
⇧七年ぶりの試合後の斉藤選手
あけましておめでとうございます。2023年も長文で書く必要がある記事のみ、地味に更新していこうと思っています。
というわけで、もう既に一ヶ月以上経過してしまいましたが、元日本ランカーの斉藤司(さいとうつかさ)選手が7年ぶりに現役復帰して見事勝利した試合を観戦してきましたので、その時の試合の模様や試合後に伺かったご本人のお話などをお伝えします。
斉藤司選手は、2008年度にフェザー級で全日本新人王になりMVPも獲得した期待のホープでした。2014年には日本タイトルにも挑戦しましたが、その後所属ジムとの契約関係の軋轢や金銭トラブルからジム会長を相手取った訴訟に発展。貴重な選手生命を犠牲にした裁判は、表面上は彼の主張が認められず敗訴と言う形になりましたが、判決文でこれまで曖昧だったプロボクサーの法的な地位が定義されたことでボクシング界に大きな変革をもたらしました。
彼の裁判で最も重要だったことは、「ボクサーと所属ジムとの関係は『雇用契約』ではなく『有償準委任契約』である」と確認されたことです。法的にはボクサーは個人事業主であり労働者ではないのですが、ボクシング界では雇用関係か徒弟制度のような契約慣行が根強く残っていました。選手はクラブオーナーに逆らえば試合も組んでもらえず、移籍も出来ず、飼い殺しのような状態で失意のまま引退していくというケースが多々ありました。未だに規定のファイトマネーを払わない、過重なチケットノルマを課す、試合の経費を負担させる、といった搾取が罷り通っており、中には選手個人が貰った賞金や激励賞を丸々ネコババするようなセコい会長もいるようです。
斉藤選手のリング外での戦いによって、ボクシングジムと選手の不平等な関係は公正取引委員会が関心を示すほどの大きな問題となり、日本ボクシングコミッションが法律に抵触しないような移籍ルールを整備したことで選手の移籍は活発化しています。今後ジム間の健全な淘汰が進むことも期待されます。
沢山の選手に移籍の機会を与えた斉藤選手ですが、皮肉なことに彼自身は2015年の試合を最後にリングから遠ざかり実質的に半引退状態でした。彼とはSNSで繋がっていたので、時折近況として公園でシャドーをしたり子連れでジムワークをしたりする様子はアップされていたのですが、昨年10月の中旬に突然
『実はもう一度ボクシングに挑戦することを決めました。
そして11月30日に試合も決まりました』

と言うメッセージが来て大層驚きました。不本意な裁判闘争でキャリアが途絶えたことで燃え残ったものはあるだろうとは思っていましたが、7年ぶりの試合というのは相当にリスクがあり、勝敗以前に加齢とブランクの影響でどれくらい動けるのだろうか?と考えざるを得ません。常に家族のことを最優先に考えて行動している斉藤選手が、一体いかなる思いを持って復帰を決めどういうプランを描いているのか?これは観戦しなければいかんと言うことで、現地まで行ってまいりました。
10年以上前から一緒に彼を追いかけて応援して来たHARD BLOW!のメンバーと水道橋で落ち合って後楽園ホールに入ると、ド平日にも関わらず場内はなかなかの入りで、「明らかに栗原×千葉の東洋戦より入ってる」とのこと。これも斉藤司復活への期待の表れか?ツイッターで繋がっている方が来場されているということで、ご挨拶させてもらって少し話しましたが、「斉藤選手が復帰ということで仕事関係の方と来ました」ということで、斉藤目当ての客が多いというのもあながち間違いでもないよう。激励賞も一試合前のインターバルから読み上げないと紹介しきれないくらい贈呈者が多く、これも6回戦としてはかなり異例。読み上げられた贈呈者の中には、元日本チャンピオンの荒川仁人さんの名前があり、粋なことするなあと感心。ボクサーの繋がりっていいですね。
会場は七割くらいまで席が埋まり、いよいよ斉藤選手が硬さをほぐすように通路で大きくステップを踏んでから花道に登場し、会場からは大きな拍手が起きる。後から知ったのですが、斉藤選手はお子さんの学校のPTA会長をやられているということで、学校の父兄の方々も沢山来場されていたようです。今までボクシングと接点が無かった人たちが、平日の夜に高額なチケットを買って、会場に足を運んでくれるというのは相当凄いことです。彼が地域の活動で信頼を得ているからこそでありましょう。
今回の試合はブランク明けということで6回戦。ゴングが鳴ってリングに出た斉藤選手は、まあ分かっちゃいたけど相当に動きが硬く、手も出ないしフットワークも重い。一方、対戦相手のアヌーチャ・トングボーはタイの無名選手ですが、サウスポーでタイミングも変だし、戦意旺盛に荒っぽくパンチを振るって果敢に前進。1Rが終わり、「斉藤硬いな」と言う空気が会場に流れて、観客も緊張気味。2Rもドングボーは大振りのパンチを振るい、斎藤選手はまともに貰うことはないですが、ガードで防ぐだけで手が出ない。

インターバルに観戦仲間と「これはちょっと良くないなあ」と話していたあとの3R、序盤パンチの交換から斉藤選手の右ストレートが炸裂し、ドングボーは吹き飛ぶようにダウンしそのまま10カウント。


