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HARD BLOW !

因縁の始まり・・  それでもボク愛

その男はにやけた顔で突然店にやって来ました。

身長は160cmそこそこですが体躯はガッチリと筋肉質で、いかにも肉体労働に向いていそうな体つきでした。
観察癖のある私は優しく声をかけ先ずは目を見ます。
言葉を掛けながら視線を逸らしたり目を泳がせたりする人は、まずはBilog(不法滞在)を疑います。

この私の習性は、しばしば不法滞在者が流れ流れて私のところにやって来ることがあり、問題を起こされると地域や比国人コミュニティに迷惑がかかる事がままあるからです。これまで十数世帯の不法残留者を帰国の途につかせたことを書きましたが、Bilogが地元の警察に検挙されると、身元についてまずは虚偽の申告をするので、警察も困り果てると私の所に連絡があるのです。
帰りたくない本人を説得するのは結構厄介で、警察署内で一晩中掛かる事もあります。
本人がそれでも応じない場合は1週間ほどで不法在留者専門の署、あるいは収容施設に移送され面会もままならなくなりますので、仕事を持つ身としては必至です。
説得が無事成功すると今度は比国の国家統計局から出生証明書(戸籍謄本)を取り寄せ、和訳して調書を完成させ、身元が確認出来ほかに犯罪歴が無ければ、検察庁で「もう国に帰っていいよ」となりまして、次は住んでいた住居に行って家財道具の整理や帰国荷物の準備です。本人は拘留されてますから誰かが動かなければならない。ほとんどの住居は安アパートで、警察に目を付けられたくない大家さんは比較的に協力してくれますので楽ですが、何か月もの家賃滞納などがあると「知り合いなんだからいくらか払え」なんて人もいます。
さあ、荷造りも完了していよいよ帰国!とはならない事も多いです。今度はお金が無くて比国への航空券が買えない!強制退去命令となっても帰国費用は本人持ちですから、これが無いといつまでも拘留となります。
これがいよいよ最後の仕事。
この比国人の知人らに呼びかけ目標約五万円也の片道キップカンパ活動・・
こうして長い人では十数年の日本での旅がやっと終わります。帰る時は来た時と同じ一個か二個のバッグを持って、少しの安堵と大きな不安を胸に抱きながら・・
ひと仕事終える度にこちらも感傷的になります。
Bilogを帰国させるのも結構大変なんです。

さてこんな背景の中、例の彼は余裕の視線を返して来ましたので「ハハァ、観光ビザで日本に来たばかりなのだろう」と想像し、ちゃんと期日までに帰れよと祈りながらいつものように話しが始ります。
初めは解体業か何かに従事している土木作業員なのだろうと想像しましたが、その目は優しいながらも、眼の奥には鋭い眼光。そして彼のこぶしに目を落としてを見ると・・!!


私 「観光で来たの?」
彼 「いや仕事」  
私 「へぇ~なにやってんの?」 (ん?まずいな・・また流れ者か?)
彼 「ボクシング・・ボクシングトレーナーで来た」
私 「へ?トレーナー!」 (拳がフツウじゃないと思ったが、やっぱりボクシングやってたか・・)
彼 「カミダ知ってる?カミダ。カミダのトレーナー」
私 「カミダ??」
彼 「ホント知らないの?日本ではfamousだって聞いたんだけどなぁ・・ボクシング見ないの?」
私 「も、もしかして、カ、カメダ!!!」
彼 「そうよ、カミダよ!」

そのカメダだったらfamousじゃないんだけど・・悪名はとどろかせてるけど・・
それより彼はビサイヤ出身のようで、自分の名前さえ訛っていました。

亀田家初の比国人トレーナー S.A jr セブ島出身 自称アマ歴100戦95勝5敗
最近では、IBFライトフライ級暫定王者ジョンリエル・カシメロや、この回想録の後の方にも登場し私と義兄弟となるR・G(翁長ら日本人ランカーと2勝1分け)のかつてのコーチ。
100人以上の比国人ボクサーを教え、有力プロモーター、ワキー・サルード氏の信頼も厚い、比国内では知る人ぞ知る敏腕トレーナー。
昨年までは神戸でジェロッピ・メルカドの専属コーチも務め帰国。  

屈託なく憎めない彼とのエピソードをここまですべて明かすつもりでしたが、驚いた事に物別れしたはずの亀田ジムに再びトレーナーとして来日していますのでここは加減しなければなりません。


