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HARD BLOW !

完敗・・    それでもボク愛

「ひとつひとつ答えましょう」
勝又氏は私の挑発的ともいえる質問にひと睨みした後、淡々と話し始めました。

「先ず私の拳論への投稿に際しては勝又プロモーション代表 勝又 洋と明記してあります。それ以外の投稿は私ではありません。誰かが私になりすまして書いたものと思われます。拳論さんにはその事を指摘してなりすましをやめるよう、また削除依頼もしております。その事(なりすましかどうか)は拳論さんが良く分かっているはずです。コメントの管理をされているのですから」

続けて7月1日に何があったのかを説明した後、問題の襲撃メールについて聞きました。

「7月1日芹江・瀬藤戦の興行でしたね。その日は私もホールに行きました」
「あの日は・・
これまで拳論でのなりすましが一向に止まない為、メールにて再三抗議をした事はありましたが、なしのつぶてでしたから直接会って話しをしたい意向はありました。私はK記者とは会って話をした事がありませんでしたので、Sプロモーターが彼と懇意にされているとの事でしたからSさんに仲介をお願いしました。それぞれスケジュールを調整した後、あの日、7月1日に(3人で)会おうかという話になりました。これは無用な騒ぎを起こさない為です。その事はSさんからK記者には勿論伝わっていたはずです。それがどこでどうなったら襲撃メールなどという物騒な話しになるのかまったく解りません。
しかし、あの日はSさんも興行でずっと忙しかったですし、私も挨拶などで走り回っていましたから、結局は実現しませんでした。

あの日の真相といえばそれだけです。

例えばの話し襲撃してやろうなんて事を本気で考えたとしたら、わざわざメールなんかしますか?ふざけた話です。
その裏で(ファンを巻き込んでの)そんな事があったなんてことも知りませんでした。」


それとあの日、N選手がK記者にストーカーまがいの行為をしたとの噂がありましたね。

「知っています。しかし冗談じゃありません、Nはウチの大事な選手ですよ。その選手を使ってストーカーだなんていくらなんでもあり得ないでしょう。あの日Nは試合を間近に控えてましたからジムで猛練習してましたよ。今ここに本人を呼びますか?」

これまでは冷静に話されていた勝又氏でしたが、N選手のこの話しになった時にはさすがに語気は荒くなっていました。
当然です。
手塩にかけて育てた選手に事実無根の中傷が投げかけられれば黙っていられるわけがありません。私は非礼を詫びました。

しかし、まだまだファンの持つ疑惑は晴れません。
「一歩も退くものか・・」私の執拗な質問攻撃は続きます。

勝又氏は一つ一つ丁寧に、そして包み隠さずに答え話しを続けられました。
その話題はY元事務局長との関係、亀田家との出会いと今に至る経緯、そして何故応援するのか、有名選手移籍問題の真相、噂される団体との関係とその真相など拳論の読者なら皆が事実を知りたいと思ったであろう事柄ばかりでした。それは過去の思想事件の真相にまで及びました。
主義主張の違いはあるものの、真摯に応えられるその姿は実に潔く、私も次第に襟を正さざるを得なくなっていました。

いつしかそれはネット上の勝又氏への誹謗中傷によって作られた幻影を取り除き実像に迫るものとなりました。ファンの心に積りに積もった垢を取り除く作業ともなりました。

午後8時過ぎから始まった勝又氏との会談はジム内で約2時間、更に場所を替えて朝5時過ぎまで延々9時間にも及びました。
これまでの鬱憤を晴らすかのように勝又氏の語りは止まりません。
私もこの6年間の思いの丈を全てぶつけました。
互いに真剣勝負の長丁場ですから、私にとっては頭が痺れる様な展開もありました。
それは一片の曇りも無い、ケシ粒ほどの嘘さえ入り込む余地の無い、実に研ぎ澄まされた時間でした。
しかし、それでもこの数年間をたった一晩では語り尽くせる筈も無く、再会を約束していただきました。