身体に染みついたような一撃カウンターを決めた斉藤選手は、コーナーに駆け上がって7年ぶりの勝利の喜びを爆発させ、重い空気を断ち切るような鮮やかなKO劇に会場からは大歓声が起きました。勝って無事にリングを降りることが出来た斉藤選手が、花道で泣いている子供たちと抱き合っている姿を見てこちらも泣けてきました。
試合後に少しお話を伺いました
HARD BLOW!(以下HB)「7年ぶりのリングはどうでしたか?」
斉藤司選手(以下斉藤)「いや~緊張しました。多分デビュー戦より緊張しました(笑)」
HB「1ラウンドは本当に硬くて、パンチも貰ってるので『これ大丈夫かな?』と思ってたんですけど」
斉藤「(一力ジムの)小林会長からも1、2ラウンドは様子見ろって言われてたんですけど、様子見てるつもりがめちゃくちゃ硬くて、『あ、これ今日ダメだな』と思って。でも向こうが出てきてくれて、動きは完全に見えてたんで右を合わせることが出来ました」
HB「斎藤選手が硬いから、向こうが色気出して前に出て来てくれて、カウンターが取れたと」
斉藤「そうです、そうです」
HB「裁判の判決が出たのはいつでしたっけ?」
斉藤「2018年…、もう四年前ですね」
HB「判決が出てからは体動かしたりはしてたんですか?」
斉藤「いやもう全くですね」
HB「全くですか?」
斉藤「本当に、子供と遊ぶくらいですね」
HB「生活が忙しすぎて、太る余裕もないくらい働いて家のことをしてと言う感じですか」
斉藤「はい」
HB「復帰は無理かな、と思っていましたか?」
斉藤「そうですね、もう出来ないだろうなと思っていたし、でも心の中ではどこかでやりたい気持ちはあったので」
HB「実際準備ってどれくらいの期間をかけたんですか?」
斉藤「4か月です。きっかけは、元日本チャンピオンの福原力也さんのジムでトレーナーとして働かせてもらってるんですけど、力也さんから見たら僕はまだ若いということで、『やりたい気持ちがあるなら、やった方がいいと思うよ』って言ってもらって」
HB「福原さんから見て『まだやりたそうだな』というのが分かったんでしょうね」
斉藤「それで8月に一力ジムの小林会長に『もう一回現役復帰したいです』ってお願いしたら、二つ返事で『中途半端な気持ちじゃ出来ないよ。頑張りなさい』と言ってもらえて」
HB「ライセンスは更新してたんですか?」
斉藤「してなかったです。だから6回戦からということで、『ダラダラやるよりも目標があった方がいいだろう』ということで11月に試合も決めてもらって。『四か月、いや三カ月半か~』と思ったんですけど覚悟決めてやれば大丈夫かなと思って」
HB「復帰に向けて練習してみて、手ごたえはありましたか?」
斉藤「うーん、手ごたえがあったか?と言うと、無いですね。と言うのは前の自分と比べてしまうので。だから、昔と比べないようにして、今どういう風に仕上げていこうというやり方で練習しました」
HB「スパーリングはどれくらいしたんですか?」
斉藤「もう全然ですね。マス入れて50ラウンドもやってないです」
HB「復帰に際して、今日の試合はどういう位置づけですか?」
斉藤「勿論一試合だけのつもりじゃないんで、挑戦できるところまでやりたいと思ってますし。あくまで本格的に復帰するためのスタートラインですね」
HB「今日の内容はご本人的にはどうですか?」
斉藤「今日は一点もつけられないですね(笑)」
HB「一点も(笑)」
斉藤「七年ぶりだったんで『こいつまだまだいけるんじゃないの』というのを見せたかったんですけど、今日の内容だとあんまり生意気なこと言えないですね」
HB「自分の為の裁判だったとは思うんですけど、判決が出て色んな選手が移籍してますけど、それについてはどう思いますか?」
斉藤「それは本当にいろんな方に言われるんですけど、『悔しい』とかそういうのは全くないですね。本当に自分の道を切り開くための行動だったんで、僕の裁判の結果みんなが移籍出来るようになったと聞いても、本当に何も思わないです」
HB「競技を続けるに当たって生活の目途は立ってるんですか?」
斉藤「昼間は福原力也さんのジムでト働かせてもらって、夕方から一力ジムで練習して、夜勤のアルバイトやってるんですけどそれも数を減らして。朝は家のこととか、子供の送り迎えとかで忙しいので、夜勤が無い日に真夜中の隅田川走ってます。完全に不審者ですね(笑)」
HB「子供たちはお父さんのボクシング観るのは初めてですか?」
斉藤「一番下の子は初めてかな。またボクシングやるって言ったときに、子供たちはやっぱり凄く不安そうで。特に一番上のお姉ちゃんは『怪我するんじゃないか』『血が出るんじゃないか』って凄く嫌がってたんですよ。だから、ボクシングの良さとか、僕の本気具合を見せるために練習に連れて行ったんですよ。で、『ボクシングってこういうスポーツで楽しいんだよ』っていうのを伝える為に、一か月くらい一緒に練習して」
HB「あ!そう言えばFacebookに写真載せてましたね!」
