HARD BLOW !

再びネットの世界へ・・それでもボク愛

専門誌などの紙媒体の顧客は実はファンや読者ではないのかも知れない。
業界の空気や世論の流れを見ながら記者は記事を書くのだろうか・・

だとすれば、それはジャーナリストとしての魂を既に売ったことにはならないのか。
反骨のライターはこのボクシング界にはいないのか・・

私はネット世界の限界を感じてはいましたがこれも縁だったのでしょう、再び拳論というサイトに辿り着きました。
以前に覗いた時は私にとっては目新しい物は発見出来ませんでしたが、アノ反則試合の直後、改めてコメント欄に目をやると・・
初めに飛び込んで来たのはある論客のハンドルネームでした。
これは某ボクサーの発言を揶揄したものでしたが、頭を打たれたような衝撃を覚えました。
たとえネットの世界とは言え、あまりにセンセーショナルなこのハンドルネームからは論者の覚悟さえ窺えるものでした。
そして肝心なのは、この論客の批判精神やブレない理論構築には哲学にも近い原点が出発となっているのだろうと思われた事でした。
また、後に友人となる論客の一人はウイットに富みバランス感覚が絶妙な人で、それでいて内に秘める問題意識は相当なものだと感じました。
またある論客は要点をズバリとまとめて伝える術に長けていて、只者ではない空気が行間から滲み出ていました。
他にも様々魅力的な論客の方々が多数このサイトには集まっていて、何れにも感じた事は「今を変えなければならない!」という問題意識と熱い想いでした。

この人たちと議論をしたい・・
自分たちのボクシングを取り戻したい・・
私には何が出来るのか・・
何の奇縁かは解らないが事実を伝えよう。
私にはそれしかない。

こうしてその後、しばらくして拳論と接触する事になります。
2007年も暮れに近い頃だったと思いますが、この頃からの拳論とのメールのやり取りは数百になると思います。
2009年1月から2011年7月までは全て保存してありますが、読み返すと感慨深くもまた・・
思えば私の恥の歴史ですが、私自身の(良くも悪くも)真実の証明ですから一部の方には必要があれば公開したいと思います。

続く・・

ブログ開設に寄せて

拳論HN「いやまじで」



人を信じるとはどういうことなのか。

私は新聞やテレビやネットなどメディアを通して日々情報を得ている。情報というものは元来間接的なものであり、そこには常にバイアスがかかっている。そのバイアスを差し引いて私は真相に近づこうとする。

拳論のコメント欄に或る人から或る情報が寄せられた時に、ソースの存在をその投稿者に問い尋ねたことがある。相手は逆上したが、結局自分の所属するジム会長をソースとして挙げていた。しかし、それでいいのである。

どんなソースであれば信用できるのか。大手メディアの情報であれば無条件に信じられるなどと考える人はもはやいないだろう。これまでの誤報や不作為の例を見れば大手メディアも絶対でないことは明らかだ。しかし、私は大手メディアには一定の信を置く。なぜだろうか。

拳論の記事として掲載されていたこと、コメント欄にアガっていた事実や意見、それは玉石混交ではあったが、私は一定の信を置いていた。それは、記事の内容や運営メンバー、投稿者の言辞に納得できるものがあったからだ。それはそれなりに長い時間をかけて醸成された信頼関係というものだ。

それは人間と人間との関係である。直接会ったかどうかは問題ではなく。だから、私が大手メディアに信を置くのと、拳論に信を置く(置いていた)のと、自分の仕事上の取引先に信を置くのとは、全て同じものである。前出の投稿者が自分の所属するジム会長の言葉を信じるのも同じだ。それはもっともなことだ。

伝える言葉に嘘がなければ、そしてそれが続けば、私はその人間を信用する。しかし、そこに嘘があり、その嘘に向き合おうとしない人間にはもはや信を置くことはできない。

私は昨年6月に日本ボクシングコミッション事務局長の不正疑惑騒動の際、拳論コメント欄の呼びかけに応じ、抗議行動を起こすべくファンの会設立のため東京駅に参集した一人である。会は4時起き氏を代表に選出した後、どうなったのか。今、どうなっているのか。そのことが今、ここで明らかにされようとしている。

もちろん、会に参加した各人ごとに、事態の映り方は様々であろう。そして、ここにアガってくる文章を読む人によって、読後感は異なるだろう。読者には錯綜する情報を重ね合わせて一つの像に結び合わせていただくしかない。

(私は実名を挙げて書くつもりはない。それは泥試合にしないためではない。どうしても泥試合の可能性は残ってしまう。むしろ、書かれる側にも家族がいること、それが最大の理由である。)

私に関して言えば、ファンの会の設立に参加したことに後悔はない。私は「信ずる」ということをしただけのことであるから。まして、信の置ける数名の方と知り合うことができたのだから。

