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HARD BLOW !

ブログ開設に寄せて

拳論HN「いやまじで」



人を信じるとはどういうことなのか。

私は新聞やテレビやネットなどメディアを通して日々情報を得ている。情報というものは元来間接的なものであり、そこには常にバイアスがかかっている。そのバイアスを差し引いて私は真相に近づこうとする。

拳論のコメント欄に或る人から或る情報が寄せられた時に、ソースの存在をその投稿者に問い尋ねたことがある。相手は逆上したが、結局自分の所属するジム会長をソースとして挙げていた。しかし、それでいいのである。

どんなソースであれば信用できるのか。大手メディアの情報であれば無条件に信じられるなどと考える人はもはやいないだろう。これまでの誤報や不作為の例を見れば大手メディアも絶対でないことは明らかだ。しかし、私は大手メディアには一定の信を置く。なぜだろうか。

拳論の記事として掲載されていたこと、コメント欄にアガっていた事実や意見、それは玉石混交ではあったが、私は一定の信を置いていた。それは、記事の内容や運営メンバー、投稿者の言辞に納得できるものがあったからだ。それはそれなりに長い時間をかけて醸成された信頼関係というものだ。

それは人間と人間との関係である。直接会ったかどうかは問題ではなく。だから、私が大手メディアに信を置くのと、拳論に信を置く(置いていた)のと、自分の仕事上の取引先に信を置くのとは、全て同じものである。前出の投稿者が自分の所属するジム会長の言葉を信じるのも同じだ。それはもっともなことだ。

伝える言葉に嘘がなければ、そしてそれが続けば、私はその人間を信用する。しかし、そこに嘘があり、その嘘に向き合おうとしない人間にはもはや信を置くことはできない。

私は昨年6月に日本ボクシングコミッション事務局長の不正疑惑騒動の際、拳論コメント欄の呼びかけに応じ、抗議行動を起こすべくファンの会設立のため東京駅に参集した一人である。会は4時起き氏を代表に選出した後、どうなったのか。今、どうなっているのか。そのことが今、ここで明らかにされようとしている。

もちろん、会に参加した各人ごとに、事態の映り方は様々であろう。そして、ここにアガってくる文章を読む人によって、読後感は異なるだろう。読者には錯綜する情報を重ね合わせて一つの像に結び合わせていただくしかない。

(私は実名を挙げて書くつもりはない。それは泥試合にしないためではない。どうしても泥試合の可能性は残ってしまう。むしろ、書かれる側にも家族がいること、それが最大の理由である。)

私に関して言えば、ファンの会の設立に参加したことに後悔はない。私は「信ずる」ということをしただけのことであるから。まして、信の置ける数名の方と知り合うことができたのだから。

そして、ここに何かを書くことの意味については、あのファンの会のその後に興味を抱く多くの方のためというより、あの日同じように集まり、そして、もしかしたら大きな失望を味わっているかもしれない方々に、私の知りうることを伝える、ただそれを何か義務のように感じながら記す次第である。

もう一つ付け加えれば、といっても大義名分としてはこちらなのだが、ボクシングをもっと応援するために、そのために一度後ろを振り返っておかなければならないということだ。一度は後ろを振り向かなければならない。しかし、それはあくまでも前を向くためなのだ。

以上。

ボクシングマガジンへの抗議

あの忌まわしい10月11日の試合は(勿論、王者内藤選手にはまったく非はありません)、ファンの中でも注目されたものでしたから、その月(毎月15日発売)のボクシング専門誌はほぼ予定通りに発行されたと記憶します。
おそらくはこの試合結果の枠を残し、記事の校了を待っての突貫作業だったろうと思われました。

さて中学生の頃から30年以上愛読し信頼していた専門誌はこの試合について、どのような記事を書いたのか、はたしてファンの怒りを代弁してくれたのか。

期待しながら書店に走りました。
いい大人がハシタナイと思いながらも、家まで待ち切れずに歩きながら読みました。
これまでアンチ亀田の思いをよそに、亀田兄弟については好意的な記事が度々書かれていましたが、今度こそはボクシングジャーナリストの衿持にかけて書いてくれるに違いない・・

しかし、しかし、期待はあっさりと裏切られました。

記事は淡々と試合を追い結果を書いただけものでした。
記者の所感も僅かながらありましたが、それはファンがアノ試合で感じたものとは大きな隔たりがあったと思います。

その記事はM記者が書いたものでした。
「リング禍を防ぐにはどうしたら良いのか?」というテーマをメッセージと共に業界やファンに度々伝えた事もある記者で、自ら生粋のボクシングファンであると公言する人でもあります。
私は昔気質の記者が少なくなった今では、問題意識を持ち新しい感覚でボクシングの素晴らしさを伝えゆく、ボクシングの守り人なのではないか?と勝手な幻想を抱いていました。