斉藤「そうです」
HB「試合後はお子さんとは話しましたか」
斉藤「まだなんですけど、本当に僕は家族が力の源で、一番は家族で、それは10代のころから変わらないので」
HB「復帰に当たって朝日新聞に記事が出たり、『裁判をしてボクシング界を変えた人』として紹介されて、注目度も高かったと思うんですけど」
斉藤「取り上げて下さって、僕の名前が世の中に出ることはありがたいことなんですけど、でも何回も言いますけど、ボクシング界とか誰かの為のとかじゃなく、あくまで僕自身の為にやったことなんで」
HB「あくまで『自分』っていうのがボクサーだなあ。そういえば、荒川仁人さんから激励賞が出てましたけど」
斉藤「そうなんですよ。荒川仁人さんと土屋修平さんから頂いて。こっちはずっと勝手にライバル視してたんですけど、本当にありがたいし力になります」
HB「具体的な今後の目標はありますか?」
斉藤「勿論ボクシングの厳しさ分かってるんで、簡単に『チャンピオンになります』とか今は言えないですけど、一試合一試合課題をクリアしていくつもりで」
HB「ある程度期間は区切って考えてますか?」
斉藤「それは勿論長くやるつもりはないですけど、やりながらですかね。僕はボクシングの厳しさ本当に、本当に分かってるんで。7年ブランク空けて復帰して、改めて『ああ大変だな』と感じたので」
HB「『一点もつけられない』というのはそういうことですよね。でも以前の自分との比較が冷静に出来てるということだから良いと思いますよ」
斉藤「これから時間かけて練習積み上げていけば、もっといい動き出来るようになると思います」
HB「今日入ってくるとき、ジャンプと言うかステップ踏みながら入ってきたじゃないですか。あれは自分で硬いという自覚があったんですか?」
斉藤「本当にその通りです(笑)」
HB「では最後に見てる人に伝えたいことはありますか?」
斉藤「今の時代、悩みとか問題抱えてる人が多いと思うんですけど、僕も不幸自慢じゃないけど嫌なこと不幸なことばっかりで、そういう星の下に生まれてきたのかな、思ったこともあったんですけど。でも今は、奥さんがいて、子供たちがいて本当に幸せなんですよ。だから諦めないことですね。諦めないこと、投げないこと、折れないこと、それを見せれるのが僕の仕事なのかな、と。僕の背中見てもらって、なんか伝えらえることがあると思ってます」
悩んでいる人、問題を抱えている人を戦っている姿で励ませるような、そんな選手でありたいという斎藤選手。ボクシングを見る理由は人それそれだとは思いますが、この日会場に七年ぶりの試合を見に来たのは、以前からのファンも初めての人も、彼の人柄や生き方に感応した人達だったと思います。裁判闘争でキャリアが停滞したことは、外野から見れば時間の無駄に見えるかも知れませんが、彼が愚直に裁判で戦ったからこそ、沢山のボクサーが彼の開いた道を通って移籍することが出来ました。彼は、ことあるごとに『自分の為にやっただけ』と言いますが、そうやって損得勘定せずにまっすぐに生きることが出来る人が今時どれくらいいるでしょうか?
自分が考えるボクシングの良さは、ボクサーが普段生活してる街の中にいて、走ったり、練習したり、生活したりしてるその息遣いが身近な人に伝わる事だと思います。遠くにいて憧れる存在ではなく、自分と同じような生活者として街に居て、試合があればまばゆいリングに上がって応援や期待を受けて戦うという、昔ながらのプロボクサーの魅力が斉藤選手からは溢れていると思います。自分も一ファンとして、今後も斉藤選手を追いかけて行こうと思います。
斉藤選手が注目を浴びて本当に良かったと思っている(旧徳山と長谷川が好きです)
インタビューのPART2です。今回は海外で大きな話題を呼んだテキサスでのエルウィン・ソト戦の感想や、頻発する体重超過についての体験に根差した見解などを伺いました。
PART1はこちらから→五輪挑戦からプロ復帰、ソト戦、そしてこれから 高山勝成選手インタビューPART1
高山勝成選手の過去記事はこちらから
2013年11月
2014年4月
2014年8月
2014年12月
2015年4月
2015年9月
2019年7月 全日本選手権愛知県予選のレポート
2019年9月 全日本選手権東海予選のレポート
テキサスでのソト戦について
インドアでのスポーツイベントでアメリカ史上最高の動員(73000人)になったというカネロ・アルバレス×ビリー・ジョー・ソーンダース戦のアンダーカードとして行われたエルウィン・ソト戦について。試合後のパフォーマンスも含めて世界中で大きな話題を 呼んだ試合について、当事者からみた感想を伺いました。
―オファーがあったのは3週間前ということですが、間に合うだろうと思いましたか?
高山「まあなんとか(笑)」
―他の日本人の選手にも声がかかってたみたいですけど、話が来てすぐ受けたんですか?
高山「即答しないと他の選手にとられると思ったのですぐに手を挙げました。正式な契約をしたのは2週間前です」
―スパーはどれくらい出来たんですか?