そして、ここに何かを書くことの意味については、あのファンの会のその後に興味を抱く多くの方のためというより、あの日同じように集まり、そして、もしかしたら大きな失望を味わっているかもしれない方々に、私の知りうることを伝える、ただそれを何か義務のように感じながら記す次第である。

もう一つ付け加えれば、といっても大義名分としてはこちらなのだが、ボクシングをもっと応援するために、そのために一度後ろを振り返っておかなければならないということだ。一度は後ろを振り向かなければならない。しかし、それはあくまでも前を向くためなのだ。

以上。

ボクシングマガジンへの抗議

あの忌まわしい10月11日の試合は(勿論、王者内藤選手にはまったく非はありません)、ファンの中でも注目されたものでしたから、その月(毎月15日発売)のボクシング専門誌はほぼ予定通りに発行されたと記憶します。
おそらくはこの試合結果の枠を残し、記事の校了を待っての突貫作業だったろうと思われました。

さて中学生の頃から30年以上愛読し信頼していた専門誌はこの試合について、どのような記事を書いたのか、はたしてファンの怒りを代弁してくれたのか。

期待しながら書店に走りました。
いい大人がハシタナイと思いながらも、家まで待ち切れずに歩きながら読みました。
これまでアンチ亀田の思いをよそに、亀田兄弟については好意的な記事が度々書かれていましたが、今度こそはボクシングジャーナリストの衿持にかけて書いてくれるに違いない・・

しかし、しかし、期待はあっさりと裏切られました。

記事は淡々と試合を追い結果を書いただけものでした。
記者の所感も僅かながらありましたが、それはファンがアノ試合で感じたものとは大きな隔たりがあったと思います。

その記事はM記者が書いたものでした。
「リング禍を防ぐにはどうしたら良いのか?」というテーマをメッセージと共に業界やファンに度々伝えた事もある記者で、自ら生粋のボクシングファンであると公言する人でもあります。
私は昔気質の記者が少なくなった今では、問題意識を持ち新しい感覚でボクシングの素晴らしさを伝えゆく、ボクシングの守り人なのではないか?と勝手な幻想を抱いていました。

そのM記者には直接ファンの思いを伝えたい、モノを申したいと編集部に電話しました。
幸いにも本人が電話に出られ・・私は数々の思いの丈をぶつけました。

しかし、突然の電話に戸惑ったのか、単なるクレーマーと思ったのか、M記者の回答は私には言い訳にしか聞こえてきませんでした。
私は最後まで食い下がり、このような問題が二度と起こらないように追及記事を書くべきと要望しました。
M記者はついに根負けしたのか「締め切りまでの時間が無く自分でも納得する記事では確かにありませんでした。次号で必ず書きます」と約束してくれました。
携帯電話を切ると通話時間は1時間をとうに越えていました。

「ファンの怒りを伝えたい」たったそれだけの私の思いは話しとして理路整然とはなっていなかったと思います。
しかし、M記者は返答に窮しながらも最後まで丁寧に答えようと努力はしてくれました。

次号に期待しよう。
抗議の電話や投書は私だけではないはず。
ファンが愛するボクシングの為、皆で声を上げれば変わるはずだ。

一ヶ月後、世論は亀田バッシング一色に染まっていました。

しかし、期待した専門誌の記事は再び試合をトレースして、前代未聞の反則は「若さゆえの暴走」が原因とされていました。

違う!反則を誘引したものは若さだけでは断じてない!
セコンドも反則指示をしていたではないか!
反則につながる温床がそこにあるではないか!
それを許してきた業界にも問題があるのではないか。
なぜそこを追及しようとしないのか!!

私には専門誌までもがこの現実から目を背けているとしか思えませんでした。

誰がこのようにしてしまったのか・・
怒りの炎はますます燃え上っていくのでした。

少年の頃から憧れた眩しいばかりのプロのリング、私の中のボクシングは幻想だったと感じました。初めてこの専門誌を手にした時、表紙になっていたのは具志堅用高選手が世界を強奪した鮮烈なシーンでした。同月号にはKO仕掛け人と言われたロイヤル小林選手の世界初載冠がありました。
新旧スターの登場に胸は高まり、瀬戸物の貯金箱を割ってまで本屋に走った記憶があります。
毎月の発売日は待ち遠しく、瞬く間に私の小さな書棚はこの宝物で埋め尽くされました。
日本ランキングは勿論、東洋、世界のランキング表は暗記するほど何度も目を通しました。

しかしあの日以来、特別な事が無い限り子供の頃から親しんだこの専門誌を手にした事はありません。


続く・・

前代未聞の反則

2007年10月11日 WBC世界フライ級タイトルマッチ 
王者 内藤大助(宮田)対 14位亀田大毅(協栄)

亀田家が初めて戦う日本人ボクサーとして選んだのは朴訥な人柄で人気の、そして自らを「国民の期待」と呼んだ内藤大助。
試合前から「ゴキブリのよう」と罵倒し、「負けたら切腹」とまで言って、王者に対し敬意の欠片すら見せない亀田大毅。

