HARD BLOW !

ナイフと言われた男

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ある事件から個人的にずっと気になっていた一人のボクサーに会った。
98年度第45回全日本Sフェザー級新人王獲得の大串尋人(おおぐし ひろと)である。
19戦15勝(11KO)4敗の立派な記録だが、最後の試合から11年が経過した。しかし、本人は引退届を出していないと言う。
17歳でボクシングを始めた彼は今年35歳になっていた。

大串のレコードを振り返ってみると面白い事に気付いた。
戦績で目立つのは高いKO率で、11KO勝利のうち7人の選手がその試合を最後に引退しているか、または大きなブランクを作らざるを得なくなっているのだ。これは一体何を表すのかとても興味深い。

何度も大串とスパーリングで手合わせをした同門の松信秀和はその他にもエドウィン・バレロ、ホルヘ・リナレス、内山高志ら著名な世界チャンピオンらとも数多くのスパーをこなしているが、大串のパンチを後にこう語った。

「大串の左フックはデビュー当初から一発で相手の意識を刈り取るほどの威力があった。小堀佑介(元WBA世界ライト級王者)も切れ味に定評があったが、この左フックに関して自分が怖いと思ったのは後にも先にもこの二人だけだった」

大串はデビュー戦、二戦目と立て続けにこの左フックで相手を秒殺した。

98年の新人王戦にエントリーすると、東日本新人王準決勝の相手は4戦4勝で勝ち上がって来た儀間真次(帝拳)で強打の前評判高く、アマ上がりでスピードと技巧が売りだった大澤康規(大橋)と並んで優勝候補の一人だったが、大串の左フックの餌食となり2RKO負け。この試合を最後にあっさり引退した
大串が引退に追い込んだ選手の中には比国のベテランのエルネスト・ウルダニサ、当時三迫ジムのホープだった小牧亮太、後に長らく日本人の壁となった比国のジェス・マーカに勝ち東洋タイトルを獲得した韓国のベテラン呉 張均もいる。皆、大串戦を最後にリングを去った。

大串に負けたものの判定まで粘った選手は4人でその内、直後に引退せず現役を続けたのは松沼誠太郎(沖)と中村徳人(相模原ヨネクラ)の二人だけ。日本タイトル挑戦まで辿り着いたのは中村ただ一人だった。

これで大串戦を最後に引退した選手が8人もいることになるのだ。
ただし、その内3人は暫くして復帰したと聞くが記録として残っておらず、その後を追うのが難しくなった。これは時間をかけて追ってみたい。
物事には必ず原因と結果がある。追って行くうちに何かが見えてくるだろうか?

逆に大串に際どい判定で勝った篠崎哲也(高崎)は次戦で強打のコウジ有沢が保持する日本Sフェザー級タイトルに挑戦。大接戦の末、引き分けで王座獲得ならず。
つまり大串にとって篠崎戦はタイトル挑戦目前での手痛い敗戦だったのだ。
その後さらに連敗を重ねた後、再起2連勝と復調の兆しがあったものの、ついにあの鮮烈な強打は復活しなかった。

ボクシングは過酷なスポーツである。
時に命懸けでたった二つの拳で頂点にある栄光を目指す。文字通り生き残りを賭けての戦いだ。
大串の戦績から敗れ去ったグリーンボーイたちの失意の足跡が垣間見える。
生き残った大串は彼らの分まで戦い、そして彼らの無念をも晴らさなければならなかったはずだ。
それは栄光へと向かう勝者の義務でもある。だからこそボクシングは強者の系譜として受け継がれて来たのだ。
いや、大串自身も燃え尽きるまで戦い続けたいと願っていたのではないか?


11連勝8連続KOが止まった篠崎戦後、当時宮田ジム最大のホープだった大串尋人に一体何があったのか?ボクサーの光と影を追ってみたい。


同門に後の世界フライ級王者 内藤大助がいる。
大串が全日本新人王を獲得したこの年、内藤もまたフライ級の全日本新人王に輝いている。
また、前年にはフェザー級で新人王を制しMVPを獲得した松信秀和とこの時期は同門同士の若手出世争いが注目されていた。

練習の虫といわれた内藤に比べどちらかといえば、ボクシングセンスとパンチャーとしての才能があった大串、松信は練習嫌いで有名だった。
いや、大串の場合は練習嫌いというより、すぐに物事を投げ出してしまうといった面があった。
初黒星のあと2連勝で復活し97年度新人王戦へのエントリーが決まったが、パッタリとジムから姿を消した。
この年は松信も同じフェザー級での出場が決まっていて、トーナメント表が発表されると決勝で大串との同門対決になるとの予想が立てられた。
松信は同期の内藤が日本タイトル挑戦を決めた時、「先を越された」と口惜しさ滲ませたが、気の良い大串は「素直に嬉しかった」と口にした。
大串本人は生涯言うつもりはないだろうが、この優しさがボクシングから一時遠ざかる事になった原因では無かったのか。勝負事とは言えどちらかに傷が付く。仲間とギクシャクするのを恐れたのではないか、と私は感じた。

大串の生い立ちを見ると父親から離れて、孤独感を味わったであろう少年時代があった。この頃は喧嘩もよくした。周りも悪かったが、自分の事よりも友達の事で体を張った。それは大串自身の孤独を埋め合わせる為ではなかったか。そして、それはいつしか彼の行動規範になる。