高山「スパーはやってないです」
―じゃ技術練習と減量だけと言う感じですか?
高山「サンドバッグの打ち込みはやりましたね。一階級上げるし、自分のパンチの質は一撃で決めれるようなものじゃないのは分かってるので、12R動けるスタミナを作って、前半と中盤はやりすごして、後半に相手のスタミナと集中力が切れたところに一気に襲い掛かって、コンビネーションと連打でKOかTKOに持って行こうというプランで三週間トレーニング積んでました」
―ソトの印象はどうでしたか?今までの試合で荒っぽいタイプかと思ってたんですけど、思ったより技術がしっかりしてましたね
高山「僕の印象では若くて勢いがあるヤンチャなタイプかなと思ってたんですけど、エディ・レイソノにも見てもらってたみたいで、そういう技術もミックスされたスタイルにもなってるなという印象でした。ただ1,2Rは上手く行ったんですよ。いいの貰ってぐらついたりしたんですけど、それでソト選手が行けると思って振り回してくれたんで、3R4Rくらいで集中力が切れて来てたんですよ。こっちとしたらこのままのらりくらりやり過ごして、集中力が切れるのを待ったらいいからスタミナも温存しとったんですよ。ボディ効いてきてるのも分かってたので、後半失速したところを一気に行こうと。そしたら止められて(笑)」
―凄い変なタイミングで…
高山「8ラウンドの後のインターバルで、中出さんからも『ここからの3ラウンドで自分の判断で行けると思ったら勝負しろ』って言われてたんですよ。こっちもそのつもりでいたら、その9ラウンドで止められてしまって…」
―実況も『ここで止めるんかい!』という感じで(笑)
高山「あのレフェリーは良くないっすね。インターバルでコーナー来て選手の表情見たらどっちが疲れてるか分かるはずだし。でも試合終わった直後のシャドーが、僕の言いたいこと全てです」
DAZNのツイッターにアップされた高山選手の試合後のシャドーの動画は現在56万回再生!→高山選手試合後のシャドー動画
―本来真面目でおとなしい高山さんが、瞬間的に会場を湧かせるような自己表現が出来るようになったということも凄いことだと思いました
高山「やっぱり海外の試合は張りがあるというか、よりやるかやられるか感が出るし、ダラスはメキシカンが多いからアウェイじゃないですか。自分はやっぱりそういう環境で試合するのが好きだし、そういう場所で勝ってこそ本当の勝者だと胸張れると思います」
―アメリカでの試合は初めてですよね?
高山「カネロとソーンダースと言う、ああいうイベントのセミファイナルで出来たと言うこともね、自分にとってはいい経験になりましたね」
―アメリカのメガファイトって結構セミまでガラガラみたいな時もありますけど、かなりお客も埋まってていい雰囲気やったと思うんですけど
高山「そうなんですよ。僕もセミまではガラガラなんかな?と思ってたんですよ。でもセミセミくらいから客席がビッチリ詰まってたんで、これは最高の舞台やと思って」
―コロナの自粛開けでお客さんもエンタテイメントに飢えてたんでしょうね
高山「自分としては三週間という短い準備期間で、ちゃんとコンディション作って考えていた戦術通り戦えたので、やるべきことはやったと思っています」
体重超過について
続いては最近頻発する体重超過や、計量前の救急搬送などについて、高山選手が東京スポーツの取材に答えた記事を踏まえてお話を伺いました。
―谷口×石澤戦の体重超過について東スポの取材に答えて記事になってましたね
東スポ記事へのリンク→高山勝成が異例のミニマム級タイトルマッチを一刀両断「危ない試合」「僕なら断る」
高山「ソト戦の後も取材のオファーはあったんですけど全部断ってたんですよ。メディアの人もオリンピック予選のことやアメリカの試合のこと色々聞きたいとは思うんですけど、結局何話しても業界の話とかジム制度の話とかそういうことは全然書いてくれなくて当たり障りのない内容にされるので取材受けても意味ないなと思って。ただ東スポの依頼は体重超過についてということだったので、それだったら意味あるかと思ったので受けました。限られた紙数の中で僕の言いたいことはちゃんと全部書いてくれたので、取材受けて良かったなと思いました」
―はっきり試合はやるべきじゃないと言った
高山「そうですね。分かっててもこの業界の中ではなかなか言えない」
―プロモーターもジムも選手も、なんでみんなこんなに準備してないの?と思うんですけど
高山「結局興業側も選手も責任感ですよね。自覚、プロ意識、というか。スポンサー、応援してくれてる人に迷惑かけるし、実際何千万というお金が動いてるわけじゃないですか?僕やったら体調は崩しても体重は作ります。最低限の仕事やから。僕がもし石澤選手の立場やったら、公開計量や記者会見にも出てないです」
―落ちてないのに秤乗っても意味がないから、セレモニーに出てる暇があったら体重落とす、と
高山「そうです。ちゃんと相手陣営に説明して、時間が許す限り体重落とす努力をします」
―高山さんは今でも試合一週間前に一回リミットにするというスタイルなんですか?