対戦前から舌戦の様相を越え、ヒール対ヒーローの対立軸をも越え、ボクシングファンにとっては忌まわしいほどに感情が高ぶった因縁の試合です。

当時大毅は17歳と言う若さで、日本人最年少世界挑戦という記録がかかった、言わば勇気ある挑戦となるはずでした。しかし、亀田陣営が選択した悪役路線はもはやエンターテイメント性を超えて、悪魔な存在にとエスカレートしていたと思います。
誰かの演出だとしても世間にアピールするには余りにセンスがなく、17歳の少年にここまでいらぬ負荷をかけて良いものか・・

果たして試合は、王者に翻弄された挑戦者が、中盤からレスリング行為や倒れた相手の目にサミングなど、前代未聞の反則を繰り返し、ボクシングとは言えない・本来ならば途中失格負けが宣告されても仕方ない醜悪な試合となりました。
そして更にファンを驚かせたものはテレビ用のマイクに拾われたセコンドの肉声・・
私は耳を疑い何度もVTRを見直しました。

「○マ打ってもええから」  「肘でもいいから・・」


その後、所属ジムも選手もセコンドもライセンス停止処分が下される訳ですが、到底すべてに納得はいきませんでした。
リングに上がる者は人格者たれ!などとは申しません。しかしボクシングを穢す者は断じて許すまじ!

この試合まではある程度の演出もあるのだろうと想像しましたが、この試合で演出などではない、心の底から憎んでも良い対象なのだとファンが確信に至るに充分な事件でした。

これは徹底的に糾弾しなければならない・・

再び私は義憤の炎を燃やし始めます。
思えばそれは図らずも全国のボクシングファンらと呼応するように・・

初めに私の的としたものは以前に意見書を送った事のあるボクシング専門誌でした。

続く・・

アジアの中のラティン系・・ それでもボク愛

一昨年ホールで会って以来およそ二年振りに会いました。
セブの田舎者だった彼は都会での生活に慣れたせいか、少しは垢抜けた印象があるものの、その他は何も変わっていませんでした。
今年の冬は特に寒さが沁みるというのに、ジーンズにパーカーだけを引っ掛けて店にやって来ました。
再会を歓び、ハイタッチのあとガシッと抱き合いながら互いの健康を確認し合いました。
この時ばかりは変わらぬ友情を感じましたが、私は彼にも謝らなければなりません。
彼が五年前に偶然私の店に訪れて以来ずっと親交を温めて来ましたが、その後ある事件を境にして私は拳論の密偵?となり亀田情報を流し始めたからです。

しかしこの時はまだそんな予感すら感じませんでしたし、Sトレーナーとのボクシング談義が楽しくて楽しくて仕方ない時期でした。あの頃は本当に楽しかった・・。
好みのボクシングスタイルも共通する部分がありましたし、互いに何よりボクシングが好きで好きでたまらないファンでありました。私と彼のかみさん達はすでにボクシングウィドーと言っていいでしょう。

寡黙なフィリピン人も少なからずいますが、彼は総じて底抜けに明るい民族の血統を持っていました。

これまでに亀田ジムに訪れた外国人トレーナーやスパーリングパートナーとして招聘されたボクサーら10人ほどと会って話しをして来ました。その中には後の世界王者フリオ・セサール・ミランダやニカラグアの新鋭、つい最近、ポンサクレックを打ち倒し大番狂わせを演じたソニーボーイ・ハロもいました。
彼らに会う時は私はボクシングファンであり、しかもアンチ亀田である事を初めに必ず宣言します。
その上で私の意見や批評を彼らにぶつけると、彼らからは様々な、そしてとても興味深い反応が見られます。私と同じように批判的な意見を述べる者、仕事と割り切っている者。カメダは強いと言い切る者。
その中でもSは多くの比国人ボクサーを教えて来ましたし、豊富なキャリアの中で培ってきたボクシング哲学を持っていますから、長所や短所を把握した上でトレーニング内容や試合ぶりには時に辛口な批評をします。
それはトレーナーとしての実績とプライドがありますから当然の事とは思います。

しかし、私はいつしか亀田ジムの粗を探すことに躍起になり、立場を忘れて彼らの本音を亀田批判の材料にしたのです。

Sは当時の亀田式トレーニングには心底驚いたようで、それこそ初めての文化に触れたように戸惑いを隠しませんでした。詳しい事は他のボクサーに良い影響があるとは今でも思えないので書きませんが、こんな練習方法で世界など獲れるものか・・
しかし、それはこれまでのボクシングの常識を尽く覆すものではないかとも私には思われました。


