが受けたという肘打ちをこの頭に喰らう覚悟で来ました。」
そうでもしなければ彼の痛みは解らないだろうと本気で考えたのです。

私自身その後、彼との交流の中で感情移入もし理解もしましたが、彼の怒りを受け止める事など到底出来ません。彼の生の言葉は一々に鋭く、時として本質を射抜く為に、いい加減な返答ではこちらが苦しくなります。「僕はプロのリングにさえ立てなかったし、僕が反則を受けた訳でもない。だから何処まで行っても榎さん自身にはなれないんです」と正直に言うしかありませんでした。

彼には美しい奥様とこれまた可愛い娘さんがいます。ある人が「榎さんの奥さまは人物ですね」と言いましたが、その通りで実に聡明で健気な方とお見受けしました。
現在の彼は月間100時間以上の残業をこなすほどに多忙な企業のエンジニアです。
昨年はご夫婦の力を合わせて東京の郊外に新築一戸建てを購入されるなど堅実な生活基盤を築かれています。
娘の話題になれば普通の父親の子を慈しむ顔が見えます。

しかし誤解を恐れずに言えば、そんな家庭でさえ癒されない心。
一面、それほどボクサーの心はボクサーである限り、リングの外でも孤独と葛藤し続けるものなのでしょう。言える事は彼は今でもボクサーなのです。

中学の頃、強くなりたいと兄の影響で始めたボクシングは、プロアマ通じて80戦にもなりました。ボクシングは彼の人生そのものになってゆきます。あまりに純粋で一途な性格はアマチュア時代にも騒動となって大人を慌てさせました。それはプロになってもそのファイトスタイルに表れ、決して退く事無い闘志で、自分自身で立てたスケジュール通りに試合を展開して行きます。
大人達のアドバイスの中でそれが親身であればあるほど、迷いに迷った時期もありました。
しかし、極めて強い我と本来の資質と弛まぬ努力は度々鮮烈な結果を持ってファンを魅了しました。

彼は口癖のように言います。
「僕はずっと命がけでやって来ました。それは自分だけじゃない。だから審判も命がけで来て欲しいんです。人間だから間違いもあります。間違ったら仕方ない。ゴメンナサイでいいじゃないですか。次につながればいいんです。」

JBC関係者に話しを聞きました。当時を知るボクサーらにも聞きました。ジムの会長さんらの話しも聞きました。協会にも聞きました。「榎君はボクシング界の宝と思いますよ」と言って下さる方がいました。「問題として取り上げるべきと」おっしゃる高名なトレーナーさんもいらっしゃいました。
しかし、総じては「ボクサーの分を弁えるべき」「審判の威厳が保たれない」「もう終わった事」という意見が多かったのが事実です。

しかし、私は本当にそれで良いのか?と思います。
試合運営役員の方々が名誉職として粉骨砕身されている事は長い観戦歴の中でありますので勿論解っているつもりです。
しかしながら、果たして権威を守る為だけに一人のボクサーの勇気ある訴えを黙殺して現代ボクシングの理想などを求められるのでしょうか?あるいは管理者が安住としていてボクシングの権威など本当に守れるのでしょうか?そして何より命懸けで戦う選手たちを守る事が出来るのか!

私は彼が彼と同じようななボクサーらの代弁者であってもいいと思うのです。

7月9日ファンの会第2回ミーティングその2・・それでもボク愛

実はこの2回目の会合の直前に、このJBC役員の方に「隠密で会合に出席して頂けないか」と打診しました。
それは集ったファンにJBC改革の熱を直接伝えて頂きたかったからです。
文字で読むよりも、人から聞く話よりも、自らの目と耳でそして肌で当事者のその熱を感じて欲しかったのです。
これが実現していればファンの会は一気に熱を帯び、市民団体として昇華する可能性があったのではないか?と今でも思います。

この時は感謝の言葉を頂きましたが、ファンを巻き込む事について一抹の不安に躊躇されたのでしょう。諸般の事情により出席出来ない旨としながら正直な言葉を頂戴しました。 

それでも気にかけて下さっていたのか、当日のこのミーティング中に連絡を下さったのです。
「会合はどうですか?ファンの皆さんはお元気ですか?」
私は会の成否の為に再度合流をお願いし、一週間後にお会いする約束をしました。
仕事でこちら方面に出向かれるとの事で、その後わざわざ私の地元まで来て下さるとの事。
当事者の熱を如何に正確にそして余さず伝えるか。
これが私の使命とまで感じていましたので、その責任と重圧に身も震える思いでした。

結果的には「何故か」これも実現しませんでしたが、この時強引にでもお会いしていれば、その後の紛糾は避けられたのかも知れません。

後日、私に関わる周辺にはある様々な工作が為されていた事を知る事になるのですが、それがどのような意図の元に行われたのかは当人らに聞くしかありません。
またこの工作は私に対してだけではなく複数の方々にもおよびました。
その構造はパターン化された行動様式のように実に単純なものですが、日常的に行われることによって刷り込みがされ既成事実化していくという方法を取っていると思われます。
ある種のカルト的戦略ですが、受け手の冷静さと社会的常識さえあればすぐに見破られるものです。
私はそれらを持ち合わせていなかったためでしょう、まんまとその術中にはまりました。
彼らは他にもこれまでに幾つかの成功例を得ているのでしょう、数々(しばしば)その手法を使っているようです。

