斉藤司復活!7年ぶりの復帰戦レポート
⇧七年ぶりの試合後の斉藤選手
あけましておめでとうございます。2023年も長文で書く必要がある記事のみ、地味に更新していこうと思っています。
というわけで、もう既に一ヶ月以上経過してしまいましたが、元日本ランカーの斉藤司(さいとうつかさ)選手が7年ぶりに現役復帰して見事勝利した試合を観戦してきましたので、その時の試合の模様や試合後に伺かったご本人のお話などをお伝えします。
斉藤司選手は、2008年度にフェザー級で全日本新人王になりMVPも獲得した期待のホープでした。2014年には日本タイトルにも挑戦しましたが、その後所属ジムとの契約関係の軋轢や金銭トラブルからジム会長を相手取った訴訟に発展。貴重な選手生命を犠牲にした裁判は、表面上は彼の主張が認められず敗訴と言う形になりましたが、判決文でこれまで曖昧だったプロボクサーの法的な地位が定義されたことでボクシング界に大きな変革をもたらしました。
彼の裁判で最も重要だったことは、「ボクサーと所属ジムとの関係は『雇用契約』ではなく『有償準委任契約』である」と確認されたことです。法的にはボクサーは個人事業主であり労働者ではないのですが、ボクシング界では雇用関係か徒弟制度のような契約慣行が根強く残っていました。選手はクラブオーナーに逆らえば試合も組んでもらえず、移籍も出来ず、飼い殺しのような状態で失意のまま引退していくというケースが多々ありました。未だに規定のファイトマネーを払わない、過重なチケットノルマを課す、試合の経費を負担させる、といった搾取が罷り通っており、中には選手個人が貰った賞金や激励賞を丸々ネコババするようなセコい会長もいるようです。
斉藤選手のリング外での戦いによって、ボクシングジムと選手の不平等な関係は公正取引委員会が関心を示すほどの大きな問題となり、日本ボクシングコミッションが法律に抵触しないような移籍ルールを整備したことで選手の移籍は活発化しています。今後ジム間の健全な淘汰が進むことも期待されます。
沢山の選手に移籍の機会を与えた斉藤選手ですが、皮肉なことに彼自身は2015年の試合を最後にリングから遠ざかり実質的に半引退状態でした。彼とはSNSで繋がっていたので、時折近況として公園でシャドーをしたり子連れでジムワークをしたりする様子はアップされていたのですが、昨年10月の中旬に突然
『実はもう一度ボクシングに挑戦することを決めました。
そして11月30日に試合も決まりました』
と言うメッセージが来て大層驚きました。不本意な裁判闘争でキャリアが途絶えたことで燃え残ったものはあるだろうとは思っていましたが、7年ぶりの試合というのは相当にリスクがあり、勝敗以前に加齢とブランクの影響でどれくらい動けるのだろうか?と考えざるを得ません。常に家族のことを最優先に考えて行動している斉藤選手が、一体いかなる思いを持って復帰を決めどういうプランを描いているのか?これは観戦しなければいかんと言うことで、現地まで行ってまいりました。
10年以上前から一緒に彼を追いかけて応援して来たHARD BLOW!のメンバーと水道橋で落ち合って後楽園ホールに入ると、ド平日にも関わらず場内はなかなかの入りで、「明らかに栗原×千葉の東洋戦より入ってる」とのこと。これも斉藤司復活への期待の表れか?ツイッターで繋がっている方が来場されているということで、ご挨拶させてもらって少し話しましたが、「斉藤選手が復帰ということで仕事関係の方と来ました」ということで、斉藤目当ての客が多いというのもあながち間違いでもないよう。激励賞も一試合前のインターバルから読み上げないと紹介しきれないくらい贈呈者が多く、これも6回戦としてはかなり異例。読み上げられた贈呈者の中には、元日本チャンピオンの荒川仁人さんの名前があり、粋なことするなあと感心。ボクサーの繋がりっていいですね。
会場は七割くらいまで席が埋まり、いよいよ斉藤選手が硬さをほぐすように通路で大きくステップを踏んでから花道に登場し、会場からは大きな拍手が起きる。後から知ったのですが、斉藤選手はお子さんの学校のPTA会長をやられているということで、学校の父兄の方々も沢山来場されていたようです。今までボクシングと接点が無かった人たちが、平日の夜に高額なチケットを買って、会場に足を運んでくれるというのは相当凄いことです。彼が地域の活動で信頼を得ているからこそでありましょう。