そして私はその数年後、本当に衝撃を受ける事になります。

どうであれ内藤選手に勝った興毅。
どうであれ坂田選手に勝った大毅。

最も驚いたのが昨年12月7日テーパリット・ゴーキャットジムに挑戦した時の大毅選手の変貌です。
変貌といってもスタイルが大幅に変わった訳ではありません。むしろ強豪相手に自分のスタイルで戦い切った姿に今後の可能性を感じ、試合そのものにも感動を覚えたのです。
試合はご存知の通りテーパリットが格の差を見せつけ大差判定で勝ちました。
テーパリットはこれまで日本では無名に近かい存在でしたが、いずれ必ず世界王者になると私が目を付けていた比国の強打者ドリアン・フランシスコにダウンを与えて勝っていましたので、私は大毅選手が初のKO負けを喫するか、無様な試合ぶりを晒すのだろうと思ってました。
ところが・・です。

かつて「負けた試合に良い試合など無い」と言った選手がいましたが、ファンの視線で言うと精一杯、渾身の力を出しても勝利に届かなかった試合の中にもベストバウトは有り得ると思います。
ファンはボクシングの試合に様々な思いを寄せ、ボクサーに様々な結果を求めます。
私が求めるものは、プロであるからには攻防の技術に長けているのは当然の事。
もっと求めるものは、それを超えるただひたすらに熱い試合。戦う選手の思いがこれでもか!と溢れる試合です。
少なくとも私には大毅選手の人生を懸けるような熱い思いが確かに伝わって来ました。
そしてファンの心が大きく動くものは決して勝利だけではないと、いつか亀田兄弟には伝えたいです。

しかし少なくともアノ事件の頃はこんな思いになるとは露ほども感じていませんでした。

その事件とは・・

2007年10月11日、WBC世界フライ級タイトルマッチ 王者 内藤大助(宮田)に亀田大毅(協栄・当時)が挑戦した因縁の試合で起こりまた。

続く・・

因縁の始まり・・  それでもボク愛

その男はにやけた顔で突然店にやって来ました。

身長は160cmそこそこですが体躯はガッチリと筋肉質で、いかにも肉体労働に向いていそうな体つきでした。
観察癖のある私は優しく声をかけ先ずは目を見ます。
言葉を掛けながら視線を逸らしたり目を泳がせたりする人は、まずはBilog(不法滞在)を疑います。

この私の習性は、しばしば不法滞在者が流れ流れて私のところにやって来ることがあり、問題を起こされると地域や比国人コミュニティに迷惑がかかる事がままあるからです。これまで十数世帯の不法残留者を帰国の途につかせたことを書きましたが、Bilogが地元の警察に検挙されると、身元についてまずは虚偽の申告をするので、警察も困り果てると私の所に連絡があるのです。
帰りたくない本人を説得するのは結構厄介で、警察署内で一晩中掛かる事もあります。
本人がそれでも応じない場合は1週間ほどで不法在留者専門の署、あるいは収容施設に移送され面会もままならなくなりますので、仕事を持つ身としては必至です。
説得が無事成功すると今度は比国の国家統計局から出生証明書(戸籍謄本)を取り寄せ、和訳して調書を完成させ、身元が確認出来ほかに犯罪歴が無ければ、検察庁で「もう国に帰っていいよ」となりまして、次は住んでいた住居に行って家財道具の整理や帰国荷物の準備です。本人は拘留されてますから誰かが動かなければならない。ほとんどの住居は安アパートで、警察に目を付けられたくない大家さんは比較的に協力してくれますので楽ですが、何か月もの家賃滞納などがあると「知り合いなんだからいくらか払え」なんて人もいます。
さあ、荷造りも完了していよいよ帰国!とはならない事も多いです。今度はお金が無くて比国への航空券が買えない!強制退去命令となっても帰国費用は本人持ちですから、これが無いといつまでも拘留となります。
これがいよいよ最後の仕事。
この比国人の知人らに呼びかけ目標約五万円也の片道キップカンパ活動・・
こうして長い人では十数年の日本での旅がやっと終わります。帰る時は来た時と同じ一個か二個のバッグを持って、少しの安堵と大きな不安を胸に抱きながら・・
ひと仕事終える度にこちらも感傷的になります。
Bilogを帰国させるのも結構大変なんです。

さてこんな背景の中、例の彼は余裕の視線を返して来ましたので「ハハァ、観光ビザで日本に来たばかりなのだろう」と想像し、ちゃんと期日までに帰れよと祈りながらいつものように話しが始ります。
初めは解体業か何かに従事している土木作業員なのだろうと想像しましたが、その目は優しいながらも、眼の奥には鋭い眼光。そして彼のこぶしに目を落としてを見ると・・!!