この年12月、大串のいないフェザー級では大方の予想通り松信が東日本新人王MVPを獲得し全日本も制した。
大串といえば当時住んでいた江東区大島のアパートで一人くすぶっていた。どうであれボクシングから離れたのは自分だ。本心を悟られないように「練習を1日か2日休んだら、もうどうでもよくなった」と言い訳したが・・
年が明けても大串はジムに顔を見せる事は無かったが、頑なになった心にやっと転機が訪れた。
大串が忘れもしない98年1月20日の深夜だった。

アパートのドアチャイムが何度も鳴る。時計を見ると午前0時をとうに過ぎている。
大串は「誰にも会いたくない」と深夜の訪問者を無視し続けた。
やがてドアの外は静かになったが大串はテレビを消して耳を澄ましていた。
すると、今度は窓の外で何やらゴソゴソと物音がし出した。
ベランダにドスンという音と共に人影が見えた。
大串の住んでいる部屋は2階である。
瞬間、窓がガラリと開けられて大串は驚き、身構えた。
壁をよじ登ってベランダから部屋に侵入して来た男を良く見ると見慣れたキャップを被っていた。

「会長!何やってんすか!」

「おおぐし!いいから練習に来い!」

この短い会話で大串は再起を決意した。
正直嬉しかったと後に話す大串だが、その時の宮田会長の右手に何故アイスピックが握られていたのか、今でも解らないと洩らす。
宮田博行会長の深夜の急襲に、自分は期待されていたんだと気付いた大串は一階級上げ心機一転。Sフェザー級でエントリーしたこの年の東日本新人王予選初戦、1年と4ヶ月ぶりの試合で粘る中村徳人を4R判定に下すと、怒涛の快進撃を見せる。

次戦の有賀祐二郎(シシド)を右フック2発で担架送りにして左だけでは無い事をアピール。
準決勝では優勝候補の儀間真次を伝家の宝刀左フックで2Rノックアウト。
この試合がこの年の新人王戦のハイライトでもあった。
決勝は今大会もう一人の本命、横浜高ボクシング部出身のテクニシャン大澤康規が相手だった。
スピードが身上の大澤は終盤まで粘るが5Rに大串の狙いすました見事な右クロスが決まりリングに散った。
続く全日本決勝でも西日本をしぶとく勝ちぬいて来た濱之上 彰(鹿児島シティ)を難なく2Rで切って落とし見事に全日本を制し敢闘賞を獲得した。
大串にとっては誰の為でも無い、人生の中で初めて自分の為だけに戦い、そして勝ち抜いた末の栄冠であった。人の事では素直に喜べるのに自分の事には照れて隠す面もあったのか、優秀選手三賞に送られた副賞のラスベガス旅行は何故か辞退した。だが、宮田会長との男の約束を果たした事に大串は胸を張った。

しかし、そんな大串も若さが抜けず宮田会長の指導にも「自分は体さえ作れば勝てるんです」と言い放つ頑固さが仇となった。後援会の付き合いも酒を遠慮せず、賑やかになり始めた周辺との交際も断らなかった。
日本タイトル挑戦が囁かれ始めた頃も、マイペースの練習しかしなかったが、それでも相変わらず力で相手をねじ伏せ続けた。
11連勝8連続KO勝ちの勢いで臨んだ初10回戦。勝てばいよいよタイトル挑戦が現実味を帯びて来る大串にとって絶対に落とせない試合だった。結果から言えばこの一戦が彼のボクサー人生大きく狂わせる。
だが、本人はいつものようにマイペースな練習でいつものようにリングに上がるだけだった。
対戦者はここまで24戦して12勝(5KO)6敗6分けの篠崎 哲也(高崎)
戦績を見ても勢いに乗っている大串が圧倒するのではないかと見られた。
気がかりなのは篠崎が一度のKO負けも無いタフネスを備えている事だったが、逆に大串が何ラウンドで倒せるかに興味は注がれた。
しかし、初回から力み返った大串は終始前に出る篠崎に手を焼いた。幾つも手応えのあるパンチが篠崎の顔面を捕え左フックを効かせたはずだった。しかし、ついに篠崎は倒れる事は無かった。大串も試合全般を通して手数が少なくこれまでに無い苦戦ではあったが、僅かながら自分が勝ったと思った。
実際に「勝者赤コーナー・・」とコールされ一度は大串の手が挙げられたのだ。
ほっとした瞬間、信じられない事が起こった。
単純な集計ミスとの事で正式な勝者がコールされたが、大串にとっては判定が覆った事と一緒だ。
大串は一礼もせず、黙ってリングを降りた。怒りは心頭に達したが騒ぐ事も無かった。
彼は自分の事では素直に怒りを表現出来ない性質だったのだ。
しかし、負けた事よりもこの事が大串の心を深く傷付けた。
ボクシングへの情熱が「ゼロになった瞬間」と大串は打ち明けた。
世の中にはこんな事はいくらでもある。いや、もっと理不尽な事はある。
しかし、たったこれだけのことでボクサーの心は深く傷つき、奈落に落ちてしまうものなのか。

ボクシングは非日常であり、また非情である。
マイペースを気取っていた大串だが、実は彼もまた他のボクサーと同じようにギリギリの所で戦っていたのだ。ファンはそのボクサーの硝子のような心に気付かなければならないと思う。