今回の試合はブランク明けということで6回戦。ゴングが鳴ってリングに出た斉藤選手は、まあ分かっちゃいたけど相当に動きが硬く、手も出ないしフットワークも重い。一方、対戦相手のアヌーチャ・トングボーはタイの無名選手ですが、サウスポーでタイミングも変だし、戦意旺盛に荒っぽくパンチを振るって果敢に前進。1Rが終わり、「斉藤硬いな」と言う空気が会場に流れて、観客も緊張気味。2Rもドングボーは大振りのパンチを振るい、斎藤選手はまともに貰うことはないですが、ガードで防ぐだけで手が出ない。
インターバルに観戦仲間と「これはちょっと良くないなあ」と話していたあとの3R、序盤パンチの交換から斉藤選手の右ストレートが炸裂し、ドングボーは吹き飛ぶようにダウンしそのまま10カウント。
身体に染みついたような一撃カウンターを決めた斉藤選手は、コーナーに駆け上がって7年ぶりの勝利の喜びを爆発させ、重い空気を断ち切るような鮮やかなKO劇に会場からは大歓声が起きました。勝って無事にリングを降りることが出来た斉藤選手が、花道で泣いている子供たちと抱き合っている姿を見てこちらも泣けてきました。
試合後に少しお話を伺いました
HARD BLOW!(以下HB)「7年ぶりのリングはどうでしたか?」
斉藤司選手(以下斉藤)「いや~緊張しました。多分デビュー戦より緊張しました(笑)」
HB「1ラウンドは本当に硬くて、パンチも貰ってるので『これ大丈夫かな?』と思ってたんですけど」
斉藤「(一力ジムの)小林会長からも1、2ラウンドは様子見ろって言われてたんですけど、様子見てるつもりがめちゃくちゃ硬くて、『あ、これ今日ダメだな』と思って。でも向こうが出てきてくれて、動きは完全に見えてたんで右を合わせることが出来ました」
HB「斎藤選手が硬いから、向こうが色気出して前に出て来てくれて、カウンターが取れたと」
斉藤「そうです、そうです」
HB「裁判の判決が出たのはいつでしたっけ?」
斉藤「2018年…、もう四年前ですね」
HB「判決が出てからは体動かしたりはしてたんですか?」
斉藤「いやもう全くですね」
HB「全くですか?」
斉藤「本当に、子供と遊ぶくらいですね」
HB「生活が忙しすぎて、太る余裕もないくらい働いて家のことをしてと言う感じですか」
斉藤「はい」
HB「復帰は無理かな、と思っていましたか?」
斉藤「そうですね、もう出来ないだろうなと思っていたし、でも心の中ではどこかでやりたい気持ちはあったので」
HB「実際準備ってどれくらいの期間をかけたんですか?」
斉藤「4か月です。きっかけは、元日本チャンピオンの福原力也さんのジムでトレーナーとして働かせてもらってるんですけど、力也さんから見たら僕はまだ若いということで、『やりたい気持ちがあるなら、やった方がいいと思うよ』って言ってもらって」
HB「福原さんから見て『まだやりたそうだな』というのが分かったんでしょうね」
斉藤「それで8月に一力ジムの小林会長に『もう一回現役復帰したいです』ってお願いしたら、二つ返事で『中途半端な気持ちじゃ出来ないよ。頑張りなさい』と言ってもらえて」
HB「ライセンスは更新してたんですか?」
斉藤「してなかったです。だから6回戦からということで、『ダラダラやるよりも目標があった方がいいだろう』ということで11月に試合も決めてもらって。『四か月、いや三カ月半か~』と思ったんですけど覚悟決めてやれば大丈夫かなと思って」
HB「復帰に向けて練習してみて、手ごたえはありましたか?」
斉藤「うーん、手ごたえがあったか?と言うと、無いですね。と言うのは前の自分と比べてしまうので。だから、昔と比べないようにして、今どういう風に仕上げていこうというやり方で練習しました」
HB「スパーリングはどれくらいしたんですか?」
斉藤「もう全然ですね。マス入れて50ラウンドもやってないです」
HB「復帰に際して、今日の試合はどういう位置づけですか?」
斉藤「勿論一試合だけのつもりじゃないんで、挑戦できるところまでやりたいと思ってますし。あくまで本格的に復帰するためのスタートラインですね」
HB「今日の内容はご本人的にはどうですか?」
斉藤「今日は一点もつけられないですね(笑)」
HB「一点も(笑)」
斉藤「七年ぶりだったんで『こいつまだまだいけるんじゃないの』というのを見せたかったんですけど、今日の内容だとあんまり生意気なこと言えないですね」
HB「自分の為の裁判だったとは思うんですけど、判決が出て色んな選手が移籍してますけど、それについてはどう思いますか?」
斉藤「それは本当にいろんな方に言われるんですけど、『悔しい』とかそういうのは全くないですね。本当に自分の道を切り開くための行動だったんで、僕の裁判の結果みんなが移籍出来るようになったと聞いても、本当に何も思わないです」
HB「競技を続けるに当たって生活の目途は立ってるんですか?」