そのM記者には直接ファンの思いを伝えたい、モノを申したいと編集部に電話しました。
幸いにも本人が電話に出られ・・私は数々の思いの丈をぶつけました。

しかし、突然の電話に戸惑ったのか、単なるクレーマーと思ったのか、M記者の回答は私には言い訳にしか聞こえてきませんでした。
私は最後まで食い下がり、このような問題が二度と起こらないように追及記事を書くべきと要望しました。
M記者はついに根負けしたのか「締め切りまでの時間が無く自分でも納得する記事では確かにありませんでした。次号で必ず書きます」と約束してくれました。
携帯電話を切ると通話時間は1時間をとうに越えていました。

「ファンの怒りを伝えたい」たったそれだけの私の思いは話しとして理路整然とはなっていなかったと思います。
しかし、M記者は返答に窮しながらも最後まで丁寧に答えようと努力はしてくれました。

次号に期待しよう。
抗議の電話や投書は私だけではないはず。
ファンが愛するボクシングの為、皆で声を上げれば変わるはずだ。

一ヶ月後、世論は亀田バッシング一色に染まっていました。

しかし、期待した専門誌の記事は再び試合をトレースして、前代未聞の反則は「若さゆえの暴走」が原因とされていました。

違う!反則を誘引したものは若さだけでは断じてない!
セコンドも反則指示をしていたではないか!
反則につながる温床がそこにあるではないか!
それを許してきた業界にも問題があるのではないか。
なぜそこを追及しようとしないのか!!

私には専門誌までもがこの現実から目を背けているとしか思えませんでした。

誰がこのようにしてしまったのか・・
怒りの炎はますます燃え上っていくのでした。

少年の頃から憧れた眩しいばかりのプロのリング、私の中のボクシングは幻想だったと感じました。初めてこの専門誌を手にした時、表紙になっていたのは具志堅用高選手が世界を強奪した鮮烈なシーンでした。同月号にはKO仕掛け人と言われたロイヤル小林選手の世界初載冠がありました。
新旧スターの登場に胸は高まり、瀬戸物の貯金箱を割ってまで本屋に走った記憶があります。
毎月の発売日は待ち遠しく、瞬く間に私の小さな書棚はこの宝物で埋め尽くされました。
日本ランキングは勿論、東洋、世界のランキング表は暗記するほど何度も目を通しました。

しかしあの日以来、特別な事が無い限り子供の頃から親しんだこの専門誌を手にした事はありません。


続く・・

前代未聞の反則

2007年10月11日 WBC世界フライ級タイトルマッチ 
王者 内藤大助(宮田)対 14位亀田大毅(協栄)

亀田家が初めて戦う日本人ボクサーとして選んだのは朴訥な人柄で人気の、そして自らを「国民の期待」と呼んだ内藤大助。
試合前から「ゴキブリのよう」と罵倒し、「負けたら切腹」とまで言って、王者に対し敬意の欠片すら見せない亀田大毅。

対戦前から舌戦の様相を越え、ヒール対ヒーローの対立軸をも越え、ボクシングファンにとっては忌まわしいほどに感情が高ぶった因縁の試合です。

当時大毅は17歳と言う若さで、日本人最年少世界挑戦という記録がかかった、言わば勇気ある挑戦となるはずでした。しかし、亀田陣営が選択した悪役路線はもはやエンターテイメント性を超えて、悪魔な存在にとエスカレートしていたと思います。
誰かの演出だとしても世間にアピールするには余りにセンスがなく、17歳の少年にここまでいらぬ負荷をかけて良いものか・・

果たして試合は、王者に翻弄された挑戦者が、中盤からレスリング行為や倒れた相手の目にサミングなど、前代未聞の反則を繰り返し、ボクシングとは言えない・本来ならば途中失格負けが宣告されても仕方ない醜悪な試合となりました。
そして更にファンを驚かせたものはテレビ用のマイクに拾われたセコンドの肉声・・
私は耳を疑い何度もVTRを見直しました。

「○マ打ってもええから」  「肘でもいいから・・」


その後、所属ジムも選手もセコンドもライセンス停止処分が下される訳ですが、到底すべてに納得はいきませんでした。
リングに上がる者は人格者たれ!などとは申しません。しかしボクシングを穢す者は断じて許すまじ!