具体的には追々明かしていく事になります。

7月9日ファンの会第2回ミーティング・・それでもボク愛

しばらくご無沙汰しておりました。
この何ヶ月か個人的に実に様々ありまして、ブログを断念する事も考えました。しかし寝ている子をわざわざ起こしてくれるような幾つかの怪メールが先日転送されまして、これが逆に私の反骨精神をくすぐる結果となりました。自分のだらしなさを隠すための稚拙な工作メールですが、私の友人らに送られて来たものです。
触らなければ良いものを・・とは他人事のように思いますが。

という訳で続きです・・


2011年7月9日ファンの会第2回ミーティング 午前10時30分 於上野ルノワール

この日は会の名称と代表選考、そしてこれからの具体的な行動が討議される予定でした。
私は初っ端から前述したように会の方向性について自分の意見を述べました。
それは「拳論がきっかけとなったこの会ですが、K記者から提出された情報を基にしながらも、自分たちの手でさらに情報収集・精査し、合議と納得の上で会としての方向性を決定すべきではないか。拳論に依存するのではなく、ファンが主体の会で無ければならないと思う」

私の中で拳論に対して既に疑念があったのは事実ですが、改革派役員の告発の一部に不適切と思われる箇所があると当時は判断しましたので、これを問題として取り上げなければ正当な議論には到底至らないだろうというのが私の考えでした。
ファンが拳論の記事によって勢いに任せて振り上げた拳ですが、もしその怒りの根拠を失った時、果たして誰が責任を取るのか。
20にも及ぶといわれる告発の根拠の内、たった一つでもその信用性が疑われるならば、それはやがて障壁となり、これから始まる市民運動の結束もままならないと考えたのです。
ましてやそれが相手陣営から公けにされたとしたら・・


これが法廷闘争ならば総じて一方に過失が認められるというような判決の可能性もあり得るでしょうし、ゴシップの世界や単なる内部抗争においては良くある情報操作の話しではあります。
しかし、これが万が一にも権力闘争の一端であるならば、そして何の利害関係もない一般のファンが真実を知らされず煽動されたとしたら・・

真実を見極める為の作業は念入りに行わなければならない。それは立ち上がったファンひとりひとりの厭わぬ労苦と責任において成されるべきです。
中心メンバーにその覚悟が無ければ市民運動など拡大する訳が無い。


正直な感想を言えば、この日それぞれの強い意志でこの会合に臨んだのは私と4時起き氏だけだったかも知れません。それは舞台裏を含めての情報にごく近かったのはこの二人だけでしたから、明確な情報や根拠の無い運動に熱が入る訳がないのです。
それをこれから固めて行くのが私の「補佐」としての役割りと考えていました。

一通り意見を述べた所で4時起き氏から「騒ぎになっています」と皆の前で一つのメールが発表されました。
それはK記者から4時起き氏に送られたというものでしたが、私が拳論のコメント欄に意見とお願いを書いた事について「看過出来ない」「管理人も怒っています」と言うような内容だったと記憶してます。ただそれだけでは、何が騒ぎで何が問題なのか、この時は皆目見当もつきませんでした。

しかし「今、拳論から情報が得られなければ会として成り立たたなくなる」という4時起き氏の発言で会の空気は一変します。
私は「それならそれでいいでしょう。自分たちで苦労してやりましょう。一方的な情報で右往左往するのはやめましょう。覚悟の時ではないでしょうか」と応えました。

冷静に考えれば私の発言も一方的で、舞台裏を知らない方々を困惑させる事になりましたし、この時点では多くの方が拳論の情報が無ければ戦えないと考えたのも無理もなく、また事実だったでしょう。
それを打破したいというのが私の本音でしたが、限られた時間の中で最低限の議題の決定ををしなければなりませんでしたので「しかしながら個人の意見とはいえ会を紛糾させる事になるならば、それは申し訳ありませんでした」と言う事で一旦は治めた形になりました。

その後の会合といえば予定通り?4時起き氏を代表に選び、会も拳論記事の後追いのような形で市民団体として名乗るといった他はこれといった熱も無く、具体的な運動も会の名称すらも決定とはなりませんでした。
この時点では拳論に対する依存を会自ら暴露してしまったわけですから、会としての主体確立は成されず、中身の無い形だけの自称市民団体が出来上がりました。

4時起き氏は拳論依存を否定しあくまでも独自路線を主張しましたが、その後の市民団体が具体的に何をしたのかを見れば、誰の目にも明白でありましょう。
彼が目指したものは一体何だったのでしょう?

会合中私は「取りあえず(代表が決まった事で)これから会の体裁を整え公けに発表する時期を急がねばならない。しかしそれまでに肝心の中身を確立しなければならない。ファンの集まりとはいえ主体者としての自覚と自立を促すスローガンと組織作りが必要になってくる。私の仕事はここだ。」と覚悟を決めていました。

そんな中、今度は私の携帯にJBC試合役員のおひとりから着信がありました。
この方については、私はボクシング界の財であると信じるお一人で、少なくとも私の中では信義があると考えますのでどなたかは明らかにしません。
しかし、「事実は事実」としなければなりません。そのやり取りだけは書かせていただきます。