私 「観光で来たの?」
彼 「いや仕事」  
私 「へぇ~なにやってんの?」 (ん?まずいな・・また流れ者か?)
彼 「ボクシング・・ボクシングトレーナーで来た」
私 「へ?トレーナー!」 (拳がフツウじゃないと思ったが、やっぱりボクシングやってたか・・)
彼 「カミダ知ってる?カミダ。カミダのトレーナー」
私 「カミダ??」
彼 「ホント知らないの?日本ではfamousだって聞いたんだけどなぁ・・ボクシング見ないの?」
私 「も、もしかして、カ、カメダ!!!」
彼 「そうよ、カミダよ!」

そのカメダだったらfamousじゃないんだけど・・悪名はとどろかせてるけど・・
それより彼はビサイヤ出身のようで、自分の名前さえ訛っていました。

亀田家初の比国人トレーナー S.A jr セブ島出身 自称アマ歴100戦95勝5敗
最近では、IBFライトフライ級暫定王者ジョンリエル・カシメロや、この回想録の後の方にも登場し私と義兄弟となるR・G(翁長ら日本人ランカーと2勝1分け)のかつてのコーチ。
100人以上の比国人ボクサーを教え、有力プロモーター、ワキー・サルード氏の信頼も厚い、比国内では知る人ぞ知る敏腕トレーナー。
昨年までは神戸でジェロッピ・メルカドの専属コーチも務め帰国。  

屈託なく憎めない彼とのエピソードをここまですべて明かすつもりでしたが、驚いた事に物別れしたはずの亀田ジムに再びトレーナーとして来日していますのでここは加減しなければなりません。


続く・・

フィリピン人がお客さん・・ それでもボク愛

ネットからの抗議の限界を感じ、一旦はそれを諦めかけた私でしたが、ボクシングを扱ったブログが多数ある事を知り何気なく閲覧しておりましたので、亀田関連を辛口に書く拳論の存在は知っていました。
亀田を扱うブログは当時少なくて、当時あれだけファンを困惑させた「事件」を起こしながら専門誌なども当たり障りのない記事を書いていたと思いますので、ことさらこのブログは際立っては見えましたが、どちらかというと特殊なコミュニティサイトなのかな?くらいの印象でした。
当時の拳論は、ブラックの背景に白い文字というデザインで、視力の弱い、しかも乱視の私にはとても見ずらく、情報も(私にとっては)これといって目新しいものはありませんでしたので、特別に興味を惹くものではありませんでした。
思い返せばこれは平成18年頃の話し。

さて地元では反亀田の狼煙を上げ「実は亀田は弱い」とボクシングファンでない人たちにまで喧伝を怠らなかった私ですが、大毅選手がインドネシアのビッキー・タフミルを笑撃TKOに切って落とした頃でしょうか、一人の比国人が私のサリサリストアにやって来ました。この男がその後・・

と、その前に私の店と言いましたが私は単なるデリバリボーイ兼雑用係で事実上のオーナーは女房です(笑

サリサリとは
 
これを11年前務めていた会社が倒産したことを機に地元で僅か5坪のアンテナショップを始めました。
毎日、噂話しの大好きな比国人がこの店を訪れて暇を潰しては帰ります。この中にはあきらかにオーバーステイ(不法滞在)だろうと思われる比国人もこの頃は多かったですね。
商売もおかげ様で繁盛するようになりましたが、しかしそれもまもなく・・

彼らのほとんどが出稼ぎ労働者でしたが、石原都知事の政策で不法滞在者一掃キャンペーンが始まったのもこの頃でした。
プライドの高い彼ら比国人が検挙されて、どのような惨めな思いをするのか何例かを見ましたので積極的に本国に帰るよう説得するようになりまして十数世帯が帰国の途につきました。
私は約7年間比国に住んでおりましたのでこの国の事情は良く理解しているつもりですし、彼らが帰国した後本当に幸せになれるかは判りませんが、家族の為とはいえ毎日を逃亡者のようにビクビクしながらの生活と労働が人として幸福なわけはありません。私自身も比国では事業の失敗で一文無しになり、まさに人生のどん底を味わいましたが現在は細々とそれでも幸せな家庭を持てましたので、やる気さえあれば再出発の可能性は誰にでもあると確信しています。当時世話になった、そして立ち直りのきっかけとなった比国は今では第二の故郷とさえ思っています。

しかし、一時は近隣の比国人らから警察のスパイと言われ不買運動まで起こって苦労する時期もありました。
ここからが実は私達夫婦の本領発揮で、比国人の借金の問題、仕事の世話、薬物中毒の問題、結婚の相談、離婚の相談、出産からお葬式の準備、はては夫婦喧嘩の仲裁までと積極的にコミュニティの役割を果たして来ました。
これが私共夫婦の本当にやりたかった事なのです。