当たって砕けろと特攻隊の覚悟で臨んだ会談でしたが、終わってみれば勝又氏のボクシングや選手に対する愛情と、懐の深さ、男としての器の前に完敗でした。

私はむしろ清々しさを全身に感じていました。

当たって砕けろ!・・  それでもボク愛

平成23年11月8日 午後8時  於 勝又ジム会長室

私とNさんはほぼ予定時刻に到着しました。

「それでもボク愛は私です」と名刺交換のあと、これまで拳論に情報を流してきた事、
特に夕刊紙の記事(スパーリングパートナーによる亀田負ける発言)についての取材方法に問題ありとされた件について、これは私の情報によるものでしたので「やはり、あのやり方については私の方に問題がありました。拳論のコメント欄で勝又さんが反論された内容は概ねの部分で筋としても正しいと思います。当時は完全に冷静を失っており、それどころか砂上の楼閣などという別のHNでさらに反論や批判を繰り広げました。この一点をまず謝罪しなければなりません。ただ記事の内容について(私の情報部分)は事実であります」

「事実かどうかを問題にしているのではありません。問題は拳論のコメント欄でも提示した通り、公式な記者会見なり、取材申し込みをするなど正当な取材方法だったならば文句は言いません。むしろ試合を盛り上げる事になるならば個人的には良いと思いますよ。しかしその発言をしたという選手はこちらと一定の契約下の選手ですから、いかにプライベートな発言としても、選手本人の承諾もなく記事にするような勝手は許されません。仮にもジャーナリストと彼は名乗っているわけですから。私としては正当な抗議をしたまでです」

(この中の当事者である選手はスパーリングパートナーとして来日する以前に、日本では3戦(2勝1分)している外国人選手で私とは言わば義兄弟の間柄でした。その彼が亀田兄弟のスパー相手として来日するなんて・・これも私の因縁だったのでしょう、何から何までが重なりました。彼は弟分のようなものでしたので、彼には事後報告でもいいかという安易な判断でした。実際この証言については日本のメディアが取り上げる事は後に彼には伝えており、これまでのようにK記者にとって二次情報にならぬように国際電話での取材が出来る段取りもしました。K記者はその経歴から英語も堪能と私は思っていましたので、それほど難しい事では無いと思われましたが結局は実現していません)

さて、謝罪すると言った一方で私のその後の態度はまったく真摯なものではありませんでした。

互いに初めて顔を突き合わせ、事の発端を話し終えたところでとりあえず選手紹介(挨拶)は終わった・・私は先制攻撃をしかけるべく、間髪入れずに聞きました。

「ところで拳論でのボクシング振興会なるハンドルネームの書き込みは勝又さんご本人ですか?
その後も勝又名義での書き込みもありましたが、その内容はあまりにファンを愚弄するものと思いますが?」
とたたみかけたのです。

それはまるで初回のゴングが鳴りグローブタッチを拒否していきなり殴りかかるような、あるいはリング上の相手の前で腰を振り、舌を出すような行為だったかも知れません。

しかしその質問はいずれ率直に聞かなければならない事でしたし、それとネット上で噂される人物像そのままの人なのかを確かめるには手っ取り早い戦法でした。
絶対にはぐらかされてはいけない、得意のガチンコ勝負を挑むのだ・・
一触即発が予想された会談のこの第1ラウンドに全てを賭けたのです。

この時、同行して頂いたNさんは「今日は無事には帰れない」と覚悟を決めていたそうです(笑
私は初めから特攻隊の覚悟でいましたので、平静を装いましたがすでに頭の中は沸騰しており、Nさんを巻き込んでいる事などスッカリ忘れていたのです。
Nさんにも本当に申し訳なかったです。

さて、勝又さんといえばそんな挑発野郎の誘いに乗る事も無く、実に淡々と話し始めました。

続く・・

奇跡的な会談・・  それでもボク愛

私の心象風景の中では誇張では無く、それは生涯の敵として決して交わる事など無いと思われた人物との会談でありました。 
それはその人物も、もしかしたら同じように思われていたかも知れません。
しかし、このままではいけないとはずっと考えていました。
この日、この会談に向かう前にある方にメールを送りました。
一部氏名の部分を伏せており( )内は補足部分です。