その後大串は覇気の無い試合を繰り返しさらに連敗を重ねる。
流石に3連敗以上してブランクを作る訳にもいかずに何とか踏みとどまったが、勝ちを優先する余りに、あの怖さを知らぬ荒武者の様な試合ぶりは影を潜めた。


新人王戦の後、順調に白星を伸ばし先にタイトル挑戦を果たしたのは内藤大助だった。
01年7月16日、坂田健史(協栄)の持つ日本フライ級タイトルに内藤は挑戦し1-0の引き分けで惜しくも王座獲得ならず。試合内容は接戦で後半を制した内藤の手が挙がるものと思えたが、判定は意外だった。

そしてこの時、事件は起こった。
判定がアナウンスされると、内藤のセコンドやジム仲間がリングエプロンに駆け上がり猛抗議が始まった。その中の一人がナイフのような物を振りかざし何事か叫んでいるではないか!
この異様な光景は周囲を騒然とさせたが、本人は一向に収まる気配はない。

練習で互いに苦しい思いをし、同じ釜の飯を食った仲間の内藤が不当な判定で貶められたと思った。
自分の事は我慢出来るが、仲間に加えられた理不尽な仕打ちは絶対に許せない!

控室でも大串の怒りは収まらず、審判に対しての批判や暴言は扉の外にまで響いた。
控室の隣りにある試合役員室にもその声は伝わったはずだが、伝聞では酔った大串が試合役員室に乗り込んで暴言を吐いた事になっている。しかしそれは若干、事実とは異なる。

ファンの間でもこのショッキングなニュースはまたたくまに広がった。
その二日後コミッションは大串に対しプロボクサーライセンス無期限停止処分を下した。

ボクサーがリング外の刑事事件などの重大犯罪以外でこの処分を食らったのは大串唯一人である。
本人は半年か長くて1年も謹慎すればまたリングに上がれるだろうと高をくくっていた。
その処分通知書には(一年以上の)と付されていたからだ。

しかし、1年以上経っても復帰への兆しは一向に見られなかった。
大串は再び孤独になった。

ジムや後援会もショッキングな事件にすっかり腰が引けてしまったのか、と私は思った。ジム仲間の間でもそうした感情が広がった。いつしか大串の事はタブーとなっていった。

しかし、実際は違った。
この時の事を大串はこう振り返る。

「実は処分が下った翌日に(明日ネクタイ締めてコミッションに謝罪に行くからな)と宮田会長が言ってくれてたんです。一緒に会長が頭を下げてくれると言うのに、俺としては直後だったから素直に頭を下げられないって突っぱねちゃった。その予定の日には協会のお偉いさんも集まっていたらしくて・・会長の顔まで潰してしまった」
「だけど謝罪に行かなかった本当の理由は、着て行くスーツを当時持っていなかったんです。それが言えなくて・・ずっとそのまま何年も経ってしまいました」

なんと間抜けな話しだろう・・。

しかし、大串は本当に復帰を諦めていたのだろうか?


「本当にボクシングをあきらめ切れたならジムにも近づかないし、昔のボクサー仲間にも会いません。未練が無いと言ったらウソになる。」
「あれ以来、本当につまらない10年を過ごしてしまった」と言う大串に「そのつまらない時間の中にもきっと意味があると思う。人生に無駄はないはず」という仲間の声があった。
「確かに世の中でもまれて丸くなったと思うし、大人にもなった。今でも頭を下げて、やれるものならやってみたい・・」

現役時代と変わらぬ引き締まった体は67kgを維持している。

「だけどもう(ボクサー定年まで)あと1年半しかないんですよね。しかし出来るとしても6回戦からだし、順調に行ったとしてもランキング入りから半年経たないとタイトル挑戦が出来ないルールなんです。それでもね、やっぱり・・」

10年以上現役を離れた人間が奇跡の復活を遂げられるほどプロボクシングは甘くない。
そんな事は大串自身が一番良く解っている。

世界王者にまで登り詰め有名になった内藤大助も、しのぎを削った松信秀和も現役を終えた。大串にとって昔と変わらぬ、いや今では兄弟のような間柄である。
大串もまたかつての少年の様な心で孤独と戦う面影は既にない。
温和になって人の話しを良く聞く大人になった。

しかし、いくら時間が経っても埋められない記憶はある。

大串の拳の前に打ち倒され、若くして引退に追い込まれたボクサーらの事を思うと、まだ諦め切れないと言う大串には自身の為にも、そしてそう・・あの日の贖罪の意味も込めて、その心の無念をたった一度でも晴らして欲しいと願ってしまうのである。

by B.B

コウジ有澤in西麻布・・part2

さてさて前回、西麻布「まぐろや」のご紹介をさせて頂きましたが、昨晩はウチ猫記者ほかHARD BLOW!読者の方々と再び「まぐろや」におじゃまして、「青鹿毛」呷りながらコウジ有澤さんとのボクシング談義に花を咲かせて参りました。
早速コウジ有澤さんの現役時代の興味深いお話しを紹介したい、とその前にやっぱりお店の話しから。
スイマセン、旨いんですよホントにここ(笑
「梅さん!いつものお漬け物を・・」「へい!いつもの!」とお出しいただいたのがとっておきの、かぼちゃに大根、山芋、茗荷、トマトの盛り合わせ。
もうすべての一つ々に心配りがされていて、これだけでお酒がすすむこと、すすむこと(笑