余談ですが、彼ら比国人と長く上手に付き合うコツがあります。
彼らは泣き言をすぐに言い助けを求めますが、問題が解決すると何事も無かったことになります。ですから日本人の悪い癖でいつまでも恩着せがましい事を言ってはなりません。年功と序列を重んじる文化にありますが、ひとたび友人と口にしたからにはずっと50:50の付き合いをしなければなりません。
しかし日本人の場合はやはり経済的優位がありますので、そのままGive&Takeとはなりません。
Give&Giveくらいの心持ちが丁度良いのかも知れません。
そして互いに嘘を付かない事。これを守る限りいつまでも「ヘイ、パレッ!」「コンパレ!」と呼び合う無二の親友になりますし、人間関係が崩れる事もありません。本来ホスピタリティの旺盛な彼らですから彼らが出世した時には思わぬプレゼントがあったりします。
と、まぁこんな私ですので女房には本当に苦労をかけましたが、今も地元で彼らにとってなくてはならない存在でありたいと頑張っています。
私が扱った事例では世間を騒がせたカルデロンさん一家のようなケースもあって私も女房も苦しみましたが「同情と法律」はこれまた別の問題ですから、今はこれで良かったのだと思います。



さて話しを戻しましょう。
そんな慌ただしい中、あの男がやって来ます。
一見してBilog(不法滞在者を意味する隠語)ではないか?と思われたこの怪しい男はなんと!!・・

続く・・

運動会・・その後 それでもボク愛

さてこの運動会の映像は誰でも見ることが出来るようになりました。
ここからどの様な展開になっていくのか・・

はたして論議が巻き起こるかという期待と不安が入り混じる数日間でこの掲示板を注視していました。

先に姿を現わしたのは不安の方でした。
思いもよらぬ流れの中で狼狽しました。

映像の真実が語られることも無く、興味本位の話題や情報に展開していきます。
ほんのわずかな情報から地域が特定され小学校名が明かされ、Google map から航空写真まで。
さらには背景の一部として映った児童らの姿までが拡大され、話題は好ましくない方向へと・・

背筋も凍る思いでした。
恐ろしくもなりました。

幸いにも、と言っていいか分りませんが、そのひとコマには児童や父兄らの顔こそ映っていませんでしたが、たとえ義憤に駆られたとしても、自分のしでかした事を悔いました。
こんな事は「二度とするまい」とこの時は心に誓いました。
たしかにこの時は・・。しかし、この馬鹿者はある事をきっかけに同じような事を繰り返します。

この運動会の映像がYahooのトップページに載って1週間後くらいでしょうか。
あるボクサーの記者会見が、デイリーだったか東スポだったか忘れましたがトップ記事で報道されました。
記憶にある方もいらっしゃるかと思いますが、「瞼の裏側を八針縫った」というもの。
コンビニでその見出しを見た時は唖然として立ちつくしてしまいました。
おまけに病院名の部分が黒く塗りつぶされた診断書まで掲げられて・・

これが答えと言うわけか・・「ならばとことんやろうじゃないか!」
「一挙手一投足まで見逃すものか!」

こうして鬼の形相のアンチ亀田は生まれました。

続く・・

運動会での出来事・・(その2) それでもボク愛

さてそのスポーツ紙には何が書いてあったのか。

当時の記憶なので正確な日時と内容を思い出せませんが、要は「(9月の29日か30日の)スパーリングで瞼を負傷したため亀田選手の世界戦が延期となった」というものでした。

これはおかしい・・世界戦の延期はままあることだけれども、その原因が瞼の負傷とは??
その記事が真実なら、その僅か2・3日後、元気一杯に運動会の綱引きで見せたあの姿は一体なんだったのか?
あの日は天気も良く、少し動けば汗ばむようなスポーツ日和でしたし、校庭は大勢の人間が移動すると土埃が盛んに立つ状態でした。そんな中で亀田選手は眼帯も絆創膏すらもない、見掛けはまったく普通の状態でした。しかも世界戦を間近に控え、裂傷の縫合手術をしたボクサーが激しい運動や更なるアクシデントの可能性は絶対に避けるはず。(後日の報道では、瞼の裏を8針も縫った大怪我になっている!!)
私自身も瞼をカットしたり拳や鼻骨骨折の経験がありました。
充分な加療を受けなかった為に完治が遅れた苦い思い出がありまして、術後のケアが如何に大事かを身を持って知っていましたし、世間の常識に照らしてもこれは有り得ない事でした。
何故、所属ジムは嘘を見破れないのか、あるいは嘘と知りながら、結託して虚構を作り上げなければならなかったのか?
それは紛れも無くファンへの裏切り行為であると私は信じて疑いませんでした。
後にこの時の真相には限りなく近づく事になりある程度の理解は進みますが、それも数年の時間がかかる事になります。しかしあの時の紙媒体の報道姿勢や所属ジムの記者会見などでの対応には私の中では風化することのない疑念として今でも残り続けています。

当時は業界をあげて亀田家を応援する空気が流れていましたが、スポーツ紙とはいえ事実を報道すべき紙媒体までもが何らかの隠蔽工作に関わっているのではないか。
たとえ業界の事情とはいえ虚構を放って置いてはさらに大きな虚構を生むのではないかという惧れ。
勝手な疑念はやがて一人よがりの正義感に変わり、「これは糾弾しなければならない!」と。