 さて、長くなりましたが今日の本題です(笑
ある人物を介して「会いたい」と接触をしてきました。断る理由も無い、というかむしろ聞きたい事が山ほどあるので今夜勝又ジムに行き会って来ます。

証人として○○さんに同行してもらいます。

拳論的には(コメント欄での)ボクシング振興会での書き込みが本当に彼自身なのか?
それが本当ならばファンを愚弄する(数々の)コメントは如何なものか。
7月1日の(N選手によるK記者)ストーカー(疑惑)事件について。これは○○の捏造と確信しますが、○○をストーカーしたといわれるN選手本人がいれば直接聞きます。

またこの日に向け○○に送られたとされる襲撃予告メール(回想録「ファンが盾となった日」参照
)は本当か?

何れは亀田問題総括の過程で会談したい希望がありましたので、僕としては願ったり叶ったりな訳です
が、業界の中でもあまり評判のよろしくない人物のようなので、はてさてどうなることやら(笑

また、対立からは何も生まれない、対話によって解決すべき、が僕のモットーなので勝又氏の主張に一分でも同調出来る部分があったとしたら、多くのアンチ亀田を敵に回す事になるでしょうか(笑
まぁ、まずは対話の出来る人物である事を祈ります。こちらも忙しい身なので(笑
無事に帰って来られたら(これも冗談です)今夜内容をメールします。
 

私は平和協定に赴くのではなく、むしろ新たに宣戦布告までするつもりでしたから、誰かに伝えて自らの退路を断つ思いでこのメールを送ったのでしょう。
しかし、当時の私の精一杯の強がりがこの文面からは伺えます(笑 

続く・・

都内某ジム会長と・・  それでもボク愛

昨年の7月下旬だったでしょうか、都内のあるジムの会長さんから突然の連絡をいただきました。

私はその会長のある選手の激励にジムを訪れた事が一度だけありましたが、それ以前に名刺交換をさせて頂いたほかは、特別な接点があるわけでもありませんでしたので正直驚きました。
「何だか大変みたいですねぇ。それはそうと近くまで行きますので会いませんか?」
ジムの会長さんがただの一ファンに過ぎない私に「何だか解らないけど」会いに来て下さる。初めてのことです。お断りする理由などありません。
その日の内にお会いする事になりました。

その会長は豪放な中にも常に思慮深く物事を冷静に見ていらっしゃる方と私はお見受けしました。
私は物怖じしない性格と自分で思っていますが、さすがに緊張は隠せません。

「いやぁ、特に理由がある訳じゃないんですが、たまには食事でもと思いまして・・」

こう切り出された会長でしたが、わざわざ私の所までマネージャーさんと来られたわけですからそんなはずはありません。
世間話に近い話しをした所で、私の緊張も解(ほぐ)れたと感じられたのでしょう。
「ところでスブドって知ってますか?」
私が聞き知っている所のスブドは架空の物ではないか?と考えていましたのでこの問いには椅子から飛び上がりそうになるほど驚きました。私やウチ猫さんが経験したスブドに関わる件(くだり)は以前の回想録「茶番劇 市民団体の舞台裏」の後半部分に書きましたので参照してみてください。あまりにくだらない事件でしたが・・
さらに会長は・・

「そのスブドって彼らがいない所では何故か出て来ないんでしょう?何でですかねぇ?」

私はスブドなんてものは既に信じていませんでしたが、彼らとは全く関係の無い業界の人が「その事」を知っていた事に先ず驚きました。そして意気消沈しているであろう私に「騙されてはいけませんよ」との忠告と激励をしに来て下さったと思い心の底から有り難く感じられました。

後日、この会長は「(あの時は)まったく他意はありませんでした。ただ皆が仲良く出来たらいい、(ボクシング界全体の為に)協力し合えたらいい。(私が願う事は)それだけです」と仰られましたが・・。

様々ご教示下さったこの会長は私にとって恩人であるとさえ思います。

私はこの方にこれまで亀田サイドの情報を拳論に流していた事を正直に話しました。
如何に自分の中に義があると思えども、自身が拳論の影に隠れてしたことが男として恥ずべき事であり、このままでは生き心地がしない事。
ボクシングに対するファンとしての主義主張は変えられないものの、亀田サイドには一点謝罪しなければならない事があること。
それと私が一貫して批判を加え続けたKプロモーションK・H代表(当時)に会って7月1日の襲撃メール事件の真相を聞かなければならない事。