続く・・

フィリピン人がお客さん・・ それでもボク愛

ネットからの抗議の限界を感じ、一旦はそれを諦めかけた私でしたが、ボクシングを扱ったブログが多数ある事を知り何気なく閲覧しておりましたので、亀田関連を辛口に書く拳論の存在は知っていました。
亀田を扱うブログは当時少なくて、当時あれだけファンを困惑させた「事件」を起こしながら専門誌なども当たり障りのない記事を書いていたと思いますので、ことさらこのブログは際立っては見えましたが、どちらかというと特殊なコミュニティサイトなのかな?くらいの印象でした。
当時の拳論は、ブラックの背景に白い文字というデザインで、視力の弱い、しかも乱視の私にはとても見ずらく、情報も(私にとっては)これといって目新しいものはありませんでしたので、特別に興味を惹くものではありませんでした。
思い返せばこれは平成18年頃の話し。

さて地元では反亀田の狼煙を上げ「実は亀田は弱い」とボクシングファンでない人たちにまで喧伝を怠らなかった私ですが、大毅選手がインドネシアのビッキー・タフミルを笑撃TKOに切って落とした頃でしょうか、一人の比国人が私のサリサリストアにやって来ました。この男がその後・・

と、その前に私の店と言いましたが私は単なるデリバリボーイ兼雑用係で事実上のオーナーは女房です(笑

サリサリとは
 
これを11年前務めていた会社が倒産したことを機に地元で僅か5坪のアンテナショップを始めました。
毎日、噂話しの大好きな比国人がこの店を訪れて暇を潰しては帰ります。この中にはあきらかにオーバーステイ(不法滞在)だろうと思われる比国人もこの頃は多かったですね。
商売もおかげ様で繁盛するようになりましたが、しかしそれもまもなく・・

彼らのほとんどが出稼ぎ労働者でしたが、石原都知事の政策で不法滞在者一掃キャンペーンが始まったのもこの頃でした。
プライドの高い彼ら比国人が検挙されて、どのような惨めな思いをするのか何例かを見ましたので積極的に本国に帰るよう説得するようになりまして十数世帯が帰国の途につきました。
私は約7年間比国に住んでおりましたのでこの国の事情は良く理解しているつもりですし、彼らが帰国した後本当に幸せになれるかは判りませんが、家族の為とはいえ毎日を逃亡者のようにビクビクしながらの生活と労働が人として幸福なわけはありません。私自身も比国では事業の失敗で一文無しになり、まさに人生のどん底を味わいましたが現在は細々とそれでも幸せな家庭を持てましたので、やる気さえあれば再出発の可能性は誰にでもあると確信しています。当時世話になった、そして立ち直りのきっかけとなった比国は今では第二の故郷とさえ思っています。

しかし、一時は近隣の比国人らから警察のスパイと言われ不買運動まで起こって苦労する時期もありました。
ここからが実は私達夫婦の本領発揮で、比国人の借金の問題、仕事の世話、薬物中毒の問題、結婚の相談、離婚の相談、出産からお葬式の準備、はては夫婦喧嘩の仲裁までと積極的にコミュニティの役割を果たして来ました。
これが私共夫婦の本当にやりたかった事なのです。

余談ですが、彼ら比国人と長く上手に付き合うコツがあります。
彼らは泣き言をすぐに言い助けを求めますが、問題が解決すると何事も無かったことになります。ですから日本人の悪い癖でいつまでも恩着せがましい事を言ってはなりません。年功と序列を重んじる文化にありますが、ひとたび友人と口にしたからにはずっと50:50の付き合いをしなければなりません。
しかし日本人の場合はやはり経済的優位がありますので、そのままGive&Takeとはなりません。
Give&Giveくらいの心持ちが丁度良いのかも知れません。
そして互いに嘘を付かない事。これを守る限りいつまでも「ヘイ、パレッ!」「コンパレ!」と呼び合う無二の親友になりますし、人間関係が崩れる事もありません。本来ホスピタリティの旺盛な彼らですから彼らが出世した時には思わぬプレゼントがあったりします。
と、まぁこんな私ですので女房には本当に苦労をかけましたが、今も地元で彼らにとってなくてはならない存在でありたいと頑張っています。
私が扱った事例では世間を騒がせたカルデロンさん一家のようなケースもあって私も女房も苦しみましたが「同情と法律」はこれまた別の問題ですから、今はこれで良かったのだと思います。



さて話しを戻しましょう。
そんな慌ただしい中、あの男がやって来ます。
一見してBilog(不法滞在者を意味する隠語)ではないか?と思われたこの怪しい男はなんと!!・・

続く・・