高山「そうですね」
―体重超過が頻発してるなかで、昔ながらじゃないけど同じ方法で年齢を重ねてもちゃんとウエイトを作ってるベテラン選手も沢山いますね
高山「体重超過する人はトラブルを想定してないのかな?と思うんですよね。僕は今流行ってる直前に水抜きで一発勝負みたいなのは怖くて出来ないですよ」
―体重超過だけじゃなくて試合直前に棄権とか救急搬送とかも増えてますね
高山「何も減量に限った話じゃなくて、試合でも序盤にいいカウンター貰って、効いてダウンすることがあるかもしれない。その時にムキになって立ったらふらついて止められるかも知れない。だから、あらかじめそういう展開を想定してダウンしてもカウントエイトまで使って動揺してないか、手足は動くか、頭は冷静かを確認してから立つという準備をしておかないといけない。減量についても同じで、試合直前に怪我して練習できなくなるかも知れない、風邪ひくかも知れないというトラブルを想定しておかないといけないんですよ」
―どれだけ不測の事態を想定するか?ということですね
高山「試合でも練習でも自分のイメージ通りに行くことってあり得ないじゃないですか?そもそも軽量級は中量級や重量級と比べても身体の体積の違いからくる筋肉量、基礎代謝、汗の量が違います」
―同じ一キロでも普段の体重との比率が全然違いますしね
高山「体重超過があると勝っても納得がいかないというかモヤモヤするし、見てるお客さんも心から楽しめないと思うんですよ。誰にとっても中途半端な結果になるので、試合はしない方が良かったと思います」
今後の目標について
最後に今後の目標について伺いました
―五輪挑戦宣言した当時、中出さん(高山選手のトレーナー兼マネージャーの中出博啓氏)は『高山本人がやる気が出る目標を探してて、それがオリンピックなんじゃないか』みたいにおっしゃってたんですけど
高山「それはそうですね」
―では今後というか、オリンピック終わってボクシング出来る年数もいよいよ限られて来てると思うんですけど、今一番やりたいことはなんですか?
高山「今一番やりたいことですか?四月から大学に戻ってて、教職の単位が少し残ってるのまずはそれをしっかり全うして」
―じゃ教育実習も行って
高山「そうです、今年はその教員免許をとることを第一の目標にしてるので」
―確かに、もう闇雲に試合をするという段階でもないですもんね
高山「そうですね。今は」
―今所属してる寝屋川石田ジムはどうですか?
高山「若い選手が多くてみんな個性があっていいですよ。プロ選手からも一般会員の方からも刺激を貰っています」
―試合中継見てると中出さんもセコンドについたりしてますね
高山「そうなんですよ。この間は僕も興業の時、会場の入口で『ここで検温して下さい』とかやったりして」
―誘導係とか場内整理とか
高山「そうです、そうです。僕が大学に戻って、中出さんも今は仕事をメインにされてて」
―もう関係も長いから、なんかあったらまたすぐ集まって動けると言う感じですね
高山「そうですね。今は教職過程の授業からの学びと発見を大事にしていきたいと思います」
常に予想外の行動でファンを驚かせて、日本のボクシング界の閉鎖性を打ち破ってきた高山勝成選手とチームは今後どこに向かうのか、次の動きを期待して待ちたいと思います。高山選手どうもありがとうございました。
久々に長文書いて疲れた (旧徳山と長谷川が好きです)
コロナ禍でインタビューや現場取材もなかなかままならない日々が続きましたが、先日本当に久々に元WBOアジアパシフィックチャンピオン山口賢一さんに会いに大阪天神ジムを訪問。約三年ぶりに会った山口さんは以前と変わらず快活な様子で、ジムも会員や練習生で活気に溢れています。あれこれと近況報告をしていると、偶然ジムに遊びに来ていた高山勝成選手も登場。その場で許可を頂いてインタビューし、オリンピック挑戦からプロ復帰戦、そしてストップが議論になったアメリカでのエルウィン・ソト戦、頻発する体重超過に対する見解、今後の方向性などについて率直に答えて頂きました。
高山勝成選手の過去記事はこちらから
2013年11月
2014年4月
2014年8月
2014年12月
2015年4月
2015年9月
2019年7月 全日本選手権愛知県予選のレポート
2019年9月 全日本選手権東海予選のレポート

オリンピック予選について
―3分3ラウンドの試合に挑んでみて、プロとの違いとか適応する難しさというのはどう感じられましたか?
高山「勿論違いが分かった上で覚悟して調整はしてたんですけど、改めて短期勝負の試合では集中力と一瞬の状況判断が試 されるなというのは凄く感じましたね」
―プロの4回戦もダウンを取られたら挽回が難しいですけど、それとも違いますか?
高山「その一ラウンドがあるかないかだけで、全然違いますね」
―3ラウンドの方がより厳しい?