斉藤「昼間は福原力也さんのジムでト働かせてもらって、夕方から一力ジムで練習して、夜勤のアルバイトやってるんですけどそれも数を減らして。朝は家のこととか、子供の送り迎えとかで忙しいので、夜勤が無い日に真夜中の隅田川走ってます。完全に不審者ですね(笑)」
HB「子供たちはお父さんのボクシング観るのは初めてですか?」
斉藤「一番下の子は初めてかな。またボクシングやるって言ったときに、子供たちはやっぱり凄く不安そうで。特に一番上のお姉ちゃんは『怪我するんじゃないか』『血が出るんじゃないか』って凄く嫌がってたんですよ。だから、ボクシングの良さとか、僕の本気具合を見せるために練習に連れて行ったんですよ。で、『ボクシングってこういうスポーツで楽しいんだよ』っていうのを伝える為に、一か月くらい一緒に練習して」
HB「あ!そう言えばFacebookに写真載せてましたね!」
斉藤「そうです」
HB「試合後はお子さんとは話しましたか」
斉藤「まだなんですけど、本当に僕は家族が力の源で、一番は家族で、それは10代のころから変わらないので」
HB「復帰に当たって朝日新聞に記事が出たり、『裁判をしてボクシング界を変えた人』として紹介されて、注目度も高かったと思うんですけど」
斉藤「取り上げて下さって、僕の名前が世の中に出ることはありがたいことなんですけど、でも何回も言いますけど、ボクシング界とか誰かの為のとかじゃなく、あくまで僕自身の為にやったことなんで」
HB「あくまで『自分』っていうのがボクサーだなあ。そういえば、荒川仁人さんから激励賞が出てましたけど」
斉藤「そうなんですよ。荒川仁人さんと土屋修平さんから頂いて。こっちはずっと勝手にライバル視してたんですけど、本当にありがたいし力になります」
HB「具体的な今後の目標はありますか?」
斉藤「勿論ボクシングの厳しさ分かってるんで、簡単に『チャンピオンになります』とか今は言えないですけど、一試合一試合課題をクリアしていくつもりで」
HB「ある程度期間は区切って考えてますか?」
斉藤「それは勿論長くやるつもりはないですけど、やりながらですかね。僕はボクシングの厳しさ本当に、本当に分かってるんで。7年ブランク空けて復帰して、改めて『ああ大変だな』と感じたので」
HB「『一点もつけられない』というのはそういうことですよね。でも以前の自分との比較が冷静に出来てるということだから良いと思いますよ」
斉藤「これから時間かけて練習積み上げていけば、もっといい動き出来るようになると思います」
HB「今日入ってくるとき、ジャンプと言うかステップ踏みながら入ってきたじゃないですか。あれは自分で硬いという自覚があったんですか?」
斉藤「本当にその通りです(笑)」
HB「では最後に見てる人に伝えたいことはありますか?」
斉藤「今の時代、悩みとか問題抱えてる人が多いと思うんですけど、僕も不幸自慢じゃないけど嫌なこと不幸なことばっかりで、そういう星の下に生まれてきたのかな、思ったこともあったんですけど。でも今は、奥さんがいて、子供たちがいて本当に幸せなんですよ。だから諦めないことですね。諦めないこと、投げないこと、折れないこと、それを見せれるのが僕の仕事なのかな、と。僕の背中見てもらって、なんか伝えらえることがあると思ってます」
悩んでいる人、問題を抱えている人を戦っている姿で励ませるような、そんな選手でありたいという斎藤選手。ボクシングを見る理由は人それそれだとは思いますが、この日会場に七年ぶりの試合を見に来たのは、以前からのファンも初めての人も、彼の人柄や生き方に感応した人達だったと思います。裁判闘争でキャリアが停滞したことは、外野から見れば時間の無駄に見えるかも知れませんが、彼が愚直に裁判で戦ったからこそ、沢山のボクサーが彼の開いた道を通って移籍することが出来ました。彼は、ことあるごとに『自分の為にやっただけ』と言いますが、そうやって損得勘定せずにまっすぐに生きることが出来る人が今時どれくらいいるでしょうか?
自分が考えるボクシングの良さは、ボクサーが普段生活してる街の中にいて、走ったり、練習したり、生活したりしてるその息遣いが身近な人に伝わる事だと思います。遠くにいて憧れる存在ではなく、自分と同じような生活者として街に居て、試合があればまばゆいリングに上がって応援や期待を受けて戦うという、昔ながらのプロボクサーの魅力が斉藤選手からは溢れていると思います。自分も一ファンとして、今後も斉藤選手を追いかけて行こうと思います。
斉藤選手が注目を浴びて本当に良かったと思っている(旧徳山と長谷川が好きです)