特にK・H氏の人物像については長い間、拳論のコメント欄だけでなくK記者からも「普通ではない」様子を直接聞いていましたので、刷り込みされたイメージは膨らみ過ぎて破裂するのではないか・・と思われるほどでした(笑

拳論、そしてその読者、とりわけアンチ亀田の最大の敵と思われた人物K・H氏・・
会わなければ・・会ってどんな人物かこの目で確かめなければ。会えば真実が判るはずだ。


「それぞれ主張も批判もあるでしょう。僕だってありますよ。しかし、争い事が結果的にボクシングを貶めているのが現状じゃないでしょうか。ケンカはやめましょう。今はファンもボクシング界も手を携えて進むべき時ではないでしょうか。」

おそらくは私の事をボクシングファンとして認めてくださったか。ありがたいことです。


この日から様々な課題に取り組みながら、再び仕事と睡眠時間は平均3時間を切るような時間との格闘が始まりましてこの日の思いはなかなか実現出来ずにおりました。
そんな折、また会長から連絡があります。

「ご無沙汰ですが、この前はK・Hさんに会いたいって言ってましたよね。先日会場でお会いした時にその旨伝えたところ先方も会いたいとの事でしたので携帯番号を教えてもいいですか?」

翌日、私の携帯電話には少しかすれた、それでいてドスの効いたイメージ通りの人物の声は伝わって来ました。

「はじめまして、勝又です・・」

私にとっては奇跡的な会談がいよいよ実現します。
忘れもしない昨年十一月八日の事でした。

続く・・

友人の事・・・・  それでもボク愛

その後の私と言えば、ファンの決起を実現する為に仕事を放り投げて走り回っておりましたので、滞った仕事を全力でこなしながら、榎さんの問題を協会に提出するべく友人らの協力を得ながら準備を進めていました。また家庭人として、そして傷ついた友人の為に時間と格闘していました。この友人の問題は市民団体とはまったく別の背景でしたが、時期を同じくした為か、はたまた私を標的とする為に利用されたのか、ネット上では同時にその攻撃は始まりました。
当時の経緯は一から十までを知っていますので機会があれば書きたいと思います。

さて、その攻撃とは2ちゃんねる掲示板での事で、私に対して繰り返される中傷は私のリアルな人間関係の中に影響を与えるようなものではありませんでしたので、気にも止めませんでしたが、しかし私の友人らに対する事実無根のそれはエスカレートする一方で心を痛める日々は続きました。友人の悲痛な叫びはやがて怒りと変わり私にも向けられました。
しかし、それも仕方の無い事です。友人として彼を守る事が出来なかったからです。
人間としての感性が人一倍強く鋭い彼は苦しみました。それは熾烈を極めました。
それ以上は書けません。彼がまたいわれの無い誹謗中傷の的となる事は明らかだからです。
今は誰の助けも借りず一人で立ち上がろうと必死の彼を私はただ見守る事しか出来ません。

偏見があります。心の病を言い訳にする人もいます。
しかし、それ以上に普通を振る舞い、健常を装いながら、なんと病んだ人のいる事か。

一部のネット上での誹謗中傷は本当に悲しく、現代の病巣を見る思いです。
現実の生活や人間関係に生き切る覚悟の無い人は架空の世界に逃げ込むのでしょう。
批判を恐れずに言えばその人らはその世界だけで生きていればいいんです。
リアルな人間関係や私たちの愛するボクシングに関わらないでほしい。
彼らのそれは現実生活にリアルな人間関係に矛盾しか生みません。

その矛盾のスパイラルを抜けだそうとするのではなく、ひたすら隠そうと必死なようです。
それはあまりに滑稽な姿に見えます。むしろ憐れみさえ感じます。

人は蹉跌の後に学びます。
しかし、彼の人らの後には私には人としての破綻しか見えません。

ありのままでいいじゃないか!
笑われても転んでも再び立ち上がって、そこに嘘さえなければ「人」は二度と笑わない。