高山「そう思いますね。本当に一瞬の判断ミスで展開がどんどん変わって行くので。。アマ登録がなかなか認められなくて愛知県予選はほぼぶっつけ本番で2勝しましたが、戦いの中で改めて注意点やルールなど見直さなければと感じました」
―試合馴れの面で、経験の差があったかなとは思いますけど、もう一つ勝てたら坪井智也選手(2021年世界選手権優勝)だったじゃないですか。プロとアマのチャンピオン同士の対戦は見たかったですね
高山「東海予選ではさらに大変な戦いになることは覚悟はしていたんですが、試合以前の問題として運営をしているアマ関係者の姿勢に問題があると感じました。一言で言うと正々堂々と試合しようと言う姿勢でなく、『高山潰し』と感じられるような不公平な運営がいくつかあったんです」
―当時SNSにも投稿されてましたが、抽選の過程やルール運用で明らかに不可思議で腑に落ちないことが色々とあったと。(詳しくはこちらのリンクを→高山勝成選手による2019年9月30日のFacebook投稿)
高山「自分としては、オリンピック予選の舞台に飛びこんで、アマの選手達とも交流しながら切磋琢磨したかったのですが、周りの大人達が排他的というか敵対心が明らかでスポーツマンシップが無かったと思います。ただ、自分がやってきたことは胸を張って誇れることだと思っています」
―結局あれが日本で初めてじゃないですか、日本のプロもアマも変わりましたからね
高山「だからパリ五輪では、実業団選手権みたいな感じで、プロボクサーやそれだけじゃなくて他のジャンル、総合格闘技の選手なんかも参加出来るプロ向けの予選が行われる可能性ももしかしたらあるかも分からないし、自分がそういうきっかけを作ることが出来たのなら嬉しいですし」
―結局WBO、IBFの国内承認もですけど、高山さんが動いたことでルールが変わって行っている
高山「僕は当時新大阪にあった日連の事務所に一人で言って、直訴と言うか『自分はプロのライセンスも返して一選手としてオリンピックを目指したい』と言ったんですよ。そしたら『ダメだ』と。『いや、でもリオのプロ参加には山根さんも賛成票投じてるんでしょ?』と言ったら『日本は日本の事情がある』みたいに言われたんで、ああもうこれは埒があかないなと」
―山根体制が崩壊したのも、高山さんのオリンピック挑戦が少し影響してると思うんですけどね
残念ながらオリンピック出場は成りませんでしたが、トッププロが自ら越境して実際に制度を変えさせて異ジャンルに挑戦したのは非常に意義があったことだと思います。高山選手が体験談として話しているアマの試合運営の問題は、決して思い込みや負け惜しみではなく、事実に基づいています。当ブログもいわゆる『山根問題』の渦中では、アマ関係者と連携して試合運営での不正行為なども記事で告発して来ました。高山選手が戦った試合はまだその余波が残っている段階でした。高山選手はプロジムの練習生からの叩き上げで、アマチュアボクシング界から見れば数少ないオリンピック出場枠を巡る戦いにいきなり割り込んできた異分子と映っていたのかも知れません。しかしプロボクサーへの協議参加の開放はIOCの方針であり、オリンピック精神そのものでもあります。今後続く選手達の為にも、公明正大な試合運営が望まれると思います。
小西伶弥戦について
続いてはプロ復帰戦となった試合について。二度の世界挑戦経験もある小西選手(アルバラード戦は凄い打撃戦で好試合でした)を終始圧倒した内容が非常に衝撃的でした。
― プロ復帰戦になった小西戦ですが、かなりブランクがあった後の試合でしたが
高山「プロの試合は(加納)陸くん以来ですかね」
― スタイルも、反応の良さも、コンデイションも全く以前のままで、こちらとしては非常に驚いたのですが…
高山「プロのリングではブランクはありましたが、その間もオリンピック挑戦の為にトレーニングして、ダラダラと体を動かすような過ごし方はしてなかったので、その辺がプロ復帰戦のパフォーマンスに繋がったのかなと思います」
―余りにも変わってないというか、むしろ若返ったようにも見えてビックリしたんですけどね
高山「引退した後、ブランク開けて復帰しても、以前のようなパフォーマンスが出来ずに負けていく選手もいるので、見てる方もそういうイメージはあったんだろうなとは思います」
―年齢を重ねて、「反応が悪くなったな」とか「疲れがとれにくくなったな」感じることはありますか
高山「それは感じますよ。だからそこで、いかに自分の身体と対話するかなんですよ。年齢とともに、疲労からの回復力とか反応とか、身体の一瞬の爆発力とか失われていくし、首が痛い、腰が痛いとかあるじゃないですか。ボクシングって無茶するスポーツでもあるんですけど。その中でいかに自分の身体と向き合って、トレーニングの内容を変えたり、休む時は休むとか、そうしないとリングの上でベストなパフォーマンスは出来ないですよね」
―逆にブランクの良い面というか、試合間隔が開いたことで、身体がフレッシュになった面もあったんじゃないですか?
高山「それはありましたね。南アフリカやメキシコで試合して、タイトルとった後防衛戦重ねてる間は、目のカットにも悩まされてスパーリング積んで試合に臨めるということがなかなか無かったので。プロのの試合をしていないブランクのうちに、目の傷も手術して完治させる時間が出来たし連戦の負担はリフレッシュ出来たので、結果的に良い準備期間になったかなと思います」
―闇雲に試合をこなすよりも、試合間隔を開けた方が良い場合もある、と
高山「そうでうね、自分の場合はそれがプロ復帰戦のパフォーマンスに繋がったと思います」
―ライトフライに上げたのは良かったですか?