しかし単なる亀田潰しのスキャンダルで終わらせたくない。真意の伝わらない週刊誌などには持ち込みたくない。
ならば自分の言葉で伝える手段はないものか?この事実を目の前にした時、人はどう感じるのだろうか?そこで閃いたのが以前に人から聞いた情報でした。
掲示板というインターネットサイトがあってそこにはボクシングのカテゴリーもあり盛況らしい・・。
おそるおそる覗いて見ると私と同じ様なファンと思われる書き込みが。
しかしそのほとんどが単なる風評に過ぎないか、あるいは余りに抽象的で正当な批判に値しないものも目立ちました。正直な感想は「ここは議論をする場では無いな」の一言。
しかしファンが欲しているものは単なる中傷の的となるものだけでない、愛するボクシングのこと、様々な疑念を払拭したいという願望の表れではないかとも感じました。正確な情報を元に事実を公表するすべがあれば、正しい議論に発展するのではないかというのが私の淡い希望だったのです。
(しかし振り返ればネットのこれまた特別なこのサイトについて、私は余りに無知でいい世間の笑い者だったと今は思います)

そして私は躊躇しながらも映像の件をこの掲示板に投げ込みました。
「そんな情報は嘘に決まっている」「あるなら証拠を今すぐ出せ」
「証拠はあるけど出し方が解らない?ヤッパリ嘘だろ」
くだらない挑発に乗るものかと思いながら、正面から聞いてくる人の出現を辛抱強く待ちました。
すると「どうもこの話しは信用しても良さそうだ」「トリップの付け方とアップロードの方法を教えよう」「映像が上がってから嘘かホントか検証しようじゃないか」とのコメント。
その後は彼らの導きで3日もかかってやっとのこと、その短い映像はネット上にあがりました。
ひと仕事を終えて感じたことは「これでメディアに対しても波紋が広がるのではないか」という期待と「本当にこれで良かったのか?後で悔やむ事にはならないか?」との思いでした。
初めは義憤にかられ後先を考えずにした事でしたが、やがてその期待と不安の両方が数日後思いがけない形で見事に的中します。

そして、先ずはこの掲示板の洗礼を受ける事になります。

続く・・

運動会での出来事・・(その1) それでもボク愛

今思えばネットの不正確な情報やメディアの間違った報道は恐ろしいと思います。
ここから先は自分に対する戒めと悔恨の念を忘れずに書き進める事になります。

当時メールすら使いこなせなかったネット初心者の私は(業務ではオフコンと呼ばれた巨大フロッピーディスク仕様の頃からパソコン黎明期に名機といわれたMZ-500などを経て最後はFMをこじんまりと使っていましたが)インターネットの世界には興味はあったものの戸惑い触れる事さえありませんでした。

ところが、そんなある日(5年前の10月)またまた私にとっての大事件が起こります。
仕事の合間を縫ってホームビデオを片手に娘の小学校の運動会に参加したところ、校庭の一角にちょっとした人だかりができていました。
何事だろうと思い人垣の間から覗いて見るとなんとそこには亀田家の面々が・・
ま、しかし亀田家の末娘が参加する運動会ですからそれも当然。
当時トレードマークのようになっていたサングラスの世界チャンピオン、協栄から亀田家に弟子入りしていたあきべぇ、史郎さんに五十嵐マネ(当時はマネージャーだったかな?)
そして父兄参加の綱引き大会に飛び入り参加した亀田家の面々は、元気一杯渾身の力で自軍の勝利に貢献し、やんやの喝采を浴びておりました。その時たまたま運動会の一風景として撮ってしまった映像が、その後数年間に及ぶ私自身の葛藤の始まりとなります。そしてそれは、もしかしたら亀田家にとっても鉄のカーテンといわれた頑なまでの情報遮断の因に結びついたのかも知れません。
実際に、これまで業界をあげての「亀田賛美」の空気だったものが、ランダエタ戦以降、世論を巻き込んで一気に過熱した亀田バッシングが巻き起こり、風評に弱い?ボクシング界の中で亀田家は徐々に四面楚歌へと追い込まれていきます。
しかしその後も彼らはしぶとく生き残り着々と事実を積み重ねていくのですが・・

さて、その日の運動会は何事も無く、晩には我が家の恒例であるビデオ上映会の団欒で、娘とも「チャンピオンも来てたね」「面白かったね」程度の話題で過ごしました。勿論私は既に反亀田ですから、その話題は内心は面白い訳も無く、しかし少なくとも娘には悟らせまいと細心の注意と努力はしました。その後現在でも、家では自分からは亀田家の話しは一切していません。
実際、私の娘と亀田家の末娘は仲も良く、時々は亀田家にお邪魔しては遊んでいる様子でした。