看板のまぐろのいいところや黒鯛、それに自慢の穴子の白焼きは某タレントさんがこれだけを目当てに来店されるとか。ちょっと普通のお店では頂けない贅沢な逸品が今日も惜しげもなく・・でした。
気になる4名様のお会計は〆て大ペソ2枚にまたビックリ!西麻布あたりにご用の際は是非お立ち寄りくださいませ。(要予約らしい)


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思えばコウジさんとの出会いは僕がサラリーマン時代でしたが、もう何年になりますかね。

「僕が古城さんの持つ日本タイトルに挑戦する前でしたから24歳の時ですね」

そうだ古城賢一郎さんは不思議なボクサーで負けは込んでいたものの老獪でねぇ。当時アマチュアから鳴り物入りでプロデビューして来た赤城武幸さんや東悟さんに黒星を付けている。僕は正直まだ早いかなと思ってました。あの独特なカバーリングはホントに厄介で・・それが僅か2Rで右当てて倒しちゃった(笑

「あの時は勢いもありましたけど、控室からリングに向かう途中はもう逃げ出したいほど恐くて、半分泣いてました。リングの中央で向かい合ってレフェリーの注意を聞いている時も古城さんはもの凄い目で睨むんですよ。あの風貌ですから、もう見ないように下向いてました(笑」

その後も何度かお会いしましたが、川崎タツキさんを紹介してくれたのもこの頃でしたね

「あの時はタツキが25歳でボクシングを始めようかという時期でまだ背中に刺青が入ってましたから良く覚えてます(笑」

そうでした。当時有澤ジムのトレーナーだった古川さんに街中でバッタリ会った事が、川崎タツキさんの大きな転機だったんですよね。その後コウジさんやカズさんらのアドバイスでボクシングに賭けてみようと。

「はい、あの時はB.Bさん、あの輪島功一さんだって25歳デビューでしたから、やる気さえあれば全然間に合いますよと言って下さったんです」

そうでしたか。けど、その後タツキさん後ろを振り返って僕に背中を見せた・・チョット言葉を失ったのは覚えてます(笑

「はい(笑)その後本人の努力も勿論ですが、周りの沢山の人が応援してくれて手術が出来て良かったです。それでも刺青消しても跡はどうしても残って、コミッションに何度も掛け合って、ようやくOK貰ってデビュー出来たんです。引退後も講演とか引っ張りだこで、今は足立区でジムをやってますけど有頂天になる事も無く頑張ってます。ほんとに根っからいい奴ですよ」

そういえば、僕の職場でテレビのロケがあった時もたまたまジムの皆さんで遊びに来られてました。それでディレクターに日本チャンピオンですよ、あの人って伝えたんですよ。たしかテレビ東京のクイズ番組でしたけど、あれは可笑しかった。

「はい、あの時は三日天下で有名な明智光秀の言った言葉、敵は○○にあり?という問題でしたが、ボクサーですし、わざとボケてという空気でしたから敵は我にあり!って答えたんです」

ボケても真っ直ぐなコウジさんらしい(笑

「はい、そしたら横に居たタツキが、敵はモハメド・アリ!って答えるんですよ。全部持ってかれました(大笑」

さてコウジさんの現役時代の話しをしましょう。ここで避けて通れないのはやはり畑山隆則さんとの究極の日本タイトルマッチです。

あれは畑山さんからのラブコールでした。崔との世界戦を惜しい引き分けで挑戦失敗した直後でしたが、仕切り直しに僕を指名して来たんです。僕も18連勝で勢いがありましたし、Jrライト級(当時)では国内トップの自覚はありました。でも畑山さんは世界王者と五分以上の試合をしたばかりで無敗の勢いだけでなく、駆け引きなどでも大きく成長してたと思います。僕にはまだまだ学ばなければならない事がありましたが、オファーがあれば断る理由がありません。負けたけど強い人とやって良かったです」

あの試合初回から右のボディーを狙って行きましたが作戦でしたか?

「畑山さんは足も体にもスピードがありましたから、動きを止めたいという事はありました。それと左のガードを下げさせて強い右を顔面に当てるという・・。ですが試合前から物凄い盛り上がり方で会場も世界戦で使うくらい広かったですしね、もう初回からガチガチでした」




「究極の日本タイトルマッチ」


それでも作戦通り中盤近くから得意の右が当たり始めましたね。

「畑山さんはいいのが当たって効いてるはずなのに、やっぱり気持ちが強いんです。勝てばお互いに世界ですからあの試合僕はその気持で負けたんだと思います」

仰る通り、試合後の控室で畑山さんは「コウジさんは世界王者の崔(チェ・ヨンス)より間違いなく強かったです。右もボディも強くて効いてました。だけど、この試合は僕の方が少しだけ世界に行きたいという気持ちが強かったのかも知れない」とプレスの前で言ったそうですね。

「それはリップサービスにしても嬉しいですね」

その後、再び福岡帝拳のホープ、パンサー柳田さんと同級王座を争い王座に復帰、平仲信敏さんとの激闘に続くわけですが・・

「平仲さんは拳が固くて僕が戦った中で一番パンチが強かったです。一見振り回すファイターに見えますがインファイトの細かいテクニックが凄いです。焦って出ようとすると突っ込んでくる僕の頭の位置を予測して、顎を引きながらおでこで待っているんです。序盤に眉間をカットしましたが見事にそのトラップにやられました」