高山「体重面では凄く楽になりましたね」
今回はここまで、次回はアメリカで大観衆を前に行われたソト戦と体重超過問題、今後の目標などについて伺います。
久々にインタビューなどして緊張した(旧徳山と長谷川が好きです)
亀田兄弟が予想通り二審の高裁でもJBCに勝訴して、はや一か月が経ちました。
賠償額は一審地裁判決の4550万円から倍増以上となるおよそ1億円。この賠償金には更に利息がついており、亀田側が訴訟を提起した2016年に遡って年5%の利子がつきます。賠償金が利息込みで一億数千万円、それプラス訴訟費用や弁護士費用など莫大な負債を負ったJBCはゾンビ法人と言っていい状態です。
当ブログは某筋より判決文の記述内容を入手しましたので、なぜ賠償額が増額になったのか?どのような事実関係が争われたのか?を、今一度振り返ってみようかと思います。今更判決内容を検証したところで何ほどの意味があるのかは分かりませんが、一つの大きな節目として顛末を記述しておく必要はあるかと思います。
まず『なぜ賠償額が倍増したのか?』ですが、これは恐らく亀田兄弟がライセンスの発給を止められて不利益を被った期間の認定が変わったことに由来しています。判決文より当該箇所を引用します。(以下引用)
一審被告JBCの理事長である一審被告秋山は、一審原告3選手がボクサーライセンスを取得するために、吉井らが本件処分を受け入れることを条件としていた。そうすると、本件処分を争っていた吉井が、一審被告JBCに対し、平成27年以降にクラブオーナーライセンスを新規申請したとしても、これが交付される可能性はない。したがって本件処分と相当因果関係のある損害は、平成26年中に生じたものに限られず、同年から吉井と一審被告JBCの紛争が解決した別件和解時(平成29年7月19日)までの間に生じたものがこれに当たると解するべきである(引用以上)
要は、亀田兄弟がJBCのライセンスの不支給によって試合が出来なかったと見なされる期間を、ライセンスの有効期間の一年でなく、ライセンスを申請してもJBCが拒否したであろう期間まで延長したと言うことであります。不利益を被った期間が長くなったことによって、『出来たであろう試合数』が増え、その結果『稼げたであろうファイトマネー』が増えたということでしょう。極めて妥当な判断だと思います。
亀田を毛嫌いするあまり、「亀田の収入がそんな高いわけ無いだろう」みたいな妄言吐いてるアホなボクシングファンもいるみたいですが、亀田サイドは証拠として所得証明や納税書類なども提出しており、金額は確かなものです。もとより裁判はそんな甘いもんではありません。
もう一つ、この裁判では新たに証人尋問が行われて、亀田大毅×リボリオ・ソリス戦の為のルールミーテイングにおける事実関係が審理されました。筆者はその尋問を傍聴し、やりとりを詳細に記事にしています。
↓
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART1
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART2
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART3
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART4
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART5
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART6
JBC亀田裁判控訴審 証人尋問傍聴記 PART7
証人尋問ではソリス選手の体重超過による失格で、IBFタイトルの扱いがどうなると決まったか亀田側の主張とJBC側の主張真っ向から対立しましたが、判決文ではJBC側の主張は『供述等の信用性が認められることにはならない』『不自然と言わざるを得ない』『その内容が大きく変遷しており、不自然である』と悉く信用性を否定され、『(JBC側証人の)供述等を信用することは出来ないというべきである』と結論付けられました。
賠償金の支払いについては、組織としてのJBCと当時の理事長だった秋山弘志氏、事務局長だった森田健氏、後に事務局長になった浦谷信彰氏の被告4者が『連帯して』支払うように命じています。JBCは現在借金経営であり、支払い能力がないため残りの被告が個人的に賠償することになるんでしょうかね?知ったこっちゃないですが。
JBCが上告を断念したことで虚しい裁判闘争は終わり、勝ち目のない裁判を続けたJBCは高額な賠償と過大な裁判費用で破綻しようとしています。ことここに至って、JBCの腐敗を無視して来たアホなボクシング雑誌や亀田追放を煽ってきた低脳ボクシングファン達が「JBCが無くなったらプロボクシングはどうなるんだよ!」「公正な試合管理が出来るのかよ?」と被害者ぶって逆ギレしています。こうしたジャーナリズムや論壇の不在と、亀田を追い出すこと以外頭にない幼児的なファンの気質がJBCの崩壊を速めたことは間違いありません。要は記者やファンのノリが余りにも『子供っぽい』のです。
JBCの財政はもう何年も前に、安河内剛氏や職員を不当解雇して、労働裁判で連続敗訴したことで危機的になっており、どの道破綻することは明らかでした。
当ブログは過去に、行きがかり上でアマチュアボクシング界を震撼させたいわゆる『山根問題』にも関与しましたが、アマの世界では関係者に、「なんとかしなければならない」と言う危機感があり、自浄作用が働きました。しかし、残念ながらプロボクシングでは関係者は他人の出方を見てばかりだし、ファンや専門誌は「ボクの大好きプロボクシングはどうなっちゃうの?」とうろたえてるだけ。
JBCはスポーツの試合管理をする組織であり、本来は選手や関係者に『ルールを守れ』と言う立場です。そのJBCの職員が組織をあげて何度も違法行為をおこなってきたことを、誰も問題にしないならこのスポーツはどの道長くないでしょう。どっちが勝った負けた、誰が強い弱い、とキャッキャッ言うとりゃええのです。
最後に、安河内剛氏の追放に始まるJBCの崩壊劇については、株式会社東京ドームにも重大な責任があります。JBCは実質的に東京ドームの外郭団体であり、コミッショナーは東京ドームの社長で、幹部はドームの社員の兼任、賠償を命じられた当事者の秋山氏は東京ドーム出身で、裁判でJBC側の代理人を勤めた谷口好幸氏は東京ドームの取締役です。東京ドームは、自社の幹部社員が関与する組織が違法行為を乱発していることについて責任を感じていないのでしょうか?新たに東京ドームのオーナーになった三井不動産はJBCの違法行為をこのまま放置するのでしょうか?企業の社会的責任はどうなるのでしょうか?