「〇ちゃんちは凄いんだよ、おうちにボクシングのリングがあるんだよ」
「へぇ~それは凄いね、でも君たちはそのリングに上がって遊んじゃだめだよ。ボクサーにとっては大事な場所なんだからね」
「え?ふつーにあそんでるけど?」
「お兄ちゃんたちは〇ちゃんにスッゴイ優しいんだよ。ウチのお姉ちゃんとは大違い」
「みんな〇ちゃんが可愛いんだね」
「お兄ちゃんたちみんなボクシングやってて強いんだって!みんな世界チャンピオンになるんだって!」
「凄いね、応援しないといけないね」

ああ、、これが亀田でなく普通のボクサー一家だったなら、どんなに心底楽しい娘とのひと時だっただろう・・
私も人の親ですから、自分の娘の事だけでなく色々な想いがよぎります。
それでも自分の価値観に照らし合わせて「駄目な物は駄目」という考え方はどうしても譲れませんでした。

疑惑の判定、八百長試合とまでいわれたアノ試合から2ヶ月、ランダエタとの再戦が決定と報道された頃の話です。
亀田選手にとっては、キャリアも浅く適正階級とは言えなかったものの、自ら選んだ世界戦での失態と私には思えました。次の試合、今度こそリングは嘘をつかない、これですべての決着がつく。それから先は急がずファンも納得するボクサーロードを歩んでくれるに違いないと期待していました。

しかし、運動会の翌日にあるとんでもない記事がスポーツ新聞に載り・・
そしてこれを契機に私はあるネットの世界を垣間見る事になるのですが、使い方を間違えたらこうなるという馬鹿の見本のような話しです。

続く・・

アンチが出来あがるまで・・ それでもボク愛

さて続きです。
とまぁ史郎さんとの出会いは強烈な印象として鮮明に覚えてますが、同じご町内でありながらその後6年間は直接の接点が奇跡的にありませんでした。(おそらくごく近い将来会う事があるかも知れません)
しかし、古くて頭の固いボクシングファンとしてはセンセーショナルな売出し方の亀田兄弟について無視するわけにもいかず、「あのスタイルはだめだ、嫌いだ」と言いながらテレビでは必ず観戦していました。
そして、これまた私にとってもおそらく全国のボクシングファンにとっても大事件であったであろう「アノ試合」が起こるわけです。
平成18年8月2日 WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ 亀田興毅対ファン・ランダエタ。
その結果はボクシング界だけでなく一般メディアやボクシングに興味のなかった一般層までも巻き込んでの大騒動となった事は忘れる事は出来ません。
一部のボクシング関係者の中には「テンポイントマストシステムを元に冷静に判断すれば亀田選手が勝っていた」「素人には解らないかもしれないが、プロの目から見ればドローか、地の利で亀田勝利も充分にあり得る」などの論評もありましたが、それをそのまま信じたファンは一体どれだけいたでしょうか。

これよりさかのぼること3年前、ファンとしてある事をハッキリと自覚することになる試合がありました。
共にこの試合に勝って世界を狙いたい実力者同士の注目の一戦、OPBFフライ級タイトルマッチで王者小松則幸が選んだ相手は強打の実力者トラッシュ中沼。小松選手にとっては比国のロリー・ルナス(後のロリー松下)から見事な2RTKOで奪った王座の3度目の防衛戦で勝てば文句無く世界へ。中沼からすれば前戦僅差ながら坂田健史に判定で負け(私は中沼が勝ったと見ましたが)この試合も落せば世界挑戦どころか引退の2文字も過ぎる崖っぷちの戦い。結果は2-1のスプリットで小松の勝利。
しかしそれは当時ファンの間でも物議を醸した内容でした。私は少なくとも3~4ポイント差で中沼の勝利と見ましてこの結果に納得がいかず協会をはじめJBC、専門誌にも実名で抗議文を送りました。
その抗議文は後日専門誌に掲載されましたが、痛烈に地元判定を批判する内容のものでした。
翌年両者の再戦が実現することになりますが、しかし初戦を地元判定と言われ「だったら東京でやろうじゃないか」と王者のプライドを見せ受けて立った小松選手は偉かった。互いに意地を見せ白熱した試合だったと記憶します。(今度は2-0で中沼勝利でしたが実はこれまた採点内容に紛糾する訳ですが・・)
ファンの勝手な言い分ですが、しかしこの時は試合の結果よりも選手の戦い方や潔さ、試合後に互いを讃えあい認め合う姿に素直に感服する思いになるのです。「世界に行けよ!」「よし!必ず獲ってくる!」

それだけに、もしかしたらその後の若者の人生をも決定するかも知れない試合審判には、それこそ重大な責任があると思います。人間ですから間違いもある。ファンには理解出来ない作用が働くかもしれない。しかし、どうであれ常に公平公正なジャッジを求め続ける事は選手やセコンドだけでなくファンの務めでもあると固く信じます。

さて、私としてはこうした背景がありまして「アノ」不可解な判定を巡っての、その後巻き起こった強烈な亀田バッシングの渦の中に(計らずもある意味加害者として)自ら身を投じて行く事になるのです。

続く・・