それは傍から見てても判りませんね、実際に戦ってみないと解らないですね。しかしあの第二戦も火の出るような打ち合いでしたが制したのはコウジさんでした。

「やはり、畑山戦の経験が大きかったと思います。この試合も勝てば世界と言われてましたし、経験豊富な平仲さんに勝つ事が出来て更に自信が深まりました」




「コウジvs平仲Ⅱ」


僕は何度も言うけどコウジさんは華のあるリングの天才と思うんです。プロボクサーとしてまず外れの試合が無い。常にホールを満員にして、それを背に全力で相手を叩きのめそうと前に出る。自分が当てようとするパンチを決めたら、カウンターが飛んで来ようが躊躇しない。その瞬間はコウジさんの目が見開かれているからそれが手に取るように解るんです。それに一発当てたら間髪入れず必ず行きますよね、「見る」と言うもどかしさが無い。だから観客も熱狂する訳です。やっぱりそれは当たった時の拳の感触ですか?

「いや、いいパンチは感触がほとんどないですね。勘ですかね(笑」

その後ついに世界への道は開かれませんでしたが、そろそろアノ話しをして頂いてもいいですか?

「はい、オファーは確かにあったんです。ホエル・カサマヨルですね」

当時その話しを聞いた時僕はビックリしてしまって(笑

「それを聞いた時はいつものように(笑)恐さも勿論ありましたが、嬉しかったですよ、世界だぞ!と。僕の眠っている本当の闘志を呼び覚ましてくれるはずと思ってました」

これまでのあの闘志溢れる試合を経ても?

「はい、自分の中にまだ眠っている何かを感じてました。結局、条件の問題など(色々)あって実現しませんでしたが・・」

当時はやっぱり頂点にカサマヨルやフレイタスでしたし、世界一の男とやりたいという気持ちは良く判ります。それからずっと後になりますが、出演されたキラ星の舞台でボクシングファンのプロデューサーが粋な演出をしましたね。世界一強い男とのタイトルマッチで激戦を制したコウジ有沢がセコンドに肩車されるシーン。
僕は思わず泣いてしまった。

「いや、僕も演技とは忘れて感極まって号泣してました(笑」

それでは最近のボクシングについて何か一言お願いします。

「そうですね、色々あるんですけどボクサーですからリングの事を。最近、試合に負けたり不甲斐ない試合で終わった選手に見られる事なんですが、四方に手を合わせてすまなそうにお辞儀する選手が多いですね。あれとっても違和感があるんですよ。気持ちは解るんですけど、負けても自分はプロだという事を忘れて欲しくないんです。練習を目一杯やって来たんだったら、グローブでロープを思いっきり叩くくらいの悔しさを出さないと。ちゃんとボクシングを知っている人はやり切らなかった言い訳にしか見ません。謝るのは控室でいいんです。辰吉さんくらいのレベルだったらまぁ解りますけどね。それでもプロとしてはどうなのかな?と」

なるほど・・やり切って来られたコウジさんだから言えるプロの後輩たちへの助言ですね。
そういえば12月にオヤジファイト?でユウジ・ゴメスさんとガチンコ勝負らしいですが・・

「そうなんですよ、むこうもその気らしいんでやりますよガチンコで!(笑」

話しはまだまだ尽きませんが(笑)記憶に深く残るボクサー、コウジ有沢さんの貴重なお話を紹介させて頂ける事はファンとしても感無量です。長い時間本当にありがとうございました!!

byB.B

コウジ有沢in西麻布「まぐろや」

イケメンメダリストの話を聞いた後に、そこからすぐの場所にある、かつての「イケメンチャンピオン」が働くお寿司屋さんを訪ねました。元・日本スーパーフェザー級チャンピオン・コウジ有沢さんは、こちらも村田選手に負けず劣らず、相変わらずのいい男っぷり。厨房に立つ大将は、ニューヨークでトップクラスの寿司店「安田」で長らく包丁をふるっていた○○さん。このお二人が出迎えてくれるのが、「西麻布横丁 鮨 まぐろや」です。(ウチ猫)

青鹿毛とコウジさん



「どうもご無沙汰でーす!」とのれんをくぐると、いつものこのスマイルで出迎えてくれたのは双子の兄弟ボクサーで一世を風靡したコウジ有沢さんこと有澤幸司氏(41)
と、一般メディアではこんな取り上げ方で始まるんでしょうけど、僕ら素人ブログでの扱いでは上にも置きませんのでご勘弁をという事で、ざっくばらんに紹介して参ります(笑

先ずはお店の宣伝。

大将のうめさんはトップにあるようにニューヨークの有名店で8年間の修業を終えて帰国。現在はコウジさんとの共同経営でこの「まぐろや」で自慢の包丁をふるっています。
「うめさん」はたぶんニックネームで・・そう、あの「ど根性ガエルの梅さん」からと思うんですが、初対面とは思えない人懐こい笑顔と軽快な語り口は一瞬で惹き込まれます。若き日の川谷拓三さんを3倍くらい男前にした感じかな?
「いいところで握りますか!」と出された寿司は上物あわびや看板の鮪からはじまって、あなご、こはだ、いくらとどれもこだわりのまさに逸品!その他、白焼きやたいら貝の磯辺巻きなど贅沢なお品書きが次々と。