有耶無耶に終わらせれば、また同じ問題が起きるだけだと思います。
書いててゲンナリした(旧徳山と長谷川が好きです)
PART1はこちらから
PART2はこちらから
PART3はこちらから
PART4はこちらから
PART5はこちらから
PART6はこちらから
上記のPART1~6までで、メモと記憶を頼りに6月3日に東京高裁で行われた尋問の様子を再現しましたが、今回はまとめとして、前提となる事実と、双方の主張の対立点を整理したいと思います。
まず前提として絶対に忘れてはいけないのは、亀田大毅×リボリオ・ソリス戦のトラブルの発端は『ソリスの体重超過』であり、亀田大毅と亀田ジムは被害者だということです。
元来、日本のボクシングファンは体重超過・計量失敗には殊更に潔癖といいますか、ルイス・ネリなんかはストーキングに近い状態で注目されて、負ければ『ザマ見ろ』とばかりに嘲笑されています。ネリに怒ってるようなボクシングファンや記者が体重超過を批判する場合に、『体重超過したほうが勝って称賛されるのはおかしい。計量失格の時点で負けにするべき』ということをよく言います。
実はそうした考え方は、なんのことはないIBFルールの『王者が体重超過した選手と対戦する場合は、たとえ負けても王座は移動しない』という考え方と同じ思想に基づいており、筋論としては亀田大毅が負けても王座を保持するのは極めて公平で合理的なのです。
それがこと亀田が絡むと、途端に頭から湯気吹かして「追放しろ!」みたいな短絡なことを言う単細胞が騒ぎだして、冷静な議論が出来なくなってしまう。ルールを元に思考するというスポーツの前提が分かってない原始人が、記者にもファンにも一杯いるわけです。
もう一つ忘れられがちな事実は、JBC職員は大毅×ソリス戦以前から亀田兄弟に難癖をつけて嫌がらせをしていたということです。
今回証人として出廷したJBC関西事務局のS氏は、、「亀田兄弟に『監禁・恫喝・暴行』されて、恐怖で足がすくんで動けなくなりました。怖かったので厳しい処分をしてください!」という旨の虚偽の被害体験を書いた文書を起案した当事者です。今回の尋問でも、既に別の裁判で捏造が認定されて当事者が違法行為を認めたにも関わらず、未だに『監禁・恫喝・暴行』があったことを前提にするような証言をしています。
大毅×ソリス戦について、JBCは亀田側が非協力的であるように主張していますが、やってもいない悪事を捏造して陥れようとする組織と信頼関係を結ぶことは不可能だと思います。
先日ネット上で公開された亀田興毅氏のドキュメンタリー番組では、ボクシング興行に関与するに当たってJBCの関西事務局に挨拶に行った興毅氏にS氏が職員として応対しているシーンが映し出されました。繰り返しになりますが、S氏は亀田氏をデッチあげで処分させようとした人物です。果たして選手の命がかかった試合管理をするに足る公平性や見識があるのでしょうか?
亀田側とJBC側はルールミーティングの重要な事実関係で、主張が真っ向から対立しています
・TBSが雇った通訳のH氏は、IBFタイトルの扱いについて通訳をしたのか?
・IBF立会人のリンゼイ・タッカーは大毅が敗れた場合についてどのように言及したのか?
・契約書への署名はIBFルールへの同意になるのか?
という三点が、とりわけ重要になると思われます。重要なのは証言の信用性ですが、JBC側の証人S氏は確定判決が出ていて、尚且つ当事者が違法行為認めている事件について、捏造を認めませんでした。それが、JBCが組織としてとっている法廷戦術だということです。
高裁判決が出ても、JBCの過去の訴訟対応から見て最高裁にいくことは確実と思われますが、終わりの時を引き延ばしたところで損害が大きくなるだけです。責任がある当事者が身を引くとともに、裁判で浪費した費用を弁済して和解するのが唯一の組織を守る道だと思います。
ボクシング業界の方やボクシング記者の方はJBCが経営破綻する前に回避する道をどうか探ってください。私は知りません。
もはや虚しい(旧徳山と長谷川が好きです)