この試合まではある程度の演出もあるのだろうと想像しましたが、この試合で演出などではない、心の底から憎んでも良い対象なのだとファンが確信に至るに充分な事件でした。

これは徹底的に糾弾しなければならない・・

再び私は義憤の炎を燃やし始めます。
思えばそれは図らずも全国のボクシングファンらと呼応するように・・

初めに私の的としたものは以前に意見書を送った事のあるボクシング専門誌でした。

続く・・

アジアの中のラティン系・・ それでもボク愛

一昨年ホールで会って以来およそ二年振りに会いました。
セブの田舎者だった彼は都会での生活に慣れたせいか、少しは垢抜けた印象があるものの、その他は何も変わっていませんでした。
今年の冬は特に寒さが沁みるというのに、ジーンズにパーカーだけを引っ掛けて店にやって来ました。
再会を歓び、ハイタッチのあとガシッと抱き合いながら互いの健康を確認し合いました。
この時ばかりは変わらぬ友情を感じましたが、私は彼にも謝らなければなりません。
彼が五年前に偶然私の店に訪れて以来ずっと親交を温めて来ましたが、その後ある事件を境にして私は拳論の密偵?となり亀田情報を流し始めたからです。

しかしこの時はまだそんな予感すら感じませんでしたし、Sトレーナーとのボクシング談義が楽しくて楽しくて仕方ない時期でした。あの頃は本当に楽しかった・・。
好みのボクシングスタイルも共通する部分がありましたし、互いに何よりボクシングが好きで好きでたまらないファンでありました。私と彼のかみさん達はすでにボクシングウィドーと言っていいでしょう。

寡黙なフィリピン人も少なからずいますが、彼は総じて底抜けに明るい民族の血統を持っていました。

これまでに亀田ジムに訪れた外国人トレーナーやスパーリングパートナーとして招聘されたボクサーら10人ほどと会って話しをして来ました。その中には後の世界王者フリオ・セサール・ミランダやニカラグアの新鋭、つい最近、ポンサクレックを打ち倒し大番狂わせを演じたソニーボーイ・ハロもいました。
彼らに会う時は私はボクシングファンであり、しかもアンチ亀田である事を初めに必ず宣言します。
その上で私の意見や批評を彼らにぶつけると、彼らからは様々な、そしてとても興味深い反応が見られます。私と同じように批判的な意見を述べる者、仕事と割り切っている者。カメダは強いと言い切る者。
その中でもSは多くの比国人ボクサーを教えて来ましたし、豊富なキャリアの中で培ってきたボクシング哲学を持っていますから、長所や短所を把握した上でトレーニング内容や試合ぶりには時に辛口な批評をします。
それはトレーナーとしての実績とプライドがありますから当然の事とは思います。

しかし、私はいつしか亀田ジムの粗を探すことに躍起になり、立場を忘れて彼らの本音を亀田批判の材料にしたのです。

Sは当時の亀田式トレーニングには心底驚いたようで、それこそ初めての文化に触れたように戸惑いを隠しませんでした。詳しい事は他のボクサーに良い影響があるとは今でも思えないので書きませんが、こんな練習方法で世界など獲れるものか・・
しかし、それはこれまでのボクシングの常識を尽く覆すものではないかとも私には思われました。


そして私はその数年後、本当に衝撃を受ける事になります。

どうであれ内藤選手に勝った興毅。
どうであれ坂田選手に勝った大毅。

最も驚いたのが昨年12月7日テーパリット・ゴーキャットジムに挑戦した時の大毅選手の変貌です。
変貌といってもスタイルが大幅に変わった訳ではありません。むしろ強豪相手に自分のスタイルで戦い切った姿に今後の可能性を感じ、試合そのものにも感動を覚えたのです。
試合はご存知の通りテーパリットが格の差を見せつけ大差判定で勝ちました。
テーパリットはこれまで日本では無名に近かい存在でしたが、いずれ必ず世界王者になると私が目を付けていた比国の強打者ドリアン・フランシスコにダウンを与えて勝っていましたので、私は大毅選手が初のKO負けを喫するか、無様な試合ぶりを晒すのだろうと思ってました。
ところが・・です。

かつて「負けた試合に良い試合など無い」と言った選手がいましたが、ファンの視線で言うと精一杯、渾身の力を出しても勝利に届かなかった試合の中にもベストバウトは有り得ると思います。
ファンはボクシングの試合に様々な思いを寄せ、ボクサーに様々な結果を求めます。
私が求めるものは、プロであるからには攻防の技術に長けているのは当然の事。
もっと求めるものは、それを超えるただひたすらに熱い試合。戦う選手の思いがこれでもか!と溢れる試合です。
少なくとも私には大毅選手の人生を懸けるような熱い思いが確かに伝わって来ました。
そしてファンの心が大きく動くものは決して勝利だけではないと、いつか亀田兄弟には伝えたいです。

しかし少なくともアノ事件の頃はこんな思いになるとは露ほども感じていませんでした。

その事件とは・・

2007年10月11日、WBC世界フライ級タイトルマッチ 王者 内藤大助(宮田)に亀田大毅(協栄・当時)が挑戦した因縁の試合で起こりまた。

続く・・