このあたりで「流石に西麻布、ちょっと覚悟が必要だなぁ」と財布の中のペソを頭の中で計算・・(汗

しかし、そこは飲んだくれの真骨頂。うめさんこだわりの焼酎(大理石のかめ!から注がれた米焼酎)やコウジさんお薦めの宮崎「青鹿毛」「赤鹿毛」をテキーラのように飲みほしながら昔ばなしに花を咲かせると、そこはすでに文字通りお花畑の世界であります(笑
まぁ、まずこの先飲めないであろう大理石焼酎は芳醇な米の香りで我が身大地に包まれたよう・・
僕がショックを受けたのは大麦の香り芳(かんば)し「青鹿毛」で世の中にこんなお酒がまだあったのか!
いや、もっと驚いたのはうめさん自慢のお漬物。この日いただいたのは「かぼちゃ」でしたが、これがなんとなめらかで新鮮な瓜のよう。ぶったまげました!

おそるおそるの「おあいそ!」でまたビックリ。
身も心も大満足のこの日のお会計お二人様は〆て大ペソ一枚に小ペソを少々(いや無粋な話で申し訳ない!)

いやぁ、しかし幸せなひと時でした。ありがとうございました!

とと、肝心のボクシング談義載せるの忘れてました・・
まぁいいや、すんません、また今度です!


まぐろや

ブログがんばって下さいね!と見送ってくれたコウジさん。
「青鹿毛」手に入りそうなんで2本くらいぶら下げてまた来ます!
by B.B

美しい体操

ボクシングファンにとっては、村田諒太、清水聡らの大活躍で大いに盛り上がったロンドンオリンピックが本日閉会しました。
時期に当たってこの歴史的快挙について、いやまじで氏、中年チャンピオン氏に記事の投稿をお願いしましたが、期間中は当ブログのコメンテーターの中でボクシングだけでなく他の競技についても数多く話題となり意見交換をしてきました。その中で印象深いものを再現してみました。(B.B)

男子体操・内村航平選手について・・

自分にとって内村航平は現状日本一凄いアスリートなのですが、それは彼がゼネラリストを目指しているからです。個人総合の決勝に団体金の中国の選手が一人もいないのが象徴的ですが、いま体操界の主流はスペシャリストです。それはプロ野球の現状にも言えることで、分業制がスポーツ界に蔓延しています。その世界的な潮流の中で全能性を志向するのは現代においては尊いことであり、同時に古代ギリシャで始まったオリンピックの原点への回帰でもあります。そもそも瞬発系の競技で日本人がトップに立つという困難さを加味する尋常ではない超人性だと思えます。個人総合優勝はかつてロス五輪で具志堅幸司さんが達成されておりそれは勿論偉業ですが、あの時はソ連と東ドイツがいない『片肺五輪』であり、やはり今回の内村は別格であると思います。彼の超人性が正当に評価されることは今の日本の社会で無理なのでしょうか?モハメド・アリやカール・ルイスにも劣らない歴史的なスポーツ選手だと思うのですが・・・(中年チャンピオン)


内村の演技を改めて見直すと空中での感覚が他の日本人選手とは一枚抜けている事が判りますね。特に高得点を叩き出した跳馬での演技では、ロンダート後方宙返りから入ってひねり前方宙返りで降りるという難度の高い技ですが、この着地を一歩も踏み出さずピタリと決めるのは本当に難しい。
後方宙返りから降りる場合は着地が自分の目で確認できるので体のコントロールが比較的にし易いのですが、前方の場合は着地点が寸前まで(特に伸身系の場合)見えませんので回転の縦軸感覚しか無い選手には先ずこれが出来ません。勿論練習である程度養えるものですが。
内村はこの縦軸感覚と共に横軸感覚(一流選手の資質)が鋭い事もあると思いますが、おそらく着地寸前の頭が真下を向いている時にすでに目だけは四方を見て位置を確認し着地の為の微調整を加えているはずです。
空中姿勢の微調整は実は体操の極意(体の緊張と緩和)で、これを感覚だけに頼らず目視を常に加える事の出来る選手は内村の他にはそうはいないでしょう。
これに加えて内村は自身の「超」感覚をこう表現しました。
「僕には演技をしている自分をもう一人の自分が俯瞰しているという感覚があるんです
内村は天才なのかと思ったエピソードがあります。
4、5歳の頃から誰に教えられた訳でもなく、ピンクパンサーの人形を自分の体に見たてて引っ繰り返したりひねりを加えたりして、「これなら出来る」と言い放ったそうです。
その映像が何処かにありましたが、なんとその技は「月面宙返り」でした。

月面宙返りはご存知の通り、鉄棒のスペシャリスト塚原光男さんがミュンヘン五輪で世界に向け披露された超ウルトラCと言われた画期的なものでした。
この鉄棒の大技はその後、世界の体操競技を大きく進化させ変えるものとなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=4v_ZVnEg0YE&feature=related
当時すでに体操小僧だった中学生の僕は塚原に憧れ夢中になりました。

この頃、塚原光男と同じ年代、同じ日本人チームの中にスペシャリストが実は何人もいました。
平行棒、床の加藤沢男、あん馬の監物 永三、つり輪の中山彰規と塚原を凌ぐ選手の中でしのぎを削ってきました。
今でこそ塚原光男は「ムーンサルト」で鉄棒のスペシャリストとして名を残しましたが、当時の真の実力者は加藤沢男、次に中山彰規と見るのが妥当ではなかったかと考えています。
特に加藤沢男の演技はすべての競技で安定感とその美しさにおいて群を抜いており、体操の極意である「緊張と緩和」を体得した選手であったと思います。
旧徳さんの言われるゼネラリストを目指したという意味でも強力なライバル群の中で僕は彼を推すわけです。
それでもムーンサルトの衝撃は日本を世界を巻き込みましたので、加藤らは塚原の影に隠れてしまいましたが。

内村は体操競技者としてこれまでの日本人選手の中でも現在最も完璧に近づきつつあると思いますが、「一般的評価」としては旧徳さんが既に気付かれたであろうサイドストーリーとしてのやはりライバル不在が挙げられますかね。
日本での評価については、ある意味塚原のような一般的なブームにまで至らないと起こらない議論かも知れません。マスも含めて見る側の競技と競技者への理解と冷静さ、そして成熟が求められますね。
それに自分の為に戦うという純粋なそして当たり前の本音は美しいとされない日本。問題はここでしょうか?(B.B)


実は僕も器械体操見るのはすごく好きで、モントリオールの笠松茂さんくらいから記憶があります。現在の内村の活躍や台頭は、冨田洋之がつけた流れのもとにあるものだというのが自分の分析です。日本体操界の最低迷期を経て日本の『美しい体操』を復興させた功労者という意味でも彼を高く評価しています。冨田と塚原jrでそれが採点傾向すら変えてしまった。その延長上に内村の個人での金があるのではないでしょうか?正直今の採点傾向では新技が生まれる動機付けが少なく技術的なイノベーションが止まる可能性があるので少し変更が必要ではありますが、さりとて内村は難易度においても第一人者であると思います。

『器械体操の個人総合で金を取る』ということのとてつもない価値を本当に日本の大衆は理解しているのか?偉業に対してリアクションが少なくない?というのが未だに不満です。そして一見すると全く普通の大学生である彼が実は超人性、全能性を志向している「哲学者」であるということが正しく伝わっているのか?あの飄々とした仮面の下にとてつもない志があることを少しでも多くの人に知ってほしいと思います。(中年チャンピオン)



日本男子体操五輪出場の歴史を紐解くと意外と古く昭和5年のロス大会なんですね。
その後第二次大戦があって世界との交流が途絶えましたが、戦後再び国威掲揚の為に力を入れ始めたのがボクシングであり器械体操だったと。
当時の器械体操は文字通り体操の延長線上にあったので演技、模範演技という言葉が今でも使われているようです。
日本の体操の美しさの原点は頭のてっぺんからつま先まで自分の体を繊細に制御するところにありますが、日本人の元々の資質だったのか、戦時訓練の賜物か日本体操陣はこれを持ってめきめきと頭角を現すのですが、そこに出現したのが天才・竹本正男でした。

彼の演技は欧米選手のダイナミックな演技には及ばなかったものの、体の繊細な制御をこれでもかとアピール出来る「表現力」があったといいます。
初出場のヘルシンキオリンピックでは跳馬で日本人初の銀メダルを獲得するのですが、実はそれよりも徒手(現在の床運動)でのピタリと決める演技の美しさに当時の世界体操界は驚いた。
その後ローマの世界選手権で竹本の演技は世界的に認められ念願の金メダルを獲得、続くモスクワでは竹本を模範とする欧米選手が続出しながらそれらを抑え二連覇。
日本の美しい体操の源流はここにあると僕は考えています。
実際に加藤沢男、中山、塚原そして笠松茂ら日本体操界の牽引者も竹本に師事を仰ぎました。この中でも竹本の体操を正しく受け継いだのが加藤であり中山ではなかったかと僕は考えるわけです。

しかし、その後あまりに強くなった日本を抑える為にルールや出場枠などが変更され、演技自体も欧米や特にロシアなどの得意とする離れ業主流が採点の重きになって行き、覇権はロシア、中国へと移りました。
低迷する日本、勝てない日本体操界の中で再びその伝統を復活させたのが冨田ならば、彼は加藤沢男に次ぐいわば中興の祖ともいうべき存在なのでしょうか。
冨田の活躍を僕は実はあまり知らないのですが、「美しい日本の体操」の体現者とするならば日本体操界の最高傑作、内村航平も彼には大きな影響を受けた事でしょう。

内村を実は超人性、全能性を志向している「哲学者」と表現される事について、僕もまさにその通り!と思い昨夜は思わず嬉しくなり、ついつい飲み過ぎました(笑
そもそも哲学者は真理への求道者、探究者でありますので「自分」が、もっと言えば「自分だけが」如何にそれに向かえるのかが最大のテーマです。
即ちそこにもはや他人は存在しない訳で、内村もそして冨田もどこか孤高の雰囲気が漂っていますね。
遍く過去の哲学者たちも、おそらくはそのような精神の出発であり、その大いなる探究の結果に沢山の人々がついて来た。
傍観者や凡人はその有様を見て初めて偉業だったのだと知るのでしょうね。(B.B)



今回もいろんな競技が採点で揉めてますが、今の体操界は日本には有利な採点傾向ですね。これはアクロバチックな技のイノベーションがある程度頭を打ってることに起因すると思われます。それと離れ技の難易度を上げることで深刻事故が起きるの防ぐ意味もあるのだと思います。今回は選手の名前を冠した新技もなく各国の離れ技・演技構成は北京からほぼ変わっていない。むしろ床や平行棒は技の難易度より数を重視するような流れになっている。もちろん内村にも「ウチムラ」という名の新技を残して欲しいですが、しかし今の体操も変わらず魅力的で面白いと思います。ギンガーやマルケロフやゲイロードは全く見なくなりましたね。トカチェフだけは伸身で残ってますがコバチすらやる選手が減ってきた。居酒屋の突き出しで『連続コバチ』というギャグをやってる人もいなくなりました(笑)コールマンやカッシーナもリスクの割に加点に反映されない。自分としてはもう少しアクロバット的な要素が入ってる方が好みです(笑)。北京の時は冨田と鹿島が注目選手で内村は期待の若手という位置づけでしたが青年の成長は驚くほど速いですね。しかし内村の登場もまた伝統の継承と競技者であったご両親のスパルタ訓練の賜物。一人の大天才の影には何十人もの天才がいる。やはりスポーツはマンパワーですね。

日本人は身体操法的な統御論が凄く好きですね。武道・秘伝も何年周期で必ずブームが来る。体操の体の末端へのミクロなこだわりは、まさに日本的。ですがこの辺は中国の飛び込みとかにも通じる東洋感覚ですね。京劇とか歌舞伎とか (中年チャンピオン)


先程のスポーツ番組で(ちら見でしたが)江川卓さんが内村に触れて「技の完成度もさることながら、オールラウンドプレイヤーという部分に(彼の)凄さを感じます」と言ってましたね。
旧徳さんの言われたゼネラリストという言葉までは思い付かなかったのか(笑)視聴者に解り易く伝えたかったのか、それでも着眼点は他のスポーツコメンテーターと違って流石だなと思いました。
「体操の体の末端へのミクロなこだわりは、まさに日本的」はもはや「わびさび」の世界でしょうか(笑

70年代中頃に成美堂出版から出された「ジムナスティック男子体操競技」という竹本正男監修のいわば体操の手引書が永らく僕ら体操小僧のバイブルだったわけですが、そこにも美しさへの追求という言葉が使われていました。
改めて現在の採点方式をおさらいすると、これまでの体操の歴史の中で積み上げて来た日本の「美しい体操」が原点になっているようにも感じます。
日本人の美意識、体操哲学というべきか、だとすればそれが現在に至る世界の体操文化に大きく影響している事は間違いない事でしょうね。

また内村について印象深いひとコマがありました。
個人総合で既に金を獲得している内村が、彼の最終種目の床で銀メダルに終わった後のインタビューで「満足の出来る演技が最後の最後に出来て本当に良かったです」と答えたのです。
内村の後に演技した中国人選手が戦略的に難易度を上げ採点では内村を僅かに上回ったわけですが、それに少しの悔しさも見せずに言い放った彼の一言には彼の哲学がありました。
それは負けて潔しという慰めとは全く異質なものでした。
しかし、一般視聴者、あるいは観客の中でそれを理解する人は少ないでしょうね。
かく言う自分も旧徳さんのヒントやその後のやり取りが無ければ「銀でそう言えるのか?」と思ったかもしれない。
いや、いまさら何故こんな事を書くかと言えば、なるほどここに言論というかスポーツ論壇の価値があるのだなと痛感したからであります。
「表層的な部分だけを捉えていては足元をすくわれますよ」とは僕が公開討論を挑もうとしている(笑)勝又さんのアドバイスでしたが、彼もまた歴史や伝統の継承という言葉を使われました。そして原点を学ばない事には議論にすらならない事を教えてくれました。

いやぁしかし、久しぶりに触発を受けました。熱く語れる場を作って頂いてあらためて心から感謝です。ありがとうございました。(B.B)

2012.8.6

斉藤司インタビューを終えて

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練習後の疲れた斉藤選手を拉致して(笑)実現したインタビューでしたが、少しでも彼のイメージが伝えられたかどうか…なにぶんつたない文章なので自信がありませんがいかがでしたか?

この日は、私含めた数名で三谷ジムにお邪魔したんですが、私たちと斉藤選手&三谷会長とのやり取りを、加工せずにそのまま掲載するやり方も考えました。
しかしやっぱり、個々のコメントや背景について、いちいち色々書きたくなってしまうので(笑)、今回このような形で私が書かせていただきました。

ボクシングファンの楽しみの一つに、リアルタイムでお気に入りの選手の成長を見届ける楽しさがありますよね。
前回と比べてここが良くなった、いや逆にここが悪くなった、などと好き勝手言いながら、勝って喜び負けて落ち込み…けっこう心臓に悪いんですが、これはやめられません。

「休日には何を?」という問いに対して斉藤選手は、「う~ん、、、特に、、、」と、無理やり何か答えようとしてくれましたが、今は、というより、6年生で初めてグローブをつけてからずっと、ボクシングのこと以外考えてないんでしょう。
決して長いとはいえない貴重な現役生活。悔いのないよう精一杯燃焼して欲しいと思います。

今後も斉藤選手は勿論、色々な方のお話しをご紹介したいと思ってますので、よろしくお願いします。

(ウチ猫)